7月3日(金)
撮影も折り返しに入った5日目。
今日も自由な2人とコーチの橋渡しをしながら練習に励み、最後の一本。
これまでで1番手応えがある!
「今回のタイム! 記録更新48.03!!」
「っし!」
この調子ならあと少しで48秒を切れるだろう。
昨日の荒垣先輩との一件で、また役に立つスキルを手に入れたことが大きい。
その名も“軽身功”。
調べたところ、中国武術の身軽に動く鍛錬法や技を示す言葉らしい。
食事や気の訓練で習得すると書かれていた通り、気をめぐらせて走力を強化できる。
俺がやっていた事と同じだが、これがかなり使えた。
昨日の帰りは機動力の五倍強化と併用して、建物の屋根を飛び移りつつ帰宅。
以前からできたことはできたが、前はもう少し苦労した。
よっこらしょ……とやっていたのが、ほいっとできるようになったのだ。
気の流れもスムーズになり、参考にするとより走り方が身につきやすく感じる。
その結果が記録にも出た。
48.03。これはもうインターハイにだって出場可能なタイムだ。
更に言えば、測定時に軽身功は
ただ軽身功という手本を練習の参考にしただけで、この結果。
急速に無駄が削ぎ落とされているが、まだ効率化できる余地もある。
そうした上で軽身功を使ったら、どうなるのだろうか?
最近分かってきた。
気に関係するスキルは肉体が持つ力をフル活用する能力らしい。
長い目で見れば人間の限界に挑めそうな気もしてくる。
「おっつー」
「冷たっ!?」
首筋に冷たく湿った物体が落ちてきた。
「びっくりした?」
「びっくりもしますよ!」
「大成功ー!」
「渋谷きゅんたらもう、いたずらっ子なんだから。普通にねぎらってあげなさいよぉ」
よく見たら、落ちてきたのは濡れタオルだ。
分かっていれば、火照った体に心地良い冷たさを与えてくれる。
「葉隠君」
「はい! 三国コーチ」
「いまの走りは良かったよ。走り方も板についてきたし、なにより腕の振りと足の回転、それに踏み切るタイミングも上手くかみ合っていたように見えた。タイムも大きく更新している。調子がいいみたいだね。何かきっかけでもあったかい?」
「はい、ちょっとコツがつかめました。きっかけ……そうですね、ちょっと考えすぎていたことに気がつけたからかと思います」
いちいち考えて動くよりも、反射的に動く方が行動に移るのは早い。
もちろん最初は仕方ないが、ある程度慣れたなら別だ。
軽身功を習得する前、というかカストールを足止めする前は陸上の走り方で軽身功をやろうとしていた。陸上の走り方を身につけるためという理由はあったが……考えてみると、“慣れない走り方”に“慣れない気の使い方”をあわせたら難しくなって当然だ。
俺はもともとパルクールで身軽に動く訓練も走り方も身につけていた。そっちの方が長く続けて慣れている。だから軽身功をやるにしても、慣れた走り方でやった方が気にすることが少なくて簡単になる。
それをカストールとの戦闘中、本来の動きに戻って気づかされた。
訓練もまず慣れた走り方で軽身功の練習。そして
最後に少しでも慣れた軽身功と慣れない走り方で練習。
こうして段階を踏んだ方が楽。
つまり俺はいきなり難しいところから始めていたわけだ。
「昨日までとは見違えるようだった、君が何かを掴めたのなら喜ばしいことだね。
ただ途中で若干ペース配分が狂ったみたいだったから、明日はそこを見直して……あとはこれまで後回しにしていたスタート。これまでの走り方に加えてこの二つを練習しよう」
「はい! 明日もよろしくお願いします!」
「よし、それじゃ今日の練習は終了!」
「ありがとうございました!」
次の練習が待ち遠しいくらいの気持ちで、今日の練習を終えた。
午後
~アクセサリーショップ・Be Blue V~
現在、俺は店の奥で用意された椅子に座り、首から下に布を巻かれている。
まるで、てるてるぼうずだ。
隣ではMs.アレクサンドラが嬉々としてハサミやらメイク道具を用意している。
これから俺は、髪を切られるんだ。
どうしてこうなったか。
Ms.アレクサンドラの暴走だ。
「葉隠君はオシャレとかしないの?」
バイト先へ撮影に来て、おめかしをしたオーナーに驚かされ、それでも一通り撮影した後。唐突に渋谷さんがそう言った。本人は単なる世間話程度だったようだが、これで火がついたのがダンサーでありスタイリストでもある彼女。
「そうよぉ! せっかくアクセのお店で働いてるのにっ」
「見苦しくない程度には、一応気をつけてますが……」
「清潔感とかそんな話じゃなーいの!」
「あら、面白そうな話をしているわね」
さらにオーナーまで話に乗ってきて、カットするなら場所を提供してくれると言い出した。
プロデューサーも面白そうだからとオーケーを出し、俺も散髪代が浮くかと消極的賛成。
しかし。
「コンセプトはワイルド系でいこうかと思うんですよぉ」
「ウフフ……そのあいだに私は服を用意してこようかしら」
「お願いできますぅ? セクシー系もいいかもぉ」
なんか本人そっちのけで熱が入ってんだけど……
「あのー、大丈夫なんですよね? へんな事になったりは」
「そんなことあるわけ無いじゃなーい? アタシはスタイリストとしても一流。だいたい、このままじゃもったいないわ! せっかくテレビに映るんだから、もっと気合入れなきゃダ・メ」
ズビシッ! と音が聞こえてきそうな勢いで、俺の頭に指を突きつけるアレクサンドラさん。
「確かに、あなたのお顔はイケメンじゃないわ。だけどブサイクちゃんでもないじゃない。パーツ一つ一つに癖もなくって、強く印象に残る部分もないしバランスも普通。プラスでもマイナスでもない。まさにゼロ!」
「言い過ぎじゃね!?」
「ノンノンノン! 喩えるなら真っ白なキャンバス。オシャレは戦い! 努力が必須! マイナスも背負ってないのに諦めるなんてありえないわよこの馬鹿ちんがぁ!!」
「分かりましたから、顔が近い!! あと地声出てますよ」
「あらいやだ、アタシとしたことが……」
「はぁ……」
こうして身を任せること三十分。
「できたわよ~」
「……テンションの割に、普通になりましたね」
「毛先と全体の形を整えてオールバックにしただけだし。ていうか、オシャレ初心者に複雑なセットが必要な髪形とか無理でしょう? そんなの今日だけ、アタシがいなかったら元通りになるだけじゃないのぉ。スーツや学生服に合わせていいものをえらんだつもりよぉ?」
なるほど、確かにビジネスシーンでもオールバックの方は見たことがある。
俺も悪いとは思わない。
基本的にいい人ではあるんだよな……
とか考えていると、オーナーが持ってきた服やアクセサリーで着せ替えの始まり。
結果として魅力が少し上がった?
ついでに今度から着るバイト用の服も決まったようだ。
……
…………
………………
「おい待てシンジ!」
「うっせぇな、何度言われても答えは変わらねぇよ。だいたいこうして無事だったろうが」
「次もそうとは限らんぞ!」
「同じ事を昔、何度もテメェに言った気がするが? そんときお前は聞いたかよ」
「うっ、そ、それはそれだ!」
「あんたら何やってんですか? こんな所で……」
帰り道、寮に向かう途中で言い争う荒垣先輩と真田をみかけた。
まだ日も暮れていないうちから大声を出しているため、何事かと見ている人もそれなりにいる。
無事とか次とか言ってるところを見ると、十中八九昨日の話だろう。
あまり人目を集めるのは良くない。
そう思って声をかけたのに。
「「誰だ?」」
「おい!? 荒垣先輩はともかく、試合までしといて忘れたのか……?」
「試合?」
「あ? よく見たら葉隠じゃねぇか。前と髪形変えてんだろ」
「ああ! 髪形一つでだいぶ印象も違うもんだな。言われるまで分からなかった。イメチェンか?」
「撮影の関係でこうなったんだよ……」
「そんなことまでやるのか。やはり俺は引き受けなくて正解だったな」
「傷はいいのか?」
「はい、もう完治してます。ところで二人は何を? 人目、集まってきてますよ」
ここでようやく二人は人目に気づいたようだ。
「ちっ、俺は帰る」
「シンジ」
さすがに都合が悪いと思ったようだ。
立ち去ろうとする荒垣先輩を、真田が強く止めることは無かった。
「邪魔だったか……」
「いや、あのまま話してても結果は変わらなかっただろう」
歩き去った方を見てつぶやく真田。
なら俺もと立ち去ろうとすると
「そうだ葉隠! 少し付き合え」
「は?」
~ゲームセンター~
「シッ!」
強烈なパンチがゲーム機に繋がったミットに叩き込まれる。
派手な効果音が流れ、やかましいファンファーレが鳴り響く。
「見たか! 新記録だ」
「すごいですねー」
あっちの動きが気になって付き合って見たが、肝心なことは何も情報が得られない。
これではただゲームをしているだけだ。
「これでここにあるパンチングマシーンは、全部記録を塗り替えましたね」
「そんなにやっていたか? なら少し休むか」
休憩用のベンチに移り、近くの自販機で飲み物を買う。
「それにしても髪形一つで随分と変わるもんだな。撮影はどうだ?」
「詳しい内容は話せませんけど、それなりにやってますよ。ただ真田先輩には向きませんね」
特に渋谷さんとアレクサンドラさんの相手はおそらく無理だ。
「だろうな。撮影のためとは言え、髪形をいじる暇があれば練習がしたくなるだろう。俺が代表になっていたとしても面白くはなるまい。機械のように練習メニューを淡々とこなす姿しか思い浮かばん」
軽く笑って、話が途切れた。
「そっちはどうなんですか? 荒垣先輩と言い合ってましたけど」
「あれはいつものことさ。俺とシンジは去年まで同じ寮に住んでいたが、いまは別に住んでる。戻ってくるように勧めているんだが、頑なに断られていてな」
真田は天井を眺めたまま続ける。
「理由があるのはわかっているんだ。あいつが何を考えているのかもだいたいは想像がつく。詳しくは言えないが、自分の事情に俺や他の奴らを巻き込みたくないんだろう」
「その言い方からして厄介事なんですね?」
「……そう捉えてもらっていい。あいつは学校にも顔を出さなくなった。だからせめて寮に戻ってくるように説得をしてたんだが、耳を貸そうともしない!」
さらに真田は言葉少なにだが、荒垣先輩も先日までの自分が見落としていた一人だと語る。
「あいつの事情は知っていた、気持ちも分からないわけじゃなかった。だから寮を出るあいつを見送った。だが今はあの時なんとしても止めるべきだったと思っている。俺のやってきたことは放置とさほど変わらん。だからこそもう一度戻ってきて欲しい。しかしろくに話ができない。
あいつが言っていたように、昔は俺の方が話を聞かなかったのも本当だが……この件に関してはあいつも俺と同じように話を聞く気が無いようで……そうだ葉隠! お前バイトで占い師をやってるんだろう? 何かいいアイデアはないか?」
「そこで俺に振るのか……」
「なんでもいいんだ。せめて話を聞かせないことには何も始まらん」
んな事を言われたってなぁ……
「荒垣先輩のことはそっちの方がよく知ってるだろうし、そもそも問題の詳細すら知らない俺に何を言えと……」
実際は知っているが、解決法なんて知るか。
荒垣先輩に悪い印象はないし、いい方向に進めばいいとは思う。
だからって思いつきでアドバイスなんてできない。
むしろ事情を知ってるだけに軽々しく提案するのは気が引ける。
なにを言っていいか分からない。
ならまず問題を見直すか……
「……場所、変えません?」
真田を連れて、ゲームセンターを出ることにした。