ラブライブ!~オタク女子と九人の女神の奮闘記~【完結】 作:鍵のすけ
「何というか……にこと思穂らしいというか……」
にこが一息ついている間、各々の感想は似たようなものだった。代表するかのように絵里がそう言うと、にこは気恥ずかしさから少し顔を背けた。
「悪かったわね。当たり障りのない話で」
「その時の思穂ちゃんはまだ文化研究部やってたんやね」
「みたいね。初対面で喧嘩売られるなんて滅多になかったから『こいつぶっ飛ばす』くらいしか思えなかったわ」
「あの猫かぶりのにこちゃんにそこまでムキにならせるなんてすごいにゃー」
シレッと毒を吐く凛を花陽が止めるが、既に彼女はにこの目力によって震え上がらされてしまった後であった。そんな三人を見ながら、真姫は今聞いた時点での思穂をこう纏める。
「とりあえずその時点での思穂はまだ普通って感じね。穂乃果達はそれでも思穂と話せなかったの?」
「うん。さっきも言ったけど、休み時間や放課後になると、思穂ちゃんいつもいなくなっちゃうから……」
「話し掛けたらちゃんと笑顔で答えてくれるんだけど、それでもどこか私達を見ていないような感じがしたなぁ……」
にこの話を聞いていた海未は自分たちが知る思穂と全く印象が違っていた。穂乃果の言うとおり、自分達が目にする思穂はいつもどこか違う場所を見ていたような気がする。
否、海未だけはどこか理解出来ていた部分もある。
「皆知っている通り、思穂は物事への集中力が凄まじいです。その頃の思穂は文化研究部に夢中だったのでしょう。私も弓道部の大会が目前に迫っていると、そんな感じですから」
それは部活に真摯に打ち込んでいるという何よりの証拠で。それだけに、海未は理解しきれない部分もあった。――なら何故、思穂は文化研究部の活動を休止したのだろうか。
「ああ、そんな感じだったわね。やっぱりあの子は私と似た者同士、“あの時”そんな気がしたわ。……良い意味でも、悪い意味でも、ね」
「良い意味と悪い意味……? 何かあったの?」
小休憩を終わらせたにこは花陽の問いに答えるために、また“昔”を手繰り寄せる。
◆ ◆ ◆
「さぁさ! 先輩、ここが我が文化研究部の部室ですよ!」
「パッと見は普通の部室の扉だけど、中はきっといかにもなグッズで溢れ返ってるんでしょ?」
初めて言葉を交わした三日後、にこは文化研究部の部室前へ立っていた。昨日、思穂に“挑戦状”を叩き付けられたのだ。『何も知らないで批判するのはカッコつけたがりがすることですよ!』、そう言われては引き下がれない。
「あ~そういう偏見も今の内ですよ~」
へらへらと笑う目の前のオタク女子にいつか手を上げそうだな、と思いつつも、口車に乗ってやったにこは、扉を開ける思穂の後ろに付いて、部室へと足を踏み入れる。
「あ、片桐さんお疲れー」
「待ってたよー!」
部室内のテーブルには眼鏡を掛けた女生徒や、長髪の女生徒、ショートボブの女生徒が座っていた。リボンの色を見る限り、全員思穂と同じ学年だ。
今にして思えば酷い偏見だが、全員“いかにも”な風格を漂わせていた。
「あれ? 片桐さん、その人……」
「うん、この背が私とそんなに変わらない人は矢澤にこ先輩! アイドル研究部の部長さんだよ!」
「あんた、ほんっとにこに喧嘩売るの好きよね!」
「おおっとその振り上げた拳を下ろしてもらいましょうか! もし叩かれたら私、泣きますよ? にこ先輩がドン引きするくらい泣きますよ?」
確実に叩かれてしまう、ということを悟った思穂は、すぐに両手を挙げ、降参の意を示した。銃を突き付けられるよりも怖いかもしれない。
「それはそうと、今度は文研部の部員を紹介しましょうか! 眼鏡っ子がケーコちゃんで、日本人形みたいに髪長いのがウタちゃん、あとショートボブでアニメ声の子がシズクちゃんです!」
「……何かいちいち適当なのが気になるけど……まあ、良いわよろしく。で、あんた達は一体どういう活動をしているのよ」
「そうですねぇ、例えば……あ、ケーコちゃん。アレ持ってきた? にこ先輩にやらせてみよう!」
「うんっ。徹夜で並んでゲットしたよー!」
ケーコがそう言って、いそいそと鞄の中から物を探し始めた。その待ち時間、にこは首を動かし、部室の中を眺めることにした。
(フィギュアに漫画に、DVD……。こいつらどういう手使って部費で落としているのかしら)
アイドルグッズを部費で落としている自分が言うのも何だが、生徒会に追及されたら終わりではないのか、そうにこは感じた。ちなみに自分は研究資料で押し切っている。私物もあるが、自分のお金で賄いきれないグッズは惜しむことなく部費で落としているのだ。常にブラックに片足を突っ込んでいるのがアイドル研究部である。
「先輩、百聞は一見に如かずです。まずはこれをやってみましょう! おあつらえ向きにアイドル物ですよ!」
いつの間にか用意されていたゲーム機、そして持たされていたコントローラー。モニターには既にゲームのタイトル画面が表示されているという至れり尽くせり状態だ。
『アイドルクイーン』。悔しいが、少しだけ興味を惹かれてしまった。
「アイドルってだけで、このにこにーを釣れるとでも思ってんの? それどころか、あろうことにアイドル物をチョイスするとは……」
にこにとって、それは最大の挑戦であった。二次元が三次元に通用する訳が無い。ただの絵が、本物のオーラに勝てる道理はないと完全に結論が付いている。
だが、そう言って逃げたと思われるのは癪であったにこは思穂に操作方法を教えてもらったあと、プレイを開始した。
(ふん。所詮ゲームはゲームよ。寄ってたかって何がそんなに面白いんだか)
――ゲームを開始して、一時間が経過した。思穂含め、部員達は無心でコントローラーを操作するにこを見て、ニヤニヤしていた。
それが意味する所は一つ。
「にっこせんぱーい。随分真剣ですねぇ……」
「うっさい。今良いとこなんだから黙ってなさい」
……正直、舐めていた。三次元と二次元だからと言って差別をして良い物では無い。むしろ、違う次元の“アイドル”を愛してこそ、真のアイドル好きなのではないか。そう思わせられる程度には、このゲームに心奪われてしまった。
一区切りついたところで、にこはコントローラーを置く。
「どうでした? どうでした?」
「……悪く、無かったわね」
認めざるを得なかった。自分はこういったコンテンツに偏見を持っていた。
「よぅし! 私の勝利、ですね!」
「……ええ。あんたの勝ちよ」
「じゃ、次は先輩の番ですね!」
「え……?」
一瞬思穂が何を言ったのか理解が遅れた。思穂が更に続ける。
「え? じゃないですよ。私は先輩に二次元の素晴らしさを少しでも知ってもらいました。なら、次は先輩の番ですよ!」
正直にいおう。その時、その瞬間に見た笑顔は、にこが求めていた物だったのかもしれない。付いてくるわけでもない、引っ張られる訳でもない。
――ただ、対等になろうとしてくれている。
それを受け入れるのが怖くて、にこはすぐに返事が出来なかった。
「あれ? もう帰るんですか?」
「……ええ、邪魔したわね」
「じゃあ今度は私がそっちに行くんで!」
「……気が向いたら相手してあげる」
あくまで素直になれないにこは、ついそんな憎まれ口を叩いてしまった。だが、思穂はそれすらも受け入れてくれたようだ。
「そうですか! なら先輩の機嫌が良いときに行きますね!」
「そうしなさい。……ん? 何、このスケジュール」
すぐに出て行こうとしたにこだったが、壁に貼られていたカレンダーにびっしりと書き込まれていたスケジュールへ目がいってしまった。
「これですか? これは今、私達が製作中の同人誌……いいえ、ただの漫画です!!」
「同人誌……漫画? そういうもんがあるの?」
「はい! それで、これはその制作スケジュールなんですよ」
「こんなにビッシリ……素人のにこが言うのも何だけど、出来るの?」
「もちろん! 文研部の力を合わせれば、絶対に間に合います!」
その瞬間、にこは見てしまった。ケーコ、ウタ、シズクの表情がほんの少し、瞬き程度に“曇った”のを。ドクドクとにこはもう気にしないと誓ったはずの光景が鮮明に脳裏にリフレインするのを感じた。
去っていく仲間、そして一人の部室の静寂。しかし自分が好きだからこそ、譲れず、ただ背中を見送ることしか出来ない無力感。
「どうしたんですか?」
「……ううん。何でもないわ、それじゃ行くわね」
ドアノブに手を掛けた時、にこは顔だけ思穂達へ向けた。
「……あんた達」
「何ですか?」
「……楽しくやりなさいよ」
それだけ言って、にこは扉を閉めた。振り返ってみれば、自分はその時から直感していたのかもしれない。“もしかしたら”と。だが、思穂の笑顔を見て、にこはその思考を振り払った。
いけない、とこれではただ自分が“嫉妬”しているだけじゃないかと反省する。片桐思穂は自分と良く似ているだけだ、同じ間違いは冒さない。そう、にこは信じていたかったのだ。
――だが、部室で一人になった思穂を見た時、自分の“願望”は叶わなかったことを悟る。
◆ ◆ ◆
「そっからは穂乃果達も何となく知っているんじゃない?」
海未が、その事実を端的に告げた。
「……ある日、文化研究部のメンバーは思穂以外、全員辞めたと聞いています」
「全員……それじゃあ……」
「にこっちと同じ経験を味わっていた、てことやね」
言い辛そうにしている花陽に代わり、希がその先を言う。
「でも思穂ちゃん優しいし、何で部員の人達全員辞めちゃったのかな……?」
「凛も分かんない。思穂ちゃんの事嫌いになった……なんて考えられないよ!」
花陽と凛の言うとおりだと言わんばかりに、皆頷いた。そんな中、穂乃果が思穂の感情を読み取ろうとしているのか、神妙な表情をしながら言った。
「その事聞いて、私すぐに思穂ちゃんの所に行ったんだ。何があったのって? そしたら思穂ちゃん、『あれだよ。ちょっとだけ意識の相違があっただけだよ!』ってすっごく面白そうに答えてくれた……」
「にこは聞いていないの?」
「聞いていたら、とっくにどうにかしているわよ。だけどあいつ、一切その事は言わないのよね」
絵里の質問をそう切り捨てたにこは何気なくテーブルへ視線をやった。“想像”は色々出来る。だけど、それは思穂の口から聞かなければ余計に傷つけるかもしれない。そう思うと、にこは強引に聞き出せなかったのだ。
「ったく。あの社交性の塊が、どうしてあんな事に……」
にこの呟きに、穂乃果は首を小さく横に振った。
「ううん……昔から思穂ちゃんはああじゃなかったんだよね」
その言葉を海未とことりも肯定した。その事実に、二年生以外の表情は驚愕の色に染まる。
「じゃあ何よ、昔は真逆だったとでも言うの?」
冗談でしょ、とでも言いたげに真姫は言った。皆もまだ信じられなかった。今の思穂以外の思穂を全く想像できない。
「ええ。思穂は昔はとてつもなく――内気な子だったんです」
皆の反応も見ず、海未は顔を伏せながら言葉を続けた。
「小学校から中学三年生の途中までの思穂は、非常に人見知りで昔から一緒にいた私達ですら、一言二言話しただけで逃げられてしまっていました。そして、自分の意見を言うのも苦手としていたようで、ある時期は虐められていたぐらいです……」
その度に私達が守っていたのでやがていじめっ子達が飽きてしまったようですがね、と補足する海未。
「そ……そんなことがあったなんて……」
絶句する絵里。絵里だけでは無い。皆、驚いていた。今の思穂とは全く違い過ぎて、想像することすら難しい。なら、一体何があって、今の片桐思穂となったのか。
「ウチら、本当に思穂ちゃんの事知らなかったんやなぁ……」
悲しげにそう言う希。想像した以上の境遇に、つい自分と重ね合わせてしまっていた。
「思穂ちゃん……私達の事、嫌になっちゃったのかな……?」
込み上げてくる不安から、花陽はそんなことを口に出してしまった。思穂の事を知らな過ぎて、愛想を付かされてしまったのか。
マイナスな思考しか湧いてこない。そんな空気を切り裂いたのは――やはり高坂穂乃果であった。
「そんなことないよ!!」
「穂乃果……」
海未は確かに視た。穂乃果の表情が変わったのを。
「確かに私達は思穂ちゃんの事を知らなかった。“今まで”は! だけど、それで終わったら、私達と思穂ちゃんは本当に終わっちゃうと思うんだ!」
拳を握り締め、穂乃果は思いを思いのまま、吐き出す。
「私はそんなの絶対に嫌だ! これで終わりたくない!! だって私……まだ思穂ちゃんから一度も“ともだち”って言ってもらったこと無いんだもん!!」
ずっと、穂乃果は言ってもらいたかった。自分から言って、思穂からは言われたことの無い一言。
――ともだち、と。
長い前置きはさておく。穂乃果の気持ちは、この一言に尽きる。
「私、思穂ちゃんと“ともだち”になりたい! 初めて会った時から今の今までなれなかった本当に、本当の“ともだち”に!!」
穂乃果は鞄を肩に掛けた。
「穂乃果ちゃん、どこ行くのっ?」
「思穂ちゃんの家! 私、思穂ちゃんとお話をしに行く!!」
「待ちなさい穂乃果!」
「海未ちゃん、止めないで! もう私、決めたんだから!」
すると、いつの間にか近づいていたにこが穂乃果の肩に手を置いた。
「海未の言う通りよ。まさか、あんただけ行くつもり?」
「え……?」
穂乃果の目に映ったのは、同じように帰り支度をしている八人であった。
「……あんただけが持っている気持ちじゃないってことよ」
そう言って、にこは後ろへ顔を向けた。
「凛もちゃんとお友達になりたいにゃ!」
「思穂ちゃんとはまだアイドルクイーンのお話を出来ていないから……!」
「……マネージャーがいなきゃ、μ'sの活動に支障を来たすでしょ」
凛が、花陽が、真姫が――。
「ウチもまだまだ思穂ちゃんの胸、ワシワシし足りないからなぁ」
「思穂にはまだやってもらいたいことが沢山あるわ。自分だけ一抜けるなんて認められないわ」
希が、絵里が、そしてにこ自身が――穂乃果と全く同じ気持ちであった。なれば、答えも、為すべきことも一つ。
「皆……! ありがとう!!」
少しだけ涙を滲むが、これから会いに行く人の前ではそんなの情けない。拭い取り、穂乃果は表情を引き締めた。
それは、ことりを迎えに言った時と同じ“決意に満ち溢れた表情”で。
「思穂ちゃん。私達は……思穂ちゃんと友達になりに行くよ!!」
そして、穂乃果は部室の扉を開け放つ。向かうは思穂の自宅。追い返されるかもしれない、だけどそうなったら扉をこじ開けてでも思穂と話をする。いや、どんな手を使ってでも思穂の前に現れてやる。どんなに拒まれても、絶対に。
――思穂と、“ともだち”になりたいから。