ラブライブ!~オタク女子と九人の女神の奮闘記~【完結】 作:鍵のすけ
「――すいまっせんしたぁ!」
某駅の中で思穂は九人に頭を下げていた。待ち合わせ時間に十分ほど遅れての社長出勤である。これが何かかしらのやんごとなき事情ならばまだ笑って許されたのだが、海未の張り付いた笑顔がその理由の下らなさを物語っている。
「私言いましたよね? 徹夜してアニメ鑑賞していたら絶対に寝坊する、と」
「え、ええ……まあそんな感じの事を仰ってましたね、ハイ」
「それを知っていながら貴方と言う人は……!」
「ごめんなさーい!! ほんっと反省してますからー!! 合宿の待ち合わせに遅れてほんとごめんなさい!」
何を隠そう、今日からμ's初の合宿である。
話が持ち上がったのはつい先日の事だ。最近炎天下が続いているこの季節、屋上での練習がそろそろ洒落にならないレベルでしんどい物になって来たのだ。照りつける太陽で熱せられたコンクリートの舞台はそのまま焼肉が出来るのではないかというレベル。メンバーの汗が地面に着くたびに蒸発していく様は見ていて飽きない。そこで出たアイデアこそ、合宿であった。
だが、肝心なのはお金と場所。時間は確保できるにしても、この二つが最大の難問であった。
「とまあ、謝罪はそこそこに。ほんとに私も来て良かったの?」
「もちろん! 思穂ちゃんはマネージャーなんだし!」
「いや穂乃果ちゃん私、“もどき”だから。だから今回は九人で……」
思穂が言い切る前に、にこが口を挟んだ。
「しつこいわねーあんたも。良いってんだから良いでしょ。それとも、にこ達と行きたくないの?」
「う……それを言われると弱いですね……」
「別に良いんじゃない? 九人だろうが、十人だろうが、部屋は余っているんだし」
話はお終いとばかりに、真姫がそう言って思穂の意見を切り上げた。そう、今回の合宿先は真姫の別荘なのである。真姫が両親へ交渉し、その結果別荘の使用許可が下りたのだ。これで合宿先の経費がだいぶ浮き、後は食糧費などのちょっとしたお金を皆で出し合えば、立派な合宿へと変化する。
「ま、真姫ちゃんが珍しく天使に見える……。いつも小悪魔って感じなのに……」
「べっ! 別に天使とかじゃないし……!」
口ではそう言うが、逸らした横顔はほんのり赤く染まっていた。どうやら褒められるのは苦手なようだ。雑談もそこそこに、絵里が話をしたいらしく、パンパンと手を叩いた。
「はいはい。そろそろ出発時間も近いし、行く前にちょっと提案したいことがあるんだけど、良いかしら?」
視線を一手に集めても物怖じしない絵里の姿はやはり生徒会長といった所だろう。しかし、思穂はその次に出た言葉によって固まってしまった。
「これからは先輩禁止で行こうと思うんだけど、どうかしら?」
思穂だけでなく、他のメンバー……正確には一年生と二年生から驚きの声が上がった。驚かない方が無理だろう。何せ学校社会においてある意味最上級の礼儀と言われる“先輩”を禁止しようという提案が、他でもない絵里から出されたのだから。
「……もちろん、先輩後輩の関係も大事だけど、踊っている時にそういうことを気にしちゃ駄目だから」
「あ……ああ! 分かります分かります! やっぱり三年生だから、て意見を飲み込んでしまう場面が多々見受けられますよね~」
「確かに思穂の言うとおりですね。私も三年生に合わせてしまう所がありますし」
「そんな気遣い少しも感じないんだけど……!?」
「それは、にこ先輩が上級生って感じがしないからにゃ」
時々、凛の言葉にトゲを感じるのは恐らく気のせいでは無い。無邪気さ故の特権とでも言えば良いのか、むしろそのトゲ塗れになりたいと少しばかり思ってしまった思穂である。
「上級生じゃないなら何なのよ!?」
そうにこが聞いてしまったのがいけなかった。次々に飛び出るにこの評価。色々出たが、まとめると“末っ子”ポジションである。確かに背が小さいし、体つきも色々残念。案外的を得た評価、というのが思穂の結論だ。
「じゃあ早速始めるわよ、穂乃果」
「は、はい良いと思います! え……えぇ……ぇ絵里“ちゃん”!」
「うん!」
絵里が笑顔で頷いたのを見届けた穂乃果は大きく溜め息を吐き、緊張を全て吐き出していた。穂乃果に続き、凛がことりを“ことりちゃん”と呼んだ。もちろん満面の笑みのことりである。
「ていうか珍しいわね思穂、あんた今日あんまり喋ってないじゃない」
「うぇ!? い、いやそんな事は無いですよ、にこ先輩!」
「もう絵里の提案忘れた?」
少しばかり意地悪そうに笑みを浮かべるにことは裏腹に、思穂は全身から汗が噴き出ていた。そんな状態を見透かされない様に思穂は“先輩禁止”を実行する。
「……あ、う……」
「なぁに~? にこ、聞こえな~い!」
口をパクパクさせるも、声が出ず、それに伴い体温も不思議な上昇をしていっている。いつもなら回る頭も真っ白になり、手持無沙汰になり妙なジェスチャーまで始める始末。
「あ、……あぅぅぅ……」
とうとう顔が真っ赤になり、思穂は頭から蒸気機関車のように湯気が出てしまった。駄目だった。ちっとも声にならない。思穂はつい喉元に手を当ててしまった。その姿に、思わず希が口を開き、真実を射抜いてきた。
「もしかして思穂ちゃん、照れてるん?」
「うっ…………! そ、そんなことないですよー! やだなぁ! 余裕ですよ余裕!」
「じゃあ、やってみなさいよ先輩き・ん・し」
「に……に……に、にゃ~……」
はっきりと言えば、思穂は完全に動揺していた。絵里や希相手ならともかく、にこは本気で尊敬している相手なので、畏れ多いというのが本音である。たった一人で戦い続けてきたにこの背中はとても大きい。そんな相手に、半端な態度を取りたくないのだ。
ふと目を落とすと、腕時計は出発時間に差し掛かろうとしていた。
「あぁ! ほら、そろそろ時間がマッハですよ! 行きましょう行きましょう!!」
半ば逃げるように走り出す思穂を追いかけ、μ'sメンバーが駆けだした。走る思穂の顔は未だ紅くなっていた。
◆ ◆ ◆
「で、デカァーいっ説明不要!!」
真姫以外のメンバーはひたすら圧倒されていた。別荘の大きさは思穂の想像以上のものだった。こういう家をお宅訪問する番組を見たことがあるだけに、どこかまだ現実として受け入れられていない。
「そう? 普通でしょ」
「真姫ちゃん、お金持ちにゃあ……」
早速真姫の案内で皆は部屋に荷物を置くことにした。ベッド付きの部屋が複数あるとか滅茶苦茶広いだとか、もうどこかのホテルだろ、なんて思いながら思穂は手近な部屋に入ってベッドの近くに荷物を置いた。
「思穂もここにしたのね」
「あ、にこせんぱ……」
「に・こ・にー」
「う、ううう…………」
にこに主導権を取られるというのが凄く屈辱だが、ネタがネタなだけに言い返し辛い。やはり顔が熱くなってしまう。
「意外よね。あんただったらすぐ先輩禁止に慣れると思ってたのに」
「あはは……。まあ思う所があるんですよ。そのうち言えるようになるとは思うんですが」
「言っとくけどその敬語もよ」
「う、あああ! 駄目だぁ! 調子が狂うー!! 絵里先輩の馬鹿ー!!」
「誰が馬鹿ですって?」
ヌッと入口から絵里が顔を覗かせてきた。笑顔だが、その心中は推して知るべしといった所。
「あ、え……え……」
「んー?」
どうやら自分は思った以上に上下関係を重んじていたらしい。穂乃果や凛は直ぐに馴染んだというのに、これでは他のメンバーも先輩禁止しづらいだろう。
「すー……はー……すー……はー……」
意を決し、思穂は絵里の顔を見ながら、口を動かした。
「――えり、ちゃん。絵里“ちゃん”……」
「ハラショー! よく出来ました」
「うっひゃあ、穂乃果ちゃんの気持ちがよく分かる……」
「でも、それと私を馬鹿呼ばわりをした件は別よ?」
「うわあ! 忘れてた! にこちゃん、助けて!!」
すると、にこの表情がフッと緩んだ。
「言えたじゃない。にこ“ちゃん”って」
「あ……」
要はキッカケの問題だったのかもしれない。勇気を出して読んで、自分の中で吹っ切れたのだろう。余りにもスムーズに言えたので、自覚がないが、それでも言えたことには変わりない。噛み締めるために、思穂はもう一度にこの名前を呼んだ。
「こ、これからも……よろしくおねが、よろしくね……? に、にこちゃん」
「しょーがないわねー。よろしくされてやるわよ思穂」
「うん!」
にこと絵里と一緒に下に降りると、そこからは別行動になった。何せ広い別荘だ。それぞれ、色々と把握しておきたい場所がある。
「いやあ……ほんと広いなぁ……。某金髪ツインテのお嬢様のお屋敷には負けるけど、大きいよなぁ」
庶民目線で行くと、まずトイレの大きさだ。自宅の二倍はある広さにむしろ落ち着かなさを感じてしまう。おまけに厨房も大きい。その辺の飲食店クラスはあるだろう。大広間もふかふかのソファやセンスの良い観葉植物が配置されている。
「思穂ちゃんも見学?」
「あ、希……ちゃん」
「お、さっきは顔真っ赤にしてたけど、ようやく言えるようになったんやね」
「あ、あはは。それはまあ言いっこなしで。割と度胸がいるんですよ」
「これで少しは皆と近づけた?」
笑みを浮かべ、そう尋ねる希に、思穂は困ってしまった。本当によく見ている先輩だと改めて感じる。
「まあ、物理的にお近づきになれた方が私的には嬉しいんだけど、って感じかな?」
「そうやって誤魔化すのは悪い癖だと思うよ?」
「あら、思穂に希じゃない」
軽く手を振りながら絵里が近づいてきた。絵里は一人で色々と見回っていたらしい。
「エリち。もう見学は良いん?」
「ええ。大体把握したわ。それにしてもここは本当に良い場所ね。真姫に感謝しなくちゃ。それに、練習も出来そうだし」
「練習……って中でもやるんですか? ……やるの?」
途中まで言った所で、絵里が片目でウィンクをしてきた。それで敬語に気づいた思穂は何とか頭を切り替え、砕けた調子に変えた。
「ええ。海に来たとはいえ、あまり大きな音を出すのも迷惑でしょう?」
「もしかしてエリち、歌の練習もするつもり?」
「もちろん。ラブライブ出場枠が決定するまであと一か月もないんだもの」
「やる気やね。……ところで、花陽ちゃんはどうしてそんな隅っこにいるん?」
希の視線を辿った先には観葉植物の陰に隠れた花陽が居た。花陽には悪いが、正直全然気づけなかった。
「ひ……広いと何だか落ち着かなくて……」
「分かるよ花陽ちゃん! 私も隅っこの方が落ち着くんだ!」
「思穂、ちゃんも……?」
「うんうん! むしろ暗くてジメッとしたところが私の心の故郷って感じだよ! 私の部屋もそういう感じだし!」
思穂の部屋が狭いと言う訳ではないが、割と沢山の物に囲まれているのもあり、妙な圧迫感が部屋にはあった。広いと何だか持て余してしまうのだ。
「でも花陽ちゃんと思穂ちゃんの言うことも分かるかも。ウチも広い場所は苦手や」
「へー。希ちゃんなら狭い所嫌なのかと思ってた」
「そんなことあらへんよ。程よい狭さがウチには丁度いいんよ」
何となく、何となくだが、思穂は希の笑みが悲しそうに見えてしまった。だが、この楽しい合宿が始まろうとしている時に、そんな野暮なことは聞くものではないとあえて思穂は何も知らないフリをした。
「そう言えば、これから練習だよね」
「ええ。この合宿中の練習メニューは海未が考えてくれているわ」
「……あ、ああ。だから海未ちゃん妙に張り切っていたんだね」
妙に海未が活き活きしているように見えたのはやはり気のせいでは無かったのだ。ならば、と思穂は早速持ってきていたスポーツドリンクの粉を活用しなくてはならないとぼんやりと計画を立てていた。
鞄からはみ出ていた丸まったポスターのようなものは恐らく拡大した練習メニューだろう。大和撫子という周りの評価とは裏腹に、意外と体育会系の海未は“こういう時”、普段の三割増しは気合いが入る。マネージャーで良かったと、本気でそう思えた。
「皆、ここに居たんですね。そろそろ練習を始めようと思うので、外に出てください」
「ええ、分かったわ。行きましょ希、花陽」
「頑張ってねー、私も応援しているよー」
すると、海未が首を傾げる。その一動作を見た瞬間、思穂は全身から嫌な汗が噴き出てしまった。こういう時の嫌な予感は大体当たるものだ、絶対に。
「何を言っているんですか? 思穂も参加してもらいますよ」
「……へっ!? ちょっと何を言っているのか分からない」
「練習以外、いつも自宅に籠もっている貴方の身体が鈍っていないはず無いでしょう。良い機会なので、みっちり鍛えてあげます」
等と思っていたら、予感が当たってしまった。愛すべき体育会系がどんな鬼メニューを用意しているのか、今から不安でしょうがない――。