ラブライブ!~オタク女子と九人の女神の奮闘記~【完結】 作:鍵のすけ
「起立礼さよなら!」
「待て片桐ィー!」
先生の制止を振り切り、一息でHRを終わらせた思穂はすぐに教室を飛び出した。一秒足りとてこの時間は無駄には出来ない。タイムイズマネー、時は金なり。海未が思穂を呼び止めようとするが、思穂は止まらない。
何故なら今日はμ'sの練習が無い日。つまりリベンジの日だったのだ。
「待ちに待った時が来たのだ。多くの放課後練習に耐えたのが無駄で無かったことの証の為に、再びオタクライフを充実させる為に、買い物リストフルコンプの為に! 秋葉原よ、私は今から帰る!!」
ぶつぶつ喋りながら走る思穂の姿は普通に不審者そのものだったが、本人は全く気にしない。
先日は結局目当ての物を買うことが出来なかった。A-RISEにさえ捕まらなければフルコンプが出来たのだが、過ぎたことを今更悩む思穂では無かった。
……スクールアイドル達の頂点に君臨するA-RISEと個室で会話なんて、にこや花陽が聞いたら卒倒すること間違いなしだろう。しかし、そのことに思穂は全く気付かない。そもそもただの世間話程度としか認識していなかった。それがどれほど貴重な経験か、知らない幸運、知る不幸といったところ。
「結構買えなかったものあったからな~……。まあ、今日は半分くらい買えれば上出来か」
授業中に買い物リストの精査と購入ルートの選定は完了している。あとは、如何に早く目的地へ辿りつけるかの勝負だった。今日に限ってだけ言えば、思穂は超が付く優等生だった。宿題はおろか授業態度もパーフェクトと言っても良い。変ないちゃもんをつけられて呼び出されるなんてとてもではないが耐えられない。
六時限目開始前に、靴箱の前にセッティングしていた登山用のリュックを掴み、思穂はオトノキを飛び出した。
「良しっ! 脱出完了! ここからは私のターンだよ!」
――何度来ても秋葉原は命が輝いている。人が行きかう光景に、思穂はつい涙ぐんでしまった。流石ににこがμ'sに加入した時よりは泣かなかったが、それでも近いぐらいには泣いてしまっていた。
気を取り直し、思穂は戦場へと赴かんと顔を上げる――。
「……の前に」
思穂は進行方向とは真逆の方向へ歩いていく。正確にはその物陰。顔を覗かせると、やはりと言って良いのか、“彼女”がいた。
「……何してるんでしょうか、希先輩?」
「あはは……バレた?」
あろうことに、東條希がそこにいた。思穂は流れ出る汗が止まらなかった。気づいたのは完璧に偶然だった。たまたま一瞬、見覚えのあるおさげが影となって伸びているのが見えたから分かったのだ。そうでなければ、全く気付くことはなかっただろう。
「すごいなぁ思穂ちゃん。隠れるの自信あったんやけどな、ウチ」
「いやいや、偶然でした。多分気付けませんでしたよ、いやほんと」
「今度はバレないように頑張ることにするわ」
「お手柔らかにお願いしますね。……という感じで流される前に聞きたかったんですけど、何で私の後ろに希先輩がいたんですか?」
あえて触れなかったが、“バレない”ようにということは自意識過剰でもなんでもなく、自分を尾行していたということに直結する。ここまで来て生徒会の業務か何かだろうか、そんな思穂の不安は次の希の言葉で、また別の不安へと昇華された。
「今日は生徒会お休みだし、バイトも無いしで暇やったから、思穂ちゃんの跡を付けて見ようかなぁ思うて」
「うわぁすっごい良い趣味してますね希先輩」
見事に希らしい回答で、むしろそうじゃなかったらどうしようかと思った思穂であった。――ここで、思穂には選択肢が与えられた。
一つ目、今日は帰る。何事も無かったように帰ってしまえば変な所を突っつかれずに済む。二つ目、全力で逃げる。常日頃誰かに追われた時の為に逃走経路は頭の中で組み上げている。
どちらにしようか頭の中で選択していると、ふと希と目が合ってしまった。その目を見て、思穂は今しがた選択肢を全て投げ捨てた。
(ま、三つ目だよね!)
そう考えるや否や、思穂は希の隣に歩き、がっしりと腕を掴む。
「だったら跡を付けるより、一緒に行きましょうよ。今度は私の“良い趣味”をじっくりたっぷりねっとりと教えて差し上げますから」
「へっ……? 良いん?」
目を丸くし、希はあからさまに驚いていた。まるで、自分が予想していなかった言葉でも言われたかのように。だが、思穂にしてみれば、むしろこれ以外が分からなかった。
「え、そこで驚くんですか?」
「だって思穂ちゃんは一人で……」
珍しく弱気な希の言葉に、思穂は何だか面白くなってしまった。そこからは先手必勝である。攻撃は最大の防御。そうと決まれば話は早い。
「何言っているんですか。折角時間を割いて、私なんかの跡を付けて来て頂いたのに、ただで帰せませんよ~」
「……ちなみにどこ行くんや?」
「本屋、ゲームセンター、そして夕食を食べての帰宅となります!」
今日は夜コースである。閉店時間の事を考えると、相当にキツキツなタイムスケジュールとなっている。現に、もう十分押してしまっていた。
「あ、今日って夜は何か予定ありますか?」
「ウチ、一人暮らしやから特にこれといって……」
「偶然ですね! 私も今、両親出稼ぎに行っているから、誰も居ないんですよね!」
その言葉に、希の表情が少しばかり曇ったのを思穂は見逃さなかった。
「思穂ちゃん、寂しくないん?」
本屋に向かう途中、希がポツリとそんな事を思穂に聞いてきた。そうですね、と思穂は今にも落ちそうな夕日を見上げる。今まで考えたこともなかったことだけに、思穂は少しばかり黙考してしまっていた。
やがて、考えが纏まった思穂は、あえて希の方は向かずに喋った。
「寂しくないと言ったら嘘になりますね。だから家に帰っても誰かがいる皆が羨ましいですよ」
「……いつからご両親出稼ぎに行ってるんや?」
「高校入学してからずっとですね。おかげで趣味に没頭できるのが唯一の救いですが」
片桐思穂の両親は現在、家にはいなかった。父親が遠くに出稼ぎに行っており、母親がそれに付いて行ってる形だ。思穂はもう高校生だから自分のことは出来るだろう、ということで実家の管理を任されている。実際、何も問題はなかった。家計簿も付け、食材の管理も出来、支払いも滞りない。
両親から絶対の信頼を置かれているだけに、そして心配を掛けないように、思穂は必要に迫られた時しか電話をすることもなかった。……一人だった。
希が何か言う前に、思穂は悪い流れを断ち切るように腕を振り上げた。
「って! 駄目です駄目です! 何か湿っぽい! 希先輩!」
「ど、どうしたんや思穂ちゃん? 急におっきな声出して……?」
手早く買い物かごへ目当ての本三十冊程叩き込み、即刻会計を済ませた思穂は希を連れて、本屋の外へと出る。
そして登山用のリュックに本を詰め込んだ思穂は、希の手をガッチリと掴み、次の目的地へと歩を進める。希を引っ張りながら、思穂は言う。
「希先輩、私今楽しいですよ! 皆が居る空間が、私はすっごく好きです!」
「思穂ちゃん……」
「そして今日この瞬間も楽しいです! 希先輩とこうして買い物巡り出来るなんて夢のようですよ!」
見方を変えれば、生徒会副会長とこうして買い物できるなんてまず無いシチュエーションだった。いつもは学校や神田明神でしか話していない希と、こうして秋葉原で買い物していることの何と奇妙な事か。
「ということで希先輩! どうせなら今日は希先輩も将来有望なマニア系女子にクラスチェンジさせてあげますので覚悟していてください!」
「あ、やっぱり今日はそういう感じの買い物やったんやね」
今更何を言っているんだろう、と言いたげに思穂は首を傾げた。しかし希の言うことも最もであった。これがお洒落な服を買いに行ったり、甘いデザートを食べに行く、などの“それっぽい”ことをしていたら少しは思穂も見直されていたのだろう。
だが、そんなもの思穂の眼中にはまるでなかった。
「……ていうか、思穂ちゃん何でそんなゴツいリュック背負ってるん?」
希が指さしたのは思穂愛用の登山リュックであった。女子高生が持つような華やかな手提げバッグとは真逆の、一目で実用性一点特化と分かる灰色と黒色の地味過ぎる逸品である。
「これですか? グッズ入れるためですよ? 何か、いつもこれにグッズを沢山いれて走り回ってたら体力も付いちゃいましたよ! あっはっはっ!」
思穂愛用のリュックは登山用の中でも『大型』と呼ばれる類の大容量リュックであった。本格的にマニア活動を始めた中学生のころから、ほぼ毎日このリュックへモノをパンパンに詰め込んで行動していたお蔭かどうかは分からないが、思穂の体力はみるみる向上していた。
リュックを背負うだけの体力、歩くための脚力、グッズを入れては背負い直すための腕力。色んな箇所が鍛えられ、今では化け物じみた体力が思穂には身に付いている。現在、その体力は凛すら軽く凌駕するだろう。
「……前から思ってたけど、思穂ちゃんってホント不思議な子やね」
「えぇ~……それ、希先輩が一番言っちゃいけない言葉ですよ……?」
本屋から近いゲームセンターに辿りついた思穂は、手近な貸しロッカーにバッグを放りこみ、財布を握りしめる。……本来ならばアニメグッズ専門店で二時間ほど滞在する予定であったが、それは後日に持ち越すことに決めていた。
それをやると、希を置いて自分が楽しむことになるし、それではつまらない。みんなが幸せで、自分が幸せ。それこそ思穂のポリシーである。
「あ、希先輩何やります!? ガンシューティング!? それとも太鼓の鉄人!? この店、規模は小さいですが、割と揃っているんですよ!」
「ウチこういうとこあんま来たこと無いからなぁ。何かオススメある?」
「オススメですか? そうですねぇ……サクッと出来そうなのは……これだ!」
黙考し、そして思穂が希を連れて行ったのは、キノコを食べることで何故か身体が大きくなる配管工とその仲間たちによるレースゲームだった。
操作性に妙な癖も無く、ハンドル・アクセル・ブレーキのみと言う実にシンプルな配置。これこそゲーセン初心者に相応しいゲームと言っても過言では無い。
「マルオカート……? 何や随分鼻がでっかいおじさまやね」
「夢と希望が詰まっているんですよその鼻には。ささっ、やりましょうやりましょう!」
さりげなく思穂は希の分のプレイ料金も突っ込んだ。わざわざ自分の買い物に付き合ってくれた人に、お金など出させる訳にはいかない。
画面の指示に従うことで、希は特にまごつくことなくキャラクターを選び、レース開始まで持ち込めた。実は少し、あたふたする希が見たかっただけに、内心がっかりしたのは思穂だけの秘密だ。
思穂が選んだのは七色の恐竜ヤッシー、希が選んだのは看板キャラのマルオだ。そして、レースが始まる――。
「ちょっ!? 希先輩、いきなりロケットスタート!?」
「何や偶然アクセル踏み込んだら思穂ちゃんより早くスタート出来ちゃったわ」
「何という強運……! 私ですらあんまり安定しないというのに……!」
だがこのゲームの醍醐味はアイテムによる妨害にある。思穂は悪い笑みを浮かべる。ここで徹底的にボコボコにして、片桐思穂という株を上げるというのが思穂の魂胆だ。
(さぁ! 希先輩、ボッコボコにしてあげますよー!!)
早速思穂はアイテムボックスを割り、中のアイテムを取得する――。
◆ ◆ ◆
「ひっく……えっぐ……!」
「ほら思穂ちゃん、もういい加減泣くの止めーや。何かウチが虐めてるみたいやん……」
「うわぁぁぁん! 希先輩にボッコボコに……希先輩にボッコボコにぃぃ!!」
「ちょっ!? 思穂ちゃん!? ここファミレス! ファミレスの中やから!」
レースゲームの結果は惨敗であった。希は何故か毎回ロケットスタート、そして希によるアイテムの妨害が思穂を襲い続け、逆に思穂はアイテムに恵まれず。挙句の果てにはNPCに追い越されての最下位続き。
これで終われない、と思穂が次に挑んだのがエアホッケー。だがこれも惨敗。妙に角度が甘いショットが続き、希に得点されっぱなしといった体たらく。
それ以降、どのゲームをやっても希の強運で思穂の惨敗続き。――もう、泣いた。泣きに泣いた。文字通り、ボッコボコにされてしまったのだ。
ゲームセンターを出た思穂と希が向かったのは昔からあるファミレスであった。着いてからもずっと泣いていた思穂だったが、更に五分程泣いた辺りで、ようやく思穂は回復の兆しを見せた。
「……何か、もう……すいません。泣きました。もうヒクくらい泣いてしまいましたね」
「こ、こんだけガチやったなんて……。むしろウチが申し訳ないわ」
そうしていると、二人分のオレンジジュースがやってきた。ジュースに少しだけ口を付けた希が、改めて思穂の方を見る。
「ずっと聞きたかったんやけど、思穂ちゃん、エリちのことどう思ってる?」
「大好きですよ? どうしました?」
思穂の即答に、思わず希はオレンジジュースを落としてしまいそうになっていた。だが、ギリギリ持ち堪える。
「……ウチが言える立場やないけど、思穂ちゃん結構エリちに言われること多いやろ? 不満とかないん?」
「まあ大体私が悪いからそんなことは思ったこと無いですね。むしろ見捨てずに接してくれている事の方が驚きですよ、私としては」
普通ならとっくに無視されていてもおかしくない。それが今でも呼び出しては注意してくれるのだ。感謝こそすれ、不満を持つ理由が無い。
「あ、もしかして今日跡を付けて来たのって私の事を心配してくれてたからですか!?」
「……それもあるけど、知りたかったんや。思穂ちゃんがどんなにエリちに打ちのめされても自分を崩さず突き進めるその理由を」
「アニメゲームラノベに漫画があるからですかねぇ……」
「……へ?」
思穂の行動理由の第一がそれである。それが待っていると考えれば、思穂は何でも出来る。それが出来なくなるという状況になれば、思穂は何でもやる。そういう人間であった。
だが、例外というのがしっかり存在するのも確かである。
「でも、この前希先輩に言われたように、好きな人達が泣く所だけは見たくないのも本音です」
「そういえばにこっちとは上手く仲直り出来たん?」
「今日の昼練習でふざけすぎて言葉の暴力を貰えるぐらいには」
あれ以降、にことの関係はすっかり元に戻っていた。戻り過ぎて、素っ気なさに更に磨きが掛かったのだけは残念だったが。そして、それに関係して、思穂はずっと希に言いたいことがあった。
「……ありがとうございました。希先輩に言われなかったら、私はきっと今よりもっと悩んでいたでしょう。だから……ありがとうございました」
「ウチはなーんもしとらんよ? ただ考えを整理させただけや」
「それでも、助かったのは事実です……ということでこれどうぞ」
リュックの中から、思穂が取り出した物は小型のクマのぬいぐるみであった。希の目を盗み、思穂はこっそりクレーンゲームで取っていたのだ。すると、そのぬいぐるみを見た希の表情がみるみる柔らかくなっていく。
「これ……ウチが見てた……」
「そーですそーです。けっこうチラチラ見てたからこういうの好きなんだなぁと思って。受け取ってください!」
「で、でも……これ思穂ちゃんが……」
「何を言っているんですか! 今日楽しかったんで、そのお礼ですよ! むしろこれだけで申し訳ありません!」
「いやそれ、ウチが勝手に思穂ちゃんの跡を付いてきたからで……」
妙にしおらしくなっている希がおかしくて、こういう一面もあるんだと、とても新鮮で。だからこそ思穂は、無言で希へそのぬいぐるみを押し付けた。
「もしいらなかったら捨てちゃってください! 今日の私の一日を楽しくしてくれた希先輩への気持ちです!」
すると、希がようやくそれを受け取り、優しく抱きしめた。
「捨てられる訳……ないやん。ありがと、思穂ちゃん」
ぬいぐるみを抱きしめながら、希は思穂へと聞いた。
「もし……ウチも困ってたら助けてくれる?」
思穂にはその希の質問の裏が良く分からなかった。その時の希が、自分にどんな答えを期待していたのかは分からない。だが、たとえ希の考えが読み取れたとしても、思穂の答えは恐らく微塵も変わらなかっただろう。
「当然ですよ! 言ったじゃないですか。好きな人達の泣く所だけは見たくないって!」
今日は思穂にとって良い一日だったと、間違いなくそう言えた。東條希という人間の事が、少しだけ分かったような気がしたのだ。ミステリアスな雰囲気に隠されているが、彼女もまた一人の――。そこまで思ったところで、思穂は運ばれたハンバーグへナイフを入れた――。