ラブライブ!~オタク女子と九人の女神の奮闘記~【完結】 作:鍵のすけ
新入生歓迎会当日の朝、思穂は三人に頭を下げていた。本当はもっと早く言えば良かったのだが、万が一にも練習に影響が出たらそれこそ思穂は後悔してもしきれない。不意打ちは重々承知。だが、思穂はこの日にしか言うつもりはなかった。
「わ、私、お母さんに思穂ちゃんの試験延期してもらうように言って――」
思穂はすぐにことりの提案を却下した。
「駄目だよ、ことりちゃん。それだけは許されない。大体、私が振りまいた種だもん。それを捻じ曲げるのは筋が通らない」
「……思穂、勉強の方は?」
海未の質問に、思穂はにっこりと笑って返した。その笑みの意味に気づいた海未は一気にボルテージが最高潮に達してしまった。
「なっ!? 思穂、貴方良いのですか!? それでもしテストの成績が悪ければ……!」
「テストは普段の実力を知るものでしょ? だから、私はそのままで行く。大体、歓迎会とかの事を考えたらもう勉強する時間ないし~あっはっはっ」
実際、新入生歓迎会が始まるのは昼からだ。それまでの休み時間なら勉強する余裕はあるが、今更過ぎる。トドメを刺されたかのように、テストまで部活動はしてはいけないことにもなっているので、ファーストライブの手伝いすら出来ない。
極めて平然としているが、思穂の心中は非常に穏やかでは無かった。“軽薄”という仮面で自分を隠すので精いっぱいだ。だが、それでも隠しきれないものは隠しきれない。
「……ごめんね、私、何にも出来てないや。……μ'sのマネージャーなのに……何もやれていない。それどころか、大事なライブにも遅れるかもしれないよ……」
μ'sのファーストライブが始まるのが午後四時。そして、思穂のテストが始まるのは『午後三時半』。たったの三十分しかなかったのだ。
色々とやらかしたツケが回ってきたのだと考えたら、同じ時間にテストをやらないだけ神に感謝するレベルだ。流石の思穂も、突き付けられた事実に揺らぎそうになっていた。
「そんなことない!」
だが、それを否定したのは他でもない穂乃果だった。思穂の手を握りながら、穂乃果は続ける。
「思穂ちゃん、ファーストライブまでずっと私達の為に頑張ってくれたよ!? 私が勝手に思穂ちゃんをμ'sに入れたのに、それでも思穂ちゃんは一生懸命に頑張ってくれた!」
「穂乃果ちゃん……」
「だから今度は、自分の為に頑張って! 私達も最高のライブにしてみせるから!!」
立ち込めていた雲が吹き飛んだような気がした。ここまで迷惑を掛けているのにも関わらず、それを許すどころか、こんな自分にエールを送ってくれる穂乃果が……眩しかった。
「はぁ……まあ確かに思穂には色々と頑張って頂きましたね」
「海未ちゃん……」
「良いですか? そこまで余裕ぶるのなら、絶対間に合わせなさい。私達は必ず、貴方が来るのを信じて待っています」
ことりの方を見ると、彼女も思穂へ笑顔を向けてくれた。
「うん、私達、思穂ちゃんが絶対来るって信じてるからね。だから……頑張って!」
海未が、ことりが。誰も思穂を責める者は居なかった。二人とも思うことは穂乃果と一緒のようだ。三人が思うことはたったの一つ。
――思穂は絶対にファーストライブに間に合う。たったそれだけだ。
「……あっはっはっ。三人にそんなこと言われたら……やらない訳にはいかないね」
その時、思穂は一つ、方向性を変えることを決めた。こんなことでもなければ恐らくずっとこの在学中は変わることの無かった不変のポリシー。
それを、たった今崩すことに決めた。
「よぅし。約束するよ。ファーストライブ、必ず間に合わせて見せる」
「やれるのですか?」
意地悪そうに微笑む海未へ、思穂はピースサインを作って返してやった。そして思穂は満面の笑みと共に、声高々に宣言した。
「大丈夫! 要は先生にぐうの音も出させない成績を出せばいいんでしょ? ――やって見せるよ」
そして思穂は穂乃果達を最後の調整に集中させた。何せ泣いても笑っても、今日がμ'sのファーストライブ。一秒足りとて無駄な時間は、彼女達にはないのだから。
しばらくの間、思穂と穂乃果達の道は分かれることとなる。だがしかし、必ずその道は再び一緒になる、してみせる。
(久しぶりに本気出す……!!)
思穂の目には既に“遊び”の色はなかった――。
◆ ◆ ◆
「それじゃあ、穂乃果ちゃん達、頑張ってね!」
時間が経つのは早く、気付けばもう新入生歓迎会が終わっていた。ここからは別行動。これから穂乃果達は衣装に着替えたり、最後のリハーサル等など、やることは山のようにある。
幸い、穂乃果の友達が音響や照明、呼び込み等などをやってくれるそうなのでその辺は心配ないのが、思穂のせめてもの救いだ。本来なら音響や照明は思穂がやろうと思っていただけに、酷く気掛かりだったのだ。
思穂は海未の顔をチラリと見た。
「海未ちゃん、もう大丈夫? イケそう?」
「はい。チラシ配りで大分緊張しなくなりました。これなら……大丈夫だと思います」
その言葉に嘘はなさそうだった。聞くところによれば、チラシ配りをしていた後半の海未は吹っ切れたのか、“いつも通り”の海未で声を出していたらしい。あとは、ステージを一度経験すればもう大丈夫だろう。
「思穂ちゃん、これ受け取って?」
ことりが思穂に差し出した物は、デフォルメされた思穂のマスコットだった。
「これ、昨日作ったんだ。お守りとして持ってて?」
「おお……これは随分とまた、プライスレスなものを……」
手に取ってじっくり見てみると、マスコットは恐ろしいくらい完成度が高かった。縫い目はまるで既製品、大きさもポケットに入れておくのにちょうどいい。こういう商品だと言われても全然信じられる。
しかしそれ以上に、このマスコットにはことりの想いが込められていた。それが思穂には嬉しくて。
「ありがとうことりちゃん。これがあれば何でもやれる気がするよ!」
「思穂ちゃん!」
「穂乃果ちゃん……」
「ファイトだよ! 思穂ちゃんなら出来る!」
……穂乃果の応援は随分とシンプルだった。ガッツポーズに満面の笑み付きだ。もうこれで、負ける要素は何もない。思穂はあえて三人から背を向け、校舎内へと歩を進める。
「よーし、私の底力を見せるよー!」
後ろはもう振り向かなかった。穂乃果達は講堂へ向かって行っただろう。あとは必勝を祈願するのみ。
思穂はスマートフォンで時間を確認する。
「……三時か。半に始まって、穂乃果ちゃん達のライブは四時。講堂へダッシュする時間を十分と見込むなら……どんな問題量でも二十分で終わらせなければならない、か」
その問題量が間に合うか間に合わないかを左右する重要なファクターだった。少ないのならそれだけ早く行ける。だが、もし、想定を超えた量ならば……。
そこまで考えて、思穂は頭を横に振った。そんなことを考える時間があるのなら集中したほうが百倍有意義だ。
テストの場所である自分の教室へ続く階段まで差し掛かると、“彼女”は待ち構えていたかのようにそこに立っていた。
「片桐さん。理事長から話は聞いたわ。……自業自得ね」
「たはー絵里先輩から言われるとやっぱりグッサリ来ますね!」
絵里の冷たい視線を受け止めつつ、思穂は彼女を横切り、階段へ足を掛ける。
「でも、今日でそれは終わりにしようと思います」
「……何故?」
「私の軽薄さが、穂乃果ちゃん達に迷惑を掛けてしまいました。だけど、穂乃果ちゃん達は許してくれるどころか、応援までしてくれたんですよ」
思穂と絵里は互いの顔を見ていなかった。ただ背中越しに言葉を交わすだけだ。
「……嬉しかった。こんな私でも、あの三人に必要とされているんだって、考えただけでニヤケが止まりませんでしたよ」
「なら、どうするの? もしこのテストで失敗すれば貴方にとってそれは事実上、文研部とμ's、その両方の終わりを意味するのよ?」
「失敗なんかしませんよ。私はキッチリ間に合わせます。穂乃果ちゃん達が待っているんだ……この程度で立ち止まってなんかいられませんよ」
それ以上、絵里は何も言うことはなかった。彼女が自分の言葉にどう考え、どんな感情を表しているかは後ろを向いていた思穂には分からなかった。
そしてこれ以上思穂も何も言うことはなかった。否、言う権利はなかった。あとは全て結果を出した後にしか言えないこと。
「失礼しまーす」
「来ましたね、片桐さん」
教室には眼鏡の女性教師がいた。眼鏡を掛け、キッチリとスーツを着た、話に聞いた通り真面目な印象が感じられる。そんな先生の手にはテストの用紙が“三枚”も握られていた。
「話した通りです。これからテストを行います。その結果次第では、貴方がやっている部活動を全て停止し、成績の向上が見込めるまで毎日放課後、補習を受けてもらいますのでそのつもりで」
「異議なしです。始めさせてください」
テスト用紙を伏せられた机に座り、思穂はシャーペンを片手に、目を閉じる。現在、三時二十九分。先生の合図が出た瞬間から、思穂の戦いが始まる。一秒の迷いも許されないそんなギリギリの戦い。
思穂はポケットの中のマスコットに意識を集中させる。そうすれば、何だか三人が見守ってくれているようだったから。
(私の小さな宇宙は今、燃えている!)
三十分になった瞬間、先生から開始の合図が出された。そして思穂はテスト用紙を捲り、全神経を問題文に集中させる。そして、問題内容全てに目を通した思穂は、思いのままにシャーペンを走らせる。
「――良し」
十分が経過した辺りで、思穂は立ち上がった。それを見た先生が思わず引き留める。
「待ちなさい片桐さん。まだ十分しか経っていませんよ?」
制止を無視し、思穂はどんどん教壇の前まで歩き、先生の前へテスト用紙を差し出した。そして、思穂は一目散に教室の扉まで走り出す。
「採点も終わってないのに、どこへ行くつもりですか!?」
「満点です! そうじゃなかったらもう補習でも何でも受けますので即刻呼び出してください! 私は行かなくちゃならないんです!」
先生の怒声に被せるよう、思穂は言葉を遮ると、扉の近くに置いておいた鞄を掴んで扉を開けた。だが、思穂はすぐには行かず、先生を……正確にはテスト用紙を指さした。
「――先生も中々意地悪ですよね。序盤はともかく、中盤は応用の応用問題、終盤なんて三年生で習う範囲じゃないですか」
「あっ! こら!」
思穂が出ていくのを、先生はただ見送ることしか出来なかった。……すぐに先生はテスト用紙に目を通す。
「あんな短時間でやれる問題じゃ……えっ!?」
解答用紙とざっと照らし合わせた先生は、目を丸くし、驚きを隠しきれなかった。何せその結果は――。
「全問、正解……!? しかも、消しゴムかけの跡が一切見当たらない……片桐さんは何の迷いも無く、回答したって言うの……!?」
思穂の指摘通り、先生はあえて意地悪をした。もちろん三年生の問題が解けなくても補習判断の材料にするつもりはなかった。これは思穂が日頃の勉強不足を実感させるためにあえて“解けない”問題を入れたのだ。
そのつもりだったが、先生の思惑は想定外の方向で裏切られてしまった。片桐思穂は三年生の問題含め、全てを回答して見せた。
そこで先生は、彼女の入学試験時のテストの成績を思い出した。思い出し、今のこのテストを見比べ、先生はようやくソレを認めることとなった。いや――認めさせられた。
「全教科満点で、首席入学をしたというのは……本当だったのね」
入学試験時の思穂の成績は『全教科満点』。そう、何を隠そう、片桐思穂はこの音ノ木坂学院へ文句なしの首席入学を果たしていたのだ。
基本的に思穂は、テストの点は常に八十点台だっただけに、先生はこの結果を未だに信じられなかった。まるで夢でも見ているような。
「いえ……もしかして、今までわざと……?」
だが、もしそれが八十点台しか“取れなかった”、ではなく“取らなかった”だったとしたら。……最早、先生は思穂に対して何か言うつもりはなかった。結果は当然、“補習なしの現状維持”。
誰も居なくなった教室で、先生は呆れたようにため息を吐き、テスト用紙を片付けだした――。
◆ ◆ ◆
「うわ~ん!! 最悪だよぉ!!」
最速でテストを終わらせたまでは良い。だが、緊張しすぎたせいか、物凄くトイレに行きたくなってしまったのだ。トイレに籠もっていたらもうファーストライブ開始まで一分を切っていた。
講堂の扉に希が寄り掛かっていた。そして、思穂へ微笑みかける。
「やっと来たね、思穂ちゃん」
「希先輩! ライブは!?」
汗を拭うこともせず、思穂は希に聞くと、彼女は親指で講堂内を指した。自分の眼で確かめろ――そう言いたげな希の所作に倣い、思穂は講堂の扉をそっと開けた。
そして、思穂は絶句した。目の前に広がっている光景に――。
「……嘘」
誰も、いなかった。人っ子一人、誰も。思穂は後頭部が殴られたような感覚を覚える。そして、思穂は幕が上がっていたステージへと視線を落とす。
ステージの上では、穂乃果達が衣装を着て、立っていた。……立っていたのだ。
「ほの、かちゃん……」
あの元気が取り柄の穂乃果が泣きそうになっていた、それだけで思穂は胸が締め付けられるような、まるで極寒の大地に身一つで立ち尽くしているような、そんな絶望を感じた。
思穂は思わず叫びそうになっていた。あれだけ階段を駆け上がった、あれだけ歌った、踊った。あの恥ずかしがり屋の海未が勇気を振り絞ってチラシ配りまでして、そして“今日”への意気込みを見せていた結果がコレとは、とてもじゃないが認めたくはなかった。
ここまで来たのだ、ここまで頑張ってきたのだ。そのリターンにしては、随分とお粗末。スクールアイドルの厳しい現実を突き付けられた思穂は、穂乃果達にこれ以上辛い思いをしてほしくはないと思った。そう判断した思穂の判断は、ライブの中止。
「穂乃果ちゃ――」
思穂が明確に発声する刹那、講堂の扉が開け放たれた。入ってきた人物を見て、思穂は思わず拳を握りしめていた。
「花陽ちゃん……」
穂乃果も面識があったようで、その名を呼んだ。花陽は花陽で、今の状況が飲み込めていないようで、まだライブが始まっていないことに戸惑っていた。
それを見ていた穂乃果の表情が“変わった”のを、思穂は見逃さなかった。
「やろう! 歌おう、全力で!」
先ほどまで泣きそうだったのがまるで嘘のように、穂乃果は毅然としていた。そして、ことりと海未に呼び掛ける。
「だって……そのために今日まで頑張ってきたんだから!」
穂乃果の言葉に頷いた二人も段々表情に生気が戻っていくのを感じていた。そして、三人が配置に着いたところで、照明が落ちていく。
「頑張れ穂乃果ちゃん、海未ちゃん、ことりちゃん!」
そして音楽が流れ、三人のファーストライブが始まった――。
「わぁ……!」
圧倒されていた。ただひたすら、圧倒されていた。もちろん他の有名アイドルに比べると、歌もダンスもまだまだお粗末だというのは思穂にも分かった。
だが、彼女達から迸る“命の輝き”はどのスクールアイドルグループにも負けていない。純粋に目の前のファンへ向けて、自分の命すら燃やし尽くす彼女達は今まさに、間違いようも無く――“アイドル”だった。
「……ん?」
チラリと講堂の扉から見えた赤毛。気になって来たところを希にでも捕まったのだろうか。良く見れば、花陽の隣には凛もいた。花陽ほどではないが、凛も穂乃果達に釘づけと言った様子である。
「あ……」
逆側の扉が一瞬開いたと思えば、見覚えのある長いツインテールが音も立てず、かつ姿勢を低くし侵入してきていた。やはり惹かれあうモノがあるのだろうか、彼女は半目で睨み付けるように、そして見定めるように穂乃果達を観客席の陰からジッと見ていた。声を掛けることはしない。穂乃果達を見つめる彼女の眼があまりにも真剣だったから。
そうしている内に、大サビへと突入した。呼吸をすることも、瞬きをすることすら忘れ、思穂は最後の最後までジッと穂乃果達を見つめる。
(良くやったね、穂乃果ちゃん達……!!)
約三分に渡るライブはついに終わりを迎えた。小規模ながら、花陽が、凛が、真姫が、穂乃果の友達達が、皆暖かな拍手を送った。もちろん思穂も泣きそうになりながら、拍手をしていた。拍手しすぎてもう手の平が真っ赤だ。
「絵里先輩……」
段差を降り、絵里が穂乃果達の元へと歩を進める。それに合わせるように、自然と拍手が消えていく。
「……どうするつもり?」
何が、とは今更聞く穂乃果では無い。そして、答えも当然決まっていた。
「続けます!」
その言葉を受け、絵里は講堂内を見回した。
「これ以上続けても、意味があるようには思えないけど」
「やりたいからです!」
絵里が続きを促すと、穂乃果は続ける。
「私、今もっと踊りたいって、歌いたいって思っています。こんな気持ち……初めてなんです! やってよかったって本気で思えたんです!! 今はこの気持ちを信じたい。このまま見向きもされずに終わるかもしれない……応援も、何ももらえずに終わるかもしれない……」
その言葉に何を思っているのか、思穂は隠れているにこへ聞きたかった。穂乃果の言葉は、彼女の行き着いた果てだったのだから。
「でも一生懸命に届けたい。今私達がここに居る……この想いを!!」
そして穂乃果は一瞬溜めた後、宣言した。
「いつか、いつか私達必ず……ここを満員にして見せます!!!」
気づけば思穂はガッツポーズをしていた。一瞬でもここで“終わる”と思ってしまった自分が恥ずかしい。
客観的に見れば、このライブは悔しいが“完敗”と言って間違いなかった。だが、彼女がその程度で立ち止まる訳が無かった。どこまでも前向きに、ズタボロに打ちのめされても進む彼女だからこそ、思穂は協力したのだ。
「それでこそ高坂穂乃果だよ――!」
今日この日を以て、μ'sは真の意味での“スタート”を迎えたのだ――。