「う、うーん……」
体を包むような熱が私を苦しめる。
「う……う………はぁ………」
朝だ。
もう8月になろうという時期、一年の中でも最も暑い季節だった。
私はベッドから体を起こすと部屋のカーテンを少し開ける。
眩しい太陽の光が私の部屋に差し込んだ。
* * * * *
午前9時32分
今日は春風さんの手伝っている“カードショップアスタリア”へ行く予定。
彼女ならゼラフィーネさんが言っていた“ヴェルダンディ”について何か知っているかもしれない。
昔の私のことなら自分以外には彼女が一番詳しいはずだ。
一応自分でも調べてみようとしたが、詳しいことはわからなかった…というか検索しても北欧神話の三女神だということばかりでヴァンガードとのつながりが見えない。
私はトースターに食パンをセットして、コーヒーを淹れる。
(運命の三女神……ノルニル………いや……ノルン?)
最近のヴァンガードユニットでそんな名前のユニットがいたはずだ。
(“運命の神器 ノルン”…?…いや…そうじゃないね)
思い出してみると、以前舞原クンが“ノルン”という単語を口にしていたような。
確か…ラグナレクCSに出場していた……不思議なファイター。
(私が…“それ”だっていうこと…??)
取り合えず春風さんだ…春風さんに聞こう…彼女もラグナレクCSにはいたのだから。
私は焼き上がったトーストに最近のお気に入りであるアンズジャムを塗る。
「♪」
トーストはいい焼き加減だ…実にすばらしい。
(そういえば…今日は大智にも行くんだっけ)
カードショップアスタリアは北宮という町にあり、その場所へ向かうには大智町で電車を乗り換える必要があるのだ。
(お昼は大智でパンケーキなんかいいかも…ね)
大智町はこの周辺の交通の中心…人も店も沢山集まるのである。
「…ふぅ」
私はコーヒーを一口飲んだ。
「ふろんてぃあのコーヒーの方がおいしいや」
* * * * *
「…………よし」
私は黒のノースリーブを身に纏うと、露出した腕と首筋に日焼け止めのクリームを塗る。
(二年…いや二年と半年前か……ラグナレクCSは)
今思えばあの大会は最初からかなり怪しかった。
ショップ毎に招待状が送られたり、大型バスによる会場までの送迎があったり…それでいて非公認の大会なのだ。
(結局、大会も途中で中止になっちゃったし…ね)
私もそのあとすぐ“例のビデオ”を見せられ、逃げ出すようにヴァンガードを辞めてしまったので記憶が曖昧だった。
「よし……準備完了…かな?」
私は特に忘れ物が無いことを確認すると、父さんと母さんの写真に挨拶をして家を出た。
暑苦しい太陽の光を避けながら、私は天台坂の町を歩く。
町の様子は私が小学生の頃とほとんど変わっていなかった。
変わった所といえば、ふろんてぃあの看板の錆が増えたこととカードショップができたことくらいだろう。
私はちょうど公園の前を通る。
(この公園で青葉クンのお姉さんに護身術教えてもらったっけ…)
魔神剣と何回叫んだことか。
懐かしい公園は…いやこの町は今も昔の姿を保っていた。
それでも、ずっと同じ町も、ずっと同じ人も存在しない。
いつかは変わっていってしまうのだろう。
(この町と私…どっちが先に変わっちゃうのかな)
それは決して悪いことでは無い……。
(でもやっぱり…寂しいよね…)
* * * * *
「ヒカリ様!?来るなら事前に連絡を下さいよ!今日は親衛隊も半分くらいしか来てませんよ!!」
「いや…一人もいなくていいから」
(……この人は変わらないなぁ……)
春風さんは元々青葉クンのお姉さんの友達で昔から可愛がってもらっていた。
親衛隊というのも両親がいなくなり、学校でも孤立していた私を励まそうと彼女が友人達と結成してくれたものである……もっとも現在のメンバーの半分以上はそんなことは知らないだろうけど。
(嬉しいような…迷惑な…いや迷惑……うん)
「もう解散なんてできませんからね…何人いると思っているんですか、親衛隊」
「あ…あはは……そんなこと言われても…」
一体、何がどうなっているのか…正直深くツッコムのが怖すぎる。
「しかし…今日は…いや今日も急ですね」
「うん…迷惑だったかな」
「そんなこと!私はあなたに会えた幸福で死にそうですよ!」
「何その間違った日本語訳みたいな感想……」
いや、そんなの見たこと無いけどね。
「…で、今日はどうしたんですか?」
「うん…実はね……」
私はここまでの事情を話す。
「“ヴェルダンディ”…ですか…ノルンっていう北欧神話の三…」
「そうじゃなくて…こう…ヴァンガード関連で」
「ヴァンガード的にはジェネシスにノルンってユニットがいますけど…そういうことじゃないですよね?」
「……うん」
春風さんの表情が少し真面目になる。
「つまり……ラグナレクCS…」
「…!!」
「無敗の不思議な三人の女性ファイターの一人…ゴスロリのベルダンディが自分のことなのか…ってことですね」
「!!………うん」
「そうですよ」
「…………え?…そんなにあっさりと…」
「いや…とっくに知ってたかなって…思っていましたよ…当時はかなり話題になってましたから…ネットで」
「…………ネット環境無かったもん……」
「…すいません」
「…………」
「……」
「…」
「でも………ヴェルダンディか…格好いいね」
「…そう言うと思っていましたよ」
「…その三人…私もか…って今ラグナレクで無敗だったって言ってたけど……そうだったの?」
本当…MFSしか記憶に無いのだ。
「MFSに夢中でしたもんね…ええ…大会中止までの26戦で26勝してます」
「そんなに戦ったっけ…」
「確か40人の総当たりでしたから…朝の9時から夜の6時位までファイトしてませんでした?」
「うーん……確かに沢山ファイトしたのは覚えているんだけど……」
勝敗とか全く意識してなかったしなぁ…
「…そうだ!不思議な力!私!不思議な力あるの?こう……魔眼とか!!」
もしあるのなら…何というか…いいね。
「あー…そうですね…ウルドさんは…相手の初期手札をグレード3だけにするとか…スクルドさんは相手にトリガー引かせないとか……」
「へぇ……で…私は?……ヴェルダンディは?」
「…………」
春風さんが目を背ける。
「…春風さん?」
春風さんは重々しく口を開き、私に告げた。
「……不明……ですね」
「…え?」
「諸説ある…って感じです…最も時間が経ちすぎてもう議論している人もほとんどいませんけど」
ひどい。
「…でも…何で?」
「ファイトの様子を見ても誰もわからなかったんですよ、でも他の二人は明らかに特殊だからこの人も特殊なんじゃ……ってノリで語られてます」
「……………」
「…ヒカリ様……?」
「…諸説ってどんなのが…あるのかな」
「…えっと…毎ターン好きなカードをドローしているとか、自由にトリガーが引けるとか」
「そんなこと……無かったけど…」
そんなことが出来るのなら自分で気づいている。
「一番有力なのは…“ファイト中1度だけ、自分の意思に関わらず、欲しいカードをドローできる”です」
「ドローカードの…創造?」
「いや…はっきり違いますよ…それは」
何だ…1度だけって……自分の意思に関わらずって…
「…一体何の根拠があって…」
「ヒカリ様…26回連携ライド成功させてました」
「……」
「必要な時にはいつも完全ガードがありました」
「……いや…でも…ね…」
何かこう…パッとしない…な…
「でも…これは“一番有力な説”というだけです、本当のことはまだわかりませんから」
「本当の…力……ね」
そんな物があれば…嬉しいけど……
「力が有ったって無くたってヒカリ様はヒカリ様ですよ!!」
「うん…そうだね…」
ありきたりだけど…その通り…か。
いや…でもなぁ…。
「春風さんー」
店の奥から店員の…というか親衛隊No.62の萩野さんが呼んでいる。
「どうしました?」
「双闘パックって大会の参加賞になったんですよね」
「そうですよ、右下の引き出しにいれておいてね」
「…そうなんですか?」
双闘パック…“夏のレギオン祭り”等とふざけた名前の企画で配布されるパックである…1パックにレギオンができる二種一組のカードが入っており、ヴァンガードのパックを6パック購入して双闘パック1つが手に入るというキャンペーン…だったはずなのだが。
「何か…例のMFS作ってる所から要望があったらしくてね…もちろん6パック購入しても貰えるんだけど…まぁこれで少しは手に入りやすくなったから良いじゃないですか」
「へぇ…」
萩野さんが大量のパックが入った段ボールを抱えて店の奥に戻っていく。
「春風さんはパック集めるの?」
「ええ!エンフェのレギオン収録されてますからね…いや…通常ブースターに収録して欲しかったですけど」
春風さんは残念そうに言う。
「確かに…エンジェルフェザーとグレートネイチャー、メガコロニーにペイルムーン…むらくも…そして何故かロイヤルパラディンが入っているんだよね…」
「あ…それ少し変わりましたよ」
「え?…そんな色々…変更して…告知もかなり急だったのに…大丈夫なのかな?」
「ですよね…とにかくロイヤルパラディンの収録が無くなったんですよ」
ロイヤルパラディンのレギオン…ついこの間名前だけは公開されたのに…。
「通常ブースターに収録することになったのかも知れませんね」
「…そうなのかな」
探索者 ライトセイバー・ドラゴン、探索者 ライトブレイズ・ドラゴン……自分はロイヤルパラディンを使うことは無いけれど、このまま日の目を見ることが無いなんていうことになったら………可哀想だ。
「はぁ…………」
「疲れましたか?」
「うん…最近暑いからね」
何となく適当なことを言ってしまったが、嘘では無かった。
「じゃあ今スイカでも切りましょうか」
スイカって…ここは何のお店なんだ。
「…そうだ、いっそのこと皆で海…」
テレレレレレレ…テレレレレレレ…
私の携帯が鳴り出した。
「…天乃原さんからだ…………もしもし……うん」
「…え?」
「…皆で……海に?」