やさぐれIGO   作:76

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第5話

 

 

 

 

 

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 討論会とは名ばかりに解説そっちのけで『コンピュータ』が如何に人間の複雑怪奇な思考回路を模倣し、凌駕し得るかという可能性について熱弁する小畑を抑え込み、無事一通りの解説を終えた俺達だったが次のイベントである来場者の中から『sai』によって選出された『sai』とのエキシビションマッチを行う旨が会場内で告知されると来場者の多くはその目をギラギラとした飢えた獣の如く変貌させる。再び会場は大きく騒めき、誰を選んだのかと周囲の人と持論を交わしていた。

 場内はもしかして、と。己かもしれないと浮つき、逸る気持ちを胸にスタッフの動向を窺っている。暫くして目的の人物が壇上に上がると騒めきは殊更大きく高まった。ソレも当然の事、指名された相手は現役プロであると同時、若手の中で最も期待を集めそれに応え続けている優秀過ぎる逸材。『塔矢アキラ』六段その人だった。若き天才VSネット囲碁最強という対局カードは会場内のボルテージを上げ、どちらが上手かと固唾を飲んで対局開始を今か今かと待ち望む。

 壇上で短く会話を交わして対面に座し先手後手を決めると『お願いします』の合図と共に戦いの火蓋は切られ、黒を握ったヒカルが鋭く盤上右上部へと叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

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『sai』という存在が実しやかに噂され出したのは今年の四月に入ってからだった。後期組の和谷プロが全力を出し切って負けた相手だと本人が正体を探るべく彼方此方で聞き回っていた最中、偶然にも兄弟子である緒方さんも対局し、信じられない事に中押しで敗したと聞かされたのが興味を持った切っ掛けだった。

 緒方さんは『sai』との対局から何かを掴んだのか、棋風を少し変えて勢いを付け直し棋力を更に向上させてみせた。当人は『sai』とのリベンジに燃え、熱心なファンの如く暇な時にはネット囲碁にログインしては『sai』の事を研究し万全の態勢で討ち果たすと意気込んでいた。そのチャンスが今回の『オフ会』だったのだが、生憎と運に恵まれず手合いの日と被ってしまった為にボクにお鉢が回って来たという訳である。

『sai』を名乗る彼は前試合のコンピュータ戦の様子から察するに本物であると思いたいが、ボクと同じ位の齢であれ程の碁を打つ人が居る事に驚きを隠す事が出来なかった。ボク自身、物心付く以前から碁と向き合って父に教えを乞うてきたからこそ今の自分が存在するのだと思っているが、彼は違う。アレはセンスもさることながら積み上げて来た年月そのものが別格なのだ。計り知れない数の選択肢の中から汲み取った一手を限られた時間の中で見つけ出し打ち合うのが常だ。しかし先のコンピュータ戦に於いて彼は常人から見て『有り得ない』程の先の先を読み、最良の手を尽くすコンピュータを凌ぎ打ち倒した。

 終局間近になって漸く気が付いた。あの妙手は完全に嵌り、遅行性の毒の様に白を蝕んだのだ。空恐ろしいと身震いをすると共に好敵手足りえる存在に歓喜した。そんな彼が直々にボク個人をエキシビションマッチに選んだのは神の采配か。はたまた悪魔の微笑か。質疑応答の際に対峙した彼は昼行燈とした態度を取り覇気が余り感じ取れなかったが、今。眼前に静かに座す彼からは途轍もない威圧感と真摯さが見て取れた。

 先番である黒を握り、一手一手に魂を込める様に打つ姿はどこか父を彷彿とさせる。相手が誰であろうと負ける気は毛頭ない。この対局を糧とする為に負けじと白を握る手に力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 

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 俺と同い年が藤原と互角とは言わないまでも渡り合っている。その事が無性に悔しくて、ついつい碁石を握る手に力が入る。黒と白の陣地争いは熾烈を極めた。藤原の瞳は研ぎ澄まされた刃の如く剣呑な光を帯び、対面に座す塔矢プロを見つめていた。盤面は黒が優勢。このまま続けても藤原の勝ちは揺るがないだろう。が、しかし塔矢の両の目はまだ何か手が有る筈だと思考に没頭し、盤上を皿の様に眺め続けている。刻々と時間が過ぎ、頭を振って意識を戻した塔矢は一度体勢を整えて『ありません』と少しばかり悔しげに自身の負けを認め、俺と声を揃えて『ありがとうございました』と長きにわたる対局の終わりを告げる。

 直後。会場はこれ以上ない位の歓声を上げ、惜しみの無い拍手が俺達に向けて送られた。握手をしようと手を差し出す塔矢に応じると更に拍手と歓声が上がり、困った様に笑う塔矢と笑い合ってエキシビションマッチは終了した。続けて塔矢が現役プロという事も有り彼の主導で解説と論を交えて話し合いの場を作り上げた。

「『sai』今日は、君と打てて良かった。ボクを選んでくれてありがとう」

「気にするな。礼を言うのなら俺の方だ。現役の若手プロ相手に対局出来るなんざ思ってもみなかったし、おかげ様で火がついちまったみてぇだからな」

 チラリと隣を見ると藤原は興奮冷めやらぬといった状態で今にも騒ぎ出しそうだ。苦笑していると塔矢から再び声が掛る。

「火? ……まぁいいか。それで、君は、プロを目指すつもりはないのか?」

 瞼を降ろして暫しの沈黙の後、藤原の姿を再度目に焼き付ける様に見つめてから口を開く。

「……。なぁ、塔矢プロ。プロになれば、アンタみたいなのがゴロゴロ居るのか?」

「ん、嗚呼。ボク何かよりもずっと強い人は沢山いるだろうね。けど、ソレがどうかしたのかい?」

「だったら。(決めたぞ、藤原)」

「(何を、ですかヒカル?)」

 理解している筈なのに藤原は惚けたように疑問を口にした。

「(プロになればコイツよりも強い奴らがぞろぞろといるらしい。なら、さ)」

「(ですが、それは。私の望みであって、ヒカルには……)」

「(『関係のない事』だとは言わせないぞ。藤原。いいや……『佐為』これは他の誰でも無い『俺』が決めたことだ。俺の望みは、『お前の隣でsai(俺達)の碁を打つ』事だ)」

 そう、誰のためでも無い。俺の『進藤ヒカル』の初めての我が儘だ。仮に佐為が何と言おうが撤回するつもりはない。困惑し、考えがまとまらないのかもごもごと口ごもる佐為の目を見つめ語り掛ける。

「(佐為。お前は知らないだろうが、俺はあの日。お前と出会わなければお前と同じ様に入水自殺を試みようと考えていた)」

 ギョッとした様に驚愕を前面に押し出した表情を浮かべる佐為。彼女を安心させる為に『今はそんな事は考えていない』と念を押して落ち着かせる。

「(両親と疎遠に成った話しはしたよな? 嗚呼、それだ。そこから俺は『周りから求められるがままの姿』を演じ続けた。学校では『カワイソウ(非行少年)』な姿を祖父の前では両親と別れる以前の『我が儘なクソガキ』を演じ、もう長くないと悟った死に際の祖父を安心させるために国立大学にも入った。……そして、今は最強のネット囲碁棋士『sai』を演じている)」

「(嗚呼。それゆえに、『ヒカル』が決めたことで、貴方の本当の望みなのですね)」

「(お前と一緒に居て初めて思ったんだ。『sai』の碁を打ちたいと。だから……俺と共に碁を打ってくれないか? 藤原佐為でも無く本因坊秀策としてでも無い、俺とお前の『sai』としてッ!)」

「(…………ふふっ。そこまで言われては仕方が有りませんね。良いでしょう。私の負けです。『sai』としてどこまで行けるか、貴方と成らば『神の一手』を極めることも出来るやもしれません。ヒカル、しっかりと私の手を握っててくださいね?)」

 応! と返し、塔矢プロに向き直り決意を胸に声を出す。

 

「プロに成るにはどうすればいい。教えてくれ」

 

 

 日本囲碁界に新たなる巨大な嵐が近づき始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 第一部 了

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