やさぐれIGO   作:76

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第3話

 

 

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 色とりどりの熱帯魚が優雅に泳ぐ水槽を背に大人びたおかっぱ頭の青年と趣味の悪い白スーツ姿の一見チンピラにも見える金髪に色の入った眼鏡を掛けた優男がコピー紙片手に悩ましげな表情を浮かべながら会話を交わしていた。

「これが、例のネット棋士ですか……」

「嗚呼。どうしても君の意見が聞きたくてね。『アキラ』君はどう思う? 一部ではコンピュータなのではないかというふざけた意見まで上がる始末だ。しかし、」

「有り得ません。先ず定石が古すぎます、仮にコンピュータのソレだとすれば最適解を弾き出すはずです。しかし……この棋士は気が遠くなるほど長い年月を囲碁に費やした様な錯覚すら思わせる。そんな気さえするんです」

「嗚呼。俺も概ね同意見だ。コイツはコンピュータなんかじゃあない。それ以上の化け物だ。……一度御手合わせ願いたいものだな」

「抜け駆けはさせませんよ? 『緒方』さん」

 不敵に笑みを浮かべて『ライバル』の様に睨み合う二人は競う様に緒方と呼ばれた青年のデスクトップパソコンの中映し出された、公式からネット囲碁最強の称号を与えられた正体不明の棋士『sai』の無敗の三〇〇連勝を記念とした『オフ会』が開催される旨が告知されるページを見つめていた。

「来ますかね。saiは?」

「こうして告知までされているんだ。来ないとは考えられんし考えたくないな」

「この日、緒方さんは確か手合いが有った筈でしょう? ボクが代わりにsaiと打ってきますよ」

「ハッ! アキラ君。俺がこんなに面白そうなイベントを逃すとでも思うか?」

「いえいえ。ですが、緒方プロともあろうお方が正体不明のプロともアマともしれない輩の為に対局をすっぽかす筈ないですよね? saiの事は後でじっくりとお話ししますからどうぞごゆるりと相手方の失礼にならない様に思う存分打って差し上げて下さい」

「(このクソガキ!)まぁ、確かに私用で出ないというのも些か不味いだろう。……仕方がない今回ばかりは引き下がるとするか」

「ええ。ぜひそうしてあげてください」

 にこりと愛想よく笑う『塔矢アキラ』に額に青筋を浮かべながらも兄弟子としての体面を守る為に口元をひくつかせながらも俺の分まで頼むぞと声を掛ける『緒方精次』に気を良くしたのかより深く笑みを浮かべる塔矢は失礼しますと緒方の部屋を後にする。

 塔矢が去った後、緒方は『あのクソガキィ!』とイラつきを発散させる如くコピー紙が積まれた品の良い木製のデスクを力いっぱいに叩いた。衝撃によって散乱する黒白に彩られた棋譜の全てがsaiが打った物であり緒方がどれ程saiとの対局を心待ちにしていたのかが如実に表れるというものだ。

 

 

 

 

 

 

 

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 大学に入り勉学もバイトも無事に軌道に乗った頃。一通のメールが届いた。ソレは普段藤原にせがまれて打ち続けているネット囲碁の運営からの招待状であった。『sai』宛のソレは以前『公式ユーザー』として登録しないかと持ちかけられた送り先と同一であり今回送られてきた内容は大規模な『オフ会』の参加願いだった。交通費と決して少なくない日当も出る事から俺自身としても特に拒否する事情も無く、また藤原も現物と対局相手を見ながら打ちたいという願い出からオーケーの返事を書いて送ると今週末の日曜日に指定場所まで来て貰いたいとの返答がすぐさま帰って来た。藤原はあれからしばらくの間『彼女』の事が気がかかりに成っていたが最近はまた囲碁に没頭しており今回の事で完全に吹っ切れてくれると願いたいものだ。

「藤原。取りあえずこの一週間マナーや碁石の握り方と置き方、基本的な語句は頭と身体に叩き込んだが正直俺は堅苦しいのは苦手なんだ。困ったときは頼んだぞ?」

「(はいっ! 任せてください! 『おふ会』とやらに行けば強者と打てるのでしょう? でしたら私に任せてください)」

「嗚呼。頼りにしてるよ」

 ルンルンと鼻歌まじりに嬉しさを表現しているのか舞を披露する藤原。その姿は桜を思わせた。儚さと怪しげな色香を振りまく夜桜の如き一瞬の幻想の様な煌めきを感じさせる。気が付けば藤原の舞は終わっていて、呆然とする俺に心配そうに大丈夫かと声かける藤原の日本人形の如く整った美しき貌が目鼻の先、触れそうな位置に前のめりに座していた。

「(本当に大丈夫ですか? ヒカル。体調が優れないのであれば明日は止めておいた方が……)」

「いや、何。大丈夫だ。そんなに心配するなよ。ほら、明日は思う存分打っていいから今日はもう寝るぞ? (お前に見惚れていたからだなんて言える訳ねぇだろ)」

「(……ええ。分かりました)」

『おやすみ』と交わして布団に潜り込む俺だったがつい先ほど見た藤原の姿が余りにも美しく、初めてであった時のあの陶器の様な『ありのままの姿』が頭の隅にちらつき中々眠る事が出来なかったのは致し方がない事であろう。

 

 

 

 

 

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 招待状を受付のお姉さんに見せるとすぐさま俺達は運営をしている『小畑』と呼ばれる茶髪の好青年を絵に描いたような人物と相対する事と成った。一通りの挨拶を交わし終えると感謝の言葉を告げられる。

「こうして会うのは初めてだね。初めまして『sai』ボクがプロデューサー兼取締役の小畑茂だ。今日は来てくれて本当にありがとう」

「いえ。これ程大きなオフ会を私という個人の為に開いてくださった事感謝致します」

「いやいや。君がオーケーの返事をくれなかったら今回のこれは成立しなかったんだしそう固く成らないでほしいな。それに実はボク個人が、君の事が知りたいと思ったから屁理屈捏ねて無理やりねじ込んだんだ。……君とは良き友人として接してほしいかな?」

「……そうですか。では、俺は何をすればいいんだ? 確かメールではエキシビションマッチを行ってほしいとか書かれていたが?」

「へぇ。ソレが君の本性かい? さっきのよりも余程ボク好みだよ。……そうだね。開会式を終えてから君の紹介をして、次に此方が用意した最新のコンピュータと対局。その後討論会を開いて、会場の中から君が対局したい相手を選んでエキシビションマッチを行い、解説し閉会式をして締めだ。全力の君の力を会場の皆に存分に魅せてくれたまえ。期待しているよ? 『sai』」

「まぁ、期待に応えられるかは分からないが負ける気は毛頭無いさ。前の様に時間切れで負けなんて詰まらない結果だけは止めてくれよ?」

 ははは。と苦笑いを浮かべて善処するよと応える小畑。時間まで会場内を自由に見回っていてくれと続けられる言葉に了解と返し退室する。小畑は愛想よくひらひらと手を振って見送り楽しんでくれと声かけた。

「(ヒカル。『こんぴゅーた』とは、あの、以前の?)」

「(嗚呼。やたらと次の手が遅かったアレだよ。お前、結構苦手だったよな? 大丈夫か?)」

「(ふふっ。心配しているのですか? 大丈夫ですよヒカル。以前は有耶無耶に成ってしまいましたが、今回は必ず勝ちます)」

「(そうかい。ソレを聞けて安心したよ。まぁ、藤原の負ける姿なんて想像できないからなぁ。それより、時間まで会場内の物販コーナーとか見てみるか? 囲碁関連の物が目白押しだと思うぞ)」

「(はいっ! ぜひぜひ! 行きましょうヒカル!)」

 右腕を引っ張って早く早くと急かす藤原に苦笑を浮かべると行くかと一声入れて歩き出す。暫く歩くと会場へと繋がる大扉にたどり着く。中へと入り右回りに見て回る事にして手始めに扇子売り場にやって来た。藤原は色とりどりの扇子にはしゃぎ回り平安時代のソレ比べて多様に変化した色合いと材質に驚きの声を上げていた。とある一角で足を止め、じっと見つめる藤原にどうしたんだと念を飛ばすと俺に似合いそうな物を見つけたと返答が帰って来る。

「(これです。どうでしょうヒカル。一度手に取って見ては如何です?)」

「(へぇ。良いんじゃないか? 良い『センス』だな、藤原。お前の見立てなら間違いないだろうし、うん。買うよ)」

 藤原が勧める扇子は白地に淡い小さな桜の枝が描かれた上品な作りの物だった。自己主張せず控えめに咲くソレは何処か藤原を彷彿とさせ一目で気に入ってしまった。会計へと向かい決して安くは無い金額を支払うと『お揃いだな』と扇子を見せ合って笑い合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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