やさぐれIGO   作:76

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出会い

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 アイツと初めて出会ったのは、高校卒業間近に迫った冬の終わり際。俺の祖父『進藤平八』の葬式後の事だった。

 俺がまだクソガキだった頃、クソ親父が不倫し他所に女を作って家庭を崩壊させた後。両親のどちらにも引き取られなかった俺は父方の祖父である平八の家で暮す事に成った。両親の別離により荒んだ俺の面倒を嫌な顔一つせずに好々爺然とした絵に描いたような親代わりをする祖父に口では反抗的な態度を取ってはいたが内心では感謝の念で一杯だった。そんな祖父と非行少年時代を過ごしていた俺だったが、またしても終わりは迫ってきていた。

 高三の秋ごろから体調を崩しがちに成り布団の中から殆ど動かなくなった祖父、俺が生まれる以前に祖母は既に他界しており日中は近所のおばさんが稀に様子を見に来てくれる程度だった。冬の終わりが近づく頃。詰まる所一月の終わりの日、卒業式を目前にしたその日に祖父は心筋梗塞を引き起こして倒れ、様子見に来たおばさんが救急車を呼び病院に搬送するも時既に遅く。頭が真っ白になった俺は、その後どうやって葬式まで過ごしていたのか自身でも分からないが気が付けば葬儀は終わり、憎き両親が醜い争いを繰り広げている光景が視界に入っていた。

 遺産相続だ。生前祖父は暇つぶしだと言って株に手を出しビギナーズラックが働いたのかどうかは知らないがそこそこに利益を生み出したらしく、倒れる寸前までパソコンを手放すことは無く朝早くから寝るまで噛り付く様に睨みを利かせていた。その結果、生まれ出たのが五千万という大金だった。

 酷く汚い罵り合いをこれ以上祖父と暮した家で見たくなかった俺は金はくれてやるからさっさとこの家から出ていけと手荒く追い出し、遺言書を預かっていた弁護士と話し合って家の権利書をもぎ取った。

 その後、空虚な一人暮らしが開始して一か月が経った頃。遺品の整理をするべく、ガキの頃に『あかり』と共に過ごした蔵へと入ったのだ。中は薄暗く、小さな剥き出しの豆電球がぶらりと一つ垂れ下がっているのみで日中とは言え埃っぽい蔵は薄気味悪い雰囲気を醸し出していた。

 一階には秘蔵の酒だとか言って自慢していた酒瓶やら巻物等良く解らない物品が所狭しと置かれており、これは骨が折れそうだと溜息を吐いた俺だったが、そう云えばと不意に祖父が至極大切そうに磨いていた古びた『碁盤』が脳裏を過った。祖父が大切にしていた物を出来るだけ身の回りに置いておきたいと思っていた俺は陽がどっぷり暮れる頃二階の奥深くに鎮座するソレを見つけた。

 先ず、ソレを見た時に感じたのは違和感だった。祖父は丹念に幾度も磨き上げていたであろうにも関わらず『何故か』ソレの表面には血痕の様なモノが不気味に浮かび上がっていた。よもや祖父が吐血した痕ではなかろうかと恐る恐る薄らと埃が積もる盤上を撫で上げた。

 目線を碁盤から上げると眼前には人形の様に美しき人型が目を伏せ嘆きの声を小さく呟いていた。気配も無く、突如としてにまるで『幽霊』の如く現れた和装の人型に驚いた俺は思わず『誰だお前は』と驚愕と疑心の声をあげていた。奴は驚きを隠さず、涼やかな透き通った声で『見えるのですか』と嬉しさを多分に膨らませた子犬の様に目をぱちくりと瞬かせる。

 あ、嗚呼。と少々どもりながらも返答する俺だったが奴は何やら神に感謝の祈りを捧げると俺に向かって飛びかかった。突然の事に身動きすらできなかった俺は奴が俺の身体に触れたその瞬間に意識を失う事と成った。

 

 

 

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 目が覚め、意識を定着させ暫くすると奴は自身を『藤原佐為』と名乗り平安時代を生きた亡霊であると告げた。己の身の上話を聞いてもいないにも拘らず話し始める藤原に辟易としながらも適当に聞き流しておけばいいやと結論付けては厄介なモノを遺して逝った祖父を少しばかり恨んだ。

 藤原の過去話をかいつまんで説明すると何やら重要な囲碁の対局中にイカサマされ負けて入水自殺を図り、しかし囲碁をもっと打ちたいという思念が碁盤に宿り『虎次郎』こと『本因坊秀策』に憑りついたは良いものの秀策が病に倒れてしまったためにまたしても亡霊と成り今度は俺に憑りついたという訳だ。

 長々と続けられる話しにイラついた俺は奴に向かってこう言ってやったのだ。『ふざけるな。どうしてお前の都合に付き合わされなければ成らない』と奴は所在無げに俯き、下唇を噛み締める暫し逡巡し『でしたら』と口を開いた。白を基調とした紫紺の和服を肌蹴る様にして病的なまでに白地の肌を曝け出した。濡れた様に艶やかな腰元まで届く黒の髪と曝け出された白のコントラストが誘惑的な色気を醸し出す。

 胸元には白色のサラシできつく巻き豊満な胸部を目立たせない様にと圧し潰すようにしている。サラシに手をかけた所で、見惚れるほどに美しい芸術品の如き肢体に息を呑んだ俺だったが頭を振って『そういう事をして欲しい訳じゃない』と怒鳴りつけた。『ですが』と言葉を続けようとした藤原に溜息を一つ吐いて降参を告げる。ただし、と続けて力量を計るためにネット囲碁からだと藤原を言い包めた。

『ねっと囲碁とは何でしょうか?』と小首を傾げ顎元に手を当てて疑問の声を上げる藤原に実際にやって見せた方が早いだろうと藤原を伴い蔵から母家へと移動し、祖父の遺したノートパソコンを立ち上げた。どこぞの会社のロゴが映し出されると藤原は驚きの声を上げてぺしぺしと右手にいつの間にか握った扇子でノートパソコンに触れはじめる。画面が切り替わり俺と祖父が家の前でツーショットを決めるホーム画面が映し出されると藤原は『面妖な』とこれまた古めかしい言葉をポツリと呟いてまだかまだかと、ネット囲碁を心待ちにしている。

 暫くして完全に立ち上がり、インターネットへとアクセスし検索サイトからネット囲碁が出来るサイトへと繋げて諸々の初期登録を済ませるとユーザー名をどうするかと藤原に振り返って聞こうとするも早く早くと急かされたために適当でいいかと『sai』と打ち込み対局者を待った。時刻は既に十時を回り、倒れ伏していた事を鑑みるに腹具合と相談して取りあえず一戦だけだと告げると打ち捨てられた子犬の如き目で此方を縋る様に見つめ始める。そんな藤原に顔を引き攣らせているとぴこんという軽快な音を立て、対局相手が現れる。しめたと藤原を囲碁が出来るぞと促すと表情を一変させ瞳をキラキラとさせては対局を楽しみにしている。

 先手後手がランダムに決定され、此方が黒。即ち先手と成った。藤原に何処に打てばいいと振り返ると静かに両の目から涙を流し、頭を振り『行きます』と言って十七の四、右上隅小目を扇子で指し示した。

 

 

 

 

 

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 結果から言って藤原は勝利した。ただ、不満が有るとすれば対局者が途中で諦め試合を投げたことだ。百うん十年振りの対局に藤原は少し残念そうにしていた。そんな顔をする藤原に何故か腹が立ち、飯を食ったら飽きるまで打たせてやるよと口約束をし、それが仇と成って明け方までノートパソコンに向かってマウスを動かし続ける羽目に成った。余計な事を言わなければよかったと心底後悔したのは言うまでも無いだろう。

 藤原はド素人の俺からしても綺麗な盤面を生み出していた。どんな相手でも対局し、勝ちを譲らない様は見ていて爽快感すら感じるほどだ。肩口から画面をのぞき込む様に密着する藤原にドキリとした事は幾度か有ったが彼女の真剣なしかし何処か楽しげな横顔を見る度に『嗚呼。コイツは本当に囲碁が好きなんだな』と感じ取れた。

 藤原の相手をしている事でぽっかりと穴が開いた様な気がしていた心がいつの間にか藤原佐為という不思議な存在で埋め尽くされていた事に気が付いたのは何時の事だったか。今日も今日とて藤原に急かされ彼女が好きだという囲碁を打つ。楽しげな彼女の横顔を俺だけが見ていられる。そんな小さな幸せがずっと続けばいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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