鷹が如く   作:天狗

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8.忍の使命

 鷹村啓介がアニムスに接続している間、吉川優子とドクター南田はモニターに向かい、彼のサポートをしていた。自分だけ何もできないのが我慢ならなかったのか、洗濯を終えた澤村遥はかねてからするつもりであった掃除に取りかかっている。

 おそらく南田の物であろう、ボロボロの白衣を雑巾代わりに、シャワー室の洗面台にある鏡を拭いていた。

 鏡には水垢がこびりついており、昨日今日ついた汚れではない。アサシン教団の拠点は元々大阪にあった、と啓介が言っていたことを考えると、この汚れだけでもアサシン教団がこの施設を使用する以前に誰かが生活していたことが分かる。

 遥は歯磨き粉を直接水垢のひどい部分につけると乾いた雑巾で拭った。アサガオでの生活のために家事について色々と勉強したことがここでも役立っている。こうすると、しつこい鏡の水垢が取れるのだ。

 ほとんど曇っている状態だった鏡の汚れが取れ、遥の顔が映る。

 沖縄で暮らしていた時のように家事をこなしているせいか、彼女は自分の口角が上がっているのに初めて気づいた。にわかに眉間に皺が寄り、表情が険しくなる。鏡を拭くために上げていた腕をだらりと下げ、遥は鏡に映る自分の眼を見つめる。

 本当に笑っていていいのか。アサシン教団を信じる、とは言ったが、ただ唯々諾々と彼らに協力することが自分にとっての最善だとは思わない。確かに、彼らはテンプル騎士団の手から桐生と遥を救い出してくれたのだろう。桐生の意識を回復させるために全力を尽くしてくれているのだろう。それらは信用できる。

 しかし、アサシン教団の目的はテンプル騎士団を打倒し、市民の自由意思を守ることだ。それは世界にとって大きな選択であり、その勝敗は世界の行く末を決定づけるものだ。しかし、遥が守りたいものはもっと小さな世界なのだ。

 

「はぁ……」

 

 とはいえ、今の遥には彼らを信じることしかできない。なるべく早く桐生を回復させ、彼が秘宝の在り処を特定し、解放してもらう。一刻も早く沖縄に帰るのだ。

 彼女は無性に桐生の顔を見たくなり、洗面台の下の収納に掃除用具をしまうと、シャワー室を出て行った。

 

 

 

 大広間ではアニムスに接続している啓介の他に、ヘッドマイクを付け、モニタリングしている優子しかいなかった。ここにいない南田は、恐らく寝室にいるのだろう。彼が一人で外に出るとは考えにくい上、エレベーターの音も聞いていない。

 

「啓介の調子はどうですか?」

 

 遥が声をかけると、彼女の接近に全く気付いていなかったのか、優子は少し腰が浮くほど驚いた。彼女は遥を振り返ると、慌ててモニターの向きを遥に見せないように変えた。

 

「――びっくりしたぁ……。 アニムストレーニングを受けたせいか、澤村さんの気配も啓介並みに抑えられているわね」

「ごめんなさい。 意識しなくてもできるように、こうして歩く癖をつけようとしてて……」

「いいのよ。 こっちこそごめんね。 少し残酷なシーンだったから」

 

 モニターに手をかけたままの優子が苦笑して言った。

 

『兄上! 秀康殿の暗殺に加担するなどと……』

 

 スピーカーから男の怒号が聞こえてきた。声の質は啓介にそっくりだが、その感情的な様子は似ても似つかない。

 

「啓介のご先祖様の……。 あの、私も見せてもらっちゃダメですか?」

「……いいの? ちょっと、いや、かなり刺激的な内容だけど」

「大丈夫です。 慣れてるって言ったらアレですけど、私も色々経験してきたので」

「それもそうね。 あなたにも、私たちが探している秘宝を見てもらった方がいいかもしれない」

 

 優子は再び苦笑するとモニターを元の位置に戻した。キーボードを操作し、画面を分割すると、現在啓介が追体験している映像の隣に忍び装束を来た男性の全身画像が表示される。

 

「彼が啓介の先祖、服部正重よ。 忍者で有名な服部半蔵の一族なの」

「そうなんですか!? 偉い人の子孫なんですね」

「服部半蔵は襲名性でね。 一般的に服部半蔵と言えば、正重の父親である二代目の服部正成。 彼の目の前で秘宝を使用したのが兄であり、この時三代目半蔵を襲名している正就。読みは同じだけど、字が違うわ」

 

 正重の全体画像の上に動画が再生される。半蔵が天井裏に潜む正重に剣先を向け、そこから光線を発射する。木片もろとも落下した正重は腹から血を流している。一人称視点で映し出される映像は映画やゲームなど相手にならない程、リアリティに溢れていた。

 

「これが秘宝、草薙剣(くさなぎのつるぎ)。 この世に存在する他の秘宝と同じように、これも物理的な距離に関係なく影響を与えることができるのよ。 能力が破壊に特化している分、エデンの林檎ほどの洗脳効果は強くないし、知識を与えるような機能もないわ」

 

 動画が消され、優子と遥は現在、啓介が追体験している場面を見る。

 正重が長刀を持つ男に弾き飛ばされ、庭に放り出された。

 

「彼は佐々木小次郎。 もちろん知ってるでしょ?」

「はい、宮本武蔵と巌流島で戦った人ですよね」

「歴史上の人物をそのままの姿で見られるなんて、歴史学者やファンは垂涎(すいぜん)物ね」

 

 映像の中で、秘宝を手にした半蔵が正重の元に近寄っている。正重はもはや立ち上がる力がないのか、泥に塗れ、必死に彼から離れようとしている。正重の視界が霞んでいるせいか、ぼんやりとした映像でも半蔵が秘宝を振りかぶるのがわかった。

 

「危ない!」

 

 遥は思わず声を出してしまう。半蔵が秘宝を振り下ろすのと同時に、映像がブラックアウトする。雨の音が続いているため、正重が眼を閉じた、ということが分かる。

 

「大丈夫よ。 正重がここで死んでいたら啓介は存在しないわ」

「あ、そうですよね」

 

 感情移入し過ぎていた遥は恥ずかしそうに頬に手を当てた。

 半蔵と小次郎の会話が始まる。どうやら半蔵は正重の生首を手にしているようだ。

 

「これってどういうことなんですか? 正重は生きているのに、どうして半蔵が首を持ってるんでしょう?」

「間違いなく秘宝の力でしょうね。 さっきは見せなかったけど、この庭には別の人物の首があるの。 それを正重の首だと小次郎に思い込ませてるのね。

 草薙剣の洗脳効果が弱いことがわかる一因がこれよ。 エデンの果実と同程度の洗脳効果があるのなら、首を斬るふりをする必要もないわ」

「……それって、半蔵は正重を死なせたくなかったってことですか?」

「おそらく、としか言えないけど、そうだと思うわ。 彼は最後まで自分の胸の内を語らなかったから」

 

 遥は真っ暗なモニターを見つめる。半蔵の話し方を聞いていると、正重よりも彼の方が今の啓介に似た雰囲気がある。なんらかの使命を己の人生の目的とし、感情を徹底的に廃している。

 やがて、半蔵と小次郎の会話が終わり、地面を打つ雨の音も聞こえなくなった。正重が意識を失ったのだろう。

 

「おめでとう、啓介。 シークエンス1のシンクロ率百パーセントを達成したわ」

 

 優子がヘッドマイクのスイッチを入れ、話す。

 

『次に進めてくれ』

「了解」

 

 啓介の声はスピーカーを通して聞こえた。思わず遥はアニムスに寝ているはずの彼を振り返る。眠っているように見えるが、意識は活発に動き、先祖の記憶を追体験しているのだ。

 

「不思議よね。 この場で寝ているはずの啓介と電話で話しているみたいに会話するなんて」

「本当に、不思議な感覚です。 ……おじさんの様子を見てきますね」

「ええ。 今日はもう遅いから、先に寝た方がいいわ」

「はい、おやすみなさい」

「おやすみ」

 

 優子に向かって軽く頭を下げると、遥は足早に寝室へ向かう。

 モニターの中ではシークエンス2が始まり、正重が目を覚ました。

 

 

 

 遥が寝室に入ると、携帯電話で話す南田の後姿が見えた。

 

「ああ、何も問題ない。 順調に進んでいるよ。 ひっひっひっ、早く彼が回復し、元気に暴れ回るところを見たいものだな。 ……そちらも上手くやってくれ」

 

 電話を切って振り返った南田は、遥の姿を見て驚く。優子が体験したものと同じく、遥の気配が感じられないせいで全く気付かなかったのだろう。

 

「おや、掃除は終わったのかい?」

「いえ、まだ少し手をつけただけですけど。 すいません、驚かせてしまって」

「なに構わないよ。 IFを組み合わせたアニムストレーニングが有効だという証明だからな」

 

 南田は嬉しそうに笑う。気配を消して入室してしまったせいで、アサシン教団に関わる会話を聞いてしまったかもしれないのだ。その保護下にあるとは言え、一般人である遥に知られてはならない物事もたくさんあるだろう。

 しかし、彼に怒っている様子は全くない。それを感じて遥は安堵の息を吐いた。もしかして、彼女が聞いても良い内容だったのだろうか。

 

「教団の方と電話していたんですか?」

「ああ、そうだ。 今、アサシン教団は新たにアブスターゴに潜入させる人物の選定をしていてね。 話していたのはその内の一人だ。 皮肉屋だが、なかなか面白い奴だよ。

 日本での作戦の成否によって今後のアサシン教団の動きは大きく変わる。 本部もこちらの進捗が気になるようでな」

「そうなんですか。 私が聞いても良かったんですか?」

 

 ひっひっひっ、と笑う。

 

「構わんよ。 正式にアサシン教団に所属していないとは言え、今は同じ目標に向かって協力する仲間だ。 話せることは話すさ。 もちろん、今回の件が解決した後に無事に暮らせるよう、隠していることもあるがね」

 

 南田は機嫌良さそうに後ろ手に手を振りながら部屋を出て行った。

 一月前と全く変わらぬ南田の様子を見て、遥は思わず微笑んでしまう。アジトの中で以前と変わらぬ日常を感じさせてくれる彼と会話をすると、なんとなく安心できるような気がする。

 遥は桐生のベッドに近よると、手足のマッサージを始める。アニムスとのシンクロが上手く行けば、明日にも桐生の意識が回復し、こうすることもなくなるかもしれない。

 穏やかに微笑み、彼女は眠気を感じるまでマッサージを続けた。

 

 

※   ※   ※

 

 

 服部正重は小太刀を模した木刀を逆手に持ち、丸目長恵と対峙していた。木刀を八双に構える丸目に対し、正重は開いている籠手を装備した左手を前に出し、木刀を持った右手は丸目の視線から隠すように背後に回している。

 籠手で敵の攻撃を受け、密着した状態で視界の外から急所を刺す、反撃の構えだ。アサシンブレードの存在を知らない敵の場合は、反転した構えになる。

 小太刀を前に出し、それで防御と攻撃を行いつつ、隙を見てアサシンブレードで喉を突く。今回は稽古であるため、アサシンブレードは使用していないが、それの存在を知る丸目が相手だからこそ、前者の構えを用いている。

 

「ふんっ!」

 

 木刀を上段に振りかぶり、丸目は強力な一撃を正重の額に向けて振り下ろした。その一振りは速く、重い。彼の実力を見誤っていた正重はそれを寸でのところで籠手で受けるが、小太刀での攻撃につなげられない。後方へ跳ぶと、舌打ちをして左腕に眼をやった。

 籠手を使用しているため、折れているわけではないが、僅かに動かすだけでも鈍い痛みが走り、指先まで痺れている。

 

「余所見している余裕があるのか」

 

 瞬く間に距離を詰めた丸目が横薙ぎに木刀を振るう。はっとして彼に視線を向けた正重は、木刀を前に出してそれを受けた。体を密着させ、震える左腕で自身の木刀ごと丸目の木刀を抱えるようにして捉える。鼻に頭突きを入れようとするが、丸目も同じように頭を突き出し、その威力を相殺した。

 

「やるじゃねぇか。 アサシンブレードがあればこの状態からでも殺せるんだがな」

 

 正重は冷や汗を垂らしながらも、挑発的に笑って見せた。

 

「それがないと分かっているからこその戦い方だ。 真剣ならば、最初の一振りでお主の左腕を切り落としている」

 

 丸目も正重を睨みつけ、低い声で忠告する。

 ふいに正重は右手に持っていた木刀を手離し、丸目の後襟を掴む。そのまま体を反転させて丸目に背を向け、まだ力の入らない左腕を丸目の右脇の下に差し込んだ。逆一本背負いである。丸目はその流れに逆らわず、地面に叩きつけられながらも、木刀を短く持ち直した。

 正重の下敷きになったまま、木刀を彼の喉元に突きつける。

 

「私の勝ちだな」

「いや、俺の勝ちだ」

 

 いつの間に拾っていたのだろうか、投げる直前に地面に落とした木刀を拾っていた正重は、それの切っ先を丸目のこめかみに突きつけていた。

 

「引き分けだな」

 

 柳生家の屋敷の庭に柳生石舟斎の声が響いた。低く落ち着いた声は、屋外でも良く通る。集中力が切れたせいか、夜中ではあるが春らしい暖かな風を感じる。深夜の柳生の里に、道場の方で門弟たちが稽古を受けている声が蘇るように聞こえ始めた。

 正重と丸目の二人は地面に正座して石舟斎の方を向く。

 

「石舟斎殿。 見ておられたのですか」

「ああ、他流派の達人同士の戦いというものは、見ていて実に楽しいな」

「引き分け、とはどういうことでしょうか。 どう見ても俺の勝ちだと思うんですが」

 

 悔しげに正重が言うと、石舟斎は大笑いした。正重はさらにむっとした顔になる。

 

「仮にお前たちの得物が真剣だったとしよう。 あの姿勢からお前は確実に頭蓋を貫けるか? 丸目もまた、刀を短く持ったことによって指を落としていたかもしれん」

 

 俯く正重に対し、丸目は凛として背筋を伸ばしたままである。喉に木刀を突きつけた時こそ自身の勝ちを確信していたが、正重の木刀を見て、引き分けであることに異論はないのだろう。

 

「正重。 お主は負けず嫌いの自惚れ屋だ。 ここに来て一年半経っても、それは変わらんか。 だが、丸目と引き分けられるなら、もう体の方は全快と見て相違ないだろう」

 

 正重は初めて石舟斎と出会った、一年半前のことを思い出す。彼からアサシン教団の使命を聞かされ、柳生の里にて体を休めるよう言われた日のことだ。

 

 

 

 柳生新陰流の門下生が食事の乗せられた膳を運んできた。布団に座ったままの正重は嬉しそうにそれを受け取ると、さっそく箸を取る。椀に山盛りにされた麦飯をかき込むと、山菜の煮物にも箸をつける。日々、稽古に勤しむ者が多い柳生の里であるからか、山菜は塩辛く味付けされていた。

 食事が口に合ったのか、味などどうでもよいのか、正重の箸は止まらない。

 

「石舟斎殿。 本当によろしいのですか? 病み上がりの者があのような食事をして」

(かゆ)じゃ腹が膨れんとあいつが言ったのだ。 ああいう若造は一度痛い目を見んとわからんだろう」

「しかし、腹に穴が開いておりました。 医者の話では胃の腑にも傷があるはずだと――」

 

 心配した様子の丸目と違い、石舟斎はにやにやと笑い、馬鹿な子供を見る目で正重が食事をする様子を眺めている。

 

「問題ない! 柳生の里じゃどうか知らんが、忍はいつ何時でも戦えるよう食える時に食っておくものだ。 ま、俺らのように幼い頃から鍛えられている者と比べられてもうぼぇあ!」

 

 話している途中で唐突に正重は麦飯を吐き出した。少量ではあるが、赤いものも混じっている。

 

「おい! 正重殿! やはり無理だったではないか!」

 

 丸目は慌てて部屋を飛び出して行った。恐らく、医者を呼びに行ったのだろう。

 自分の屋敷で粗相をされたことを気にもしていないのか、石舟斎は鷹揚に笑っている。だが、決して正重を介抱しようとはしない。

 室内にはしばらく正重の呻き声と石舟斎の笑い声が響いていた。

 

 

 

 苦い薬湯を飲まされ、新しい布団に寝かされた正重の枕元には、石舟斎だけが座っていた。

 

「お前は面白いな」

「……まだ、何か御用がおありですか?」

 

 ぐったりとした正重は決まりが悪そうに言う。

 

「秘宝についてワシが知っていることを教えてやろうと思ってな」

「秘宝……」

 

 正重の眼が俄かに力を取り戻す。石舟斎は相変わらずうつけ者の孫を見る優しげな老爺の眼だ。

 柳生の里と初代服部半蔵保長の出生地である伊賀は、それほど距離が離れていない。そのため、少なからず両者の交流はあった。伊賀者が秘密主義であるためか、多くを知っているわけではない。しかし「秘宝」と此度の件に関わりがあると思われる「アサシン教団」について僅かながら伝え聞いていた。

 伊賀者は代々、秘宝を守護する使命を担っていた。それがいつの頃からかは不明である。彼らに大陸から渡って来たアサシン教団が接触したのは、七十年近く前のことだそうだ。秘宝の守護を担う伊賀者と友好を深め、彼らを教団に勧誘した。

 彼らは一時期、互いの持つ武術を教授し合っていたらしい。その交流の中心となったのが、伊賀者で唯一大陸の言語を理解していた保長だ。

 保長は隠し刀と訳したが、南蛮人はアサシンブレードと呼ぶらしい。

 彼らの交流は十年ほどで突如として断絶する。原因は不明だが、それと同時期に保長は当時仕えていた室町幕府十二代将軍、足利義晴から離れ、三河の松平清康に仕えている。その頃から保長は服部半蔵と名乗り始めた。

 柳生の者が伊賀を訪れた時、不思議なことに伊賀者はアサシン教団のことを誰も知らなかった。残っていたのはアサシン教団から伝えられた武術と道具、紋章だけだ。彼らに話を聞くと、その紋章の刻まれた装備を身に着ける者は忍の中でも優秀な者、上忍に限られるということであった。

 おそらく、服部半蔵が秘宝を使い、彼らの記憶を改編したのだと思われる。

 

「……俺も疑問に思っておりました。 服部家の家紋とは違う、この紋章を身に着ける意味とは一体なんなのかと。 兄上は俺に何も教えてくれませんでした。 だから、関ヶ原のあの夜。 俺は自分の実力を兄上に見せつけるため、たった一人で敵陣に入り込み、侍大将の首級を獲ったのです」

「若いのぅ。 それで一人前だと認められると思ったか」

 

 布団に仰向けに寝たままの正重は天井を睨んだ。

 

「あの時は、それが最善だと思いました。 一人前だと認められれば、服部家で隠されていることを知ることができる。 ……何より、伊賀者を率いて関ヶ原で戦働きができると」

「ま、半蔵がアサシン教団のことを本当に知っていたのかわからん。 秘宝のことを知っていたのは間違いないがな」

 

 石舟斎は首を傾げて顎を撫でた。彼も半蔵の狙いを理解できていない。徳川家を裏切り、天海に付くことで一体何を得ようとしているのか。

 

「まぁ、その辺りは自分で調べるんだな。 それまでここでゆっくり体を休めると良い。 先ほどのような無茶をすると、何も知らんまま死ぬことになるぞ」

 

 にやりと笑って石舟斎は立ち上がり、襖を開けた。正重は布団の中で小さく頭を下げる。

 

「あぁ、そうだ」

 

 出て行こうとしていた石舟斎が振り返る。

 

「もし、己が半人前であると自覚できているのなら、丸目の仕事を手伝ってみるのも良い。 お前の忍としての技量は上忍に位置するほどのものだ。 こちらとしても、協力してもらえると有難い」

「……考えておきます」

 

 そうは言ったが、正重の居場所は伊賀にも三河にもない。彼は天邪鬼であるが故に、石舟斎の善意の提案を素直に受け入れられないのだ。

 それが分かっているのか、石舟斎は呵々大笑しながら部屋を出て行った。

 

 

 

 そして時は一年半後に戻る。

 腹に大穴が開いた傷跡こそ残っているが、正重はすっかり回復していた。柳生の里で門下生たちに交じって稽古を受けていたせいか、武術は以前にも増して力をつけていた。

 たまたま柳生の里を訪れていた丸目に誘われ、受けた稽古では、彼と互角と言ってもよいほどの実力であった。

 正重、丸目、石舟斎は客間へと場所を移していた。

 

「丸目の働きにより、宮本武蔵の居場所が分かった」

「……はぁ?」

 

 宮本武蔵。 関ヶ原の戦いの折、結樹秀康を暗殺した男だ。 彼は天海の陰謀に巻き込まれた人物だが、その話をするためにわざわざ自分もこの席に同席させられる意味を正重は見いだせない。

 石舟斎はそれを感じ取ったのか、苦笑した。

 

「まぁ、聞け。 正確には宮本武蔵が直前まで居た場所だ。 そうだな? 丸目」

「はい。 女の死体のすぐ傍に、これが残されていました」

 

 丸目は桃色の鈴が鍔に付けられた脇差を見せた。正重はそれが宮本武蔵の物なのだろうと当たりをつける。脇差を見た石舟斎は頷く。

 

「ワシは宮本の人となりを知るために会いに行く。 宮本の正確な居場所を知りたい」

 

 そこで、石舟斎は正重に視線を向けた。

 

「正重、お前に宮本の居場所を探ってほしい」

「俺が、ですか?」

「ああ、お前の『タカの眼』を借りたい」

 

 群衆の中から目的の人物を探し出せる他、残された痕跡から移動先を特定することもできるタカの眼を使えば、確かに宮本武蔵を探し出すのも容易だろう。柳生の里で暮らしている間に、この能力のことを石舟斎と丸目には既に知られている。

 

「わかりました。 承りましょう」

「行き先の見当がついたら丸目を使って連絡をくれ。 ワシもすぐに向かう。 急げよ」

「承知しました」

 

 丸目は畳に手を付き、深々と頭を下げた。彼がついて来ることを知って正重は嫌そうに顔を顰めた。彼は道を無視して木々を伝って移動するつもりだったのだ。丸目が一緒では、その移動手段は使えない。

 

「……集落までは馬を使うぞ」

「しっかりついて来いよ」

 

 二人とも石舟斎に頭を下げた状態で横を向き、睨み合う。

 その様子を彼はやはり楽しそうに眺めていた。

 

 

 

 正重と丸目が集落についたのは昼ごろであった。桜が咲き誇る田園地域であり、田舎ではあるが、それ故の良さがある。月明かりがそれらをうっすらと照らしていて、それもまた風情がある。

 

「宮本武蔵はあそこに住んでいたのか?」

 

 馬に乗り、全身黒尽くめの忍び装束を身に着けた正重が丸目に問う。彼の視線の先には柵に囲まれた平屋建ての家がある。人気はない。

 

「ああ。 女の亡骸は私が埋葬した。 男の方は山賊の手下共に引き渡した」

「男?」

「私が到着した時には既に死んでいた。 おそらく、宮本殿にかけられた賞金を狙っていたのだろう」

「ふぅん」

 

 彼らの事情に興味がないのか、正重は気のない返事をした。馬を降りると、提灯に火を入れ、家の庭に入る。すぐに大きな二つの血だまりに気づいた。

 そのうちの一つの傍に膝を付き、タカの眼を使う。家に近い方の血だまりに残る痕跡から、そちらに女の亡骸があったのだと分かる。もう一つは山賊のものだ。

 女の血痕の傍には刀が突き立てられた跡。その深さと大きさは、丸目が持っている脇差と一致する。そこから外に向かって点々と血痕が続いている。

 

「宮本武蔵は怪我をしているのか?」

「さぁ、私にはわからん」

 

 点々と続く血痕に沿って足を引きずるような跡がある。右足だ。

 それらの情報を統合し、タカの眼に反映する。

 小刀を投げられ、右太腿を負傷する宮本武蔵。彼を斬ろうとする山賊。その山賊を阻止しようとしたのか、脇差で背中を斬りつける若い女。山賊は彼女から脇差を奪い、腹を刺す。這って女の元へ向かい、抱きかかえる武蔵。彼は女の腹から脇差を抜くと、それを地面に突き刺し、足を引きずって道へ出る。右へ曲がり、山道へ入って行った。

 

「宮本の行き先はここを北へ進んだところだ。 足を怪我しているから、歩みは遅いだろう」

「確かか?」

「間違いない」

 

 あまりにも早く武蔵の行き先を突き止めた正重を丸目は訝しげに見る。だが、彼は自信満々に断言した。

 丸目もよく眼をこらしてみると、地面には微かに血痕が残っている。自身が注意深く観察しなければ気づかない痕跡を、僅かな時間で見つけ出すタカの眼の能力に驚愕する。

 

「この道の先なら、しばらく一本道だ。 途中で道を逸れない限り、石舟斎殿が会うのも難しくないだろう」

「なら、早く報告に行ってくれ。 俺は宮本の後を追う。 奴の死体を見つけたり、不可解な動きの痕跡を見つけたら報告する」

「頼む」

 

 正重は提灯を丸目に押し付けると、馬に乗らずに駆けだした。タカの眼の使用には集中力を必要とする。馬の操作に気を取られていては能力を行使することができない。

 彼は手近な木を駆け上ると、枝を伝って山道に入って行った。月明かりしかない闇の中でも迷いのない彼の動きは、猿のように滑らかであった。

 残された丸目は石舟斎へ報告に行く前に、庭の一角へ近づいた。そこには、丸目が埋葬した女の亡骸が眠っている。不自然に盛り上がった小山の傍で膝をつくと、手を合わせて女の冥福を祈る。

 宮本武蔵と真島五六八だけではない。彼女もまた、自分の選択により、人生を狂わせられた者なのだ。


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