鷹が如く   作:天狗

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6.信じる心

 神室町における夕方は、徐々に人が増えてくる時間帯だ。これから出勤する者が多く、遊びに来る大半の者たちはそれらの人に金を落としにやってくる。日が沈めば、神室町は欲に支配される。それぞれが自己中心的になるせいか、そこかしこでトラブルが起こり、けが人も絶えない。

 そんな街の欲に塗れた時間だからこそ、群衆に紛れて活動するアサシンにとって、これほど行動しやすい場所はない。

 

「緊張するな。 トレーニング通りにやれば何の問題もない」

 

 行き交う人で溢れている中道通りを南に向かって、澤村遥と鷹村啓介の二人は並んで歩いていた。

 

「わ、わかってます」

 

 啓介のアドバイスを理解してはいるものの、固く拳を握っている遥は緊張を隠しきれていない。やはり仮想空間とは違い、現実の人間を相手にしていると、どうしても意識してしまう。

 彼女は胸元に提げられたネックレス――出発前に啓介から渡された秘宝「八咫鏡(やたのかがみ)」に手を当てた。己の姿がデジタル製品に認識されなくなる、という効果がある。

 

「本当にこれ着けて意味あるんですか?」

「当たり前だ。 確かに監視カメラはうちが抑えているが、一般市民が持ち歩く携帯電話によってテンプル騎士団に盗撮や盗聴される可能性があるからな」

「携帯電話でそんなことができるんですね。 私が持ってて大丈夫なんですか?」

「ああ。 俺は顔が割れてないからな」

 

 彼との会話で、遥は徐々に落ち着きを取り戻していった。 機械的な返答しかしないとは言え、こちらの事情を知っている者が傍にいる、というのは頼りになる。

 少しの間沈黙し、トレーニングに沿って街を歩く。彼女は元々、街中で普通に行動しても一般の人に気づかれることは少なかった。それでも今のように群衆に紛れて歩いていて自分の顔に注がれる視線が全くない、ということはなかった。以前の自分は人の視線に対してどれほど鈍感だったのだろうか、とアイドルとしての自覚が足りなかったことを思い知らされる。

 ふと、左の歩道沿いに「クラブセガ」があるのに気付く。落ち着いて周囲を見れば、どこの店も桐生と行った店ばかりだ。プロント、喫茶アルプス、スマイルバーガー。彼女も桐生も大食いであるためか、飲食店ばかりなのが少し恥ずかしい。

 中でも、劇場前と中道通りにあるクラブセガでは、桐生とよく遊んだ。ふいにそのことを思い出し、悲しみと同時に「必ず彼を助ける」という闘志が湧き上がる。

 

「ゲームセンターに行きたいのか?」

 

 はっきりと視線を向けていたわけではないが、啓介には気づかれたようだ。

 

「あ、いや、別に――」

「吉川から話は聞いている」

「吉川さんから……? なんて言ってたんですか?」

 

 遥はそこで吉川優子に頼まれていたことを思い出した。「啓介を人間にして欲しい」という頼みだ。

 

「過度にストレスを受ける環境におかれている為、お前の先祖とのシンクロ率に影響を与える可能性がある。 そのため、適度にストレスを発散させろ、と」

 

 つまり、アサシン教団の目的のために、ある程度のガス抜きを啓介は命じられたわけだ。お互いの目的は真逆だが、そのためにやることは同じだ。優子は遥が活動しやすいよう、啓介にそう頼んだのだろう。ならば、彼女がその話に乗らないわけにはいかない。

 

「それは嬉しいですけど……いいんですか?」

「ついて来い」

 

 啓介は少し足を速めると、クラブセガの角を曲がって中道通り裏へ入って行った。遥もそれについて行く。

 中道通り裏は人通りが少ない。特に、クラブセガの真裏に当たる路地裏はそうだ。啓介はそこで携帯電話を取り出し、どこかへ電話をかけた。

 

「俺だ。 東城会の監視下にない神室町の店舗を知りたい。 ……ああ、感謝する」

 

 啓介が電話を切ると、すぐにメールを受信した。通知音やバイブレーションは鳴らないように設定している。

 

「このゲームセンターは問題ないようだ」

 

 クラブセガの裏口に向かって先に歩き出す啓介に遥は慌てて声をかける。

 

「ここ、裏口ですよ」

「スタッフに見つからなければいいだけだ」

 

 啓介は己の能力に自信があるのか、遥の心配など全く気にかけていない。彼は躊躇なくドアを開けると、店内に入って行った。

 

 

 

 遥の心配の甲斐もなく、誰の目に留まることもなく彼らはプレイコーナーまで到達した。店内には様々なゲームが設置されており、最近は懐かしいゲームが流行っているのか、初期のバーチャファイターもある。

 アサシン教団に拉致された自分の今の立場で、まさかゲームセンターに来られるとは夢にも思わなかった。そのギャップのせいか、遥はしばし呆然と店内を眺める。

 

「ゲームセンターでゲームをしないのは普通のことか?」

 

 啓介が遥に問う。滅多に出ない彼からの質問に、彼女は現実に引き戻された。啓介は心底不思議そうな様子である。

 

「あ、そうですね。 とりあえず……何しましょうか?」

「お前が決めろ。 俺はゲームなどやったことがない」

 

 本当に若者の遊びについては世間知らずなようだ。彼は気配を消しつつではあるが、興味深げにゲーム機を見渡している。

 

「じゃあ、バーチャファイターやってみます?」

「……あれか」

 

 バーチャファイターが何かわからなかったのであろう、啓介は店内をぐるりと見回すと、「Virtue Fighter」という文字をすぐさま発見し、筐体(きょうたい)へ歩み寄る。

 その様子がゲームをするのに乗り気なように見えて、遥は少々意外に思った。

 

「やらないのか?」

 

 筐体の前に立つ啓介が振り返り、遥に問う。彼女は慌てて近寄り、筐体の椅子に座った。

 

「鷹村さんは向かいの席に座ってください」

 

 彼は遥の言う通り、向かいの席に座る。周囲の人の真似をして、百円玉を筐体に入れた。彼女も同じように硬貨を入れ、対戦を始める。それぞれ操作キャラクターを選択する。遥は女性キャラクターを選択し、啓介は適当に選んでいるのか、カーソルを動かすこともなく決定ボタンを押した。

 このゲームは蒼天堀のクラブセガにも設置してあり、遥は稽古の息抜きでたまに遊んでいた。それに対し、啓介は全くの素人だ。キャラクターの動きを確認しているのか、技を出そうと右往左往している。向かい側に座る啓介の表情を遥から見ることはできない。しかし、キャラクターの不器用な動きが彼の心情を表しているようで、くすりと笑いが漏れた。

 これまで散々脅された仕返しなのだろうか、遥は手加減せず、今まで練習してきた技を繰り出す。結果、第一ラウンドはパーフェクトゲームで遥の勝利に終わり、第二ラウンドに突入する。

 最初から第一ラウンドを捨てるつもりでやっていたようで、ボコボコにされながらも操作の練習をしていたのか、第二ラウンドでは啓介も少しずつ技を出せるようになっていた。それでも周囲のプレーヤーを覗き見て真似た動きなど、経験者には通用しない。やはりこのラウンドも遥の勝利で終わった。

 遥は対戦台の横に顔を出し、にやにやと笑いながら啓介の様子を見る。彼はいつも通り無表情だが、いつもより口の端が下がっているように見える。付き合いの浅い遥でも、啓介が悔しがっているのだろうと読み取れた。

 

「もう一回やります?」

「いや、他のにしよう」

 

 遥の問いに、啓介は憮然として答えた。

 

「じゃあ、次はあれにしましょう!」

 

 徐々に楽しくなってきたのか、遥は元気よく「太鼓の達人」を指さした。啓介はさりげなく周囲の様子を伺うと、二人に注意を払っている者がいないのを確認する。彼女は確かに軽い興奮状態であるが、群衆に紛れられるよう、きちんと気配を消しているようだ。

 

「ああ」

 

 先導する遥についていき、啓介は二本のバチをとった。彼女が硬貨を入れ、曲を選択する。啓介は全く知らない曲であるが、一昔前に流行したアニメの主題歌だ。

 遥は難易度を「むずかしい」に合わせ、太鼓を叩く。ここで啓介は眉に皺を寄せた。彼女は彼がゲームなどしたことがない、というのを知っている。にも関わらず、高い難易度を選択するのは嫌がらせなのか、自己中心的なのか。そもそも、啓介はゲームをやりたくてやっているわけではない。ただ男女でゲームセンターに来て、片方は見ているだけ、という状況が目立ってしまうだろうと考えて遥に付き合っているのだ。

 ゲームが始まり、遥は楽しそうに太鼓を叩く。初めてプレイする啓介だったが、格闘ゲームよりはやりやすいらしく、順調に点数を伸ばしていた。途中、遥が「連打ー!」と声を上げていたのも参考になる。ゲームの結果は、得点で遥に及ばないものの、無事にクリアできた。

 

「もういいか?」

 

 二度目のプレイが終わり、啓介は遥に問う。

 

「あ、あとあれだけ……」

 

 遥が指さしたのはUFOキャッチャーだ。中には様々な人形が入っている。啓介が頷くと、彼女は嬉しそうに歩いて行った。

 さっそく硬貨を入れ、アームを動かす。遥が狙っているのは「ジャンボブンちゃん」という人形だ。アームは人形を掴むが、少し浮いただけで落ちてしまう。彼女はあからさまに落胆し、二度三度とプレイするが、取ることができない。

 

「あぁ……」

 

 遥の口からため息が零れる。啓介は彼女の肩を軽く押してどけると、硬貨を入れた。

 

「鷹村さんもやるんですか?」

 

 彼女は意外に思ったのか、啓介に問う。

 

「ああ、そうじゃないと不自然だからな」

 

 周囲のカップルを見れば、プレイしているのはほとんど男性で、女性はそれを横で見ている人たちが多い。遥は納得するのと同時に、少し恥ずかしくなった。思えば、一緒にゲームセンターで遊んだ異性は桐生を除けば啓介が初めてだ。

 群衆に紛れなければならない今の都合上、カップルとして振る舞うことに否やはないが、デートの経験がない遥には少し難易度が高い。

 啓介は迷いなくアームを動かし、ジャンボブンちゃんを狙う。大きな人形は僅かずつだがゴールに近づいていた。そして最後のチャンスである三度目。啓介が操作したアームは過たず人形の胴体を挟み、安定して持ち上げる。

 

「もう少し!」

 

 遥は先ほどまで恥ずかしがっていたのを忘れて、両手を胸の前で組む。

 人形はゴールの上部まで来ると、アームから離れ、取り出し口へと落ちて行った。

 

「やった! 鷹村さん、すごい!」

 

 人形を取り出し、遥は無邪気に喜ぶ。人形を啓介に渡そうとすると、手を振って断られ、胸に抱くようにかかえた。

 

「俺がお前にゲームで勝てたのはこれだけだったな」

 

 少々気分が高ぶっていたのか、啓介は珍しく遥に雑談を振った。

 

「お前じゃない」

 

 しかし、遥はその話題に乗らず、啓介を見つめて言う。

 

「私は遥。 お前じゃない」

 

 名前で呼べ、ということなのだろう。遥の意図を察した啓介はため息をつく。

 

「行くぞ」

 

 遥に背を向け、啓介は客用出入り口から出て行く。彼女は少し寂しそうに眉を下げると、彼の後を追った。

 

 

※   ※   ※

 

 

 喫茶アルプス店内。夕食前の時間帯のせいか、店内は比較的空いていた。奥のテーブルに座り、男性向けファッション誌を広げて読んでいるのは、秋山駿だ。彼はある人物との待ち合わせにこの店を利用していた。煙草を灰皿に押し付け、腕時計を見る。そろそろ来る時間だ。

 出入り口のドアが開いたことを示す、ベルが鳴る。秋山がそちらへ眼を向けると、スーツの上に青いジャケットを着た青年、谷村正義が入店した。

 

「谷村くん、こっちだよ」

 

 秋山が軽く声をかけると、きょろきょろと店内を見回していた谷村は彼を発見し、歩み寄る。

 

「お久しぶりです、秋山さん」

「ホント、久しぶりだね。 伊達さんとは上手くやってる?」

「あの人、滅茶苦茶ですよ。 命令は聞かないし、時間は守らないし」

 

 谷村は心底うんざりしたように話しているが、そこに嫌悪の感情はない。

 

「ふ、君も似たようなものだと思うけど」

「上が頼りないと部下がしっかりするって本当ですね」

「『神室町のダニ』と呼ばれてた君から、上司の愚痴を聞ける日が来るなんてね」

「やめてくださいよ。 少なくとも、伊達さんぐらいの年になったらさすがに落ち着いてますって」

 

 二人は顔を見合わせて笑った。

 

「ところで、例の話だけど」

 

 秋山が本題を切り出すと、谷村は胸ポケットから煙草を取り出し、火をつけた。

 

「……秋山さん、この件、ちょっと臭いますよ」

「どういうこと?」

「まず、昨日の午後四時過ぎ。 確かに東都大病院の近隣住民から百十番通報が二件ありました。 でも付近の交番の駐在に出動命令が出ていません」

「つまり?」

 

 秋山も煙草に火を点け、先を促した。

 

「何者かが止めたってことです。 駐在の巡査は何も聞いていませんでした。 俺も疑問に思って東都大病院まで行ってみましたが、通報のあった時刻に勤務していた医者や看護師は揃って休み。 勤務中のスタッフの話は噂の域を出ませんでした」

「病院ぐるみで何か隠している、と。 入院患者は?」

「ええ。 聞いてみると、昨日の夕方ごろ、爆竹を鳴らしたやつがいたそうです」

「爆竹?」

 

 谷村は煙草を揉み消す。

 

「通報を受けた刑事、と名乗る男が説明して回っていたそうです」

「偽物か」

「十中八九そうでしょう。 なにせ、交番に出動命令が出ていないんですからね」

 

 秋山も煙草を揉み消すと、既に冷めているコーヒーを啜る。

 

「で、問題の桐生さんの病室にも行ってみたんですが……」

 

 苦虫を噛み潰したような谷村の表情を見て、秋山はカップを置く。

 

「業者が壁紙の張り替えをしてる最中でしたよ。 もちろん桐生さんの姿はなし」

「なるほどねぇ。 となると、爆竹じゃなくて銃声だったってとこかな」

「警察と病院、それと――」

 

 谷村が窓の外に眼を向ける。中道通りは既に暗くなっているが、街灯が歩く人々を照らしている。雪が降り出したのか、街灯に照らされてきらきらと光を反射している。一般人の中に明らかに堅気ではない者たちがいる。神室町で極道者の姿を見ることは珍しいことではないが、今日は普段よりも明らかに多い。

 

「ヤクザが多い。 東城会も絡んでますね」

「はぁ……」

 

 秋山は深くため息を吐くと、残ったコーヒーを一気にあおった。

 

「あの二人は、今度は何に巻き込まれたんだ」

 

 沈黙した秋山と谷村は、窓の外を北に向かって歩く少女と青年の二人組に気づかなかった。もちろん、彼ら二人だけではない。彼らを探して歩いている極道者も、彼らが群衆に紛れている限り、発見することはできないだろう。

 

「……さて、それじゃあ俺は警察と東城会を中心に調べてみようと思います。 伊達さんにも連絡しておきます」

「そうだね。 伊達さんも遥ちゃんのことは気にしてたから、遅かれ早かれ気づくことになるだろう。 俺は壁紙を張り替えてたっていう業者を調べてみるよ。 弾痕を隠していたのなら、その業者も何か知っているはずだからね」

 

 二人は席を立つと、店外で別れる。秋山は煙草に火をつけ、自身の経営する会社「スカイファイナンス」へ向かって歩く。

 中道通りを西に曲がり、第三公園の前を通る。そこで呻き声が聞こえた。

 第三公園はビルに挟まれた小さな公園で、ガラの悪い若者がたむろしていることが多い。秋山がそちらへ視線を向けると、三人の男が倒れていた。いずれもスーツ姿で、胸に見覚えのあるピンを付けている。東城会のものだ。

 桐生たちについて何か情報を得られるかもしれない、と考え、彼らの方へ近づくと、秋山はしゃがみこんだ。

 

「もしもーし、こんなとこで寝てたら風邪引いちゃいますよ」

 

 男たちから返事はない。呻き声をあげているのは一人だけで、他二人は完全に気を失っているようだ。よく見ると、意識のある男は両耳から血が出ており、鼻が折られているせいか、口元は血に塗れている。鼓膜を破られているようだ。気を失っている男たちに視線を向けると、一人は足を折られ、もう一人は下顎を砕かれている。

 彼らを倒した相手は、随分と容赦のない者だったようだ。

 これでは話を聞くのに時間がかかるだろう。時間をかければ、そのうち彼らの仲間や警官が現れる。喧嘩自慢が集まる神室町で極道者やチンピラが伸されていることはよくあることだ。面倒事に巻き込まれる前に情報を得られる可能性は低い、と判断した秋山はその場を離れることにした。

 

 

※   ※   ※

 

 

 遥と啓介の二人はクラブセガを出た後、ドンキホーテで足りなかった調理器具を購入し、食材を見て回った。ある程度揃え、店外へ出る。二人は片手に一つずつ、黄色いビニール袋を提げている。

 

「あ、雪だ」

 

 頬に当たる冷たい感触に気づき、遥は空を見上げた。街灯に照らされて舞い散る雪が輝いている。雪を見ると、どうしても一か月前の光景が脳裏をよぎる。全身傷だらけで、腹部から出血した桐生が路上に倒れている場面だ。

 あの時話したように、確かに今、一緒にいられているが、桐生の意識だけは遠くへ行ってしまって未だに帰ってこない。

 

「おい」

 

 歩みが鈍っていた遥を啓介が急かした。彼は中道通りを北上し、天下一通りへと向かう路地で曲がろうとしている。監視カメラをテンプル騎士団に抑えられた場合に備え、複数の移動経路を利用して拠点を容易に辿られないようにするためだ。

 

「あ、ごめんなさい」

 

 慌てて彼を追う。路地を曲がり、第三公園の前を通った時、女性の助けを求める声が聞こえた。

 

「やめてください! 何言ってるんですか!」

「いやぁ、俺らが探してる奴とあんたの格好がぴったり一致してるんだよ。 ちょっと話聞かせてくれねぇか」

 

 女性は居酒屋の呼び込みをしていたのか、白いベンチコートを着ている。彼女に絡んでいるのはスーツを着た強面の三人組。パンチパーマの男、巨漢、やせ細った男。東城会だ。

 

「だいたい、白い服の人なんていっぱいいるでしょ! 警察呼びますよ!」

「おお、怖い怖い。 俺らはただ話を聞きたいってだけなのによ」

「むしろ警察の代わりに捜査してんだよ。 どっかの鉄砲玉がうちの組に喧嘩売ってるらしくてさ。 おかげで下っ端は大変よ。この神室町で二人も探さなきゃいけないんだから」

「白い服の鉄砲玉と、可愛い女の子。 あ、君、両方とも当てはまってるね」

 

 彼らは啓介と遥を探しているらしい。だが、真面目にやるつもりはないようだ。仕事にかこつけて威圧的にナンパをしているようにしかみえない。彼らは一様に下卑た表情を浮かべているからだ。

 遥はその様子を見て、足が止まってしまった。自分たちの件がなくとも、彼らは凶行に走っていただろう。しかし、そのきっかけに自分のことを利用されているのを知ってしまうと、責任を感じてしまう。男たちは今にも女性を連れ去ってしまいそうだ。

 彼女が意を決して第三公園の方へ行こうとすると、啓介に肩を掴まれた。

 

「何をするつもりだ」

「あの人たちを止めるんです」

「今の自分の状況を理解していないのか?」

「わかっています。 でも放っておけません」

 

 第三公園の様子を覗き込む野次馬は徐々に増えている。だが、彼らの中に女性を助けようと動く者の姿はない。誰かが彼女を助けなければ、神室町で不幸になる人が一人増えてしまうのだ。

 

「いや、わかっていない。 お前がここで目立つ行動をとれば、俺たちは終わりだ。 今のアサシン教団に戦える人間は俺しかいない。 数の差で押しつぶされるぞ」

「……アサシン教団の人には申し訳ないと思います。 でも、おじさんだったら、ここであの人を助けないはずがありません」

「それで桐生が殺されてもかまわないんだな」

 

 遥にとって桐生の生命は強力な切り札だ。啓介はそう考え、彼女の行動を縛ろうとするが、効果はなかった。遥は意思の強さを感じるその大きな瞳を、真っ直ぐ啓介に向ける。

 

「それでも、私はあの人を助けます」

 

 しばし睨み合い、言葉での説得を諦めた啓介は遥の肩から手を離す。納得してくれたのか、と彼女が礼を言おうとすると、彼は遥の手を取り、第三公園の反対側にある空き地に引き込んだ。抵抗する間もない力強さであった。

 

「離してください!」

 

 ビルに囲まれた僅かな広さの空き地は、人気が全くない。第三公園の騒ぎのおかげか、遥の声は誰に聞き咎められることもなかった。

 啓介は先ほど買ったばかりの食材を地面に放ると、遥をビルの壁に押し付けた。はずみで、彼女もビニール袋を落としてしまう。

 

「お前が俺たちの邪魔になるのなら、俺はここでお前を殺す」

 

 啓介は手首を返すと、袖口から刃を出した。アサシンブレードだ。

 

「流入現象で桐生の人格が崩壊してもかまわない。 廃人になった桐生をアニムスに縛り付け、秘宝の場所を特定できればあいつも用済みだ」

 

 アサシンブレードを遥の首筋に当てる。その感触は、頬に当たる雪よりもずっと冷たい。

 

「……あなたは、弱い人なんですね」

 

 遥は死の恐怖に屈することなく、なお強い意志を込めて啓介の瞳を見る。彼女の言葉には、どこか憐憫の情が籠っていた。

 

「何?」

「私の知る強い人たちは、決して人を殺そうとしませんでした。 殺せば目の前の壁は一つなくなるかもしれません。 でも、そうしませんでした」

 

 啓介は眉間に皺を寄せ、困惑の表情を浮かべる。彼が見せる、初めての種類の感情だ。

 

「何が言いたい」

「おじさんは、自分を殺そうとした人も、信じました。 その人も後になって人を信じる心を知りました。 ここで私を殺してもかまいません。 でも、そうすればあなたたちは絶対に目的を達成することはできない」

「お前に何がわかる」

「わかります。 私の知る強い人たちは、みんな信じる心を持っていました」

「黙れ」

 

 啓介は遥の首に刃を喰い込ませる。血が一筋流れた。

 

「そして、人を信じる心をもった人たちだけが、夢を叶えられるんです」

「黙れ!」

 

 叫ぶ。誰に対しても心を閉ざし、任務を遂行する機械として育てられた男の顔が歪む。その声に込められた感情は怒りか、それとも恐怖か。

 

「目の前で苦しんでいる人に手を差し伸べられなくなった時に、私は死ぬの。 絶対にあなたには殺されない」

 

 彼女に迷いは全くない。刃を首に当てられ、白いパーカーの襟が血で赤く染まろうとも、遥の意思はまっすぐに突き立ち、折れない。

 啓介は舌打ちをすると、彼女から手を離した。

 

「ここで大人しくしていろ。 絶対に動くな」

 

 パーカーのフードをかぶるとすぐに背を向け、第三公園に向かって歩き出す。啓介の意図を察した遥は、深々と頭を下げた。

 

「ありがとう……」

 

 

 

 白いベンチコートを着た女性は、腕を振り上げると、パンチパーマの男の頬を張った。パン、という高い音が公園に響く。

 

「てめぇ……やっちゃったなぁ。 おい!」

 

 男は拳を振り上げる。その動作に一般人の、それも女性に対する手加減など微塵も込められていない。

 だが、男の腕が振り下ろされることはなかった。気配もなく、男の手首を掴んだのは黒いパーカーのフードで顔を隠している男、啓介だ。

 

「あぁ? 何のつもりだてめぇ」

 

 啓介は答えず、男の手を逆に捻ると、鼻に頭突きを入れる。

 

「兄貴!」

 

 他二人の男が騒ぎ出す。巨漢は傍に会った角材を拾い、背後から啓介を殴打しようと振りかぶった。啓介は振り下ろされた角材をアサシンブレードが仕込まれている右腕の内側で受けると、巨漢の膝に蹴りを入れた。彼の膝は通常とは逆側に曲がり、一目で骨折していることがわかる。

 

「ぎゃああ!」

 

 巨漢が膝を押さえて転がり回る。やせ細った男が内ポケットからバタフライナイフを取り出し、刃を出して構えた。

 

「やっちまえ!」

 

 パンチパーマの男が血液の吹き出す鼻を押さえながら命令し、立ち上がる。

 やせ細った男は腰だめにナイフを構え、啓介に体当たりするように駆けた。啓介は男の顎を蹴り上げると、ナイフを持つ右手を捻りあげ、投げる。地面に叩きつけた拍子にゴキリと音が鳴り、男の腕を折った。最初の蹴りで既に意識を失っていたのか、男は悲鳴ひとつ上げない。

 振り返りざまにパンチパーマの男の両耳を掌で叩く。その一撃は三半規管に影響を与え、男の足がふらついた。啓介は男の股間を蹴り上げると、さらにもう一度振り返り、倒れている巨漢の腹を踏みつける。

 あっという間に男三人が地に伏せられた。痩せ細った男と巨漢は意識を失い、パンチパーマの男はただ呻き声を上げ続けている。

 その容赦の無い光景に、助けられた女性は礼を言うことも忘れてしまった。集まった野次馬も沈黙している。

 啓介はパーカーのポケットに手を突っ込むと、爆竹を取り出す。指を擦り合わせることで導火線に火を点け、野次馬に向かって投げた。

 野次馬の足元で炸裂する爆竹に、その場にいる全員の意識が向けられ、悲鳴が上がる。

 一体なんのつもりなのか、と女性は先ほど啓介がいた場所に視線を向けると、彼の姿は既に影も形もなくなっていた。

 

 

 

 傍のビルの窓枠に手をかけ、啓介はものの数秒で屋上まで登る。彼の狙い通り、野次馬たちは啓介の姿を見失ったようだ。彼は助走をつけてビルの手すりに足をかけ、跳ぶ。天下一通り裏の路地を挟んだ隣のビルは五メートルほどの幅があるが、啓介はためらいもなく跳び、見事に着地した。

 流れるような動作でビルの壁面に手をかけ、落下。窓枠から雨樋に跳び、それを伝って地面に降りる。

 その様子をハラハラと見守っていた遥は、彼が無事に降りられたことに安堵し、ため息をついた。

 

「行くぞ」

 

 ドンキホーテのビニール袋を拾い、彼が向かったのはビルの裏口だ。鍵がかかっていたのか、ポケットからピッキング道具を取り出し、開錠する。天下一通り裏に出ずにこの場から離れるためには、ビル内を通過するしかない。

 

「ありがとう」

 

 遥は泥棒のような真似をする彼に礼を言った。

 

「お前のためじゃない」

「それでも、ありがとう。 それと、ごめんなさい」

 

 ものの数秒で鍵が開き、ドアが開く。

 

「……俺は、俺の、アサシン教団のやり方を間違っているとは思わない」

 

 彼の絞り出すような声を聴き、遥は胸に手を当てた。

 

「だが、お前の言葉を無視するのも違うのだと思った」

 

 啓介はフードを外して振り返り、遥を見た。

 

「遥、お前は俺たちを信じられるか?」

 

 初めて彼が、遥の名を呼んだ。彼女は笑顔を浮かべると、嬉しそうに頷く。

 

「信じるよ。 だから鷹村さんも、私を信じて欲しい」

「啓介だ」

「え?」

 

 啓介は遥の願いに答えず、己の名を名乗った。

 

「お前が俺に遥と呼べ、と言ったんだ。俺だけ鷹村さんでは不自然だろう」

 

 彼の顔は無表情だ。群衆に紛れるためだけの呼び方の変更ではないと、信じたい。

 

「うん、啓介」

 

 遥が自身の名を呼ぶのを聞くと、啓介は先にビルの中へ入って行った。


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