鷹が如く   作:天狗

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4.シークエンス0

 翌朝、目を覚ました遥は体を起こした。同じベッドの優子は、まだ眠っており、遥が起き上がった事で僅かに身動ぎした。床の寝袋で寝ていた南田はいびきをかいている。啓介はソファで眠っている。こうして眠っているところを見ると、普通の青年と何の変わりもない。地下であるため、日の光は差さないが、壁掛け時計には午前六時を回っている。

 桐生はいつも通り、穏やかに眠っている。定期的な心電図の音にも異常は見られない。遥は昨夜、正しい点滴の交換方法を教えてもらった。新しい物に点滴を取り換えると時計を見ながら点滴の出る速度を調整する。

 

「おはよう、おじさん」

 

 声をかけ、桐生の手足をマッサージする。冷えた指先が暖まるのを感じると、桐生が生きているのを実感し、安心できた。

 遥はテーブルの上のコンビニ袋に視線を向ける。昨夜と同じく、朝食もコンビニ弁当で済ませるつもりなのだろうか、と予想した。寝ている面々を起こさないよう、室内を物色し、サングラスとキャップ、マスクを見つけた。持ってきている財布にそれほど金額は入っていないが、キャッシュカードがある。それらを身に着け、そっとドアを開ける。

 足音を殺して鉄扉に近づいた時、背後から声をかけられた。

 

「どこへ行くつもりだ」

 

 驚いて振り返ると、眠っていたはずの啓介が立っていた。遥は驚きのあまり、声も出せない。

 

「質問に答えろ」

「あ……朝ごはんを、作ろうと……。 コンビニ弁当ばっかりじゃ、体に悪いから。 コンビニでも食材は売ってるし、ドンキホーテに行けばガスコンロとお鍋は買えるから!」

 

 説得しようとしているのか、遥はだんだんと早口になり、声も大きくなる。答えを聞いた啓介は顎に手を当て、思案する。

 

「金は?」

「現金は少ないけど、キャッシュカードがあるから」

「駄目だな。 キャッシュカードの利用記録から居場所がバレる。 神室町中にある監視カメラにお前のその姿が映れば、素顔を隠しているお前の正体に感づく者も現れるだろう」

 

 理路整然とした啓介の反論に、遥はぐうの音も出ない。寝室のドアを開く音がした。欠伸をしながら、優子が現れる。

 

「何を揉めてるの?」

「あ、吉川さん……」

「朝食の材料を買いに行こうとしていたようだ」

「あら、澤村さん、料理できるの?」

「はい、人並み程度ですけど……沖縄では子供たちの分も作ってたし」

「なるほど、それは非常に魅力的ね。 ここにいる人員は誰一人欠けるわけにはいかないから、健康には気を付けたいわ。でも、今まで料理ができる人がいなかったから」

 

 遥は首を傾げる。啓介と南田はともかく、優子まで料理ができないとは思わなかった。調理器具がないのは仕事が忙しいからなのだと、勝手に予想していたが、外れていたようだ。

 

「それじゃあ、啓介に買って来てもらいましょう。 必要な物をメモしてもらえれば、大丈夫よね?」

 

 啓介に向かって問うと、彼は頷いた。

 

「なら決まりね。 手作りのご飯なんて本当に久しぶり。 楽しみだわ」

 

 本当に楽しそうに優子は話す。

 

「あ、ちょっと待ってください。 どうして鷹村さんは出歩いて大丈夫なんですか?」

「昨日話した秘宝のことはおぼえてるでしょ? それと、アサシン独自の技術によるものね」

「技術?」

「ええ。 群衆に紛れて身を隠す技術よ」

「へぇ、そんな事が……」

 

 遥は啓介を見る。確かに、彼は驚くほど気配が少ない。先ほども背後に立たれていたことに声をかけられるまで全く気付けなかった。

 

「あの、それって私が身につけることはできますか?」

 

 遥の提案に優子は驚いて目を見開く。

 

「あなたが……」

 

 優子が啓介に視線を向けると、彼は話し出した。

 

「……IF8のデータを見た限りだが、身体能力は悪くない。 パルクールまで習得するのは時間がかかるだろうが、群衆に身を隠す程度であればIFと組み合わせたアニムストレーニングで訓練を受ければ、短期間で習得できる可能性はある」

 

 桐生や秋山など、彼女が世話になった者たちと比べれば当然劣るが、彼女の身体能力もまた、一般のレベルを超えている。ダンスで培った体力やリズム感、高い運動神経にも恵まれている。

 

「そう、なら、気配を消す術を身につければ彼女も外に出られるわね」

「駄目だ。 予期せぬ危険に晒される可能性があるだけでなく、逃亡される可能性も高い。 何より、俺たちにメリットがない」

「メリットならあるわ。 アニムスに接続してもらう以上、被験者の精神的な安定は必要不可欠よ。 それに、料理を作ってもらうのなら、献立を考える彼女自身に食材を選んでもらうのが一番じゃない?」

 

 優子の話を聞いて、遥は嬉しそうに眼を輝かせ、うんうんと頷いている。

 そもそも、彼女に逃亡する気は毛頭ない。桐生の生殺与奪は、アサシン教団に握られていると言っても過言ではないのだ。

 

「澤村さんも逃げるつもりはないみたいだし……それと、危険の察知に関しては、あなたが一緒にいれば問題ないでしょ?」

 

 啓介は珍しく渋面を作ったように見える。それがほんの一瞬のことだとはいえ、彼の感情が漏れる瞬間を遥は初めて見た。

 

「わかった。 だが、でかけるのは技術の習得ができれば、だ。 お前に才能がなければ、大人しくここにいるんだな」

「はい!」

 

 遥にはどうしても外に出たい理由があった。もちろん、ずっと地下にいては息がつまる、という理由もあるのだが、彼女には連絡を取りたい人物がいた。今でこそ状況は落ち着いているが、いざという時のために遥個人として外部に協力者が欲しい。そのためには、連絡手段のない地下室を出る必要があった。

 

「それじゃあ、今朝はまだコンビニ弁当の残りもあるし、啓介にはとりあえず調理器具を買って来てもらおうかしら」

「そうですね。えっと、お鍋とフライパンとまな板と包丁と……お砂糖お塩お酢お醤油、胡椒、みりん――」

「待て。 やはりお前には、一刻も早くアニムストレーニングを受けてもらう」

 

 遥の買い物リストを途中まで聞いてから、啓介は止めた。その様子は、少し慌てているように見える。

 

「あら、急に乗り気になったわね」

「合理的な理由を説明されれば無闇に反対などしない」

 

 遥と優子は顔を見合わせて微笑む。遥はようやく啓介の人間らしい部分を垣間見れたことから、優子は、それを引き出した遥への感謝の気持ちからである。

 

「――だが、俺は決してお前から眼を離しはしない。 勝手な行動は慎むことだ」

 

 空気が緩んだのはほんの一瞬だけ。即座に緊迫した空気に、遥は現状を理解させられた。自分は今、アサシンの監視下にあるのだと。

 

 

 

 ひっひっひっ、と不気味に笑いながら、上機嫌な南田はアニムスの調整をしている。二台のアニムスに遥と啓介が寝かされていた。緊張を隠せない様子の遥かだが、啓介は慣れており、眼を閉じてアニムスが起動するのを待っている。

 

「昨夜説明した通り、まずは君の先祖と桐生くんの先祖、二人の共通するシークエンスを探す。 それと並行して啓介くんをアニムスにシンクロさせ、君にアサシンのスキルの一つを習得する訓練を行う」

「はい」

 

 緊張しているのか、遥はじっとりと湿った掌をジャージで拭った。

 

「ひっひっひっ。 では、眼を閉じてリラックスしてくれ。 アニムスを起動する」

「は、はい!」

 

 彼女はとてもとてもリラックスなどしていない様子で、ぎゅっと眼を閉じた。耳元で機械音が鳴り、次第に意識が白く塗りつぶされる。

 

 

※   ※   ※

 

 

 いつの間にか背を預けているアニムスの感触がなくなり、自身が地面に立っているのを感じる。遥は眼を開き、ぼんやりと周囲を見回した。

 視界に広がる景色は、白と水色で構成されていた。地面には波打つ格子が彼方から自分の方に断続的に向かってくる。遥はそれに驚き、格子を避けようとするが、それは遥にぶつかることなくすり抜けた。衣服は黒いジャージであり、現実で着ているものと同じである。

 

『澤村さん、聞こえる?』

「吉川さん!?」

 

 突然、空間に優子の声が響いた。遥は顔を宙に向け、名を呼ぶ。

 

『今、ドクターが接続可能なシークエンスを探しているわ。 その間に彼と――』

 

 遥の隣に白く輝く粒子が集まり、人型を形作る。現れたのは、黒いパーカーにジーパン姿の啓介だ。

 

『群衆に紛れる技能の訓練をしてもらうわ』

 

 前方に先ほど啓介が現れた時よりも多くの粒子が集まり、百人近い群衆が現れる。その姿は現代日本人である。その中に数人の警察官がおり、あたりを警戒するように見回している。

 

『彼らはアイドルとしての澤村さんを知ってる。 彼らにあなたの存在を察せられないようになる事が第一の関門ね』

 

「まず俺がやるのを見ていろ」

 

 彼は特にそれまでと変わった様子もなく、普通に群衆に向かって歩いて行った。フードも下げたままだ。

 

「た、鷹村さん!」

 

 遥が大声を出したのも無理はない。彼が群衆の中に一歩足を踏み入れた瞬間、彼女はその姿を見失ってしまったのだ。啓介の一挙手一投足を見逃さぬよう注視していたのにも関わらず、である。

 

「……何だ」

 

 群衆の中から啓介が不機嫌そうに声をかけながら出てきた。

 

「ご、ごめんなさい。 あなたの姿を見失っちゃって」

「……なら、ついて来い」

 

 啓介は暫し逡巡すると、遥について来るよう指示した。今度こそ、見逃さぬようにしなければ、訓練を打ち切られてしまうかもしれない。遥は気合を入れてついていった。

 そのつもりだったが、群衆の中に入って少しすると二人の間を市民に横切られ、次の瞬間には見失ってしまっていた。

 

「鷹村さん!」

「またか」

 

 いつの間にか目の前にいた啓介に彼女は驚き、息をのむ。同時に周囲の人たちが遥の存在に気づき、ざわめき始める。

 

『リスタートするわ』

 

 一度瞬きをすると、遥と啓介は最初に立っていた位置に戻されていた。非現実的な現象を目の当たりにし、これはシミュレーションであると再確認させられる。

 

「……ごめんなさい」

 

 啓介はため息をつくと、左手で遥の右手を取った。彼女は驚いて振り払おうとするが、その手は強く握られており、離れない。彼はそのまま遥の手を引き、群衆の中に入って行った。

 すぐさま、遥の存在は感づかれ、ざわめきが広がる。

 

「しっかり歩け」

 

 啓介に引っ張られる形で歩いていた遥は、少し足を速め、啓介と並ぶようにする。

 

「周りにいる奴らを観察しろ。 お前が認識できる者は、目立っている者だ」

 

 遥は周囲を観察する。遥にカメラを向けようとしている者、腕を組んで歩くカップル、酔っ払い、群衆をかき分けて歩く強面の男たち。彼らは全て、目立つ者たちだ。

 

「あ、澤村遥だ――」

「プリンセスリーグの――」

「ヤクザに育てられたって言う――」

「男と一緒に歩いて――」

 

 群衆のざわめきが大きくなる。

 

『リスタートするわ』

 

 再びスタート地点に戻される。

 遥は詰めていた息を深く吐き出した。

 

「俺の衣装を変えてくれ」

『了解』

 

 輝く粒子が啓介に集まり、彼の服装が変わる。遥と初めて会った時と同じ、アサシンの衣装だ。

休む間もなく、再び啓介は遥の手を引いて歩き出した。

 

「俺を見ろ。 目線はどこを向いているか、歩き方に迷いはないか、邪魔な者をどう押しのけるか」

 

 啓介の視線はまっすぐ前を向いているが、ぼんやりと、何を見ているのか判断できない。群衆の流れに逆らわず、まっすぐ歩く。前を歩く者が遅い場合、そっと肩に手を当ててどかす。どかされた者は啓介を振り返りもしなかった。

 

「きゃっ」

 

 携帯電話を見ながら歩いていた女性に背中を押され、遥はバランスを崩し、小さく悲鳴をあげた。彼女が倒れぬよう、啓介が遥の手を引っ張り上げる。

 

「今のって――」

「電撃引退の――」

「やっぱり男が――」

 

『リスタートするわ』

 

 ちょっとした失敗でスタート地点に戻されたことに、遥は肩を落として落ち込んだ。

 

「今の一般市民の話を聞いていたか?」

「え、えっと……ごめんなさい。 わからないです」

「周囲の会話を聞いて情報を集めるのもアサシンの技能だが……今はそこまで求めていない」

 

 謝るな、ということだろうか。

 

「二十代のキャバクラ嬢の女がこう言っていた『やっぱり男がいたから、クビになったんだね』と」

「え、違っ! 私はそんな理由で引退したんじゃなくて――」

「問題はそこじゃない」

 

 啓介の発言を勘違いした遥が必死な様子で否定しようとするが、彼に止められた。遥は少し恥ずかしそうに頬を赤らめる。

 

「女はこんな姿をした俺を、ただの男だと言ったんだ」

 

 改めて啓介の格好を見ると、不審者以外の何者でもない。 こんな姿の男が少女の手を引いていたら通報される可能性もあるだろう。

 

「みんな、あなたの格好を認識していなかったってことですか?」

「そうだ。 ただぼんやりと、その体格だけを見て男だと判断したんだ。 これがお前に習得してもらう技能だ」

 

 そう言うと啓介は遥から手を離した。彼女は掌を見つめ、ぎゅっと拳を握る。そのような技術を自分に身につけられるのだろうか。胸に込み上げる不安を、握り潰す。辛い事は今までにたくさんあった。乗り越えなければならない高い壁も、何度も越えて来た。啓介は確かに、習得できる可能性があると言った。

 それなら、ただ頑張るしかない。

 

「絶対に、やってみせます」

 

 決意の込められた遥の眼に、啓介は見入っていた。この少女はただ守られるだけの弱者ではないのだ、と気づかされる。

 

 

 

『リスタートするわ』

 

 それから遥の訓練の回数は二桁に及んだ。群衆に紛れていられる時間は徐々に長くなって行ったが、第二の関門である警官の眼を欺くことができなかった。群衆の中に配備された警官――彼らの眼は、遥を探すテンプル騎士団と東城会の眼だ。彼らに見つかるようでは、外に出るなど、夢のまた夢だ。

 

『――訓練はそこまでにしましょう』

「そんな!」

 

 遥は顔を上げ、宙に向かって叫ぶ。

 

「あと、少しなんです! もう少しだけ――」

『ドクターがシークエンスを発見したわ。 目的を見失わないで。 澤村さん、あなたの目的は桐生さんを目覚めさせることよ』

「……すいませんでした」

『謝ることないわ。 あなたの集中力には驚かされた。 私の眼から見ても、技能の習得はそう遠くないと思う』

「ありがとうございます」

 

 遥は照れ臭そうに笑顔を浮かべる。

 

『それじゃあ、啓介くんの接続を解くわね』

「あ、ありがとうございます! あの、またお願いします」

 

 啓介から粒子が散り、徐々にその姿が薄らいでいく。何度やってもできない遥に、彼は匙を投げてしまわないだろうか。

 

「ああ」

 

 彼の返答は短いが、確かに肯定の言葉であった。遥は安心し、頭を深く下げた。

 

 

※   ※   ※

 

 

 男の悲鳴が聞こえた。乗っている駕籠が下ろされ、駕籠かきの逃げる音、助けを呼ぶ声が響く。

 

「どうした、何かあったのか!?」

 

 父の声が聞こえた。そのすぐ後に、悲鳴。

 

「早く逃げなさい! お前たち!」

 

 切羽詰まった母の声。悲鳴と倒れる音。すぐに兄の悲鳴も聞こえた。

 ただ、手を握り締めて震えることしかできなかった。何が起こっているのかはわからないが、とても恐ろしいことに違いない。

 駕籠の(すだれ)が細く開けられ、月明かりとともに編み笠をかぶった男が顔をのぞかせる。夢中だった。このままでは殺されてしまう。

 男の腰に差された、鈴の付いた脇差を奪い、鞘から抜く。舗装された街道に血に塗れた刀を提げる二人の男がいる。この暗さの中、二つの駕籠から血が流れ、無残な姿で倒れている母の姿が眼に映った。中央の男は刀を抜こうとしない。

 振り返り、駆ける。震える足を無理矢理動かして、弾けそうな心臓と肺の訴えを無視して、ただ駆ける。

 

『澤村さん!』

 

 頭の中で声が聞こえ、遥は足を止めた。

 

「はぁ、はぁ」

 

 息が切れる。見ると、うっすらと月明かりに照らされた彼女は、桃色の着物を着ていた。

 

「これは……どうして」

 

 遥は己の手を月明かりにかざす。小さくなっている。

 

『澤村さん。 あなたは今アニムスに接続し、先祖の記憶にシンクロしているの』

「あぁ、そうだった」

 

 遥は耳を押さえ、脳内に響く優子の声を聴く。そうする事で先祖の記憶に呑まれそうになっていた自身の現状を、しっかりと再確認する。

 澤村遥。澤村由美の娘。桐生一馬に育てられ、先月アイドルを引退した。今はアサシン教団と協力し、桐生一馬の意識を回復させるため、アニムスに接続している。

 

『落ち着いたようね。 道の先にエクスクラメーションマークが見えるかしら? そちらの方へ向かってほしいの』

「はい」

 

 遥は優子の指示に従い、歩き出す。現実の遥かは、着物を着て歩くのに慣れていないはずだが、何の違和感もない。

 

『歩きながら聞いて。 これは啓介のデータから判明しているものだけど……今あなたに伝えるべきことだけ伝えるわ』

「はい」

『その娘はたった今、家族を殺されたばかり。 襲撃からたった一人逃れられたその娘は、これから京都の祇園に辿り着き、桐生さんの先祖と出会う事になる』

 

 いよいよ、桐生を救うための第一歩を踏み出すことができる。遥は脇差を握り締めた。

 

『どう出会うのか今はまだわからない。 でも、それは澤村さんと彼女とのシンクロ率を上げていくことでいずれわかるわ。 とりあえず今はエクスクラメーションマークの示す場所へ向かってもらい、その娘の行く先を見てもらうわ』

「わかりました。あの……この娘はなんて名前なんですか?」

 

 暫しの沈黙の後、優子は答えた。

 

『奇縁……というのかしら。 その娘の名前は遥』

「え?」

 

 まさか、自分と同名であるとは、思いもよらなかった。

 

『そして遥がこれから出会う桐生さんの先祖の名前は、桐生一馬之介』

「ふふふ、何だか冗談みたいですね」

『ええ、そうね。 現代のあなたと桐生さんは出会うべくして出会った……運命のようなものを感じるわ』

 

 優子との会話が、先程までの暗澹(あんたん)とした気持ちを晴らしてくれる。先ほどまで恐怖で震えていた少女「遥」の気持ちを、現代の澤村遥の意識で完全に上書きすることができた。それと同時に、少女に同情の念が湧く。遥自身も似たような経験をしているのだ。当然のことだろう。

 

「吉川さん、これからこの娘は、どうなっていくんでしょうか?」

『ごめんなさい。 それはまだ教えられないわ。 シンクロ率を高めていくためにも、澤村さんには遥ちゃんと感情の共有を――その娘と同じように驚いたり、笑ったりしてほしいの』

「そうなんですか……」

 

 遥は少女の胸の内へ意識を向ける。ぽろぽろと零れる涙と共に湧き上がるのは、復讐心。家族を殺され、他に頼る者のいないこの少女に、幸せな結末が訪れるよう、遥は心の底から願った。

 

 

※   ※   ※

 

 

「はぁ、やる気が出んのう」

 

 虚ろな目をして真島吾朗は煙草をふかした。がつがつと白飯をかき込む目の前の大柄な男をぼうっと見る。

 

「どないしたんや、兄弟。 昨日まではあんなに荒れとったやないか」

「どうしたもこうしたもあるか。 『本命は大阪だと考えています。 東城会の方々には、情報屋へのつなぎと、構成員の方の配備をお願いします』……かぁ! イケ好かん奴や!」

 

 真島が乱暴に煙草を揉み消すと、目の前の男、冴島大河は大皿から焼き網へホルモンを豪快に移す。

 

「……あいつ、ただモンやないな。 仲本、言うたか」

 

 冴島の口調が真剣なものを帯びると、真島の眼もしっかりと冴島を見据える。

 

「ああ、あれは間違いなく堅気なんかじゃあらへん。 かと言って、極道ともちゃう」

「せや。 東城会の面々前にしてあの落ち着きようは、自分がどんだけ危ない場所にいんのか理解できん馬鹿か――」

「自分一人の力でどうとでもできる自信があるか、のどっちかや」

 

 冴島の言葉を真島が引き継ぐ。そして二人とも、後者こそが正解であると考えている。

 

「ま、今はあいつ個人の話をしとる場合じゃあらへん。 アサシン教団っちゅう奴らから桐生と遥ちゃんを助け出さんと」

「ああ、それもアブスターゴの連中よりも先にな。 しっかし、どうなっとるんや。 関西の件が終わったかと思うたら、今度は変な宗教と大企業の対立や」

 

 真島が天井を仰ぐ。一か月前の事件では、二人もその渦中にいた。冴島は服役していた網走刑務所で兄弟分である真島の死を知り、脱獄し、事件の真相を追う立場であった。真島は桐生の大切な娘である遥の命をたてにとられ、身動きできずにいた。

 

「ほんまになぁ。 せや、花屋との連絡は取れたんか?」

「それがさっぱりや。 ウチのもんを賽の河原に行かせたが、もぬけの殻やったらしい」

「……つまり、花屋もこの件に関わってると見て、間違いないな」

 

 情報屋であるサイの花屋がその拠点を変えることはほとんどない。この十年間でも、一時期ミレニアムタワーに移動していたが、その後はまた賽の河原に戻っている。

 

「ああ、あいつの力が借りれんとなると、こっちは人海戦術で何とかするしかない。……はぁ、また堅気追い出して東城会の組員、神室町に詰めさせよか? この店みたいに」

 

 真島が手を広げ、店内を示した。彼らの行きつけの店である焼肉屋「韓来」は現在、彼ら二人のためだけに貸切になっており、一般客の姿はない。

 

「そらあんまりお勧めでけへんな。 あれは相手が出てくるのが分かっとるから打てる手や」

 

 焼けたホルモンを皿に取り、冴島は次々と口に入れていく。真島も一つ取り、食べる。

 

「……はぁ。 アサシン教団なんて怪しい宗教は当たり前やが、アブスターゴも信用でけへん。 情報屋は行方知れず。 八方ふさがりやないか」

 

 ため息を吐いた真島は、ひどく不味そうにホルモンを噛みしめた。

 

 

※   ※   ※

 

 

 江戸時代の少女、遥はある農村に辿り着き、脇差の持ち主を捜した。ある老人によると、それは人殺しである「宮本武蔵」の物であるらしい。己の家族を殺害した犯人の名前が分かった。彼女は刀の(つば)に付いていた桃色の鈴を取り、それを懐にしまった。

 再び遥は歩き出す。どこへ向かえばいいのか。家族を失い、親族を知らぬ彼女に、既に頼れる者はいなかった。既に夜は明け、家族が殺されてから二日目の夕方になっている。

 

「おや、こんなところに一人で、どうしたんだ?」

 

 清水寺の傍にある林道を通った時のことだ。遥はある一人の男に話しかけられた。男は白髪の老爺で、胸に大きな傷跡がある。

 遥は俯き、ぎゅっと刀を握り締めた。男は刀に視線をやり、遥の目線に合わせるように膝を地面につく。

 

「……腹、減ってるか?」

 

 男は肩にかけていた小物籠から笹の葉に包まれている握り飯を取り出し、遥に差し出した。途端に遥の腹が鳴り、彼女は恥ずかしそうに腹を押さえた。

 

「はっはっはっ、なぁに、遠慮することはない。 わしは旅の僧だ」

 

 男が坊主であると聞いて警戒心が緩んだのか、遥はようやく男の顔を見た。優しげな眼をした男は、心配そうに遥を見ている。彼女がこくりと頷くと、男は立ち上がると遥の背を押し、清水寺の方へ歩いて行った。

 

 

 

 男が旅の僧であるのは事実であったらしく、清水寺の宿坊の一室を借り、そこに腰を降ろした。遥は男からもらった握り飯を食べると、男にこれまであったことを洗いざらい喋っていた。

 家族が殺されたこと。下手人から刀を奪ったこと。刀の持ち主は「宮本武蔵」という名であること。

 男は口を挟まず、ただ遥の話に頷いているだけだった。

 

「今日はもう遅い。 今晩はここに泊まりなさい」

 

 全てを聞き終えた男は、遥に休むように言った。

 

「朝になったら、祇園に向かうんだ。 そこに桐生一馬之介という男がいる」

「桐生……一馬之介」

「そうだ。 その男が、お前の力になってくれるだろう」

 

 布団に入った彼女は、すぐに寝入ってしまった。一日中歩き通しで、ようやく胃に食べ物を入れることができたのだ。無理もないだろう。

 翌朝、目が覚めると、布団の脇に食料の入った風呂敷と、刀袋に入れられた脇差が並べられていた。そして一枚の地図。目的地である祇園を丸で囲んだ、詳細な地図であった。

 彼女はそれらを手に取ると、再び歩き出した。

 

『さっきの人は、いったい誰だったんでしょう? また、会えるのかな』

 

 現代の遥は、先祖の記憶をトレースしながら、モニターしているであろう優子に問いかける。

 

『彼の名前は柳生石舟斎。 歴史好きなら知っていて当然の人ね』

『そんなに有名な人に助けられたんですね』

『ええ。 でもこれは偶然ではなく必然。 彼はあなたに会うために、あの場にいたのよ』

『どういうことですか?』

『これは後になってからわかることだから、詳しくは言えないけど……遥を見守ってくれている人がいる。 彼女は決して、孤独ではないのよ』

『そうなんですか……少し、安心しました。 この娘にも私みたいに、助けてくれる人がいるんですね』

 

 少々、安堵している現代の遥と同様に、江戸時代の遥の歩調も活力を取り戻していた。人の優しさに触れ、助けてくれる人の当てができたのも一つの要因だろう。しかし、その瞳に宿るものは、決して明るいものばかりではない。自分の家族を殺した男、宮本武蔵。彼女がその名を忘れることは決してあり得ないことだろう。


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