鷹が如く   作:天狗

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2.アサシン教団

 ローブの男が運転する黒いワンボックスは、住宅街を走っていた。後部座席にいる遥は、寝ている桐生の手足の指先を擦り、献身的に温めていた。車内は暖房で温められているが、病室と違って暖かい布団はない。遥のコートを上にかけてはいるが、何もしなければすぐに冷えてしまうだろう。

 

「桐生一馬の保護に成功した。 澤村遥も一緒だ」

 

 運転席から男の声が聞こえ、遥はそちらに視線を向けた。彼は携帯電話で何者かに報告しているようだ。

 

「ああ、何も問題はない。 二時間もしない内に神室町につく」

 

 男は電話を切った。

 

「神室町に行くんですか?」

「そうだ」

「教えてくれるんですね」

 

 あっさりと回答した男を少し意外に思い、遥は思わず声に出した。

 

「先ほどとは状況が違う。 俺は何も隠すつもりはない」

 

 男の声はやはり機械的で、感情を感じさせない。

 

「あなたは誰なんですか?」

「鷹村啓介」

「どうしてこんな事するんですか?」

「俺たちの目的を果たすために桐生一馬が必要だからだ」

「俺たち……何かの組織なんですか? 東城会の?」

 

 遥は神室町の組織といえば、東城会を連想した。桐生の古巣ではあるが、東城会に関係する出来事で彼女に良い思い出は無い。東城会で世話になった人物は、極道としてではなく、あくまでも個人として接してくれる人たちだった。

 

「いや、ヤクザとは関係ない。 俺たちの教団の仲間が神室町にいるだけだ」

「教団?」

 

 何かの宗教の組織だろうか。何にせよ、白いローブを纏い、拉致するような人間がいる宗教がまともであるはずがない。遥はこれから起こる事を想像して身震いした。

 

「なんの宗教なんですか?」

「……宗教とは少し違う。 俺たちに神はいない。 あるのは導師と一つの教えだけだ」

「それは?」

「真実などなく、許されぬことなどない」

 

 なんと虚しい教えだろうか。天国も地獄もなく、行いを罰する神もいない。何を信仰し、何を目的に生きているのだろうか。

 

「……教団の名前はなんですか?」

「アサシン教団」

 

 遥が桐生の病室で感じた事は正鵠を射ていた。彼は正しく暗殺者(アサシン)であったのだ。

 

「私たちをどうするつもりなんですか?」

「アニムスシステムに接続し、秘宝の在り処を探す手伝いをしてもらう」

 

 手伝い、ということは無闇に傷つけられる事はないのだろう。だが理解不能な部分が今の一文に多々ある。アニムスシステム。秘宝。存在を知らないものを探す手伝いなど、自分たちにできるのだろうか。さらに、桐生は未だに意識が戻っていない。彼に何をさせようと言うのだろうか。

 

「そんな事、私にできるわけがありません。 ましてや、おじさんは……」

「お前には期待していない。 お前が秘宝の在り処を突き止められる可能性は一パーセントにも満たないだろう。 だが、桐生は違う。 そいつにはなんとしても意識を取り戻し、俺たちに協力してもらう必要がある」

 

 はっきりと期待していない、と言われると腹が立つ。それにこの一ヶ月間、医者がどんなに手を尽くしても彼の意識は戻らなかったのだ。

 

「お医者さんにできなかった事があなたたちにできると思えないけど」

「脳と遺伝子の研究に関して、俺たちは世界の最先端と並んでいる」

 

 遥のとげのある言い方も、啓介の神経には何の影響もないようだ。それよりも、遺伝子、とはどういう事だろうか。それも今回拉致された事に関わりがあるような言い回しだ。啓介の話し方はとても分かり辛い。質問に答える気はあっても、理解させるつもりはないのだろう。

 遥はため息をつくと、質問を打ち切る事にした。彼に自分や桐生を傷つけるつもりはなく、基本的に隠し事をするつもりがない事はなんとなく理解できたのだ。目的地が神室町であるならば、東城会のシマであり、遥もよく知っている街だ。助けを呼ぶ方法はいくらでもあるだろう。

 桐生の寝顔は病室に居た時と変わらず安らかで、それだけは遥のささくれ立った心が癒されるような気がした。決して自分の望んだ状況ではないが、一緒にいられるのだ。決してこの手を離すまい、と遥は桐生の動かない手を握り締めた。

 

 

※   ※   ※

 

 

 東城会本部。その一室にて、堂島大吾を中心とした東城会の幹部が勢揃いしていた。

 

「何やて!? 桐生ちゃんが拉致られたやと!」

 

 声を荒げているのは東城会直系真島組組長、真島吾朗。素肌の上に蛇柄のジャケットを羽織り、左目は眼帯をつけている、異様な風体の男だ。

 

「は、はい! 我々がついていながら、申し訳ありません!」

 

 椅子に座る幹部たちに囲まれて土下座しているのは、桐生の護衛についていた男たちだ。

 

「やったんはどこの組のモンや!」

「わかりません! 全身白い服を着て、フードで顔を隠してました。 相手は一人だったんですが、恐ろしく強ェ奴で」

「ハジキまで使ってたった一人に逃げられんなや! このボケがぁ!」

 

 真島が男の襟をつかみあげると、首が締まったのか彼は苦しそうに呻いた。大柄な男が激昂する真島の肩を掴み静止する。

 

「まぁ、待てや。兄弟」

 

 真島を兄弟と読んだ男は東城会直系冴島組組長、冴島大河だ。着物を身に着け、丸坊主から髪を伸ばしている途中なのか、髪型は不格好だ。

 

「あぁ? 止めんなや」

「まずは話聞くんが先やろ。 今は一刻も早く桐生を見つけなあかん」

 

 真島は舌打ちすると、乱暴に男の襟を離した。彼は首を撫で、せき込んでいる。

 

「ほんで、遥ちゃんとは連絡取れたんか?」

 

 せき込んでいる男の隣で、青い顔をしているもう一人の護衛の男に、冴島が問う。

 

「まだです。 病院の駐車場のゴミ箱でお嬢の携帯電話を見つけました。 恐らく、四代目と一緒に……」

「ほうか、男一人で桐生と遥ちゃんの二人を抱えて逃げられるとは思えへんな。 相手が他にもいたんか、遥ちゃんが自分からついていったかのどっちかや」

「あの子なら、桐生ちゃんの命を盾にされたら大人しゅうついてくやろ。 どこの誰だかわからんが、正面から東城会に喧嘩売られて、半端じゃすまさへんぞ」

 

 どかっと椅子に座り、真島は皮手袋の嵌められた拳を握りしめる。

 

「近江の仕業とは考えられへんか?」

「いえ、恐らく関係ないでしょう。 今の近江連合に桐生さんを狙っている余裕はないでしょうし、奴らもうちと同じく、今頃組織の足場固めで奔走しているはずです」

 

 会長である大吾は落ち着いた様子で冴島の予想を否定した。

 

「防犯カメラは調べたんだな?」

「はい。 ですが、鉄砲玉の姿は映っていませんでした」

「……『サイの花屋』に依頼するしかないか」

 

 通称「サイの花屋」。彼はあらゆる情報に精通し、見返りに高額の情報料を受け取る。神室町に根城を構える情報屋である。

 

「そんなら俺が花屋に話つけたるわ」

 

 真島とサイの花屋には深い交流がある。また、花屋はこれまでに幾度か桐生の依頼を受けた事があり、桐生から受けた恩もある。無碍にはしないだろう。

 今後の行動――サイの花屋に依頼する、という事だけだが――が決まり、解散しようとした時、ノックの音がした。

 

「入れ」

 

 大吾が短く言い、ドアが開く。現れたのはやはり強面の男、東城会の構成員だ。

 

「失礼します。 四代目の拉致について情報を持っている、という人物が会長との面会を望んでいます」

 

 にわかに室内がざわつく。

 

「誰だ?」

「はい、それが……アブスターゴ社の社員だと言う事です。 その筋の者ではなく、堅気です」

「……通せ」

 

 アブスターゴ社と言えば世界的な大企業だ。主力としている製薬業だけでなく、電化製品や建築、果てはゲームなどの娯楽業界でも成功を収めている。

 なぜそのような企業の社員が桐生と遥を拉致した犯人に関して情報を持っているのか、この場にいる誰もが知る由もなかった。

 

 

※   ※   ※

 

 

「起きろ」

 

 遥が眼を覚ますと、車は地下駐車場に停められていた。車が二台停められる程度の広さだ。啓介との会話を諦めてから一度車を乗り換え、彼があらかじめ用意していた桐生の点滴の換えを一度行ったあと、遥は寝入ってしまっていた。東都大病院から神室町までそれほど離れていないが、国道などの大通りを避けて走っていたため、やけに時間がかかった。

 彼女は慌てて起き上がると、靴を履き、車を降りた。啓介は手早く桐生を車椅子に移している。

 

「ここは、どこですか?」

 

 目的地が神室町である事は聞いていたが、到着した先が地下室では、神室町のどこなのか全くわからない。遥は寝入ってしまった事を後悔した。

 啓介は遥に点滴パックを押し付けると、桐生の車椅子を押す。

 

「神室劇場の地下だ」

 

 啓介は駐車場の脇にあるエレベーターに乗り込む。エレベーターは坑道などで使われる簡易的なもので、通常のビルに設置されている物とは勝手が違った。形状は箱ではなく籠。レバーで上下の設定をし、緑と赤のボタンで動作と停止を操作するようだ。啓介は遥が乗ったことを確認すると、緑のボタンを押した。

 箱状ではないせいか、機械音がやけにうるさく聞こえる。

 会話もできない騒音の中、しばらくしてエレベーターは停止した。左右にスライドするシャッターを開けると、長い廊下がある。打ちっぱなしのコンクリートがむき出しで、寒々しい。照明である蛍光灯も僅かに壁面を照らしている程度だ。

 遥たちが到着する前に、廊下の先にある両開きの鉄製の扉が開いた。奥の部屋の方が明るいのだろう。扉を開けた主の姿はシルエットしか見えない。

 

「お疲れ様、啓介。」

 

 シルエットの主は女性のようだ。

 

「ああ」

 

 啓介は短く返事をする。誰に対してもこの調子なのだろうか。女性がこちらに歩み寄って来ると、やがてその姿がはっきりと見えるようになった。歳は三十代後半だろうか。長い黒髪を背中に垂らしており、白衣を身に着けている。体は引き締まっており、妙齢の美人だ。赤い口紅が妖艶さを引き立たせていた。

 

「あなたは、澤村遥さんね」

「あ、はい。 えっと……」

 

 遥は思わぬ美人との出会いに困惑していた。今までの経験では、このような場所に連れてこられたら強面の男たちが雁首揃えているに違いない、との予想とあまりにかけ離れていたからだ。さらに、女性は慈しむような、優しげな眼差しと声音で語りかけてくる。

 

「ごめんなさいね。 突然こんなところに連れて来られて怖かったでしょう。 でも安心して。 私たちはあなたたちの敵じゃない」

 

 遥は彼女に出会ってようやく、啓介の「助けに来た」という言葉を、ほんの少しだけ信じてもいい気持ちになってきた。

 

 

 

 廊下の奥には、広大な部屋があった。敷地の面積は神室劇場とほぼ同じ広さはあるのではないだろうか。その中心に、何やらさまざまな機械を取り付けられたベッドが二つある。そのベッド自体も機械化されており、寝るための物だとは思えない。その周りには複数のモニターが設置されており、「Animus system」と表示されている。

 

「うわぁ……」

 

 今まで見た事もない景色に感嘆の声が漏れる。室内に何台も設置されている機械類の用途が遥には全くわからない。スパイ映画に出てくるオペレータールームのような洗練さはないが、秘密結社のアジトと言われれば納得してしまう。

 呆然としている遥の持つ点滴パックを女性がそっと取り、点滴棒に提げる。その時になって彼女は気づいたのか、上げっぱなしで疲労した二の腕を揉んだ。

 

「点滴ぐらいもってあげなさいよ。 気が利かないわね」

「その方が逃げる心配がない」

 

 確かに、桐生の点滴を放り出して逃げるなんて事を、遥にできるわけがない。相変わらず冷血な判断を下すこの男を、遥はむっとして睨みつけた。

 

「澤村さん、ごめんなさい。 彼も悪気があって言ってるわけじゃないのよ」

「構いません。 会ってからそれほど時間は経ってませんが、鷹村さんに人間らしさを期待できない事はわかっています」

「そうね……」

 

 女性は悲しそうに少し眼を伏せた。

 

「自己紹介をしてなかったわね。 私は吉川優子。 脳神経外科医よ。 今回は桐生さんのバイタルチェックを中心に、彼の回復のサポートをするわ」

「サポート……ですか?」

 

 桐生を目覚めさせるのならば、脳の専門家である彼女こそが主役になりそうだが。

 

「ええ。 彼の治療にはあの――」

 

 優子はベッドを指さした。

 

「アニムスを使うわ。 そしてその専門家が……ドクター!」

 

 優子が呼びかけると、モニターの裏で機械を操作していた老人が顔を出した。白髪のもじゃもじゃ頭、額につけたゴーグル、くたびれた白衣。

 

「南田さん!」

 

 遥は口に手を当てて驚いた。彼とは一月前に出会ったばかりなのだ。その時は、インナーファイターというゲームを遥に紹介し、高額なプレイ料金を取る変わった研究者だったはずだ。

 

「あら、知り合いだったの?」

「ん、ああ。 君か。その節は世話になったね。 おかげで良いデータが取れたよ」

 

 そう言って南田はにっと笑った。

 

「もしかして、IF8のテストプレイヤーって澤村さんの事だったんですか?」

「ああ、その通りだ。 君は魔法少女になるのを嫌がったからね。 街中でスカウトしたのだ。 私の見立て通り、彼女は実に優秀なテストプレイヤーだったよ」

「あの……南田さんがどうしてここに?」

「ふむ、それを説明するためには君もプレイしたIF8が一体どういう経緯で開発されていたのか、という事から話さなければならない」

 

 調子に乗ってきたのか、前に出て話し出そうとする南田を優子が制した。

 

「その前に、休憩してからにしましょう。 澤村さんも疲れたでしょう?」

「あ、いえ、私は――」

「問題ないだろう。 車の中でもよく眠っていた」

 

 遥の台詞に割り込んできたのはいつも通り一本調子な啓介の声だ。むっとする遥の視線も全く意に介していない。

 

「そうなの。 さすが伝説の極道に育てられた少女ね。 でも今は休んだ方がいいわ。 疲れも溜まっているでしょうし、桐生さんのチェックもしないとね」

 

 優子はそう言うと、点滴棒を押して歩き出した。その後に車椅子を押す啓介と遥がついていく。

 

「ひっひっひっ、わたしはもう少しマシンを調整してからにするよ」

「どうぞ、ご勝手に」

 

 嬉々として機械をいじる南田に、優子は冷たく言い放つ。彼女は遥たちが入ってきた扉から見て、右側の壁面についているスチール製のドアを開け、中に入って行った。

 

 

 

 遥たちが入った部屋は、意外と生活感に溢れていた。ベッドが二台設置してあり、二人掛けのソファの前にはテーブルも置かれている。簡易的なハンガーラックには、優子の物であろう衣服がかけられている。他に寝袋が床に敷かれたマットの上にあり、その周囲には南田の物であろうごちゃごちゃとした私物や工具が乱雑にちらばっている。テーブルの上に、紙皿が袋ごと置いてある。流しとコンロは設置されているが、調理器具は見当たらない。小さな冷蔵庫の上に電子レンジが置かれているところを見ると、料理はしていないように見える。

 ベッドの傍まで車椅子を押した啓介は、やはり軽々と桐生を抱え上げると壁沿いのベッドに寝かせた。優子が手早く点滴を交換し、心電図などの設置を始める。その手際は手慣れたものであった。

 どうやら本当に彼らは自分たちを傷つけるつもりはないらしい、と遥は安堵のため息を吐いた。

 カチリ、と金属音がした。そちらに視線を向けると、啓介が両腕に身に着けている籠手を外している。それをテーブルに置き、ベルトを外してローブを脱いだ。露わになったのは、二十歳前後の青年だ。暗殺者の正体が自分とさほど変わらない年齢の青年であった事を知り、遥は息をのむ。

 ローブを脱いだ啓介は白のTシャツ、黒いパーカーにジーンズとラフな格好をしており、お洒落にこだわりがないのか、髪は乱れてあちこち跳ねている。顔立ちは整っているが、感情の抜け落ちたその表情のせいで近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。彼はパーカーの袖を捲ると、二十センチほどの棒状の物に、バンドが二つついたものを右腕に巻いた。

 

「……それは?」

 

 啓介が手首を返すと、棒の先から銀色の刃物が飛び出した。

 

「アサシンブレード。 アサシン教団に伝わる、象徴とも言える武器だ」

 

 暗殺のための武器。殺されるその瞬間まで武器の存在を知らせず、刺し殺す。優子と南田の朗らかな様子に対して、この男の異質さは際立っている。

 彼は刃を収納し、袖を戻すと部屋を出て行った。既に部屋から出て行った啓介の背中を幻視しているかのように、遥がドアを見ていると、優子が声をかけて来た。いつの間にか、部屋には桐生の鼓動を示す心電図の音が鳴っている。

 

「……怖いわよね」

「え?」

「アサシン教団は確かに、代々人を殺す技術を磨いているわ。 でも、その力は無闇矢鱈に振るわれるものではないの」

 

 遥は何も答えられない。結局、殺人と言う手段を用いる者たちがまともであるはずがない。だがそれを軽々と口に出すのは(はばか)られた。

 

「彼らが一般市民の味方である事は間違いないわ。 アサシンの掟の中にこういうものがあるの。 『汝、己の剣を罪なき者に振るうな』 何があっても彼らは一般の人々を傷つけるような事はしない」

 

 だが、それを信じても良いものだろうか。強大な力を持つ東城会の大幹部たちが一般市民を攻撃することはほとんどないだろう。しかし、末端に行けば行くほど、彼らの信念は薄れていく。

 

「啓介は生まれたその時からアサシンとして育てられたの。 どうかそれだけは、信じてあげて」

「……教えてくれませんか? あなたたちの事」

 

 遥は顔を上げ、正面から優子の瞳を見た。

 

「まだ私は、アサシン教団がなんなのか、どうしておじさんを拉致したのか、何も理解できていないんです」

「ええ、もちろん」

 

 優子は嬉しそうに微笑んだ。

 

「でも、まずシャワー浴びてからにしない? 澤村さんもそのまま寝るのは辛いでしょ?」

 

 思えば、暖かい病院の廊下を駆け、冷や汗も散々かいている。落ち着くためにも暖かいシャワーを浴びられるのなら、そうしたい。

 

「はい、いただきます。 ……おじさんの事、よろしくお願いします」

「任せなさい」

 

 優子はおどけて自身の胸を叩いた。遥もようやく微笑むと、眠り続ける桐生の頬を撫でた。

 

 

※   ※   ※

 

 

 ローブを脱いだ鷹村啓介は中道通り裏のコンビニで弁当を中心とした食料品を買い込んでいた。もう夕食には遅いが、買い出しを担当する啓介は桐生の拉致、という仕事が入っていたため、このような時間になってしまった。

 ボタンを押すと開くタイプの自動ドアを通り、店外に出る。四人分の弁当と飲料、数冊の雑誌と二つに分けられたコンビニ袋はそれなりに重いはずだが、体重九十キロ近い桐生を軽々と抱えられる彼にとっては、大した重さではない。

十字路を北に曲がり、進んでいくと男の怒声が聞こえた。

 右を向くと路地があり、その先に(うずくま)る壮年の男を蹴りつけている二人の若者の姿が見える。啓介に彼らの事情などわかるはずもないが、神室町では日常茶飯事の光景だ。鼻血をだらだらと流し、泣きながら許しを請う壮年の男に対し、若者は愉悦の表情を浮かべている。

 啓介は無表情のままコンビニ袋を路地の陰に置くと、パーカーのフードを被り、背後から男たちに近づく。壮年の男性を蹴り続けている男の背後で、彼から財布を奪ったのであろう若者が中身を(あらた)めている。啓介は最初の標的をこの若者に定めると、背後から口に左手を回し、声を出させないようにする。さらに右腕を首に回し、頸動脈を締め上げると、若者は静かに意識を失った。

 

「はぁはぁ、ダッセェ親父だな! 喧嘩じゃ赤ちゃんにも負けちゃうんじゃないの? なぁ!」

 

 背後にいるはずの仲間に声をかけるが、返答はない。不思議に思って振り返ろうとすると、首を締め上げられ、背後に投げつけられる。コンクリートに全身を打ち、彼もまた、意識を失った。

 一瞬で、音も立てずに二人を倒した啓介は、被害者であった壮年の男性に眼を向ける事もなく、置きっぱなしにしていたコンビニ袋を拾い、その場を去って行った。

 蹲っていた男性は暴力の雨が止んだ事に気づき、顔を上げる。その場に転がっていたのは自分を蹴りつけていた二人の若者。何があったのか見当もつかないが、逃げるなら今のうちしかない。彼は自分を救ってくれた者が何者なのか欠片も知る事なく、盗られた財布を拾い上げると、すぐさま逃げ出して行った。

 

 

※   ※   ※

 

 

 啓介がアジトに帰るのと、遥がシャワーを終えて出てきたのはほぼ同時であった。彼女が寝室の向かい側にあるスチールドアを開いたちょうどその時に、啓介が重い鉄製の扉を開いて帰って来たのだ。エレベーターの音は大きく、シャワー室で着替えていた遥の耳にも届いた。遥たちが初めてここに来た時、優子はこの音を聞いて迎えに出たのだろう。彼女は優子のものである黒のジャージを身に着けているが、優子よりも身長の低い遥は袖と裾を捲りあげていた。スリッパを履いている。

 

「あ、おかえりなさい」

 

 シャワーを浴びて気が緩んでいたのか、遥はごく普通に啓介に声をかけた。それに対して彼は頷いただけだ。

 

「そろそろ晩飯の時間かね?」

 

 機材の整備に一段落ついた様子で、南田が顔を上げる。

 

「ああ」

 

 啓介はやはり短く答えると、寝室に向かった。南田と遥もその後について行く。

 

「おかえりなさい、啓介。 いつもありがとう。 ちょうど澤村さんも上がったところだし、ご飯にしましょうか」

 

 寝ている桐生の傍で、クリップボード上の用紙に何やら記入していた優子が振り返る。彼女はクリップボードを心電図の乗った台に置くと、遥の手を引いてソファに座らせた。南田はテーブルの傍の地べたに座る。啓介は優子にビニール袋を渡すと、ドアの近くの壁に背を預けた。彼は立ったままのようだ。

 優子が電子レンジに中華弁当を入れ、温める。電子レンジはコンビニなどにあるものと同じく高出力であるらしく、二分もかからずに次の幕の内弁当を温める。

 そうして十分も経たずにそれぞれの手に弁当が行き渡った。最初に中華弁当を渡された南田は既に半分ほど食べ終え、日本酒を飲み始めている。啓介は立ったまま菓子パンを食べていた。遥に手渡されたのは幕の内弁当だ。

 

「いただきます」

 

 一緒に食べ始めたのは優子と遥だけである。アサシン教団の男性陣は協調性という物が皆無なのだろうか。

 

「ああ、そうだ。 君にアニムスシステムの話をしなければならなかったね」

「あ、お願いします」

 

 酒を飲んでやや上機嫌になった南田が言う。

 

「ドクター、ちょっと待って。 アサシン教団の説明もしないと」

「ほう、君はどちらを先に聞きたい?」

 

 遥は思案しつつ、桐生と啓介に視線を向ける。本音を言えば桐生の意識が本当に回復するのか、その方法を知りたいが、その前に彼らが信用できる組織なのかを判断せねばならない。

 

「……では、アサシン教団について、お願いします」

「わかったわ。 澤村さん、世界史は得意かしら?」

 

 優子は微笑むと、説明を始めた。

 

 

 

 彼女の説明は客観的な視点に終始していた。まるで歴史の教科書を読みあげているようによどみなく。遥の知識が足りないようであれば、補足として説明し、熟練の教師のようにわかりやすい話し方だった。

 アサシン教団の始まりは紀元前にまで遡った。遥も知る歴史的な人物も彼らの標的になっていた。クレオパトラ、チンギス・ハーン、始皇帝。そしてアサシン教団の現在に至るまでの敵、テンプル騎士団。

 彼らの戦いの構図は一貫していた。支配者と彼らに協力するテンプル騎士団。自由を求める市民と彼らに協力するアサシン教団。アサシン教団に属するはずの優子は、決してテンプル騎士団を一方的に悪であるとは言わなかった。遥が、彼女自身で考え、答えを出すためのであろう。

 それはアサシン教団に伝わるたった一つの教えが関係している。

 

「真実などなく、許されぬことなどない」

 

 現代のアサシン教団の礎を作った大導師、アルタイル・イブン・ラ・アハドが唱え、後に最強のアサシンと呼ばれるエツィオ・アウディトーレが信条とした。

 アジトに移動するまでの間に、啓介から聞いたものと同じだった。

 「真実などない」統治に、市民意識に、正しい答えなどない。我々は常に学び、考え、文化を、文明を育てなければならない。

 「許されぬことなどない」行動するのは自分自身である。その結果、どのような結末を迎えようとも、その責任を負うのもまた、自分自身である。

 アサシン教団の歴史を聞く前と後では、その言葉の印象がまるで違った。

 そして現在の世界の状況。西暦二千年に現代のテンプル騎士団であるアブスターゴ社によって、世界各地のアサシン教団の拠点が襲撃され、ほぼ壊滅状態となった。生き残ったアサシンたちは潜伏し秘かに連絡を取り合い、再起の時を待つ。

 誰も知らぬ内に世界が激変したのは去年の十二月十二日。アサシン教団のデズモンド・マイルズの活躍により、大規模な太陽フレアによって起こるはずであった滅びは防がれるが、その結果「かつて来たりし者たち」のジュノーによって世界はコントロールされ、アカシック衛星網を打ち上げたアブスターゴ社によって人民は常に監視されている社会の構築が完了してしまった。

 

「世界が一つの企業によって監視されてるなんて……陰謀論とか、都市伝説みたいで」

「信じがたいわよね。 でも事実よ。 世界にはアブスターゴ社の製品が溢れ、彼らが知ろうとすれば、手に入らない情報はまずないわ」

 

 半信半疑である遥の様子を見て、優子はタブレットを取り出した。音声ファイルを再生する。

 

「これはアブスターゴで被検体十六号と呼ばれているアサシンが発見し、デズモンドに残したファイルよ」

 

 再生された音声は英語であるが、親切にも字幕が表示されている。音声より遅れているように見える。再生された英語を即座に翻訳するアプリケーションでもインストールされているのだろうか。

 ある男性がオペレーターに対し、クレームをつけているようだ。テレビに突然、男性自身の家族の個人情報が表示され出したらしい。オペレーターはすぐに修理をよこす、と伝えた。業者の行動は迅速で、まだ電話中であるにも関わらず、到着した。その後、破壊音や暴力的な音が響き、電話は切られた。

 

「これを信じるかどうかは、あなたに任せるわ」

 

 遥は表情を青褪めさせている。暴力的な状況に触れる経験が多かった遥には、この電話の男性が演技ではない、と否応なく理解できてしまったのだ。

 

「……じゃ、じゃあ、あの『かつて来たりし者たち』ってなんですか?」

「確かに、SF染みているわよね」

「ここからはわたしが説明しよう!」

 

 元気に酒の入ったコップを掲げたのは南田だ。

 

「古代人と秘宝、アニムスシステム。 これらは切っても切れないものだからな」

 

 既に酔っぱらっている様子の南田に不安を抱きながらも、遥は頷いた。


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