鷹が如く   作:天狗

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1.プロローグ

 千六百年、関ケ原。

 

「明日、我ら西軍は徳川率いる東軍とぶつかることと相成った!」

 

 侍大将の男が声を張り上げ、目前で整列する兵卒に声をかける。

 

「恐ろしいか!」

 

 兵卒の一人がごくりと生唾を飲み込む。野晒しの陣に冷たい風が吹く。

 

「逃げ出したい者はおるか!」

 

 誰も声をあげない。

 

「お前たちは、敵を恐れず、逃げ出しもせぬ強き武者か!」

 

 おお、と兵卒が声を上げ、足を踏み鳴らし、槍の石突で地を突く。

 

「ならば飲め! 食え! 英気を養い、一人でも多くの首級を挙げよ!」

 

 兵卒の怒号がさらに大きくなり、侍大将は満足げに(きびす)を返すと天幕のなかへ入って行った。

 

 

 

 闇夜。月明かりも雲に隠れ、陣の各所に焚かれた篝火(かがりび)の明かりが、僅かに周囲を照らしている。兵卒の多くは飯を食い、酒を飲み交わしている。見回っている者は少数だ。

 見回りの一人が口笛の音に気づく。それは不思議なことに、集められた馬の飼葉のあたりから聞こえた。酒の入っていた見回りの男は、無警戒にそちらへと近づく。見えるはずもない飼葉の中身を覗き込もうとしたその瞬間、首筋を鋭利な刃物で貫かれ、飼葉の中へと引きずり込まれた。呻き声一つ上げずに殺害された男と入れ替わるように、飼葉の中から現れたのは、足先から頭のてっぺんまで黒装束で覆われた男だ。左手に手甲を嵌め、腰に小太刀を一本差している。手甲には零れる水滴のような紋章が刻まれている。

 黒装束の男は素早く天幕に向けて駆ける。姿勢を低くし、足音も立てずに走るその姿は、誰に見とがめられることもない。

 やがて天幕に辿り着くと、それに背を預け、意識を集中する。聴覚を、嗅覚を研ぎ澄ます。そうすると、天幕の内側で活動する者たちの影が視覚に映し出される。槍を持った鎧姿の男が二人。床几(しょうぎ)に座り、酒を飲んでいる男が一人。その男の傍で酌をする小姓が一人。

 黒装束の男は手甲に右手を触れ、針を三本取り出すと右腕を左から右に一閃させる。三本の針は天幕を突き破り、それぞれが二人の男と小姓の首筋に突き刺さった。三人は即座に意識を失い、その場に崩れ落ちる。

 

「なんだ! お前たち、どうした!」

 

 床几に座っていた男が立ち上がり、狼狽した様子で声を上げる。黒装束の男は逆手で小太刀の柄を握り、抜くのと同時に天幕を一閃。開いた穴へ飛び込むと、目の前には侍大将の後姿。その男の首めがけて左から右へ小太刀を振るった。頸椎の隙間を通った刃は過たず侍大将の首を切り落とした。

 どさり、と残った侍大将の体が崩れる。黒装束の男は兜ごと侍大将の生首を持つと、踵を返して天幕の外へ駆けて行った。

 その場に残ったのはひとつの首なし死体。侍大将の首から噴出する血に塗れた男二人と小姓は、暢気(のんき)に寝息を立てて眠っていた。

 

 

※   ※   ※

 

 

 東都大病院。

 澤村遥は季節の花を飾りつけた花かごを持ち、入院患者の面会者用の入口へ向かった。まだ午後四時を過ぎた頃だが、年が明けて一月も経っていないこの時期では、もう太陽が傾いて辺りを赤く染めている。

 昨年の十二月にアイドル引退を宣言した彼女は、忙しかった日々に別れを告げた。それでもまだ沖縄に帰り、普通の女子高生に戻るための準備を始められていない。大阪に戻り、アパートを引き払うための準備も、沖縄の高校に転校するための書類作成も、まだ何もできていない。その最たる理由は、東都大病院に入院している男の傍を離れる気になれなかったからだ。

 ガラス戸を開けて中に入ると、巻いていたマフラーを外した。病院内は暖房がよく効いていて、防寒具を身に着けたままでは汗をかいてしまう。入ってすぐそこにある警備員室を覗く。珍しい事に誰もいなかった。遥は首を傾げながらも、いつものようにカウンターに置かれている用紙に、自身の名と面会する患者の病室の番号、時刻を記入する。

 エレベーターホールへ向かって歩いている時、ふと、違和感に気づいた。看護婦や他の面会者、入院患者など、普段はよく見る人たちが誰もいないのだ。人っ子一人いない。

 遥の胸に不安感がこみ上げてくる。嫌な予感が脳内に警鐘を鳴らす。

 彼女は少し足早になり、エレベーターを呼ぶ。そうしても早く到着するわけがないのだが、何度も上階を示す三角形のボタンを押してしまう。

 ようやく一階に到着した事を告げるベルが、その室温に対して寒々しい音をホールに響かせた。遥は素早くエレベーターに乗り込み、目標の階があるボタンを押す。

 彼女は今までに何度もこの予感に襲われた事がある。とても普通とは言い難い人生を歩んできたせいか、確信があった。この先、確実に何か悪い事が待っている。そしてそれは、自身が「おじさん」と呼ぶ大切な人に関わる事なのだ。

 目標の階に到着し、遥は嫌な予感が当たった事を確信した。廊下に倒れるスーツを着た強面の男。関東最大の極道組織である東城会の構成員だ。この階は個室のみで構成されており、裕福な入院患者のために用意されている。遥が面会に来た男も、現在の東城会六代目会長、堂島大吾が入院の手配をしたために、この階の病室に入院しているのだ。

 そして、目の前で倒れている構成員は彼の護衛のためにいたはずの男だ。

 遥は男に駆け寄り、その肩を揺すった。

 

「大丈夫ですか!? 何があったんですか!?」

 

 男はうめき声を返すばかりで、質問に答えられない。周囲に血痕はなく、重症ではないようだ。そこでようやく、遥はこの階の照明が落とされているのに気付いた。視界に広がるのは、窓から差し込む夕日の赤だけだ。

 パンパン、と二発の銃声が聞こえた。

 遥が弾かれるように振り返った廊下の先には、彼の病室がある。

 彼女は花かごを投げ捨て、そちらへ向かって駆け出した。そこに行けば危険なのはわかっている。自分が行っても、できる事は何もないであろう事も理解できる。しかし、行かない、という選択肢を彼女は選べなかった。理性ではなく感情が、想いが遥を突き動かしているのだ。

 目的の病室のすぐ近くまで来た時、黒スーツの男がスライドドアごと倒れた。男のスーツの襟には東城会を示すピンがついている。彼は立ち上がる事ができないのか、腹を押さえて痛みに耐えている。近づいてくる遥に気づいた。

 

「お嬢っ! 来ちゃいけません! 逃げてください」

 

 男は絞り出すように、遥に叫んだ。彼は何度やめてほしい、と言っても遥を「お嬢」と呼ぶ事をやめなかった。そんな陽気な男が今は脂汗に塗れ、必死に警告、いや、懇願している。

 

「奴は危険です! 逃げてください!」

 

 吠える男の顎を、何者かが蹴り飛ばした。男は意識を失ったのか、それっきり動かない。

 遥は男に駆け寄ろうとしていた足を止め、激しく動悸する胸を抑えた。

 侵入者は、これ以上ないほどに不審であった。

 全身を覆う白いローブ。そのフードを目深に被っており、顔は見えない。両腕に金属製の籠手をつけており、丸みを帯びた三角形の紋章がついている。ベルトにも同じ紋章がついており、夕日に照らされて輝いていた。

 身長は成人男性の平均よりも少し高い程度だろうか。その体格から、男性である事は判断できる。

 何らかのコスプレをしているのだろうか、とも思うが、アニメやゲームに詳しくない遥には判別できない。ただ、躊躇なく人の頭部を蹴る事ができる男が、ただふざけてあの格好をしているわけではないのであろう。

 

「……あなたは、誰ですか? 何でこんな事するんですか?」

 

 男は遥を一瞥すると、グローブの嵌められた手で拳銃を拾い、構成員の男に銃口を突きつけた。

 

「澤村遥だな。 丁度良い、お前にも来てもらう」

「……どこにですか? おじさんは無事なんですか?」

「当たり前だ。 俺はあいつを助けに来たんだからな」

 

 遥には男の発言の意味が全く理解できなかった。護衛を打ち倒し、拳銃を突きつけるような暴挙を行う男が、助けに来ている。言動が一致していない。返事に詰まり、遥はただ男を睨みつける。

 

「事は一刻を争う。 早く決断しろ」

 

 男は見せつけるように、ゆっくりと銃の撃鉄を上げた。

 

「……わかりました。 連れて行ってください」

 

 返事を聞いた男は撃鉄を戻し、銃を放ると病室に入って行った。慌てて遥も彼の後を追う。病室の前に倒れる護衛の男とその傍に転がる拳銃に眼を向ける。この銃を拾ってローブの男に向けても無駄なのだろう。難なく対処できる自信があるからこそ、男は拳銃を捨てたのだ。

 病室には、心電図の定期的な音が響くだけで、驚くほど静かだった。壁に二発の弾痕が残り、廊下では気を失った男が倒れている殺伐とした雰囲気とは、対称的だ。同時に遥は、ローブの男の気配が驚くほど希薄なのに気づく。衣擦れの音や足音が聞こえない。まるで、映画に登場する熟練の忍者か暗殺者のようだ。

 ローブの男が向かった先はベッドの脇に置かれている車椅子だ。本来、寝たきりであるこの病室の主には不要な物だが、元々備え付けられている。

 遥はベッドに駆け寄ると、ベッドに寝る男の安否を確認した。

 彼はいつも通り、安らかな寝息をたてている。一月前、降りしきる雪の中で会話して以来、彼の落ち着いた声を聴いていない。閉じられたままの瞼は、優しい瞳を遥に向けてくれない。整えていた顎髭は、慣れていない遥の失敗のせいで全て剃ってしまった。病衣に包まれている(たくま)しかった肉体は、少し痩せている。

 遥は布団から、動かせないために冷えている彼の手を握り、それを温めるように擦る。

 

「おじさん……」

 

 東城会四代目、伝説の極道、堂島の龍。様々な異名を持つ最強の男、桐生一馬。

 彼は一ヶ月間、意識を取り戻すことなく、眠り続けていた。

 

「どけ」

 

 男は遥の肩を押しのけると、心電図の電源を切り、桐生につけられているコードを外す。自身よりも大柄な桐生を軽々と抱え上げると、彼を車椅子に座らせた。

 

「これを持て」

 

 点滴棒から栄養補給を目的とした点滴のパックを外し、遥に持たせる。彼女はそれを受け取ると、慌ててパックを高く上げた。下げたままでは、点滴が落ちないかもしれないからだ。医療に関する詳しい知識を持たない彼女には、これが正しいのかどうかもわからない。

 

「行くぞ」

 

 男は車椅子を押して歩き出す。男は全て命令口調で話しているが、尊大な態度には感じられない。遥は今までに極道の組長や上の立場の人間を何人も見て来たが、そんな人間に共通する偉そうな風格が見受けられないのだ。まるでロボットを相手にしているような、機械的な印象を受ける。

 

 

 

 エレベーターが到着したのは、地下一階だ。機材搬入用の駐車場にローブの男は車を停めていたようだ。男は黒のワンボックスの車に近寄り、バックドアを開ける。既にシートが倒されており、桐生を寝かせるためであろうマットが敷かれている。事は男の計画通りに進んでいるようだ。

 男は車椅子から桐生を抱え上げると、遥が持っている点滴パックを取り上げ、後部座席のドアの上部にあるアシストグリップに引っかけた。

 

「乗れ」

 

 遥は大人しく男の命令に従い、靴を脱いでバックドアから車に乗り込む。

 

「携帯電話を渡せ」

 

 遥はコートのポケットから携帯電話を取り出すと、ぎゅっと握りしめた。これがなくなると、助けを呼べなくなるかもしれない。

 

「電源を切るだけじゃ駄目ですか?」

「駄目だ。 電源を切っても微弱電波を受信されれば居場所が特定される」

 

 遥は諦めて携帯電話を渡す。この男には通じないかもしれないが、持っていないと嘘をつけば良かった。男はドアを閉めると、すぐに運転席に乗り、エンジンをかける。

 車はゆっくりと動き出した。外は既に日が暮れていて、暗くなっていた。動悸は落ち着いているが、遥の胸に込み上げる不安感は消えない。

 

 

 

 黒のワンボックスが病院の敷地を出てすぐの事。一台の白いセダンとすれ違った。セダンのドアには細長い台形を組み合わせて三角形にしたマークが描かれており、その下部に「Abstergo」と社名が書かれていた。


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