雷光を遥か凌駕する。
「閃光」であった。
「…っ!!」
ジュートは目を思わず見開いた。交戦状態に移ったかつての兄―ヴィーナス変異体の眼の前に立った彼がかつて愛した最愛の妹―ジュートへの容赦ない先制攻撃の予備動作の間に既に青年―「サクラ」はその左後足に位置取り、その踵に巨大な神機の捕食形態を喰らい付かせていた。
…!!!
ジュートに狙いを定め、巨大な剛腕を横薙ぎに振るおうとしていた変異体は体勢を崩され、目標を目の前のジュートから一瞬で狙いを「サクラ」に切り替える。
二人は元兄妹、双子である。己と僅かながら「同種」に近い感覚を感じ取った故にかつての妹を最初に狙いを定めた変異体であったが彼の中であっさりと優先順位が切り替わる。
コイツはヤバイ。
と、彼の本能が警鐘を鳴らしていたのだ。
実際に
…!!!???
巨大な変異体の足に喰らい付いた小さな人間が神機と共に黄金の光を放ったと同時、更に自らの体が左足の方向へ引っ張られる。
ヴィーナス種は体こそ異形であるが中心に据える司令塔の部位、御柱のように佇む中心の女神は妙に敵に対峙した際、人間臭く笑ったり、戸惑ったり、怒ったりと感情表現が豊かだ。
オァオオオオオぉぉっ!???
この変異体の指令部位も人間が元になった以上、その御多分に漏れず、戸惑いと驚きの表情と声を上げたまま前足で駆けずり回り、抵抗するが―
ダメだ。
引き摺られる体を止められない。よってまた切り替える。この姿勢のまま攻勢に移る。
齧り付かれた左足の付け根に在るオレンジの結晶体から
ずるっ!
ボルグ・カムランの尾部を発生させ、目標目がけて突く。
ガガガガッ!!
何度も。何度も。
…!?
しかし当たらない。立てつづけにカムランの尾の先端は空しく雪を突きあげるだけである。苛立たしげに自分の攻撃で巻きあげた雪により視界が悪くなるのを嫌った変異体は
攻撃を中断。敵の捕捉に切り替えるが―
…!?
「…サクラ殿!?」
姿がない。その代わりに降り積もった雪の中でまるで土竜でも這っている様に不自然な山がもこもこと盛り上がっている。もぐっているのだ。雪の下を。
その盛り上がりに合わせ、今度は変異体は左足の同じ結晶体から先端が目玉の様になった奇妙な突起物を出す。一見何のための物かは解らないがジュートはこれが何か分かっていた。
「これは…!」
サリエルの眼玉。貫通力と追尾力に優れたレーザーを放つ部位だ。それが本家より更に極太になって「サクラ」が潜ったと思われる雪の山の轍を目がけて射抜く。
ドドッドドド!!
射抜かれた場所は轟音と閃光と雪を巻き上げる。最早視界等変異体は気にしなかった。圧倒的物量でこの周囲を薙ぎ払う事を決意。今度は背中の結晶体を発光させる。そこから現れた物は今度はクアドリガの砲台であった。そこから無数のミサイルを上空に射出。周囲一帯を薙ぎ払う。
「きゃっ!!」
大爆発と閃光の戦場音楽に包まれた中心でまるで指揮者の様にジュートの兄の姿をした変異体指令部位は己の猛威を誇る様に躍りあがる。それに相応しい多彩で凶悪な火力は雪に覆われた静かな樹林帯を一瞬で火の海と閃光が溢れる戦場に替える。
狂った様な笑い声を上げ、自分の戦火に満足するように変異体は夜空を仰いだ後、睥睨するように吹き飛ばされ、蹲ったかつての妹ジュートを見下ろす。
「ぐっ…」
ジュートはGEがアラガミ化した際の脅威は解っているつもりだった。こちらの攻撃が悉く通りにくくなる事は。しかしコイツはそれだけでは無い。なればこそ今までコイツは再三の各支部から派遣された追撃隊を振りきり、殲滅し、永らえて来たのだ。
基本欧州周辺を活動拠点にする「ハイド」隊の派遣が秘密裏に要請されるほどの相手である。純粋な戦闘能力に関してもケタ違いだ。
その証拠に協力者である「サクラ」が一瞬にしてやられた。その事実にジュートは悔しそうに奥歯を噛みしめる。
そんな彼女を嘲笑うかのように変異体は更に歓喜の笑い声を上げ、ようやく本来のターゲットのジュートに向かって睨む。巨大なカエルの様な体躯のくせにその視線はまるで獰猛な毒蛇だ。
―くっ…!
その殺気にジュートの体が固まる。アラガミ化と言う物はかつての愛しい人の笑顔をここまで醜悪に出来るのかと憤りを覚える半面、その姿のみは紛れもない兄の姿。その薄気味悪さが恐怖に切り替わり、背筋に電極を植え付けられた様な怖気が走る。愛機を衝立にしないとまともに立ち上がれないほどに。
こうなるともう無駄な暴力、火力は必要ない。蟻を象が踏みつぶす様に歩くだけで事は足りる。変異体は何の変哲もなくただ歩きだした。ジュートに向かって真っ直ぐと。
このまま行けば彼が通過した先には最早何であったか解らない程原形を留めないジュートが残るだけであろう。
ただ歩くだけで済むのだ。省エネもいいとこである。
歩けば。
歩けば。
歩け、ば…?
「…!?」
一向にジュートに向かって変異体が歩いてこない。いや、歩いてはいるのだ。正面から見てもはっきりと解るぐらいに両手、両足をバタつかせている。それでも一向に彼の巨体が前に進まないのである。
その異変に指令部位が振り返ると驚愕の光景が展開されていた。
……!!!
「もう少し丁寧にな。お前の弾幕穴だらけだぞ?」
ヴィーナスの巨体の割に妙に短い尾。「サクラ」はそれに喰い付いている真っ黒な捕食形態の神機を片手で握り、変異体の巨体の前進を力尽くで止め、空回りさせていたのである。
「はっ……!!本当に鬼神かっ…!?そなたは…!」
ジュートは驚嘆と呆れの入り混じった顔で笑い、同時に「サクラ」の無事に心底安堵した。対照的に変異体は驚嘆と同時に焦り、恐怖の感情すら浮かびだした。振り払う様に喰らい付かれた尾を強引に真上に上げ、引き千切る。その真下には―
「…」
「あっ!!」
オレンジの結晶体が臀部の中心にも存在していた。ここにも何らかのアラガミの素体を取りこんでいたのだ。その正体は―
ずぼぉっ!!
寒冷地に生息するグボログボロの亜種―堕天種の頭部であった。
その鋭い牙の生えそろった口内から蒼白い光が発せられる。氷弾だ。これだけの近接であれば外す事は無いだろう。直撃を避けられても氷弾の爆発による効果範囲に充分巻きこめる。
しかし―
相手が悪かった。
「サクラ」はその危機的状況にも全く動じていなかった。
「…レベル3―
カーネイジ」
ぐばあっ!!!!
まるで対峙するように巨大な黒い捕食形態がグボロ堕天種の頭部の眼前に仁王立ちする。まるで眼前の身の程知らずに力量の差を思い知らせるが如く、巨大な口を開く。その口内からスモルトのブラスト銃身の白銀色の砲筒より軽快な蒼白い光が発せられていた。
カーネイジ―直前の捕食行為により入手したアラガミバレットを複数に変換せず、直接全弾撃ち出す荒技である。
凝縮、練る事は出来ない為、通常のアラガミバレット、レベル4のように「サクラ」が弾種をアレンジする事はできないが単純な威力は―
ピィッ!!!!!!!
グボロ堕天の頭部が放った氷弾を一瞬で掻き消し、さらに臀部のグボロ堕天の部位ごと蒸発させるほどのヴィーナスの属性である雷属性を纏った強烈な一撃、一閃―レールガンと化した。シチリア島でスモルトが暴走し、ハイドの他三人のメンバーを襲った際のものと同様であるがその時のヴァジュラより遥かに高い電圧、電圧量を持つより高次のアラガミ―ヴィーナスを喰らった際の一撃で在るが故にその威力は比較にならない。
――――!!!!!
悲鳴にも似た変異体の咆哮と共に彼の臀部を貫いたレールガンは尚も勢い衰えることなく指令部位の真下まで貫通。指令部位の下部から勢いよく青白い閃光が発せられ
「…!」
それがほぼ真正面に立っていたジュートの側面を通過していく。驚愕の表情でその一閃を見送る他ない。それは針葉樹林の森を真っ直ぐに切り裂き、まるで舗装された道の様に綺麗に地形を抉っていく。
ずずっ…ずんっ…!
その許容を遥か越えた一撃に体勢を保つ事が出来ず、地響きを立てて変異体は崩れ落ちる。
圧巻かつ一瞬だった攻防に目を見開いたままジュートはその光景を作り出した張本人―「サクラ」を見る。
「そなた…」
「ん?」
「本名を名乗れぬワケだ…圧倒的ではないか…」
「…。他にも色々と深い事情がありましてね…」
「ふっ…一瞬で殺してしまいおって…妾の出る幕など無いではないか…」
切なさ、悲しさ、落胆が混じった悲しい口調をし、変わり果てたかつての兄の姿をジュートは眺める。自分の生きて来た意味は何だったのかと流石に気丈な彼女もストンと足が落ちそうになる。しかし―
「……いや」
「…え?」
早計だ。
未だ顕在の背部の巨大なオレンジの結晶体から再びクアドリガのミサイルが無数に射出され、周囲を薙ぎ払ったのはほぼ同時であった。
「ぐっ!」
「…!?す、すまぬ!!」
文字通り「剣姫」をお姫様だっこして「サクラ」は爆心地から遠く離れた地点―針葉樹の幹へ着地する。濛々と上がる噴煙と業火の中で巨大なシルエットが蠢いているのが解る。同時に怒りに大地が震える様な咆哮が上がった。余力の充分差を感じさせる。
「…ちっ…アポトシス―自己破壊因子を最大にして撃ち放ったレベル3のアラガミバレットだぞ…?それでもうあんなに動けるのか」
予想以上の攻撃の効きの悪さに流石の「サクラ」も辟易していた。
「兄上…っと『サクラ』!すまぬ!下ろしてくれていいぞ!!」
「っと失敬」
「やはり兄上を倒すには妾の神機の力が必要か…しかし、今の妾ではそなたの足を引っ張るばかりだな…本当にかたじけない…己の無力をはじるばかりだ」
「どうした?『ついて参れ』って息巻いてた以上根性見せてくれ」
「…そなたは結構意地悪だな」
「あぁよく言われる」
「ふっ…そうか…。…来るぞ」
噴煙を引き裂いて現れた変異体の司令部位の瞳が二人を捉え、二人が立っていた木ごと周囲を薙ぎ払う。間一髪で避けた二人の姿を尚も捕捉し、巨体を駆使してなぎ倒しつつ二人を追う。
「ジュート!」
「ん!?」
「どうだ!?」
「…ようやく落ちつけて来た。闘える。心配するな!!」
「よし…」
木々を伝い、軽快に走るジュートの姿に「サクラ」は安堵し、敵を見据える。
「サクラ殿」
「ん」
「…ケリをつける。妾が兄上をこの神機で斬って…それで終わりにする」
「了解。…何か策はあるのか?」
「妾はな?兄上とアラガミを仕留める際はおとり役になる事が多かった。逃げて有利な場所に連れ込んで…」
「…今回は俺が囮役になればいいのか。その隙に君がアレを仕留める。そう言う事か?」
「否」
「え?」
「いつも通り妾が囮になる」
「…それじゃあ俺が攻撃する他無いぞ。それじゃあ意味が無い。俺の攻撃じゃあヤツを完全には殺せない」
「言ったであろう?兄上は妾が斬る、仕留めると」
「…」
世迷言に聞こえるジュートの言葉は澄んでいた。瞳にも迷いは無かった。
変異体は追跡を続けていた。そして相手の力量を大体理解していた。正直あの男の神機使いはとても敵う相手ではない。が、幸いにもあの男には自分を確実に殺せる決定打は無い。それもまた事実だ。
つまりジュートを仕留めればあの男は唯一の攻撃手段を喪い、撤退する他ない。つまりジュートさえ殺せれば勝ちなのである。
圧倒的に次元の違うあの男をはっきり言えば無視し、ジュートの動きさえ注視していればいい。「一対二」ではなく「一対一」と考えればいいのだ。
変異体は完全にジュートのみに狙いを定めた。「サクラ」の牽制射撃を意に介さず、執拗にジュートのみを追跡。背部よりミサイル、カムランの尾を駆使し、ジュートが直撃=必死確定の一撃を繰り出し続ける。
「はぁっ…!ハァっ…は、はぁっ…ぐっ…!」
それを息も絶え絶え、寸でのところで躱すものの体の各部位を尾の先端で切り裂かれ、徐々にジュートは消耗、目に見えて機動力は落ちる。包帯を切り裂かれ、醜悪になった右腕、悩ましいほど美しい白い肌が露出するがそれも彼女から出た紅い血で覆い隠されていく。
最早満身創痍。だが変異体は気に入らなかった。イラついていた。
「…」
無言で、もはや死に体といっても過言でない彼女の瞳が全く死なず、爛々と輝いている事に。
ずぼっ!!
ドドッドドドッド!!
その怒りが引き金となり、変異体から今まで以上の夥しい数のミサイルが背部より放たれ、ジュートを取り囲むように周囲を席巻、旋回しながら迫っていた。
「……!!!!」
ぐわっと火柱が上がり、二人が足場にしていた針葉樹林が根こそぎ上部だけ吹き飛ばされる。
「きゃあっ!!!」
「…ジュート!!!」
弾頭の直撃は避けられたものの、猛烈な爆風がジュートを襲い、吹き飛ばされる。
「ぐ~~~~~っ!!!」
空中でどうにか体勢を立て直し、白い降り積もった雪の上へ着地するがその反動で体中のキズが一斉に開き、彼女の周囲の地面の雪が真っ赤に染まるほどに夥しい出血をする。思わずジュートは膝をついた。
終わりだ。
と、言いたげに変異体はジュートに一直線に迫る。例えもう一人のGEに妨害されようと接近攻撃、同時中、長距離攻撃手段を備えている自分を完全に封殺は出来ない。最早満足に動けない虫の息の一人を殺すぐらい造作もない事だ。
現状出せる全武装攻撃準備は完了している。変異体の用意は万全だ
「ちっ!」
タン!タン!
両足付け根の二つの結晶体から生えたカムランの尾の先端を「サクラ」の銃撃によって妨害されたが、意に介する事は無い。今度こそただ突っ込めば全て終わる。変異体は歩みを止めることなく、ジュートに突進―
カッ!!!
…!!???
突然変異体の視界が真っ白に染め上がった。スタングレネードである。これはマズイ。
予想外の手だ。視界を防がれては満身創痍とはいえジュートの攻撃―致命的な神機からの直接攻撃を防ぐのは困難だ。なら視界が戻るまでせめて―
ぐりん!!
変異体は巨体に急ブレーキをかけ、雪の上という地形のアドバンテージを利用し、ぐるぐると転げ回る。樹木を引き倒し、周囲を薙ぎ払う。これなら的を絞らせないし、無理をして範囲内に入ろうものなら轢き殺せる。
視界が戻るまで僅かな時間を不作法に暴れ回る事によって変異体は凌いだ。後はいち早くジュートを見つけるのみだ。
どこだ?
どこだ!?
ピチョン…
…不覚だったな?
変異体の上空、真上―そこから紅い血液が滴り落ちている。大量に出血した体を押して上空に跳び上がったのはいいのだが更なるジュートの出血は雨の様に変異体に降り注いでいる。そのせいで自分の位置を悟られる事になろうとは―
見上げた変異体の双眸は紅く染めあがった「剣姫」が捉える。今度こそ終わりだ。鞭のようにしなる両足の付け根の結晶体より生えたカムランの二対の尾が剣姫を捕捉、左右双方から貫く軌道に視覚によって修正する。
捕捉終了。
機械の如く正確に、慎重に軌道修正を終えた。
その時―変異体の奥底でとある記憶が蘇る。まだ人間であった頃―ジュートの兄がジュートと共に連携してアラガミを狩っていた頃の人間の記憶だ。
ジュートの囮役はいつも完璧だった。二人は阿吽の呼吸だった。しかし―それは兄と言う攻撃役がいてこその物。肝心の攻撃手である彼―つまり現在アラガミである自分自身がいなければ全くのムダ。囮でありながら唯一の攻撃の手札を彼女自身しか持てない時点で現状は一対一なのだ。つまり囮と言う行為に何の意味も無い。
そんなかつての妹の失敗、判断ミスを嘲笑うかのように変異体は剣姫を見上げた。己の勝利を確信して。
―しかし
その「事実」に変異体は驚愕し、目を見開く他無かった。
……!!!?????
血まみれで虚空に浮かぶ少女の瞳はこの絶望的状況に於いて尚も澄んでいた。
そう。
「少女」だった。
ただ只管に己の実の兄を愛した無垢な少女の少し寂しげな微笑みで在った。
今彼女は「剣姫」では無かった。
何故なら彼女は兄を、変異体を殺すことのできる唯一の剣―神機をあろうことか握っていなかったからだ。
予想外の現状に変異体は一瞬の逡巡を覚える。唯一己を殺せる武器の正確な場所が解らないのだ。混乱するのも頷ける。
が、取りあえずジュートだけでも殺しておけば現状当面の危機は回避される事に気付いた変異体は今の自分の行動の優先順位をすぐさま戻す。
時間で言えばほんの一瞬。「あれコイツ…あれをどこにやったんだろう。…まぁいいか」程度のほんの僅かな時間だ。
しかし―
千載一遇の時間を逃した事を変異体が理解するのに余り時間はかからなかった。
対峙したそんな両者の前方でその時は既に動き始めていた。
…タン
一発の短い銃声と共に。
ひゅん!
どッッッ!
…!???
空を鋭く切り裂く音と同時の鈍い突然の胸部への衝撃。変異体は自分の胸部を見る。そこには先程一瞬だけであったが血眼で捜したジュートの神機の姿が在った。それが完全に彼の急所に突き刺さっている。
唖然としながら神機が飛んできた方向へ変異体が視線をやると、神機ブラスト形態の砲筒から煙を放ちながらこちらを無言で見据える青年―「サクラ」の姿が映る。
「…」
己の胸に突き刺さった神機の柄の部分が少しへこみ、そこから遥か前方に居る「サクラ」の神機の砲筒より延びている煙と同じ煙が僅かにくすぶっているを確認する。
……!!!
今ようやく変異体はジュート達の意図に気付く。彼は勘違いしていた。「一対一」では無かった。確実に状況は「一対二」だったのだ。
―かたじけない…サクラ殿。後は妾の仕事だ。
ジュート等の描いたシナリオの完成は今―少女が今彼の胸に突き刺さった神機を握り接続した瞬間に達成される。
今は血まみれで心許なく虚空をたった一人で彷徨う「少女」が最愛の兄の手を離れ、別離し、一人の「剣姫」に戻った瞬間に。
……させるものか!!お前は俺の物だ!!
変異体は構えたカムランの尾の二対で少女を貫こうとする。
が―
ボン!
ボン!
………!!??????
カムランの尾が二対ほぼ同時に爆発、吹き飛ばされた。
―…ふ~~…ちょっとヒヤヒヤした。
「サクラ」はほっと胸をなでおろす。
直前にカムランの尾に放った二発の弾丸―それが時間通りに接続した充填爆破によって破裂し、二対の尾を双方吹き飛ばした光景を見て。
これで―
「二人」を阻む物は無くなった。昔と同じ。いつも一緒だったあの時と。
でも今は―
―…さらばです。
…兄上。
今―
少女は「剣姫」に戻り、突き刺さった愛機で兄の胸―コアを深々と切り裂いた。
「…」
コアを切り裂かれ、空を仰いだまま動かなくなった変わり果てた兄―変異体の遺骸を前にジュートは無言のままへたりと座り込んでいた。
その背後よりゆっくりと「サクラ」が歩み寄る。
「かたじけない。サクラ殿…お陰で妾は本懐を達成できた。心より礼を言う。後はそなたのしたい様に…いや違うな。どうか…そなたに私の介錯を頼めないであろうか…?最初から最後まで迷惑をかけて申し訳ないが…そなたであれば」
全てを覚悟した瞳で縋るようにジュートは深々と頭を下げこう言った。
「…すまない」
ただ一言「サクラ」はそう言った。
「左様か…残念だ。何、そなたが気にする事ではない。厚かましい願いをした。忘れてくれ」
「サクラ」のその「すまない」という言葉の本当の意味をジュートは気付いていなかった。
「…ジュート」
「うん?」
「俺は…君にちゃんと話していない事がある。だがその前に心して聞いて、そしてしっかりと受け入れてくれ…」
「…?一体どうしたと言うのだ…?サクラ…ど、の…?」
ずるり…
何か不穏な物が動く際の特有の湿り気ある音がジュートの前方より響いた。
―…え?
朽ちた筈のヴィーナス変異体の体が僅かながら動き、まるでジュートにもたれかかるように変異体の頭部―かつての兄の顔がジュートの目の前に至り、こくんと頷くように頭を垂れる。
終わったはずだった。全て。しかし―
剣姫の悲しい運命はまだ全ての秘められた事実を出しきっていはいなかった。
頭を下げる様に、「すまない」とでも言いたげに項垂れたかつての愛しい兄のその後頭部にある光景に―
ジュートは絶句した。
「あ、あ。あ。あ。あああ」
彼女の眼に映ったのは―
まるで映し鏡の様に自分と同じ顔をした少女が逆さまになっている光景であった
「あ…
ああああああぁあぁああぁぁあ!!!」
アアアアアアァアァアアァァア!!!
悲痛過ぎるほどの汽笛のような悲鳴が「二つ」。静かな夜を切り裂く。
「すまない…」
いつの間にかジュートは「サクラ」に背後より抱きかかえられ、再び動き始めた変異体から距離を開けていた。
「な、な、な、な…?」
ジュートはパニック状態だ。腰が思う様に上がらない。声も上手く出せない。瞳には涙が溜まって頭の中にはただ只管一つの単語が馬鹿みたいに木霊する。
「何故」、と。
その間に事切れた筈の変異体の体が正視に堪えない挙動をしながらパキパキと体の組織をパズルみたいに組み直している。逆さまだった少女の顔はそのままにだ。先程までも十二分に悪夢の存在の様な姿をしていた変異体であったが、ジュートにとって、今のその姿は悪夢を超えた更なる光景、酷過ぎる「現実」であった。
「言いだせなくて済まない…ジュート。でもこれは…君が君自身で気付かなければならない事だったんだ…」
「さ、さ、さ…サクラ殿…?」
優しく諭すように「サクラ」の声がジュートの胸の中を駆け巡る。胸の中。心。そして―
……「コア」の中を。
「おもい、だした…」
―妾は。妾は。
ゴッドイーターではない。
そして―
人間では無い。
―最愛の人を殺せるのは自分だけ。
何故自分なのだ。
なんで、こんな…!?
繋いでくれたはずなのだ。この神機は。
越えられないはずだった「兄」と自分を。
なのに…。
お前は今更殺せと言うのか。
「兄」を…。この手で。
彼女はその日、名前の無かった彼女の神機に名をつけた。
怒り、憎しみ自分の運命全てに対する怨嗟の思いを込め―
「呪刀」と。