「・・・」
その光景は壮観であった。
ズン・・ズズン・・
ほんのわずかな時間とはいえ見とれるほどの美しさである。その凶暴さ、好戦的な性質を忘れさせるほどの優雅な低空飛行姿。
さながら砂漠の海の上を白波の様な白い砂塵を巻き上げ、泳ぐ巨大な紅いクジラ。
もし、この生物の気性がかつてのかの生物同様温和であればさぞかし見物な光景であろう。かつてのホエールウォッチングの様に世界中から人々が集まってこの光景に酔いしれるはずだ。
それほどトレーラーから一定の距離を開け、蒼いブースターを纏って砂漠の上を泳ぐような体勢で飛行する熾帝の横顔は美しかった。
エノハが第3段階神機解放後、熾帝―ルフス・カリギュラは攻撃を止め、距離を離しつつトレーラーにぴったり並走し、しばらくの間の膠着状態が続いている。
「・・。おい!!マハ!!!見とれてんじゃねぇぞ!!速度落ちてんぞ!!」
「へ?は、はい!!」
トレーラーから伝わってくる微妙な速度、振動から部下の心情を感じ取り、目ざとく見抜いた頭領の声の後、また車体は一定の速度に達し、安定と呼吸を取り戻す。
「で・・兄ちゃん」
「はい?」
「あいつは何しようとしてるんだ?」
「・・解りません。俺も何をしてくるかまでは」
「・・そうかい」
「ただ」
「ただ・・?」
「ケリをつけに来ます。その『間』を図ってる」
「・・。兄ちゃん・・その『状態』は長く続くのかい」
金色のオーラに包まれたエノハを指差し、頭領は気になって仕方が無かった質問をとうとう口に出した。
相手が「間を図っている」という事はつまり・・その「状態」が解除されるまでの時間を待たれているのではないかという懸念を口に出さずに居られなかった。
「・・・。限界はあります。正直切れたら勝ち目はありませんね」
あっさりとエノハはそう答える。純然たる事実ではあるとは薄々勘付いていたがこれほどまであっさりと言い切られると
「・・他人事みてぇに」
流石に頭領は呆れて頭を掻く。が、青年は表情を崩さなかった。ちらりと確信めいた目で熾帝に目線を向け、
「・・でも少なくとも」
「?」
「コイツそんなタマじゃないです。自分が有利になるまでじっくり待って確実に楽して勝つよりも相手の最大戦力を真っ向から叩きつぶす―そう思っていると思います。そうでなければこんな悠長にしていませんよ」
「・・・」
まるで旧知の間柄のように青年はあの化け物を語る。
その落ち着きと確信に満ちた表情に頭領は唸る。この若さで一体どれほどの修羅場、場数を踏んできたのかが見当がつかない。
そしてそのエノハの言葉を裏付けるように状況は動き出す。未だエノハが第三段階解放効果時間の中で。
・・・
トレーラーに並走し滑空していた熾帝が突如
ググ・・
半身をこちらに向けたまま蛇が鎌首をもたげるように上半身を飛行体勢時の前傾姿勢から直立姿勢に上体を持ち上げ、頭部―視線をトレーラー側に向けた。
・・・。
威嚇、牽制、恫喝の咆哮等はない。ただ意思表示の様なものだった。向かい合った両者の最終決戦の開幕を告げるあまりにも何気ない、静かで自然な序章。
「・・・」
・・・。
両者のその沈黙はさしたる行為や行動を伴っていない。しかしその沈黙こそ最大の意思表示であった。
そんな嵐の前の静けさは一瞬の後―
ビュオオオオオオオオ!!!!!
嵐に変わった。
「!」
「うお!?」
熾帝が最初に一団を襲った時、発生した最初の竜巻が突然再現VTRの様に熾帝の紅蓮の肢体を覆ったかと思うとさらにその一瞬の後、これまた再現VTRの様に四つに分かれ、「卍」状に四方に散っていく。
立て続けのリフレインの光景に頭領の頭の中で次の予想される目の前の光景が自然浮かぶ。四散していった竜巻の中心で佇む神々しい姿―あまりに鮮烈で凄惨、しかし目に灼きついたあの光景が。
考え、企て、抵抗する―人間のある意味「美点」ともとれる習性その全てが無意味に感じるほどの圧倒的な光景。まさしく神の御業と呼ぶに相応しい力を目の当たりにした。
己の別格さを知らしめ、目にする者に自らの矮小さを思い知らせる改めての示威行為にように感じて嫌になる。が、
「・・・!」
頭領は心を奮い立たせて見据える。しかしそれはすぐに
「・・。・・!?」
戸惑いに形を変え、頭領に目を見開かせた。
熾帝の巨大な姿がない。あんな巨体を隠せる場所などこの砂漠地帯には存在しない。
―――!????
先程一瞬にして不意に接近された経験があるので頭領はきょろきょろと周囲を見回す。
だがいない。
真後ろも見る。・・・居ない。霞の如く紅い巨体は消え去った。まるで最初から存在していなかったかの様に。
―・・逃げた?
そう考えても差し支えあるまい。実際どこにも居ないのだ。前にも後ろにも。
あまりにも意外な結末に頭領はやや安どの気持ちも混ざり始めた表情をし、青年を見やる。生き残った喜びと安どを感謝の気持ちを表情に込めてこの青年と今すぐにでも共有したかった。
―が。
「・・・・」
頭領は気付かされる。
無言のまままだ柔らかい無精髭の生えたあどけなさの残る顎の線を晒し、天を見上げている青年を見て。
頭領もゆっくりと見上げた。「そこ」に何があるのかを確信して。
まずはいつも通りあの存在がある。・・太陽だ。この地域に住む人間にとって最も喧嘩してはいけない相手、ここより遥か遠くに在りながらこの地に居る人間を最も死に近づける身近な存在である。
しかし今。
・・・
灼熱の太陽を背に絶対零度の冷気を纏いて佇むあまりにもこの地に似つかわしくない存在が在る―
名を
ルフス・カリギュラ。
・・ガキャン!
立ちふさがる様に両刃を開いたと同時、背中のブースターも展開したかのように一気に蒼い光を帯びた。今までとは比べ物にならない程の巨大なものだ。さながら蒼い翼が生えたような姿である。
同時にこの地域の乾いた空気と熾帝の絶対零度の極低温が触れ合い、気圧変化が起きる。膨大な冷気によって急激に冷やされた大気はとうとう「ぐずつき」始めた。
紅い熾帝の周囲に巨大な暗雲が立ち込める。この地域ではお目にかかる事はない光景。尚も熾帝の体から溢れ出る膨大な冷気によってさらに広範囲にその現象は拡がっていき、渦を巻き始める。
ズズズズ・・・
数秒後には宇宙空間からも肉眼で確認できるほどの巨大などす黒い雲の渦巻きが赤道直下の空に存在し、拡がっていく。
「・・・・!!」
最早一個の生命体が生みだす光景としては異常すぎる。天災の域だ。ただただ人は為すすべなく蹂躙されるだけ。過ぎ去るのを待つほかない脅威。
そんな力の手綱を握っているのがたった一個の生命体なのだ。その意志なのだ。
ぞおっ・・・!
急激に冷やされた大気と共に、その事実が引き起こすこれ以上ない恐怖と寒気が頭領の体を包んだ―
と同時だった。
・・・ズオッ!!!!!
まさしく「真っ逆さま」。
大気の壁を切り裂き、何層もの白いリングを体に纏い、巨大な体とその質量を重力、そして全開のブースターの推進力に身を任せた―ビッグ・フォール。
巨大な絶対零度の隕石が堕ちてくる。トレーラーどころかこの周辺一帯を吹き飛ばして巨大なクレーターを作れる程の大質量の高速落下であった。
駄 目 だ
頭領は瞬時に確信する。これはもう人間がどうこう出来るレベルのものじゃない。僅かに抱いていた人の可能性、自分達の切り札であるこの青年の可能性に賭けようとした自分の判断を即過ちと判断し、頭領は
―逃げろぉ!!!
青年に内心そう語りかける。これ程の厄災相手には自分達はおろか、この積荷の青年すらも助かる可能性はほぼゼロと判断しながらも例え僅かな可能性でも生き残ってくれる可能性がある人間がいるならそっちを優先すべきだし、少なくとも「運び屋」としての体面は守れる。と、逃げる事を諦めた頭領の眼は自然エノハを見ていた。
―兄ちゃんだけでも逃げろ。
しかしそんな頭領の思惑とは裏腹に
―・・・行ってきます。
青年―エノハは横目で僅かに微笑み
・・ヒュオッ
あまりに静か。全くの重みを感じさせない黄金の羽毛をはためかせ、飛んだ。
間近に迫る氷の厄災に向かってあろうことか最短距離を一直線に。
爆心地から一センチ、一ミリでも離れようという行為ではないことが一目瞭然の滑稽な光景だ。堕ちてくる熾帝とは対照的に重力の抵抗を受け、第三段階解放状態の異常な跳躍力だけを頼りにした無謀、無体にしか思えない跳躍。
コンマ数秒の後の結果が誰の目にも明らかな光景。隕石を核ミサイルで迎え撃つようなものだ。
しかしそれでも巨大な熾帝の心情に一切の弛緩は無い。
ぎりぎりぎり・・
真っ逆さまの姿勢のまま右掌をエノハに向け、左刃を大きく振り上げる。大質量で「押しつぶす」のではなく、あくまでエノハを「切る」つもりだ。
ガードされようが刀身で受け太刀されようがそれごと両断する為に。
キィイイイイイイイン・・・!!!!!
熾帝は一層落下の速度を上げ、瞬時にエノハを攻撃の間合い内に捉える。同時落下の力を目一杯に乗せたシンプル、しかし自らの最高で最強の斬撃をエノハに振り下ろした。
・・・・!!!!!ガァッ!
低く力の籠った唸り声を上げ、最速、最強、この世の物体全てを両断する究極の斬撃がエノハを捉えた。
―・・終わった。
頭領は真上を見上げつつ、抱え込むようにして熾帝の左腕片刃が直撃したエノハの後ろ姿を眺めながら脱力したように光の宿らない目で虚空を見上げていた。
そして後コンマ何秒の後、粉々に吹き飛ばされるであろうトレーラーと自分の避けられない現実を妙に現実感のない心象で受け止めていた。
・・・・
・・・・
・・・・!?
捉えた。
確かに捉えた。
だが何だこの違和感は。
まるで包み込まれたように手応えが無い。柳に触れたように熾帝の感覚は奇妙な浮遊感に包まれていた。
再びの極限状態の「ゾーン」にて研ぎ澄まされた感覚の中で熾帝の視覚が違和感の正体を捉える。
・・・がりりりっ
・・・!!???
巨大な黒い顎が上顎と下顎を器用に使って真剣白刃取りの様に熾帝の渾身の刃をもごもごと銜えこんでいた。
そして刃越しに熾帝に伝導する。
左腕の刃に喰い込んだ黒い顎の圧力、咬筋力が加速度的に異常増加している事に。
2倍
4倍
・・16倍。
みしみし・・ぴきっ・・
くもの巣、稲妻状に一気に熾帝の刃に亀裂が走る。最高の切れ味と硬度を併せ持つ業物―熾帝最強の武器が今
バキン!!
絶対の自信を持っていた己の力の象徴の刃が目の前で破片を巻きあがて砕け散る光景を異常感覚の状態で唖然と見据えながら、熾帝の脳はフル回転する。
熾帝の究極の武器をあっさり破壊したこの化け物、そして受け止めた姿勢でのけぞり、俯いた姿勢のままの青年を見据えて在る一つの疑問が浮かぶ。
純粋な、そして何とも今更な疑問。
コイツら・・
一体・・?
キッ・・・・シャアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!
熾帝の疑問を無視し、粉々に砕いた刃の破片をまきちらしながら巨大な黒い顎は歓喜と狂喜に満ちた咆哮を上げた。
・・・!!!!!!!?
その音圧は熾帝を以てしても思わず気後れしてしまうほどの強烈な烈風と威圧感を伴っていた。
未知への困惑と不安―恐怖にすらすり替わる。
呆気にとられた状態の熾帝を尻目に巨大な顎が変質を始めた。まるで狭い所から這い出たがっている獣のように体を左右に揺らし、側面をまるで鱗の様に無数の銀色の棘が逆立ち、同時黒い捕食形態の顎の全体が美しい銀色に変わっていく。
最早神「機」では無くより生物、獣に近い剣呑且つ獰猛な銀毛の捕食者―スモルトは今
「条件」をすべて満たした。
その条件は。
Lv3最大解放状態時、特殊なカートリッジを神機に装填後の捕食である。
・・カァッ!!
銀毛の巨大な捕食形態の喉元から吐き出すように、神機の刀身が躍り出、熾帝の目の前に突きつけられる。同時に膨張した顎がすぼすぼと収縮していき、熾帝の視界が開ける。
巨大な捕食形態に覆い隠されていたこの神機の持ち主が姿を現す。
神機程の急激な変化は無い。だがその体もまた神機同様黄金のオーラから白銀のオーラに変質していた。
「・・・・・・Lv4」
そう青年が呟いたと同時であった。
ブォッ!!
熾帝の無意識な行動であった。反射的な反撃。砕かれた左刃に変わって振り抜いた右腕の刃が
パァン・・
・・あっさりと一瞬にして砕かれた。いつ振り抜かれたすら知覚できない。どうやら「振り抜かれたらしい」銀の刀身に何の抵抗も無く破壊された。
・・・・・!!
驚愕で熾帝の目が見開かれる。さらに同時
チャキ・・・
静かな。そして流麗な動作であった。
剣の軌道が残影を伴って熾帝の右目に白銀の切っ先が突きつけられる。
この点は集中力が極限に達した熾帝の感覚が徐々に付いていっている証拠である。先程まで全く知覚できなかった動きをたった一回見たのみで適応、対応を始める天才的闘争センスの賜物だ。
しかしそれでも突如唐突に開いた歴然とした力の差を埋めるには至らない。
この神機。そしてこの神機を扱う神機使いの二つのLv「f」our。
ff―フォルティッシモを前にして。
ぐぐっ・・
突きつけた剣の切っ先を熾帝から隠すようにエノハは構える。同時一層の銀の光を放った神機の光がエノハの体を後光が差すように照らし出した。
先程神機の膨張が止まり、普段の形態のサイズにまで収縮したのはエネルギーを発散した結果によるものではない。Lv4の真価を発揮する為、「収束」「増幅」していたのだ。御しきれない力を完全放出する為に。
・・・!!!
熾帝も天才的闘争本能にて察する。「受ける」選択肢はない。全集中力を回避にのみ意識を集中させ身構える―
が。
ザスッ
人間でいえば至近距離で放たれた弾丸を発砲を確認してから躱せるほどの研ぎ澄まされた反射速度を持つ熾帝が易々とその「切っ先」の侵入を許した。
・・・・・!!
右目に突き刺さった違和感。右目の視界が濁り、右半身を明らかな「異物」が通り抜けていく感覚に熾帝は気付く。回避行動すら許してもらえなかった事を。
右顔面を貫通し、右肩に突き刺さった神機の刀身を掠め、その「異物」は背部のブースターを砕いて尚も熾帝の背を削り、まだ延びていく。
熾帝によってつくられた寒波の渦を切り裂き、天に向かって真っ直ぐと伸びていく―
氷柱。
否
氷の塔。
その長さは0.8kmにも達した。
混濁する意識の中、紅い身体から血飛沫と砕かれた自らの体の破片を巻き上げ、紅い竜は糸の切れた人形の様な力の抜けた姿勢のまま堕ちていく。
その紅い血を纏った氷の塔は紅く染まり、次の瞬間
パァアアアアアアアアン!!!!
轟音と寒波を周囲に巻き上げ―砕け散った。
氷によってやや薄められた熾帝の血がピンク色に染まった氷の破片となってはらはらと堕ちていく中、
エノハは再び「対話」していた。
自らの刀身が未だ熾帝の背に突き刺さったままの遺された神機―ケイトの神機の刀身に触れた事により感応現象が起きていた。
再びエノハの意識は「彼女」の中に入る。
・・・
そこにはあのピンク色の毛の長い猫がいる。名前はまだ知らない。
―・・有難う。手を貸してくれて。君がいなかったら俺は誰も助けられなかった。
・・・。
エノハの礼に相変わらず猫は何も答えない。見た目は可愛いのに無愛想な猫だ。そこがまたイイが。
―・・良かったら俺と一緒に来ないか?
次にエノハはそう尋ねる。
確かに「神機の回収」は神機使いの仕事の一環で義務でもある。しかしそんなものを抜きにしてエノハはこの遺された神機を勧誘していた。
―しかし
・・・。
猫は無言を貫くと同時、その背後に三人の人間を映しだした。
言うまでも無くあの三人。背の高い長身長髪の青年と垂れ目のちょっと軽薄そうな男、その中心には当然―ケイトの姿があった。
三人とも笑っている。
例えどれだけ悲しい別れであっても、時に疎ましさを覚えた時もあってもやはりこの三人は彼女にとってかけがえのない存在なのだろう。
つまり彼女の帰る場所はまた別にあると言うことだ。今エノハと一緒に行くわけにはいかない。
猫はエノハから背を向けトタトタと歩いていく。そして立ち止まり、ほんの少しだけ横目で最後にエノハを見て
「ありがとう」
そう言った様な気がした。
ズオッ!!
「っ・・・!」
意識を取り戻した熾帝が先程までに比べると弱々しいブースターの蒼い光を巻き上げ、明らかに深いダメージの残る戦意を失った後ろ姿をエノハに向け、よろよろと飛んで逃げていく。
エノハはその背中を、その右肩に光る神機を眺めながらゆっくりと降りていった。
数秒後―
高度5mぐらい。
パッパ~!!!
たそがれていたエノハの背後でその音が響く。
エノハ「・・・え!?」
車内「おわわわわあわわああああ!!!だだだだ誰だ!?コイツ??」
エノハ「ちょっ!!ちょっとまっ・・」
ドゴン!!!
エノハ「のわ~~~~っ!?」
頭領「つ、積荷の兄ちゃ~~~~ん!!!???」