私が最後に父を見た光景は黒塗りのスーツを着たフェンリルの役員数人に囲まれ、連行されていく小さな背中だった。
他ならぬ自分の子供達を計画―ブルーローズ計画に捧げ、その失敗の度に元々軍人らしく美丈夫でがっしりとした父の体格は日に日に衰えていた。まるで「失敗」の度に彼の体の一部が少しずつ削られていったようであった。
いや、その表現もあながち間違ってはいないだろう。自分の血を分けた実の子息を差し出しているのだ。謂わば彼等は自分の身体の一部と言って過言ではない。
それでも父は自分の行為を止めようとしなかった。自分の子息全てを上から順に「撃ち続けた」。
全部で「十八発」のロシアンルーレット。恐らく空の弾倉は無い。天文学的確率を超えた奇跡の果ての「不発」を期待し、彼は血を分けた子息のこめかみに銃口を押し当て、引き金を引き続けた。
そしていよいよ最後の「弾」―これを撃ち尽くしたら「看板」という時に父は連れていかれ、最後の「弾」である私はただ一人残された。
まだ十代であったナルフは変わり果てた父の後ろ姿を淡々と、しかし背筋を伸ばして泣きも喚きもせず見送った。現実とは思いたくないあまりの惨めな父の光景を前にいつも軍人として心の均衡を保つ、もしくは動揺を相手に悟られてはならない軍人として弱みを晒す事を拒んだ彼女の習性がそうさせたのかもしれない。
ただ彼女は無言のまま愚直なほど背筋を正し、毅然と父の後ろ姿を見送った。
そのナルの光景を質の悪い「マインドコントロール」だと吐き捨てる連中は多く、実際のところナルはそれに関して客観的にみれば決して間違いではないと理解もしている。
紛れもなく父の行為は「狂人」と断罪されて何ら不思議はない。他でもない血を分けた自分の子供達をあまりに無謀、杜撰極まりない計画に差し出し、案の定その結果は目を覆いたくなるほどの惨状で在るのだから。
それでもナルは父を恨んだ事はない。父と多くの言葉を介した事は数えるほどしかないが時代ゆえの父の苦悩は誰よりも解っているつもりだ。父は軍人として最悪の時代の最悪の渦中に生き、それでも模索した。長く続いた由緒正しき軍属の一族の末裔として生まれた故の果たすべき社会への奉仕、貢献の為に。
「軍人として人々を守る事」
その根本に関してはあくまでナルの父は愚直だった。純粋だった。
しかし彼は先程言った通り最悪の時代を生きた。
彼は何の前触れ無く突如発生した全く以て対処不可能な圧倒的な天敵―アラガミによって多くの部下、上官、そして民が目の前で敢え無く散っていく様を見、またそれの何千、何万倍の犠牲の報告を耳にする。
その惨状を前に彼に出来る事は抵抗等では最早無く、ただ逃げるだけであった。怪我をして動けない同胞、そして民を見捨てて敗走、背走を繰り返す―その屈辱と無力感に苛まれながらも少しでも、一人でも多くの人々を逃がし、生きのびさせる事を目的に軍人として行動した。
しかしながら自分達を根本の意味では守ることのできない軍人に対しての不平、不満は世界中で浸透していき、そして「軍」というものもあくまでロボットでは無い「人の集団」である以上、混乱、暴走は生まれてしまう。
確かに彼等の持っている既存の武器、兵器はアラガミには全く通じなくとも、人間相手では未だ十二分に機能するからだ。アラガミに背を向け、敗走する彼等の銃口は自然その背後に居る民間人に向いた。
侵略、略奪、強姦、殺人。
軍人―否、もはや無秩序の暴徒と化した連中が世界中にアラガミと共に跋扈した。
そしてその情報は真偽問わず、異常発達したネットワークによって瞬時に拡散されていく。「信頼」の伝播は非常に時間がかかるが、「不信」の伝播の速度はまっこと異常に早いのが世の常である。「信頼する事」より「相手を疑う事」の方が遥かに簡単であるからだ。その疑心暗鬼は容易く人の心を夜叉に変え、無為な衝突が世界各地で発生する。
結果ナルの父は軍人として本当に倒すべき敵―「アラガミを倒す」という点では一切の武功を得られぬまま、世界中で何十人、何百人もの人間を治安維持の為殺した。
多くの人間を殺した人間は時に「殺人者」では無く「英雄」になると言われる。が、ナルの父が出来た事はその実圧倒的な敵を前にして正気を失った人間同士の内輪もめを鎮圧するためのただの無意味な殺戮であった。
そんな軍人としての「力」「誇り」「義務」全てを完全否定された時代、土台の上で彼は生き残る。失意もあった。絶望もした。それでも生き残った者として彼はその土台の上で新たに築こうともしていた。地に堕ち、血に塗れた手で彼は作り上げる。新たな種を捲き、芽を育てる。
新たな芽―自分の意志を受け継いだ子供達に自ら味わった苦難、屈辱、辛酸を糧にこの時代に合わせた必要な「力」「知識」そして何よりも「素養」を得て今度こそ本当の敵―アラガミと対峙し、民を救い、同時子供達も胸を張って新しい時代を生きていけるように―そう願った。
しかし結果それは報われない。自分の子供達全てにその資格が無い事を知った彼の失意、そして運命は皮肉な事に彼の手を生涯最後まで血に塗れさせる。それは憎き本当の敵―アラガミのものではなく、皮肉にも悉く彼が軍人として守るべきだった人々、そして血を分けた実の子供達の血によるものだった。
そんなあまりに過酷な時代、運命を生きた父をナルは否定し切れない。
やはり。
―変人なのだろう自分は。
ナルは自分をそう自己評価し、同時父の、そして死んでいった兄弟たちの雪辱を果たす事の出来ないままただ一人生き残った自分を恥じた。
そして同時に実は心のどこかで兄弟の中で自分一人が生き残れた事に安堵する自分が居る事を―
恥じた。
瓦解した家族も姓も捨て、数ヵ月後、保護観察、精神ケアを終えたナルは養子に出される。そんな彼女を引き取ったのが―クラウディウス家で在った。
「ようこそナルフ。今日からここは君の家、私達の家族の一員だ。どうか娘たちと仲良くしてやって欲しい。さぁ…お前達も挨拶をしなさい」
美しい紅い髪をした身形の整った紳士が全く嫌味の無い笑顔と声色で優しく荘厳な玄関の前で彼女を向かい入れる。彼の両隣りには二人のタイプは全く異なるが双方美しい人形の様な少女がナルを興味深そうに見ながら微笑んでいる。
「解ってるわよパパ!よろしくね。ナルフ!…『ナル』でいいかしら?」
お転婆だが利発そうな赤髪の美少女がいち早くナルに歩み寄り、彼女の両手を握る。
「私はレア。『レア』でいいわ。そしてこの子が妹のラケル!」
「お姉さま。ズルイわ…自己紹介位は自分でさせて下さいな…。はじめまして。ナルフお姉さま?ご紹介に与りましたラケルと申します。お会いできて光栄ですわ」
電動の車椅子をゆっくりと走らせ、はち切れんばかりに元気そうな赤髪の姉とは対照的に儚げな金髪の美少女がナルに握手を求めつつ、美しい顔を傾かせながら微笑む。
「……よろしくお願いいたします。ジェフサ様。レア様。ラケル様…」
これがナルとクラウディウス家の出会い。
元々容姿端麗、文武共に長け、さらに少々特殊な一家、生い立ちゆえか万事控えめで礼儀正しいナルはクラウディウス家に早々に溶け込んだ…と言うのもやや語弊があるか。
彼女はクラウディウスの姓を貰いながらもジェフサ達親娘から一歩距離を置く。常に敬語、敬称を彼等に遣い、同年齢のレア、ラケルにつき従って一歩引いた場所から彼女達を立てる様は義理の姉妹と言うよりも使用人や下女に近いものだったと言える。
さらに歳も近く、対照的な性格のレアとは「姉妹」としてよりむしろ「主従」の関係として見れば周りの眼からは余程しっくり来た。お転婆で行動的なレアに対して一歩下がって彼女のフォローをする役目を与えられたナルは幸いにも自分が後から来た余所者、世間的には「狂った罪人」の娘であることの負い目を緩和させる。
しかしその互いの状況に異を唱えたのは意外にも…当のレアの方であった。何事に於いても自分を立てるナルの行動は当時のレアにとっては少々屈辱であったらしい。
元々彼女自身も容姿に優れ、勉学に於いて優秀かつ負けず嫌いな血気を持った少女は自分と同等かそれ以上の器量を併せ持ちながらも必要以上にそれを出さないナルにいら立ちを覚え、何度も彼女に言い寄った。その度にナルは苦笑しながら誤魔化す―そんな日々が続いたある日の事であった。
「~~っ!!ナル!!」
レアは腕を組み、苛立たしく、そして忌々しそうに苦虫を噛んでいた。
「は、はい?」
「もう私怒ったわ!!ついて居らっしゃい!!」
「えっ?ええっ!?」
クラウディウス家邸内、レアの自室にて、いつものようにチェスの勝ちをレアに譲ったナルは笑って「やっぱりレア様には敵いませんね」…なんて言いやがるもんだからとうとう痺れを切らしたレアは彼女の手を取り、走り出した。
「ど、どこにいくんですかレア様!?」
「『様』じゃ、ない!『レア』でいいといつも言ってるでしょう!?」
噛み合わない会話を交わしながら二人の少女は広いクラウディウス邸内を駆ける。そしてとある一室のドアの前で漸く怒れる赤髪の少女は足を止めた。その一室を前にしてナルは流石に慌てた。
「え。ここは…ジェフサ様のお部屋!ダメです!!レアさ…レア!!お叱りを受けてしまいます!!」
「知らない!一緒に怒られましょ!」
「…え~!?」
返す言葉も見つからないまま言われるがまま、ナルはジェフサの部屋に招き入れられる。
入室後―
「う~~んっと~~…」
あわあわきょろきょろしている背後のナルに一瞥もくれず、レアは徐に何百と所狭しと本が敷き詰められた壁一面の書斎をう~んと背伸びしながらまだ小さくも女性的に綺麗に整えられた指先の先端でなぞり
「...ここ!」
確信めいた声を上げながら一つの本をレアが奥に押し込む。すると巨大な書斎が音を立てて横滑りする。何とも古典的な仕掛け。要するに「隠し部屋」で在る。
ここは開閉された回数がコンピューターに常にカウントされ、ジェフサの携帯している端末にリアルタイムで送信されている。レアが開けた時点でお叱りはすでに決定である。普段は優しく、娘たちにとことん甘いジェフサもこの時ばかりは烈火のごとく怒る。
それでもレアはナルにここを見せてあげたかった。厳密に言い換えると「この先」を。
「いらっしゃい。....ナル」
レアは真剣な表情でナルに手を伸ばす。有無を言わせない真っ直ぐな視線。吸い込まれるような紺碧の深い海の様な深い蒼。
「...はい」
ナルはその手をとり、深く頷く。
ジェフサの私室は基本使用人も入室を禁じられたクラウディウス邸内でも特殊な部屋である。意外にも研究、仕事以外では無精な所があるジェフサが直ぐに散らかすので怒ったレアが何度も無断に入室。わざわざ可愛らしい使用人姿に化けてまで掃除をし、度々ジェフサにとがめられた。しかし、生来の負けず嫌い、お転婆であったレアは「散らかすお父様の方が悪い」と頑として譲らず、根負けしたジェフサが入室を許可したという背景がある。
しかし―
ジェフサが自室に使用人はおろか愛する実の娘にまで入室を禁じていたのは訳がある。
確かにジェフサはレアに掃除の際のみ入室を許可したが、その先の一室―隠し部屋に入ることを厳禁していた。愛する妻を早くに喪い、喪失の悲しみからねじ曲がった性癖に目覚めた―とか在りがちなそんなやましい何かが有るわけではない。
只危険であったからだ。
レアだけが知るジェフサの私室の秘密―それは地下の神機兵研究室へ繋がるエレベーターが私室の書斎の裏に設置されている。
「…っ」
ナルは押し黙る。自分を取り巻くエレベーター内の重々しい空気に。
意図的にジェフサ・クラウディウスはクラウディウス家の奉公人、そして愛する自分の娘達が何かの間違いで「これ」を見つけた際、入室を躊躇うように設計したのだろう。至る所で陽の光が差すようにそこに居る人間がだれしも心地よく感じる様に設計された邸内と異なり、そのエレベーターは漆黒の物々しい「戒め」を感じさせる格子状の装飾が施されている。
軍閥家系出身ゆえに歳の割に肝が据わっているとはいえ、まだ十代の少女には酷な物がある。おまけに立ち入り禁止の開かずの間に足を踏み入れようとしているのだ。生まれて初めて禁を破っている恐怖。生まれて初めてのお仕置きもすでに決定事項。
自然、レアと繋いだ右腕がじっとりと汗ばむ。
その手を―
「…!」
レアは無言のままぎゅっと強く握り直す。恐怖に戸惑い、おずおずとレアを見るナルに視線を送ることなく、真っ直ぐとした視線は前だけを見ていた。
彼女自身も禁を破って大好きな父親に叱られる事が既に決定しているのだ。快く思っているはずが無い。しかし、その真っ直ぐな蒼い瞳に迷いは無かった。
―…あれ?
どくん…どくん
いつしかナルの心から恐怖は消え去り、初めていつもの安全な道を外れ、行ったことのない、はっきりとした行き先も解らないあての無い小さな冒険に出かける前の少年に宿るような胸の高鳴りを感じていた。
それでも
―流石にいきなり「あれ」を見せられて恐怖を覚えない女の子はいませんよ。レア。
後々その時の事を思い出すたび、常々ナルはそう思って笑う。
何気ない日常の中で突然レアに連れ出された非日常―その先で最初に少女時代のナルの心を支配したのは「怒られる」「叱られる」こととは全く別物の恐怖であった。
「……レ、レレレレレア!!!?こ、これははわわわわ!?」
歯の根がかちかひかちかひ噛み合わない。ナルの細い脚も既にがくがく。
そんなナルの姿を少し呆れた顔で見ながらもレアは一旦ナルの手を離し、先行しつつナルを手招きする。まるで初めての高所を怖がっている子供をゆっくりと先導しつつ、その先に拡がる絶景を見せたがっている母親の様に。
「…大丈夫よナル。怖がらなくていいわ。
この『コ』は敵じゃない。それどころかこの『コ』は―
私達人類の希望なんだから」
レアは円柱状のガラスコーティングをされた水槽の中で青白い培養液に浸された更に紺碧の深海の如きメタリックブルーのカラーリングをされた生気の宿らない眼をした巨人の頭部を愛おしそうに眺める。
「この子がパパ…ううん。ジェフサ・クラウディウスお父様の夢、それは私の夢そのものでもある」
神機兵―
神機適性を持たない人間がアラガミに抗する術を手に入れる現状唯一の手段。
与えられなかった「持たざる者」に本来存在しえない福音、祝福を与える物。
「ブルーローズ」