生まれながらにして王だった。
戴冠した兜で敵対する者の攻撃を悉く弾き、漆黒の悪魔の如き赤黒い翼の先端に揃えられた硬質の刃を以て獲物を突き刺し、切り裂き、それでも尚反旗を翻す者には無慈悲の雷の鉄槌で断罪し、跡形もなく消滅させる。そうやってひたすら下々の者どもを蹂躙する―それが彼の「日常」であった。
ディアウス・ピター。
「アラガミの王」と恐れられ、アラガミの生態系地位の中でも間違いなくトップクラスの怪物として生まれ、その上「彼」は更に特殊だった。
確かに彼は「ディアウス・ピター」だった。しかし彼はその中でもまた突然変異の結果全く別種とも言える進化を遂げた亜種で在った。
天なる父祖―
元々がアラガミの王と呼ばれる原種―ディアウス・ピターの進化の先端に彼はイレギュラーに生まれた近縁種で在り、変異種で在り、そして固有種であった。
鉄壁の甲殻を纏い、全く以て無慈悲な圧倒的な攻撃力、機動力、遠中近、広範囲を正確に射抜く神の鉄槌の如き雷撃。そして獲物を容赦なくバラバラに四散させる刃翼のマントを羽織った完全なる王の中の王―それが彼であり、彼自身もその事に対して全く疑いを持たなかった。
彼の行く先々、出会う者たちは全て道を開け、彼の気紛れ如何であっさりその身を贄として差し出す他ない搾取されるだけの者達―彼にとって己以外のこの世界を構成する要素などその程度の認識であった。
そして今日も相も変わらず荒廃したこの世の果ての中心を我が物顔で彼は闊歩していた。己の身に危機を与えるもの等この世に存在しないと疑いもせず。
彼の根城は前時代「摩天楼」と呼ばれたかつて世界最大の都市として栄えた地―マンハッタン島。朽果てた高層ビル群が立ち並ぶ現在全く以て無人のこの地は絶対的な王である彼に相応しい王国と言えた。
その地が本日妙に騒がしい。どうやら世間知らずな「闖入者」「余所者」がもめ事を起こしているようだ。
父祖は自分が「王」である事を確認する意味としてこの摩天楼―自分の縄張りに在る程度他のアラガミが居座る事を許容している。入り組んだ地下鉄構内やアベニュー、中型種程の大きさであっても在る程度隠れ蓑として機能するかつて世界一の巨大都市はアラガミの住処としては最適である。
世界の各支部で内部居住区と外部居住区、貴族や為政者達特権階級が安全な中心地に居を構え、貧民や下層階級が外部に居を構える―これはアラガミ界でも当てはまるのである。
父祖は自らの縄張りに移り住んだ下層アラガミをただ排斥するのではなく、自分の根城の「堀」として住まわせ、このマンハッタン島を難攻不落の要塞としたのだ。
そして己はその中心に立つ絶対の王として君臨し、他のアラガミはおろかGEですらも寄せ付けない不可侵、絶海の孤島にマンハッタン島を変え、現在に至る。
かつてエイジス島を根城にしていたディアウス・ピターもリンドウがアラガミ化したハンニバル―真帝によって倒されるまでエイジスを要塞化させていたし、更にそれ以前リンドウと第一部隊を襲った因縁の個体も同時に何頭かのヴァジュラ亜種―プリティヴィ・マータを囲い、旧市街を根城に「ハーレム」を構築していた。
ディアウス種は「アラガミの王」の名に恥じず、絶対的な力と同時に己以外の他者を自分の管理下に置くことによって自己存在意義を確立する謂わば「支配欲」のようなものを持っている。よって―
ドッドッッドドドド!!
巨大な漆黒の巨体で大地を踏みしめ、砕きながらかつての大通りの中心を我が物顔で彼は高速で駆け抜ける。その行く手を阻む者などいない。凶悪な人面をした黒い獅子は目的地―世間知らずの侵入者が騒ぎを起こしている地点にまで一直線に駆け抜ける。
自分の管理下の縄張りに侵入し、無礼を働く無法者に対して彼は容赦しない。他の居住アラガミへの見せつけの意味を込めて嬲り殺し、喰い殺す。その示威行為によって己がこのマンハッタン島を現在制している事を自他共に再認識させるのだ。
迷路のように入り組んだ通りを瓦礫、前時代の朽果てた車両をおもちゃの様に巻き上げ、赤黒いオーラを纏った凶相の人面獣はその双眸に今無法者を捉えた。
…見つけた。
無法者は正確には無法者「達」であった。二つの巨体―内一体は四足歩行のアラガミ。ディアウスピターに背を向け、もう一体―二足歩行のアラガミと対峙し、一定の距離を取りながらお互いの間合いを図っている最中―そこに今この地の絶対的王―ディアウス・ピター変異種―父祖は全く躊躇なく乱入。同時―
ぎちり
そんな湿った音を立て、父祖は自らの後背部を解放、動物の肋(あばら)もしくは鳥類の翼の骨組みの様に配列された赤黒く禍々しい硬翼刃を展開しつつ、対峙していた二つの巨体のうち一つ―四足歩行のアラガミの背後をついた。その巨大な硬翼刃を開いた圧巻のその姿は空を真っ黒く覆い尽くし、元々巨大な父祖を更に巨大に、同時強大に見せる光景であった。並大抵のアラガミがその光景を目の当たりにすれば唖然と立ちつくす他ないであろう。
この無法者の内一頭を一撃の下切り裂き、喰い殺し、その光景を無法者のもう一方が唖然と見送る他ないと言うほどの圧倒的な搾取の光景を見せつけ、あっという間にこの場を支配する―それが父祖のプランで在った。
彼の彼による彼のための秩序を無法者に知らしめるプラン。まずはその第一手、万物を切り裂く硬翼刃を以て目の前の獲物をバラバラに引き裂く―
ザス
…?
手応えが無い。それどころか。
ブッシュウウウウウ!!
父祖の肩口から何か赤黒い液体が間欠泉のように噴き上がっている。そこは丁度父祖が絶対の自信を持つ超硬質の刃を持つ翼の付け根部分であった。
……?
未だに父祖は自分の身に起こった事を理解できない。そんな彼を置いてけぼりにしてヒュンヒュン空を裂く何かが回転する様な音が彼の真上から響き、それは間もなく
ザスッ!
ドスッ!
父祖の両脇で突き刺さる音に変化した。放心状態の父祖は紅い眼をじろりと目線のみ向ける。先ずは右、そして次に左へ。
...?
そこには己の絶対武器―硬翼刃が二対突き刺さっていた。そこで父祖はようやく理解する。硬翼刃が一瞬にして根元から刎ね飛ばされた事を。それも両方同時にだ。
……!……?
父祖の攻撃の八割方はこの硬翼刃を起点としている。斬撃はもちろん、多彩な雷撃もこの部分から放電した電気を収束させ行っている。その始点を一瞬にして刎ね飛ばされたのである。父祖が混乱し、自分の処遇をどうしていいか解らず、まるで子猫の様に居心地悪そうに体を揺する程度の事しか出来ない。父祖は今自分が王であった事すら忘れた。
しかし、その状況を恐らく引き起こしたであろう目の前の張本人―四足歩行のアラガミが次に起こした意外な行動に父祖は目を疑った。
…。
侵入者はゆっくりくるりと父祖から背を向けたのだ。まるで「背後を振り返ったが特段何もいなかった」かのように再び自分が先程まで対峙していた者の方向を向いたのだ。父祖は唖然と立ちつくす。
……!!!!
そして徐々に「理解不能」から困惑、そして屈辱の感情を覚えた父祖は己を取り戻す。確かに硬翼は失った。プライドも砕かれた。しかし武器は残されていないわけではない。牙、巨体に前腕の爪、一矢を報いるには充分過ぎるほどの物
を己が備えている事をようやく思いだした父祖が背を向けた侵入者に対し攻勢に移る。
しかし―
…
先程父祖から背を向けた侵入者は相も変わらず振り返ろうともしない。
彼の中には最早父祖「など」眼中に無かったのだ。このマンハッタン島を制していたたった一体のアラガミなど彼にとって―
「その他大勢」「井の中の蛙」にすぎなかったのだ。
そしてそれは彼と対峙したもう一体のアラガミにとっても全く同じ心象であった。
先程まで対峙していた者同士はほんの一瞬であるが現在彼らはひとつの目的の為に足並みを揃えていた。その目的とは「無粋」で「身の程知らず」な乱入者に早々の退場を願う事に他ならない。
スッ
ほんの少しだけ未だ父祖から背を向けたままの侵入者がしゃがむ。その真上を軽快な空を裂く音とともに一閃の鋭い閃光が走ると同時―
――!!??
ずるり...
父祖の視界がズレていく。視界の上下が一つの線を境に全くあべこべの方向へずれているのだ。
今まで彼の歩んできた道は全ての物が見えていた。明らかだった。至極単純だった。絶対的な己の力、それに恐れ慄く他者。誰もが彼を怖れ、その道を開けた。そんな視界良好の中を彼は生きた。
しかしどうだ。
今の彼には最早何も見えない。何も解らない。ただワケも解らぬまま己の体が直に何の自由も利かなくなるほど瞬時に壊れていくのを自覚する暇すらなかった。
彼はある意味幸せだったかもしれない。己を遥か超える絶対的な力をはっきりと頭で自覚することなく今事切れる事が出来るのだから。
「井の中の蛙」に相応しい最期であると言える。
父祖の体は今、耳まで大きく裂けた口を切り口に彼の尾部まで一直線に真一文字に切り裂かれていた。
「絶命」という言葉すら生ぬるいほどの「絶死」である。
一瞬で黒い肉のカタマリと化した父祖の巨体が地に伏そうとしている。
しかしそんな最早「瑣末」と言える物体も今対峙している両者にとって目障りな物体であるらしい。
両者の対峙に水を差した乱入者に背を向けていた四本足のアラガミは突然大地を踏みしめ、まるで「とぐろ」を巻くように上体を柔軟に捻らせ、次の瞬間竜巻の如く天に向かって機敏に身を翻した。
その回転は軽快に空気を竜巻の如く巻き上げ、父祖の残された巨体をも難なく空中に打ち上げる。そして同時に
ザシュッザッザザザザ!!!
まるでカマイタチの様な空圧の刃が竜巻内で父祖の体を四分割、八分割、十六分割、三十二分割…更に加えて切り裂く。その竜巻の暴威が止んだ時には
ぼちゃぼちゃぼちゃぼちゃ!
無数の赤黒い細切れの肉が雨の様に両者に降り注ぐ。二十メートル近くの巨体が瞬時に一切れバレーボールほどの大きさのサイコロステーキにされて上空を舞っていた。
場と己を弁えぬ無粋な脇役を排し、「舞台」はようやく本題に入る。
カキン!
空を舞い、父祖を上下に「捌いた」二足歩行の一体はもう一体に背を向けたまま軽快に己の得物を格納し、そんな彼の背後で
ドスン!
四つん這いの姿勢でもう一体が着地する。
今回の「舞台」の真の主役である対峙した二体のアラガミ―その姿は偶然か、それとも運命か。
両者ともに深紅の体色を纏ったアラガミであった。
一方は乱入者を上下二つに「捌いた」紅い竜騎士。欧州支部グラスゴーの現役神機使い二名を襲い、一人を殉職に追い込み、再三に渡り派遣された各支部の追手を楽々振り切って欧州近辺から忽然と姿を消した怪物―
深紅の体に全く対照的な絶対零度の冷気を纏った熾帝―
ルフス・カリギュラ。
対するは
完全なる「UNKNOWN」。未確認アラガミ。
まるで燃え盛る様な紅蓮の体毛に覆われ、側面には袈裟がけ状にその獰猛さ、凶暴さ、強大さを体現する様な禍々しい黒い斑模様が走っている。
その呼称はその後遭遇した人間達にによってこう呼ばれることとなる。
「赤斑」(アカマダラ)
と。
形態は犬、猫などと同様四足歩行でありながらまるで昆虫であるかのようにもう二対の、歩行に使用しない腕が肩口より角の様に生えている。なり形は獣に近いが一部昆虫とも共通する特徴を持った異形である。しかしそれだけでは無い。
フルルル…
キシャアァァ..
その双腕は紛れもなく「生きていた」。まるで神話の中で多数登場する三つ首の怪物、キマイラ、ケルベロス等の様におぞましいほどの狂暴そうな面構えをした蛇のような怪物の顔が腕の先端に象られている。「腕」と言うより最早「首」と言って差し支えない。
そしてその首の口からは先程乱入者の硬翼刃をあっさり根元から切り落とし、最後に乱入者を粉々に切り裂いた刃が喉元から生えていた。加えてその体には対峙した熾帝とは真逆、その燃え盛る様な姿に相応しい極東で発生したいくつもの火属性アラガミを遥か凌駕する金色の炎を纏っている。
絶対零度の熾帝―ルフス・カリギュラ。
灼熱の業火を纏うUNKNOWN―赤斑。
全く以て対照的な両者だが奇しくもその纏った体色は「紅」。そんな紅「二点」がかつて世界最大の都市であり、幾多の世界一の概念が集合し、鎬を削ったここマンハッタン島で今対峙しようとしている。曾てこの星の支配者であった人間を完全に排して。
この世の何者もこの二体のアラガミの深紅の潮流に割り込む事など出来ない。
――――!!!
――――!!!
両者の咆哮が空位になったマンハッタン島のアラガミの玉座に響き渡る。
マンハッタン島は今。
地図から消滅しようとしていた。