「誰!?」
リッカは声を荒げた。
無人であるはずの照明の点いていない神機整備室―そこに佇む一つの影を確認して。
「…!!!??」
その瞬間猛烈なデジャヴがリッカを襲う。
この光景は。
この状況は。
確かこれは―
―…「君」と初めて出逢った日と…おんなじ。
「…エノハ…!?ひょっとしてエノハなの!!!???」
思わずこう叫んでしまった。反射的に。衝動的に。
自分の指先の神機整備室の照明のスイッチを押す前にせっかちなリッカの衝動、情動が早く答えを出して欲しいと前に出る。そしてすぐに答えは出た。照明が点く前に。
影が答える。
「…は、はい。そうですけど…」
「…!!!」
―…やっぱり!やっぱり!!…エノハだ!!!
同時にリッカは照明のスイッチを押す。照らしだされようとしている光景を待ちわびる。
―ああ!なんて。なんてもどかしい時間!!
そんなリッカを前に尚も影は言葉を紡いだ。
「あの…」
何とも他人行儀で遠慮がちに―
「ん?」
こう言った。
「あの、その…どこかでお会いしたことありましたっけ…?」
「…え?」
神機整備室の照明に光が灯るのとは対照的に、待ちわびた光景を目の前にしたリッカの瞳には影が暗闇の中で言い放った最後の言葉が残した困惑の色が宿っていた。
数分前―
2074年
フェンリル極東支部―通称アナグラ。エントランスにて。
「なぁ~~今夜ぐらい一杯どうかな~?今度出来たいい店の予約取ってるんだけどさ~~」
長身にタイトな黒いライダースジャケット、深紅のボトムス、豹柄の差し色をブーツ、トップスのインナーに覗かせ、細部に金色の小物をちゃらちゃらと光らせる一見いかにも軽薄そうな男がその風体に偽りなく、軽いノリでつかつかと「とある」女性の後ろをついていく。
しかし、先行する女性は澄まし顔、どこ吹く風でつれない態度を保ちながらも、きちんと振り返る。頭頂部で結えたポニーテールを揺らして。
「ようやく振り返ってくれたか!よっしゃ射止めるぜ!」と彼流の百戦錬磨の決め顔をした長身の男を上目遣いで見上げながらにっこりとほほ笑む。
「うん!いいですね。お仕事のお話、神機に関する相談事ならいくらでも歓迎しますよ?ハルさん?あ。それとも例のカノンちゃんの件で何かご相談が?ならカノンちゃんも一緒に行きましょうか!」
「あ、あ、あ~そう来る?いや~カノンちゃんは、その~~」
目の前の女性と彼―現在極東支部第四部隊の隊長を務める真壁ハルオミにとって唯一の部下―台場カノンという見た目は麗しいが少々扱いに困る部下をご指名され、ハルオミは少し途方に暮れる。普通に考えれば「女性二人と男性一での飲み」と言う「両手に花」の男にとってこれ以上ない美味しい状況であるはずなのに彼の表情は冴えない。
一応二人とも成人しているので「色んな意味」で問題は無い。
実際にカノンが彼の部隊に配属された当時、可愛い部下が出来たと内心ほくそ笑んで飲みに誘ったが度を過ぎる彼女の天然っぷりに全く話が噛み合わず、酔いだけが回ると言う苦い経験をしている。おまけに飲み食い代が割に遭わない。彼女の意外な大食ぶりに彼も彼の財布も眼を回した。食った栄養全て胸に行ってるんじゃないかと思えるほどの勢いであった。
下心アリの上司の男のタダメシを容赦なく男の財布にクリティカルダメージを与えるほど食らって「本当のエサ」を与えず、定時に帰る。出来そうで中々出来ないことである。
あれを天然でなく、もし計算でやっているんだとしたら彼女は自分の手に負えないとハルオミは判断し、今に至る。
そんな彼女を交えれば折角の飲みの席で恐らく確実に主にカノンを題材とした仕事の話になる。下手をすれば
「カノンちゃん。そろそろ君の神機のオラクルリザーブの解禁を検討しようか。ねぇハルさん?良いと思いませんか?」
という最終兵器を持ちだす可能性がある。つまり結論はこうだ。
今現在ハルオミが誘っている女性はそもそもこの誘いに乗る気など毛頭ない。
―こうなったら、少し強引だが…。
「…わっかんないかなぁ…?俺はね?君と二人きりで飲み明かしたいと思ってるんだよ?」
ハルオミは「ギア」をもう一段階上げる。遠まわしでは無くストレートに。しかし口調は低く、ソフトに。女性のラフなむき出しの肩に手を回して軽くタッチ。
「どうかな?楽しくなかったら帰ってもらっていいからさ…だから行こうよ?ね?
リッカちゃ…いててててててててっ!!!!」
「…気安く触んないのっ♪」
肩に回されたハルオミの手の甲を思いっきりつね上げた女性―楠 リッカは悪戯に笑ってハルオミの右手をゆっくりと振りほどく。
「いってぇ…リッカちゃ~~ん酷いなぁ?俺は本気だってのにさ~~」
「およ。『本気』なんですね。昨日はヒバリ、一昨日はサテライト支部のヘルプで初対面のジーナさんに速攻モーションかけて、その前は輸送班の新人の女の子でしたっけ?」
「げ。そんな情報が何時の間に…」
「ハルさん各支部でブラックリスト化してますからね。情報回って来てるんですよ。査問会の女性職員に特に評判悪いんで」
「査問会の女性職員って…ひょっとして上海支部のランの件か?いや、あの子か…いやひょっとしたらアイツ?」
心当たりが多過ぎる。固有名詞が殆ど出てこないレベルだ。そんなハルオミにリッカは苦笑して溜息を吐き、こう告げる。
「…ハルさん?」
「はい?」
「女の子を相手に『本気』の安売りしちゃだめですよ。じゃ」
リッカはそう言い残してエレベーターのシャッターを閉め、軽く手を振る。ハルオミもそれに応える。
―…「本気」…か。
さっきまでの軽薄さと打って変わってやや真剣な表情をしたハルオミが苦笑いでリッカを見送った。
「さて…今日もムツミちゃんところで一人寂しく呑むとしますかぁ」
―かつて「本気」で愛した女性(おんな)を想いながらって所か…。
ハルオミはエレベーターの逆方向―新設されたアナグラのラウンジに向けて歩き出す。
「…。この際小学生でもいいか…。かの高名な光源氏はそのぐらいの年齢から既に将来の美人の目星をつけてたって言うしな♪よおっし~~お兄ちゃん頑張っちゃうぞ~~もうすぐオッサンだけど~~♪」
「…」
新たな火種を階下に居るアナグラの主任オペレーター―竹田ヒバリに聞きとられた事も知らずハルオミは意気揚々と歩きだしていた。
ハルオミからの熱烈なアプローチを歯牙にかけずあしらった後、リッカは神機整備室に戻る。
そして―
冒頭―現在に至る。
遅ればせながら照明が灯る。
追い求めた。探し求めた待望の瞬間の光景をリッカの目に映しだす為に。
「エノハ」が目の前に居る。その事実だけで一秒が何分にも、何時間にも感じた。
だって影はこう答えた。確かにこう答えた。自分が「エノハである」と。
待ち焦がれた瞬間が今目の前に在るのだ。リッカの体内時間が時間を進めるのをサボるのも無理はない。
しかし―
どこかでリッカはおかしいとは思っていた。
―彼はいつも急だった。突然だった。急に私の目の前に現れ、私の心の大半を持って行ったまま突然に私の前から姿を消してしまった。だから急に、突然にもう一度彼に再会できてもおかしくはない―そう思っていた。
こっちの都合はお構いなし。突然現れ、突然去っていく―
いつも彼は―
「時不知(ときしらず)」
何時になるかも解らない。帰ってくるのかも解らない。
彼はいつも急だったから。いつも突然だった。
だからこそ私はこの激しいデジャブの様な突然の出来事に完全に我を失ってしまっていた。
暗闇から響いた声―私の事を「知らない」。「どこかで会っただろうか」と答えたその声が―
決して「エノハ」の声では無かった事を。
「……」
我に帰った私の眼に。
「あ…」
怪訝な顔をした美しい女の子が眼をぱちくりさせて私を見ている光景が映った。
透き通るような白い肌、蒼白い大きな瞳。味気ない神機整備室の照明でも十二分にその輝きを照らしだす艶のある美しいショートの金髪を纏ったまるで天使の様な綺麗な女の子がそこに居た。端正な顔立ちだけでなく、黒を基調としたタイトな軍服を身に纏ったシルエット、スリムながらも女性らしい丸みと膨らみが嫌みなく協調されているその姿は同性のリッカであっても思わず見惚れるほどの少女である。
リッカが短い時間の間に度重なって銜えられた衝撃に我と言葉を失って何も言えなくなる中、同様に目の前の美少女もまた言葉を紡ぐ事に難儀していた。
「あ、そのダミアン…さん?が、ここに行けばその…ここの神機を整備してくれる方に会えるって伺ったんで…その、」
「…っ…あ、ああ…だ、ダミアンが…?」
ダミアン・ロドリゴ。現在極東支部で新人神機使いの指導を行う傍ら、整備班でとある新興プロジェクトの立ち上げに参加、協力している職員である。
「あと『口説いとけば色んなことで融通利かせてくれるぜ。気にいられときな』って」
神機整備室で会えて口説くと融通聞かせてくれる人間―つまり恐らくは自分の事だとリッカは理解する。この少女はリッカに会いに来たのだ。
「ご、ごめんなさい!会いに来たのはいいけどよく考えたら『帰り道解らんな』思て誰か来るまで待たせて貰ってたんです!かと言って電気のスイッチどこに在るか解らんわ、勝手に何か押したら怒られるかもしれへんわでもうパニックやったんですよ~」
「あ。ああ!そうなんだね。ま、まぁ迷うよねココ」
「よかった!よかった!生きて帰れそうや!ホンマ良かった~~」
天使の様に美しい顔をした少女にひたすら謝られてリッカ困惑。
そして同時リッカは理解する。このタイミング、そして見慣れない初対面で或るこの少女の正体が―
「そっか!君がひょっとして噂の―」
―えと、なんだっけ…そうだ!思い出した!
「…君が『ブラッド』の人?」
「そうです!ひょっとして貴方がダミアンさんの仰ってた楠 リッカさんですか!?」
「う、うん。そうだよ」
「わぁ。よろしくお願いします!それにしても感激やなぁ…新しく来た所で早速名前を知ってもらえとるなんて…」
「…え?」
「…?」
「ん…?んん…っ!?」
「リッカ…さん?」
何だ。何かおかしい。やっぱり何かどこか「通じてない」。いきなり目の前に現れたハッとするほど美しい少女のインパクトに掻き消されて何か自分は大事なものを忘れている―否「抜け落ちている」感覚があり、リッカはその根拠を未だ混乱している頭の中で整理する。順序立てて。
するとすぐに答えは出た。あの暗闇の中で先程まで正体不明の「影」であった今目の前にいる少女が言い放った言葉―アレがおかしいのだ。
「は、はい。そうですけど」―
「…ゴメンね。ちょっと順序立てて整理する。私の名前は楠 リッカ。ここの整備主任をしてる人間だよ。よろしくね」
「はい!よろしくお願いします」
「で、その…」
「はい?」
「君の…お名前は?」
「はい!では改めて!」
「私の名前はエノハです。フェンリル極致化技術開発局特殊部隊―通称『ブラッド』所属!伊藤 エノハ!よろしくお願いしますね!リッカさん!」
敬礼し、えへへと無邪気に美少女は笑う。
彼女の西洋的な特徴を多く持つ可憐な姿、そしてそれとはあまりにもギャップのある独特の訛りとイントネーション、そして紛れもない世界最高峰のGE集団のれっきとした一人としての立場を持つ少女に対して―
―…。
リッカは今全く頭が働かなかった。
「…あ。すいません!」
すれ違い様に肩がぶつかる。
エノハもこう見えてゴッドイーター。常人より遥かに優れた筋力を持っている。今の様にぶつかられたのが例え自分より大きな相手だとしても下手すると簡単に怪我を負わせてしまう。
しかし―
「…いや。こちらこそすまない」
ぶつかった相手―声からしてまだ若い青年らしい。フードをかぶって表情をはっきりと見せない男は全く揺らぐこと無くエノハに振り返り、軽く会釈する。風貌に比べると随分語気の物腰は柔らかい。常識と良識のある青年の様だ。
「…」
エノハは何故かその自分より高い背の青年の顔を覗き込むようにしてじっと見つめた。
「…?何か?」
「…あ!いえ…失礼しました!」
ぶつかった相手をいきなりまじまじと眺める不敬に我を取り戻し、エノハは頭を下げる。
「エノハ~?何やってるの~?行くよ~?」
エノハを呼ぶ声がエノハの背後からこだまし、エノハも振り返って「忘れてた」的に僅かに視線を背後に向ける。そしてもう少しちゃんと目の前の青年に謝るのが先か、まず仲間に一声かけるべきかほんの少しの思案する。
が。
「ふ…」
少し笑った目の前の青年はいかにも「お仲間が待ってるよ」とでも言いたげにエノハを肩で促し、助け船を出してくれた。
「全く気にしてないよ」とでも言いたげに。
「エノハ~?」
痺れを切らした様な声でエノハをせかす声が再び響く。
「あ―解った解った!今いくよ!!…それじゃあその…本当に失礼しました!それでは!」
「…」
青年はもう一度頭を下げ、すぐに踵を返して仲間の元へ走り出したエノハの背中を無言で見送っていた。
「エノハ遅いよ~」
「ごめんナナ。ちょっとあの人とぶつかっちゃって謝ってたんよ。でも全然怒って無かったみたい。ジェントルマンなエエ人やったわ。顔はよう見えへんかったけど」
「へぇ~そうなんだ。全く…副隊長はいつも危なっかしいですな!よし!私がお詫びを兼ねてさっきの人にナナ特製のおでんパンを…!」
「ナナさん。恐らくこの国の人におでんという食べ物はお勧めできませんよ。それにこの支部―ニュードバイに到着した二日前、ナナさんが部屋で保存していたおでんパンに過剰な発酵が見受けられたので大半を処分しました。よってナナさんの現在のおでんパンのストックはゼロなはずです」
「うわぁああああ!!!!シエルちゃんの鬼ぃいいいいい!!」
「ナナさん。先日の身体測定で貴方の体重が適性体重からプラス『ピー』キロ増加していますよ。これとナナさんが普段正規の食事以外で摂取している大量のおでんパンとの因果関係はやはり無視できないと考えられ―」
「ああああああ。もーやめてぇええええ!!」
そんないつもの微笑ましいブラッドの賑やかな仲間達のやりとりを見守りつつエノハは振り返ると―
「…あ」
先程エノハとぶつかった青年は風の様に姿を消していた。
「…多分やけど…
めっちゃイイ男やったな。また会いたいわ…名前なんて言う方やったんやろ…?」
ぽっと頬を赤らめ、ぽつりとそう呟いた。
「また始まったよ!エノハ副隊長の八方美人が!!どっかの支部に滞在する度にその都度犠牲者を増やさないでくれますかね!?副隊長!?」
「…あれが『ブラッド』か」
「うん。正確に言うとその六人の内の女性隊員三名だね。ジュリウス・ヴィスコンティ、ロミオ・レオーニ、ギルバート・マクレインの所属男性隊員三名は別行動中。で、あそこにいるのが―
黒髪の子はブラッド第二期候補生の一人―香月 ナナ。銀髪の子は第一期候補生で私らと同じマグノリア・コンパス出身のシエル・アランソン。そして…」
「…」
「…凄い偶然だね。本当にただの偶然?実はお兄の親戚とかじゃないの?」
「いや?俺の知る限り金髪碧眼のあんな美人の親戚は流石に居ないよ。ウチの親父が隠し子でも作っていたら話は別だけど…多分そんな度胸あの親父には無い。母さんにベタぼれだったしな」
「…美人、ね」
「ん?」
「いんや何も」
「初めまして。…伊藤 エノハ」
青年はフードを取る。癖のある髪を中東の風に靡かせ、青年―榎葉 山女は山の様にそびえたつ黒い鋼鉄の船―フライヤの中へ消えていく「ブラッド」三人の少女を見送った。