G・E・C 2  時不知   作:GREATWHITE

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地獄で何が悪い 2

「こういう事はやっぱり女同士でしか出来ないよね~~~」

 

「そ、そうだね」

 

ほ。

 

私が眠っている間、身の回りを主に世話してくれたのが今私の目の前にいるこの二人の女の子ということが解って取り敢えず私は安心する。

 

何時もは頭頂で結わえている綺麗な銀髪を下ろした同姓の私から見ても綺麗でカッコいい、とても年下とは思えない大人びた女の子ー「レイス」もといレイちゃん。

「レイちゃんは止めて」と言われたけど三回ほど私が間違えて言ってしまったあたりで「...もうそれでいいよ」って言ってくれた出来たコ。

 

ダメかな?かわいいと思うんだけどな...「レイちゃん」。

 

「リグ!ノエル!あんたら覗いたらぶっ殺すからね!エ...っと『サクラ』さんに言いつけるからね!?」

 

「うっせ!誰が覗くか!」

 

「覗かないよ~~~!だけど早くして!ここなんかスッゴく寒いんだよ!!」

 

この物騒な声をあげて廊下に待機している男の子二人を牽制しているのが赤毛とイタズラな緑色の瞳がとってもチャーミングなアナンもといアナちゃん。

 

「え~~ほんとにいいの~~?ほぉらイロハちゃんのお肌すべすべ~男として覗かなくていいの~~?この甲斐性なしどもぉ~」

 

つつつ…

 

「ひゃっ!アナちゃん!?」

 

「君は僕らに覗かせたいの!?防ぎたいの!?」

 

廊下に立たされた男の子二人のうちの一人―ノエル君の突っ込みを

 

「どっちも大歓迎。どちらに転がろうと私は楽しい!一向に構わん!!」

 

...アナちゃんはいい子だけど外道でセクハラ好きだ。

 

「はい。これで顔を拭いて」

 

他の三人のやり取りはどこ吹く風。COOLなレイちゃんは淡々と私の世話を焼いてくれる。

 

「ありがと...何から何まで。正直な話…私が眠っている間お世話してくれたのがレイちゃんとアナちゃんって聞いて安心したよ」

 

「ん?いんや?時々『サクラ』さんもお手伝いしてくれたよ。眠っているイロハちゃんの汗を拭いたり、下着の御着替えとかも」

 

「ええ!?」

 

「ふひひ~~冗談ですぅ~」

 

へにゃ…

 

私。脱力。

 

 

 

 

三分後

 

「リグ、ノエル。終わった。入っていいよ」

 

ようやく入室を許可された男子両名が寒そうに身をこわばらせながら入ってくる。女子三名がベッドの上で一列に並び『レイス』を先頭にしてイロハが彼女の髪を、アナンがイロハの髪を櫛で梳かしていた。

 

「う~ん栗色の髪の毛綺麗だね~イロハちゃん」

 

「ありがとアナちゃん。御礼に次は私がアナちゃんの髪梳くね」

 

「わ~い♪」

 

「...イロハさん髪とくの上手だね。アナンはがさつでちょっと乱暴だからさ。私いつも遠慮してるの」

 

「ガサツ!?わ~ん。イロハちゃ~~んレイちゃんがいじめるよ~」

 

「アンタは『レイちゃん』言うな」

 

「差別だ~」

 

「あははは」

 

銀髪、栗毛、赤毛。異なる瞳の色。性格。全く以て三者三様の佇まいながらまるで三姉妹の様であった。

 

 

「「...」」

 

野郎二人は極寒の廊下からようやく部屋に入ったはいいものの、病室内の物凄いアウェー感に閉口する。

 

「む。なんだアンタらいたんだ?さては廊下に立つと同時にどっか『他の部分』もたたせちゃってたんじゃないの~?は~やだやだ」

 

 

「...こいつ本当に殺してやろうかな」

 

「リグ。どうどう」

 

―エノハさんが居ないんだ。僕が頑張らなきゃ。

 

「くすくす…あはは」

 

こんな賑やかな時を過ごすのは何年振りだろうとイロハは思う。もともと彼女がアラガミから隠れ住んでいた難民キャンプ―通称アジールにも彼女の家族―レンカ以外にも何人かの子供達、同世代の友人がいた。しかし―

残念ながらこの時代は免疫力、抵抗力、体力に劣る女子供、老人から順に死んでいく。栄養失調、疫病、そしてアラガミによってイロハの同世代、生きていれば今の「レイス」達位の年齢の子供達は一定の年齢に達する前に大半が命を落とす。

 

悲しくも優先的に生かさなければいけない次の世代を見捨て、働けるもの、動けるもの優先のジリ貧の現状維持をする他無かった彼女の難民キャンプが滅ぶのは時間の問題と言えた。

何人もの共に遊び、髪を梳かしあい、協力して生きていこうとした同じ難民のまだ幼い同姓の友人達が志半ばで命を散らしていくこの地獄はイロハにより誰よりも大切な家族―最愛の弟レンカを守ってあげなくちゃと言う気持ちを一層強くさせた。

 

 

 

「ん」

 

「…レイちゃん?」

 

「レイス」が綺麗に整えられた銀髪をイロハに髪を結わえてもらいながらも顔を上げ、病室のドアを見る。

 

「…帰ってきた」

 

病室に近付く足音、歩幅、微妙な歩行リズムで彼女は個人を特定できる。それを裏付けるように病室のドアが開く。『サクラ』、そして彼に付き添ったナルの二人であった。

 

「只今…あ…二人が世話になってるねイロハ」

 

入室した瞬間、室内の主に女性陣の和やかな空気を感じたのか入室時のほんの暫時、やや険しい顔をしていた「サクラ」が表情を綻ばせてイロハに礼を言う。

 

「え。いえ!!そんな!むしろ二人にはお世話になりっ放しで!」

 

「そう?ならいいんだけど」

 

病室に用意された椅子をノエルより手渡され、「ありがとう」と呟きながら『サクラ』はベッドの「三姉妹」の前に腰を下ろす。ナルはノエルの差し出した椅子を「大丈夫です。ノエル座って下さい」と断り、エノハの傍らに立つ。

同時空気を感じ取り、「レイス」が

 

「...。うん。有難うイロハさん」

 

イロハに綺麗に整え、結わえてもらった髪を満足そうに靡かせ「レイス」は背後のイロハに少しだけ振り返り、凛とした横目を向けて微笑んでお礼を言いつつベッドから降りる。同時彼女に同調し、その場にいた「ハイド」の全員が姿勢を正す。

 

―あ。「替わる」。

 

先程まで少し年下の可愛い兄弟たちの様だった彼女等が途端、雰囲気を切り変えた姿にイロハは「サクラ」達が普段どんな世界で生き抜いているかをひしひし感じ取る。

 

そもそもイロハが廃工場内でアラガミに取り囲まれ、レンカだけを逃がしたあの時、状況は一般人では全く以て対処不能、絶望的な状況であったはず。そこに現れ、喰われている最中の自分を救助、同時救命し、彼等が何事もなく生き残っている事、おまけにリーダー格の青年が本名を名乗れない事から鑑みても自然、イロハにも彼等の特殊性が垣間見える。

 

「…」

 

改めて彼等は違う世界の住人達なのだとイロハは痛感し、疎外感を覚える。おまけに両足を失い、満足に歩く事も出来ない自分の現在の姿がそれに拍車をかける。

でも。

 

―今はしっかりと気を持ちなさい。イロハ。

 

父と母が生きていればきっとそう言う。

 

「聞かせてくれますか…レンカ…私の弟がどうなったのか」

 

 

「ん。了解」

 

「サクラ」は背後に立ったナルから端末を受け取り、しっかりとイロハの目を優しく見据える。

 

 

 

 

「…結論から言うと空木 レンカ君…君の弟さんは君と別れた地点周辺数十キロ圏内に点在するフェンリル管轄の支部、サテライト支部を含めて今のところ保護、収容された形跡、報告はない」

 

「サクラ」は淀みなくそう言い切った。

 

「…」

 

イロハは何も言わず、「サクラ」から眼を逸らすことなく見開いたままじっと彼を見る。

 

瞬きは必要ない。溢れ出る涙が徐々に彼女の薄茶色の瞳の全体を滲ませていたからだ。

しかし情動を抑えている、初対面時の様に泣き喚いたりはしない。その姿に「サクラ」は満足そうにふっと笑い、こう続けた。

 

「…ただし、だ」

 

「え…?」

 

「その弟さん……レンカ君が君の言うとおりGEのパッチテストに受かっていたとすると情報が他の支部に開示されない場合があっても不思議じゃない」

 

「どういう、こと、ですか?」

 

「GEは万年人手不足でね。支部間で適合者の貸し借りなんて日常茶飯事だ。とりわけ適合率が高い候補者なんて喉から手が出るほど各支部は欲しがる。奪い合いになることだって珍しい事じゃない。こと小さい支部に於いては権限の強い支部に即貴重な適合者を引き抜かれることを殊更嫌う。だから適合者が見つかっても即GE登録や住民データ登録をしない場合がままあるのさ」

 

「それって…つまり」

 

「レンカ君は既にどこかの支部に秘密裏に保護されている可能性はある」

 

「…!」

 

つぅとイロハの頬に涙が伝う。少し「意味」が変った涙が。

 

「…ただ…フェンリル管轄外の元々フェンリル統治に対して反感を持ってる一部サテライト支部に彼が身を寄せたとなると少々厄介だな…。小さい支部以上に情報開示は期待できないし、適合者のレンカ君を食料や資材の交換などの交渉材料に使う可能性はある」

 

「!もしそうなら…レンカはどうなるんですか!!」

 

「交渉材料としては当然無事で『生きている』事が必須だから手厚く保護される事が殆どだ。それに君等は元々フェンリルの庇護のない『難民』出身者だから俺らみたいなフェンリルの保護下に居た人間に比べたらよっぽど間口は広く迎え入れてくれるだろう」

 

俺ら基本毛虫のように嫌われてるからな、と、「サクラ」は苦い顔をして笑い、

 

「交渉材料にもなる適合者な上、15歳の働き手としても将来有望な少年だ。キャパに余裕が無くても無碍にはしない、と俺は考えている。少々楽観的が過ぎるかもしれないが」

 

「…!!っ……!!」

 

「…確証が出来ない事に関しては申し訳ない。こればっかりはもう少し調べてみない事にはな…」

 

「いえっ…十分です……うううっ!」

 

気持ちの堰が外れたイロハは最早涙を止めることを出来ず、唇を引き結んで声が出ることをようやく押さえることしかできない。そんな彼女に

 

「まだ『良かったね』って言っていいのか解らないけど…大丈夫だよイロハさん。そもそも―」

 

「…レイちゃん?」

 

「イロハさんの覚悟、守ろうとしたあれ程の…まぁあんまり誉められた行為ではないんだけどさ」

 

「うっ…」

 

イロハがレンカに自分を見捨てさせるため行った彼女の自刃行為はためらい傷で終了―実のところ失敗だったりする。

 

うう。情けない姉さんを許して。

 

ず~~ん。

 

「あ。イロハちゃん凹んだ。『レイス』ぅ~~」

 

「あ、そのなんて言ったらいいか…その、要するに!」

 

「は、はい!?」

 

「そんな大事な人―家族の強い気持ちを目の前で見て、思い知って根性見せられない弟は見込みない。それぐらいにドンと構えてたらいいんじゃないかなって...思います」

 

はい!私の言いたい事はもう終わり!もう私ナマ言いません!批判は受け付けます!!

とでも言いたげに「レイス」は黙りこむ。

 

「レイちゃん…」

 

 

「…生きているさ。きっと」

 

 

「…はい!」

 

イロハは両目を指先で交互に拭い、微笑んでぺこりと頭を下げた。

 

 

 

 

彼等のそんな希望的観測は―

 

その実身を成していた。

 

空木 イロハの最愛の弟―空木 レンカは「サクラ」達の予想通りこの日より八日後、とあるフェンリル支部アーコロジーに現れ、同時その適合率の異常な高さによるGEとしてのその才能、そして母、父、最愛の姉によって培われたサバイバル力、強い意志と愛情、向上心を持ち合わせた彼はその存在、情報をGEとして一定の段階までに花開くまでかなり長い期間隠匿されることとなる。

 

 

「さて...イロハ。君の今後の身の振り方だけど」

 

「はい」

 

「こっちで弟さんの居場所がわかり次第連絡を取ろう。そして弟さんが保護されている支部でまた一緒に暮らせばいい」

 

GEの家族、親戚となれば当然優遇措置は強い。住居、配給、住居区画のランクも中堅クラスに達する。両足を失っている彼女であっても養うことは可能だろう。まぁその代わりGEとしての激務は生じるがそれでも装甲壁の外で生き延びてきた彼女達にとって比較的安息は保証される生活になることは間違いない。

 

『サクラ』達は当然その様に考えていた。しかし―

 

「いいえ。それは無理ですね」

 

彼女は明確に否定する。苦笑いを交えて。その表情は明らかにその事実を受け入れ、覚悟していたものであった。

意外さに言葉を失う「ハイド」一行に彼女はまた微笑み、こう続けた。

 

「私達は...血が繋がっていないんです。あの子は...レンカは捨て子だったんです。こんなにちっちゃな赤ん坊の頃にですよ?」

 

手振りを交え、イロハはその事実を眉をひそめながらも微笑みながら語る。その仕草には血縁のない弟に対する本当の姉弟、家族以上といって差し支えないほどの慈愛に満ち溢れていた。

 

明日をも知れぬ地獄のなかで成長していく弟の記憶を反芻する。初めてレンカに触れた時、レンカが笑った時、歩いた時、話した時、泣いた時、守ろうとしてくれた時...。

イロハ、彼女の父、母そしてレンカ―空木家は「家族」としての全てを兼ね備えていた。愛と慈しみ、労り、優しさそして厳しさを。

 

ただそこに「血縁」だけがポッカリない。

 

しかしこの時代においてはそれがすべてだ。他の全てを差し引いても血縁さえ存在していれば受け入れられる。「余計なもの」はいらない。

 

「本当の家族でなければ...血縁がなければフェンリルの支部には入れないんですよね?いえ...レンカとは一緒に居られないんですよね?だから私達は幼少の頃既にパッチテストに合格していたレンカを...手放せなかった」

 

彼ら姉弟、そして空木家は数年前既にGEであり、各支部、難民キャンプなどを点々と渡り歩いていた現極東支部所属隊員―雨宮リンドウと邂逅している。その際、彼から手渡された神機適正のパッチテストシートに幼少時のレンカから陽性反応が出たのである。

陽性反応が出たとはいえ神機使いとして即機能するわけではない。元々GE自体十代後半から二十代後半が適正期間と言われる仕事だ。かつて「適性があったもの」―つまり30、40代であっても陽性反応は出るときは出る。それを手当たり次第フェンリルは家族ごと招き入れる。その反応が出た人間の血縁者、兄弟若しくはその人間がこれから生む子孫に適性が遺伝する可能性があるからだ。兄エリック、そしてこれから適性が見出だされ、兄に続いてGEとなる妹エリナのフォーゲルヴァイデ兄妹がいい例である。GEの適性は遺伝性が強い。

しかし、当然レンカの義理の姉イロハは血縁がない。彼女自身も三歳の頃受けたパッチテストで陰性反応だ。「家族」だと言い張ってもDNA検査―試験管の中で否定される。ここでは生まれ持ったものがすべて。彼女達は引き離される。装甲壁の中と外へ。本質的にはこれ以上なく繋がった「家族」でありながら。

 

「私達はレンカと離れたくなかった...大事な家族だったから...」

 

そこに打算は無かった。前述のようにGEの資質を傘にあわよくば交渉材料にしようだとか、利用しようとも考えなかった。そもそも空木家がレンカを保護し、家族として迎え入れたのは彼のGEとしての適性が判明するずっと前だ。打算など発生しようもない。そしてそれは適性が判明した後も同様であった。

 

いや―

 

「打算」は無くとも「変化」はあったか。

この非情な世界を生き残る力、そして同時に他者を守れる力、この世界を変えていく、覆す可能性を秘めた血縁のない、しかし大事な家族であるレンカを優先的に生かそうとするレンカを除く空木家、母、父、そして娘イロハの中で暗黙の了解が生まれた。

 

そして事実、全員がそれに殉じた。この時代に滑稽、愚直とも言えるほどの真っ直ぐすぎる行動である。

 

その結果生き残ったのは両足を失った失意のイロハだけ。そして彼女にはもう

 

 

帰る場所もない。

 

 

 

「バッカじゃねぇの...」

 

思わずリグはそう言い捨てた。しかし、「馬鹿だ」とは思うがバカにはしていない―そんな口調。空木家と違ってリグの母はクソだったが、彼が喪った最愛の姉が最期にリグを生かそうとした行為がイロハ達親子の行動と重なっていた。リグは誰よりも今、どこにいるか解らないイロハの弟―レンカの気持ちが解る故にこう言い捨てる。残された、そして生かされた人間の思いが誰よりも解る故に。

 

「そうだね。そうかもしれないね?うん、きっとそう。君の言う通り。リグ君。...リッ君でいい?」

 

イロハもまた同調し、眉をひそめながら笑う。

 

「…ヘンな名前で呼ぶな」

 

リグはようやくそう言うことしか出来なかった。

 

 

一方―

 

歴として血の繋がりがあった家族を自ら壊し、捨てたアナンがいつもと違った能面のような無表情でこう思った。

 

―...何かヘン。何かヤダな。私みたいな人間にはやっぱりこういうのよく...わかんないや。

 

 

 




これからの自分の事はこれから自分で考えます。

あ~私安心したらちょっと眠くなっちゃいました…。

そのイロハの言葉でその場は散会となった。

安心して眠るイロハの姿を眺め、「サクラ」は「レイス」、アナンを残る様に命じ、部屋を後にしようと立ち上がる。しかし暫くリグはイロハの寝顔を眺めた後、

「…」

じっと「サクラ」を見た。

「…」

「サクラ」もまた押し黙ってリグを眺めた後、結局女子二人を残したまま病室を一行は後にする。

その後イロハの様子に特に変わりは無かった。前向きにこれから自分がどうするべきか何をすべきかを共に「レイス」達に語り合いながら笑っていた。体調も上向き、食欲もある。

「あははははは!」

年頃の女の子らしい笑顔が眩しい。彼女の今までの人生は大半喪うだけの人生だった。それを取り戻すように彼女は笑う。




そうやって彼女は「潮時」を待っていた。

「レイス」、アナンの二人が彼女の下を離れ、「一人」になる瞬間を。それは二日後に訪れた。

「…」

無言のままイロハは外を眺める。「高さ」は十分。

ずり、ずり

―重い。なんて思い通りにならない体だろう。こんな時代にこんな足手まといになっちゃった。ハハ。

支えが無ければ這いずるのも一苦労。所詮女の細腕、おまけに長い期間眠っていた体は鈍りに鈍って自分の体じゃないみたい。

―こんなんじゃレンカにはもう会いに行けない。探しに行く為の歩く両足もない。適性もない。

所詮本当の家族じゃない私。

例え出会った所で何が出来るの?これから未来のために戦うあの子に余計な負担をかけて足をひっぱるだけ。

ようやくあの子は足手纏いの私を見捨て、本当に花を咲かせるために、自分自身の本懐を達する為に歩き出したんだ。

―少年強さってのは何のためにあると思う?

「そりゃあ皆を守るためさ!!」

そう。
リンドウさんの質問にあの子は真っ直ぐこう答えた。

その「守る者」の中にもう私は居る必要はない。私はあの子の中ではもう死んだ存在。
負担は少ない方がいい。このままでいいんだ。

お母さん、お父さん?

待ってて?

今はもどかしいぐらい言う事を利かない体だけど何とかして今からそっちに行くから。

「うっ…はぁ……はぁ……」

窓枠に両手をかけるだけで息が切れる。芋虫みたいだ。滑稽極まりないけど我慢我慢。
もう少しの辛抱じゃない。

うん。

晴れてよかった。

病院の前に早速ある黒い装甲壁で壁の向こう側は見えないけど、私が今から堕ちる先はどうにか日が差してるし、味気ないけど草や木が生えてる。少しは綺麗なまま終われるかな。
少なくともアラガミに喰い尽されるよりはよっぽどいい。

「サクラ」さん、レイちゃん、アナちゃん、ノエル君、リッ君、ナルフさん。
本当にありがとうございました。もうこれ以上迷惑をかけたくありません。
私にだって解ります。貴方達が何か大事な目的の為に歩いている人たちだと言うことも。そしていつまでも私なんかに構ってはいられない人達だと言う事も。

最初から最後まで、何から何まで迷惑をかけて本当にごめんなさい。

最期に会えた人達が貴方達の様な人で本当に良かった。


イロハは眼下を見る。六階ほどの建物、頭から落ちれば今度こそ死に損う事は無いだろう。茶色い髪を垂らし、少し笑い、そして祈る。

救命の余地なく、見た瞬間諦められるように終わる事を。

「救い」を求める者にはこの世は例外なく厳しいが「諦める」「捨てる」「逃げる」者に関してはこの世界は寛容だ。常にその落とし穴がぽっかり甘美なほどに口を開けている。今はそれに身を任せ堕ちてしまえばいい。

「んっ……!はぁ…ハァ…」

ようやく辿りついた。つっかえた胸をようやく窓枠から上に追いやり、上半身の半分が外に出る。もう足の無い自分にはこの姿勢から病室内に戻る事はほぼ不可能。だったら進もう。

目を閉じる。

少女の瞼の裏には映る。

大好きだった両親、出会った人たち、最期に希望をくれた人達である「ハイド」のメンバー

そして当然最後に

「あの子」の姿が映る。

―皆、レンカ有難う。

本当に。ほんとうにあり―


ぶちん


彼女の体をようやく窓枠に繋ぎとめていた胸から二つ程下のパジャマのボタンが外れ、彼女の体は彼女の意思より少し早く堕ち始める。死神とはとかくせっかちなものだ。

―あはは。

最後まで思い通りにならないこの世界に諦めの笑みを浮かべ、少女は堕ちていく。












「逃げるの?」









が、




くん!!!




―え…?


急速に落下の速度を上げ、真っ逆さまに堕ちていくはずの彼女の体がまるで引っかかったように大きく揺れながら止まる。


―なんで?なんで!?


空を飛んでいる。翼はおろか、両の足も無い自分が空に浮いている。何の支えもなく。

しかし重力は、死神は相も変わらず彼女を確かに連れて行こうとしている。地の底へ。
栗色の結わえた髪は真っ逆さまに地に引っ張られている。彼女の中を流れる血もどんどん吸い上げられるように頭の方向へ。
しかしそんな者より遥かに強い力が、強い「想い」が今彼女の体を支えている。微塵の逡巡もなく。


「……?」

その「力」の強さにイロハは恨めしそうに振り返る。もういい。もういいんだと言いたげに。光を喪った茶色の瞳に涙を浮かべて。

しかし―


「あれ?」

少し瞳の奥に光が戻ると同時にイロハは目を丸めた。

―…だぁれもいない?

え?

え?





怖い。




死を覚悟し、心を恐怖から引き離したはずの彼女に生まれた純粋なその感情が一気に彼女の感覚を「生」「現実」に呼びもどす。同時、

―こ、ここ、高い!怖い!

心霊現象の如き背後の光景と眼下に広がる絶死の光景、その逃げ場のない板挟みで

じたばたじたばた!

彼女の感情が目を覚ます。





「きゃあああああああ~~~~」





「動くなって」

背後からぶっきらぼうな声がする。

「へ!?」

イロハは振り返る。

しかしそこには更に恐ろしい光景が。

ぐぐぐっ

うっすらと透明な手だけがしっかりとイロハの病室着の背中部分を掴んでいた。

「いっ…」





「嫌ぁああああああああ!!!」

―見た。

見ちゃった。

何よう!何なのよう!

なんで今から死ぬって時にこんな怖い心霊体験させんのよう!趣味が悪いにも程があるよ!神様!!そんなに私が嫌いですか!?祈らない私がそんなに恨めしいですか!?



「お、落ち着けって!今『見える』ようにすっから!!」


―いやぁ!!止めて!見たくないですぅ!!離してぇ!!




「離してぇ!!もう死なせてぇっ!!」




「ちっ…いい加減にしろよ!?イロハさん!!イロハねぇちゃん!!」





姉さん!!!





「えっ…」





イロハの動きが止まる。背後の声に少女は重ねた。誰よりも愛しい弟の声と似た声に。

イロハは涙目のまま、振り返る。冷静さを取り戻した目で。背後の光景はまだ相も変わらず心霊現象の如き光景、透明な空間に彼女を掴む手が僅かにうっすら浮かぶだけ。
しかしイロハの動きが止まったことでその手が心なしほっとしたように軽く上下した感覚がある。


「ゆっくり、そのままこっちを見てて…イロハねえちゃん」


「その声…ひょっとして」


まだ声変わりをして間もない。大人になり切れていない年齢の男の子の声。弟と同じで少し生意気盛りのせいか口数は少ないけど実は彼が喋るたび、イロハは少し弟を感じ、重ねていた。年齢は近くとも性格は二人とも随分違うのに。


「リッ……君?」


そのイロハの言葉と同時、彼女を掴んでいた右手から一気に色がついていく。人の形に。室内でも帽子を被ったスカした生意気そうな少年の不機嫌そうな顔に。


二日前

一行が病室を後にする直前―

リグはじっと見ていた。「サクラ」の顔を。「サクラ」もまたリグを見る。そしてチラリと一瞬イロハからの視線が離れた二人の女性陣「レイス」、アナンに目配せする。
一瞬のアイコンタクト―

「サクラ」は了承する。そして軽くイロハを指差し、リグを見て強くうなずいた。


―任せた。彼女から目を離すな。


この二日間、リグは気配を消して「レイス」、アナンと共にずっとイロハの傍に居た。
年頃の男の子にはきついシチュエーションである。うっかり「粗相」でもすれば今後アナンに何言われるか解らない。

「ストーカー」。「覗き魔」。「変態」。「むっつリグ」あたりか。




それでも。

もう一度あんな「思い」をするぐらいなら甘んじて受け入れてやる。

俺はただ。

生きてほしいんだ。

この人に。




「『リッ君』言うなっつってんだろ…」


ぎりりと奥歯を噛みしめながらリグはそう呟く。
危ない所だった。この二日まともに寝られなかったせいか反応が遅れた。




「リッ君…」

「無視かい!」

「幽霊だったんだね…」

「落とすぞ」

「落と…?落とす!?ちょっ!ちょっと待って!邪魔されたせいで心の準備が!!」

再びイロハ暴れ出す。意外に結構パニック症候群な所がある少女。そのせいで。


ぶちん。


「あ」


「私がもう一度覚悟完了出来るまでそのままで!リッ君!!お願い!!」

ズレた要望を始めたイロハがリグに懇願する中、

「……?」

イロハは怪訝な顔をする。リグがしっかりとイロハを掴みながらも目を逸らしているのだ。その横顔は


―…やっぱりおんなじ位の年頃の男の子だね。

今のリグはレンカの照れた時、妬いている時の態度、仕草によく似ていた。照れた時耳まで赤く染まる所までそっくり。

可愛い。

でもその原因は?なんで今―

「イロハねぇちゃん……」

「ん?」

「その……はだけてる」

「え…?」


イロハの病室着、すでにボタン内二つはドロップアウトしている。それなりに発育の良い少女―イロハの上半身は


「いやあああああああぁあああ!!」


…この叫び声で察してあげてほしい。





「嫌ぁ!!もう最悪!!もう下ろしてぇ!!落としてぇ!!」

違う意味で死にたい。

「ん!…解った。もう下ろすよ…」

「え」

「『準備』できたみたいだし」


ぱっ


リグは何の躊躇いもなくあっさり少女の体から手を離した。はだけた上半身を覆い隠し、「見ちゃったの!?見たの!?レンカにもまだ見せた事無いのに!」とリグを非難の目で見ていたイロハは直後驚愕の表情で急速に離れていくリグの顔を唖然と見ていた。


「えええええええ!?」


あまりの展開のジェットコースターさに最早少女の理解は追い付かない。
急速に迫る背後の地上でイロハはこんな声を聞いた。

「…リグって美味しい立場してんな~女の私らじゃあそこまでの恥じらい、イロハちゃんしてくんなかったし」

「アンタも大概変態だね」

「褒め言葉ですな」


ぼすん!!


「ハッ……!ハッ…!」

仰向けのまま過呼吸に陥りそうな細かい呼吸を紡ぎ、涙目を目一杯見開きながらイロハはまだ自分が生きている事をありありと実感出来るこの現実の世界の抜けるほどの青空を見上げる。

暫く呆けるように眺めていると―

視界に可憐で可愛い銀髪の死神がイロハの目の前にひょっこり現れた。そのオリーブの瞳がこう語る。


―「私は」連れてなんかいかないよ。ただ私は傍に居るだけ。


「イロハさん。おはよ」



「っ……くっ……」

口元がふるふると歪む。悲しくて、辛くて、苦しくて、情けなくて。
でも優しくて、嬉しくて、温かくて。

イロハはその細い少女の身体に組みつき、もう一度力強くわんわんと泣いた。










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