迷路のように入り組んだ市街地痕居住区の街道を縫う様に幻のアラガミ―アバドンが駆け抜けていく。
そのふわふわと浮く体は高低差、坂道などそっちのけ、その飛行速度を落とすことなく安定したペースを保っている。そのことから考えれば先程まで彼を追っていた追跡者―
「ハイド」の少年少女の二人―リグとアナンは捲かれても全くおかしくはない。元々足はアバドンが上、おまけにリグは解放中とはいえアナンを背負っている。
そう考えれば両者の差など時間が経つ毎に開くと考えるのが自然。あっという間に軍配はアバドンに上がるだけの勝負のように思える。
―それでも
「……」
「中々掴まんないね。流石は逃げに特化してるだけあるよ」
二人は未だアバドンを見失うことなく捕捉。その距離を詰める事はかなわずとも一定の距離から離される事は無い。これには
「リグ。3!!」
チュインチュインチュイン!!
!
ガガガガガガガガッ!!
アナンの盾に放たれた銃弾が的確にアバドンの最短ルートを塞ぐと同時、進行方向にある障害物を形成させてアバドンの最高速度を度々緩めさせる事に成功しているからである。
一方リグは現時点射撃に関しては「デク」でも神機解放中の瞬発力、スタミナ、研ぎ澄まされた感覚の中での空間把握能力を生かし、的確に市内をフリーラン。
自らの銃弾が砕き、巻き上げた障害物の破片、埃等で視界を占拠されながらも瞬き一つせず獲物を捕捉している。
それに
最近リグはの自分の「状況」に甘んじながらもどこか腐らず向かい合い、培ってきた経験が新たに彼に強いアドバンテージを与えていた。
それが顕在化する。
アナンがリグの背で爛々と輝くエメラルドの瞳を収縮させ、この瞬間のアバドン周辺の地形、障害物を把握し…
―よし、お次は……あれだ!!!
リグに発砲の指示を出そうと彼女が口を開―
チュイン!!
―え!?
指示の前に彼女の愛機―エロスにリグの愛機―ケルベロスより放たれた銃弾が突き刺さり、弾かれ、前方に向かっていく。奇妙な光景だった。
全くもってそれがアナン自身が内心意図していた軌道―理想の軌道であったからだ。
フォン!カンッカンッ!カン!!
鋭く空を裂く音と甲高く短い炸裂音が連続に響く。乱反射しているのだ。細い路地周辺の設置された金具やマンホール、窓枠、ポスト等を利用して。
―……リグも解ってきたじゃん♪
アナンは内心満足そうに頷いて
「リグ……三秒後に―――」
そうリグの耳元で囁く。
……!?
直前の一発の銃声の後、まるで自分を取り囲むように反射し、跳ね回る銃弾の軌道を追い切れずアバドンは目を回す。一体どの角度からこの銃弾は自分を襲ってくるのかが解らない限り、例え超反応の彼でも無闇に回避行動に移れない。
「宙を浮くアラガミ」は何種かいる。
シユウの様に羽が生えている如何にもな奴が居ればブースターを背負ってジェット噴射し、突進、離脱、浮遊を自由自在に操る中々無茶なカリギュラの様なアラガミもいる。
しかしこのアバドンはこれらとは異なるタイプ。ザイゴート、サリエル種と同様に体内に浮遊性のあるガスを溜めており、それによって浮遊、そして前進、後退の際は一定方向にそのガスを噴射する。そして水中を泳ぐ魚と同様にファンシーなヒレを使って方向の微調整をする謂わば「飛行船」に近いコンセプトである。先程〇ベラなみのブレーキの利いた急激な軌道変化はコレによるものだ。
破れた風船から勢いよく空気が飛びだし高速で宙を駆け巡るように逃げる方向とは逆へガスを強く噴出して軌道を逸らし回避するのである。
しかしあくまで一定方向の上、一旦動いてしまえば暫くは他の方向に切り返すのに若干のタイムラグが発生する。あくまで単発。確実に回避するためのとっておきの手段で連発させて撹乱したりするには向かない。
つまり迂闊にジェット噴射を使えば一時的に回避方向が制限される上、回避も軌道転換も出来ない瞬間が生まれ、そこを射抜かれる心配があるのだ。
よってギリギリ引き付ける他ない。この跳ね回る弾頭が最終的に自分を射抜こうとする角度を見抜いて的確な回避タイミングを把握し、回避する。それに全てを注力するのだ。
この小さなアラガミは「逃げ」に関しては百戦錬磨であった。
彼には実は「とっておき」がある。ジェット噴射以外の強力なとっておきが。しかしそれはなるべく見せたくはない。奥の手はとっておくものだ。本当に抜き差しならない状況に陥りでもしない限り。
そのとっておきの存在がこのアラガミの覚悟、度胸を支えている。この小さなアラガミの冷静な現状把握は隠し持った最終兵器への絶対の自信から来ている。カワイイ顔してやる時はやるのである。
チュイン!
…来た!
弾頭の最終反射を見極めた。これは―真下。
アバドンの真下には下水に繋がる朽ち果てたマンホールが設置されていた。そこを反射したリグの弾頭がアバドンの腹部を確実に目がけて飛来する。
ここだ!
アバドンはここぞとジェット噴射。ギリギリまでおっつけた弾頭を
ヒュン!
見事回避。空を裂く弾丸の音が彼の側面を通過していく。危機は脱した―
そう思った。
…!?
回避後の体勢を立て直そうとするアバドンが宙に浮く故に路面に映る自分の影を目端で捉えた時、違和感を覚えた。
デカ過ぎる。影が。そして「流石に自分はここまで度を超えたファンシーな形では無いぞ」と内心突っ込みを入れた。そのアバドンの真下に映る黒い影は現在―
ハート型になっていた。
―ごめんねぇいっつもぉ。『エロス』❤
…慣れてます。
アナンにブン投げられ、アバドンの真上に達していた彼女の愛機―装甲展開したエロスが直前アバドンが回避したリグの弾頭を捉え
チュイン!!
再びアバドン目がけ反射。
…!!
ドゴォン!!!!
キュイィ!!
強引な反射ゆえに狙いは流石に精確性に欠けた。アバドンは直撃は逸れる。しかしほぼ真下で炸裂した弾頭の爆風は超軽量級のアラガミ―アバドンを吹き飛ばすには十分だった。
キュッ!?キュイッっ!?キュッ!?
まるでゴムまりのようにポテポテと地面をバウンドするアバドン。軽量、おまけにオラクル細胞故に全く外傷は生じないが、混乱の混ざった奇妙な鳴き声を上げながらアバドンは転がる。
プシュッ!ザザザザザッ!!!
ようやく転がる体を再発射可能になった逆噴射で止めたアバドンは即現状の再確認を開始。周囲の警戒を再開し―
キュッ!!??
即異変に気付く。先程までとは比べ物にならないぐらい自分の影が巨大化している。正し先程までと違い、全く以て左右非対称の黒い影だ。彼の真上に居た物は―
「……よっ!」
パシッ!
宙に舞った愛機エロスを背負われたまま体を目一杯延ばし、回収したアナンと
ジャコッ!
神機銃形態をアサルトからショットガンに切り替え、アバドンに照準を合わせて脆く見下ろしている無言のリグの姿であった。
……!!!!
ガァン!!!
先程のアサルト弾頭を遥か上回る爆音、爆風を巻き上げ、地に突き刺さったショットガン弾頭は爆発の如き、砂塵と破片を巻き上げる。
数秒後―
辺りを覆っていた砂塵が晴れる。そこには未だ煙と砂塵を微かに吐く大穴の隣で少女を背負った少年が立っていた。
その先で
キュイイイィィィィィ……
一目散に離れていく「幻」と言われているが二人にとって最早聞き慣れた「あの」声が響き、遠ざかっていく。
ヒュゥウウウウ…
風が吹く。周辺のからからと朽ち果て、うち捨てられた店の看板が揺れ、ガンと音を立て落ちる。
「…」
「…」
「リグ……?」
「…」
「なんっっっっであんな近距離射撃で外すかなぁ!!!!??? アンタの今の射撃精度ど~~なってんのよホント!! 目!? 若しくは脳がいかれてんじゃないの!!??」
「はぁ…もうなんて言ったら…ホント何故なんでしょうねぇ…?」
「ちゃんと撃て! 狙って撃て!! そしてキャラを戻せぇ!!!」
背負われながらぽかぽかとアナンはリグの頭を叩く。それを甘んじてリグは受け入れている。自分の現在の射撃精度の予想以上のポンコツさに流石の彼も最早乾いた笑いしか出ない。
「いやまぁ…ショットガン弾頭がまともに当たってアバドンが粉々になったら肝心の素材回収が出来ないかも知んねぇだろ?だからワザと…」
「あ。なるほどぉ~~って…誤魔化されるか!!!」
ぽか!
「ってぇ!!」
「…えぇい!仕方ない。当初の予定通りの場所に追い込むとしますか…出来るなら『あそこ』に行くまでにケリつけたかったけど相棒が『これ』じゃ仕方あるまい…ホラ行くよ!!リグ!!」
「…へいへい」
二人は追跡を再開。しかしその足取りは不思議とゆっくりであった。一目散に全速力で逃げていったアバドンを追う割に奇妙なほど。
その二人の余裕には根拠があった。
キュイイイイイイイイイ!!!???
困惑と混乱の入り混じった声をアバドンはあげ、足を止める。一刻も早く追跡者から逃れたい一心のこのアラガミの前に無情にも拡がった光景は分厚い壁に囲まれた行き止まり、袋小路であった。
アバドンという種は浮遊は出来るが基本上昇が出来ない。浮遊時は人間の腰から上程度の一定の高度を維持し、ジェット噴射のブーストを使って誤差程度の上昇、下降、軌道転換、方向転換しか出来ない。この壁を上から越える事は不可能だ。
追跡者は意図していたのだ。銃攻撃でこちらを牽制しつつ、進行方向を制限し知らぬ間にここに誘導させられていたのだとアバドンは理解する。
引き返すか。
それともここの地面を掘って逃げるか―
「はい。どっちもさせないよん?」
「追い詰めたぜ…」
!!
アバドンの背後には既に二人の追跡者が陣取り、引き返すことのできない状況が出来上がっていた。
なら「潜って逃げる」か?
否。そもそもこの方法がとれるならアバドンは既にそうしていた。しかし「潜る、掘り進む」という行為は空中を自由自在に飛びまわる事に比べれば著しく速度、機動力、回避範囲が落ちるのは当然である。
地中と言うのはそれ程快適で便利な空間では無いのだ。現存するアラガミが殆ど生息地を陸上に充てているのが良い証拠である。
「よぉし…チャッチャッと済ませますか…リグ」
リグの背から降りたアナンは愛機エロスを装甲展開、構える。
「どうする?私が反射させる?それとも今度こそショットガンで仕留める?」
「そうだな…」
リグがほんの少し思案しながらアバドンをちらりと一瞥した時であった。
その時
追い詰められ、進退極まったアバドンはとうとう―奥の手を解放させた。
「……!」
リグが絶句する。「これ」によってアバドンは「幻のアラガミ」となり、今まで数多の神機使いから彼等は逃れ、生き残ってきたのだ。それは全く以て今までのアラガミの常識を覆す予想だにしない方法であった。
キュッ……キュィィィィィ?キュイイ……?
じっとアバドンはリグを見つめていた。
……いぢめる?
ぷるぷる
ぶるぶる
小刻みに揺れる宙に舞うその姿、潤んだようなそのつぶらな瞳はリグにそう訴えかけていた。
「……っ!!うあっ…!」
アバドンの最終兵器、とっておき、今リグに炸裂。カタカタとリグの銃身の先端が震えだす。
「……?リグ…?」
アナンは怪訝そうに固まったリグの顔を覗き込む。そして驚愕に顔をしかめた。
―いかん!!これは――!?
「…アナン」
「へ!?」
「コイツ逃がしてやろう」
「はぁ!!??」
「俺にコイツは……撃てない」
「はぁああ!!??」
アナンは今思い知る。何故アバドンはこれ程に「幻」と言われているのか。なぜこれほどまでに討伐数が極端に少ないのか。そしてアバドンに関する根も葉もない噂、ジンクスが生まれたのか。
アナンはきっとアバドンを見る。アナンには解る。このアラガミの魂胆が。今アナンの中にあるのは明らかな―
―コイツ!!私と一緒だ!!
同族嫌悪であった。
正直言ってアナンにはこの手は通用しない。「同族」の狙い等、手に取る様に解る。「相手が悪かったわね」と鼻で笑ってトドメを刺したい所だ。が、しかし―
―肝心の私に現状攻撃力が一切無いじゃん!!!
そう。
状況によって全く以てアナンの場合、殲滅力が変わってくる。彼女の血の力は条件さえ整えば複数のアラガミを同士打ちさせ、一気に殲滅する事が可能な潜在能力を持っている。が、今回の様なケースではアナン単体での殺傷能力はゼロと言って相違ない。よってリグや他の隊員との連携が必要不可欠なのだが…
「さぁ行け…大きくなるんだぞ…」
当のリグは聖人のような顔つきで自らの背後を手で指し示し、アバドンを招く。「もう行け。元気でな」オーラに包まれている。
―リグぅ!!!???アンタそんなキャラだった!?
「ちょちょちょ!!リグ!?アンタ冷静になりなさい!!ここでコイツ逃してみなさいな!!アンタずっと『デク』のままよ!?それでもいいの!?」
「うっ!!」
反応あり。
―やたっ!まだリグは戻ってこれるぅ!!
キュッ…キュイイイイィィイィ……。
負けずに「同族」アバドン反撃。庇護欲のそそる仕草を繰り返す。かつてイエネコは厳しい自然界を生き残るための競争力を捨て、人間に寄り添い生活することで己の身を守り、他種交配による品種改良の結果、より人間の庇護欲をそそる姿、仕草を手に入れ世界中に分布、繁栄した。これと同様だ。
進化、繁栄するためにはこういう方法もあるのである。
―くぅううう!や、やるわね!!
最早違う意味での熾烈な戦いが繰り広げられていた。ぐらぐらとぶれるリグの天秤のアナン、そしてアバドンの奪い合いは続く。
その軍配が下ったのは二分後であった。
勝者は―
「アナン。わりぃ…俺…やっぱコイツ殺せねぇよ……」
アバドン。
「ガーン!!」
―アラガミに(違う意味で)負けたーーー!
アナンはがっくりとくず折れる。
残念ながら両者の勝敗の差を分けたのは「普段の行い」であった。「レイス」の居ない事を良い事にこれ幸いとリグをいじりまくり楽しんだ最近の彼女の暴挙、そして溜まりに溜まった彼女へのヘイトが積み重なったリグが無意識にアバドンを選ぶのは仕方ない事であった。
何せアバドン自体は他のアラガミ達とは異なり、実際にリグやアナン達に何ら危害や損害を与えていない。それを一方的に追いたて、追い詰め、狩ろうとしているのだ。
ぼ、ボク君達に何にも悪いことしてないよ?なのになんでボクをいぢめるの?
と、言う感じである。実際の所そうなのだから仕方ない。しかし、「同族」に完全敗北した事実にアナンは打ちひしがれる。
―すいません。私が悪ぅございました…。
アナン少し今までの自分の行いを反省する。そして
―もう…好きにすればいいんじゃないかな?
投げやりになる。リグを抑えられたら正直現状アナンはどうしようもない、お手上げなのである。
「もう…アンタの好きにしたら?」
「ありがとうアナン…なんか俺…命の大事さに気付いた気がするよ」
―げぇえええっ吐きそう!
聖人の如き輝く洗脳されたリグの姿を見、アナンはもだえ苦しむ。また違う方向にキャラ崩壊していく少年に哀悼の念を禁じえない。同時に
―なんて事しやがんだ。このクソアラガミ。
二人の横をアナンにとっては演技という事が丸解りの
いいの?ホントに逃げていいの?
的なゆっくりした所作のアバドンを歯痒そうにアナンは見送る。某大手携帯電話会社CMの新マスコット腹黒キャラ―〇ガちゃん並にうっとおしい。
そしてそんなアバドンの後ろ姿を正式に改名「デク」になる事が決定したリグが微笑ましく見送っているのも腹立たしい。
キュイイイイイ……
アバドンは自由になった。袋小路に至る直前の曲がり角に達し、自由を謳歌しようと躍り出る。
その瞬間であった。
ガスン!!!!
ピュギィっ!!??
アバドンの真上から突如赤黒い物体が躍りかかり、アバドンを背中から貫いた。
「…んなあっ!?」
「へ!?」
呆気にとられたリグとアナン二人がそんな声を上げた後、
ピュギイイイイイィィィィ……
ズザザザザザザッ!
アバドンは背中を貫かれた物体によって地面を引き摺られていく。悲鳴が徐々に遠ざっていく。
それを追いたてるように反射的にリグ、アナンの二人が走り出し曲がり角に達し、アバドンが引き摺られていった方向を凝視した。そこには―
「…アバドン。ゲットだぜ…なんちて」
ズブリ…
銀髪の死神の美少女―「レイス」が愛機ヴァリアントサイズの「カリス」の鎌の先端から既に事切れたアバドンの背中から抜き取っている光景があった。その背後から
「でかしたぁあああああ!!!レイスぅうううう!!!」
「最近ポンコツ」の二人目の声が響く。言うまでもなくエノハの声だ。
「ああ、ああ!!こ、これでアバドン探し、素材集めから解放される!!ありがとう!!本当にありがとうレイス!!おおこれぞ間違いなくアバドン!!そして『メス生後四カ月』に間違いない!!根拠は無い!だが言い切れる!!間違いなく『メス生後四カ月』!!」
「はいそうだねエノハさん。はいそうだねエノハさん」
言い聞かせるように「レイス」は適当な生返事をエノハに返す。「ツレが鬱になりまして」の際の対策の一つだ。鬱の人間をケアする際、気分が沈んだ相手の言葉をあんまり本気で受け取らないようにすること。
「よし!早速『天麟』を剥がないとな!!」
エノハ。徐にこの場でアバドンの解体を開始。実家が家畜を兼業しているエノハ。その作業に淀みは無い。
ばりばり。べりべり。
「あ。あ。あ…」
リグに「命の大事さ」とやらを教えてくれたアラガミが今、唖然としているリグの目の前で原形を留めず解体されていく。
「あ。確かアバドンのコアは貴重なんだよね?とりあえず私が回収しとくよエノハさん」
「頼む」
がぶしゅっ!
ぴぴっ
「レイス」のシミ一つない頬にアバドンの体液が付着する。しかし彼女は顔色一つ変えない。なんと淡々としたコア回収、解体作業。改めて見るとGEの日常とはなんと恐ろしい光景だ。
「……よし!終了だ!!任務完了!そして待望のアバドンの素材採取完了!!!ああよかった……本当に良かった…!」
「はいはい良かったねエノハさん。お願いだからこれで気を取り直してね。さぁ帰ろう…」
エノハの肩をポンポンと叩きながら「レイス」は「足元気をつけてね。転ぶからね」と、まるで足の悪い親を介護する孝行娘のようにエノハを誘導しながら
「……ん?あ。なんだアンタ達いたんだ?…そこで何してんの?帰るよ?」
「レイス」は振り返りつつリグ、アナンの二人に不思議そうにそう言った。
しかし尚もリグは放心状態で唖然と立ち尽くし、ぱくぱくと機械的に口を開いた。
「『レイス』…」
「ああリグ…良かったね。これでアンタもまた一緒に戦えるよ」
「レイス」は珍しく優しく微笑んでリグを見やる。そしてもう一度小声で優しく
―本当に良かった…。
と呟く。
しかし当のリグは今それどころではない。
「れ、『レイス』」
「…?」
「お前な、なんて事を…」
「…は?」
帰り道。リグは一切口を利かなかった。
一方アナン
「ひ~~~っ、ひ~~~っ!ひ~くるちぃ…くるちぃ!お腹、くるちぃ!」
抱腹、絶倒、悶絶していた。
三日後―
「よっし完成です!!」
久しぶりの登場のノエルが満足げにその物体を掲げる。エノハ達が回収した素材達をかけ合わせ、この日とうとう一か月ぶりにリグのワークキャップが新調されたのである。その出来ははっきり言って完璧であった。
「うおおおすごいぞ~~ノエル。見なおしちゃった~~!」
「…ホント凄いね。ノエル。こんなスキルあるんなら私も何か小物か服か作ってもらおうかな…」
ハイドの女性陣二人の感嘆の声にノエルは照れながらも
「えへへ……。エノハさん。これをリグに。一番素材とお金と苦労したのはエノハさんなんですから」
「え。いいの?ノエル。…解った。本当にありがとうな。整備で忙しいはずなのに。こんなことまで引き受けてもらって…」
「いえ。いい気分転換になりましたよ」
ノエルはちょっと寝不足気味の目をこすりながらも満足そうにそう言った。
「…」
その姿はかつてシオのドレスを完成させた翌日のリッカの満足そうな顔によく似ていた。
「……よっし!!リグ!!」
「…ん」
「これでお前は晴れて『ハイド』の攻撃部隊に正式に復帰だ。かと言ってこの射撃禁止の期間に学んだ事は決して無駄にはならないはず。お前自身も自分の可能性を知ったと思うし、拡がったと思う。これからもどんどんそれを拡げていってほしい。そしてこれからも俺達を助けてくれ。…『ハイド』の一員として」
そう言葉を添えて、エノハはリグの頭に新品のワークキャップをかぶせる。
「…」
驚いた。全く何の違和感もない。まるで体の一部の如きフィット感。ぼやけていた焦点が一斉に噛みあった感覚を覚える。つい数日前にはこの世界に存在していなかったとは思えないくらい遥か昔からずっと傍らにあったかの様だ。
まさしくリグに被られる為にこの世に生れて来た世界でただ一つの帽子。
「どうだ?」
「…悪くねぇ」
その言葉は素直じゃないリグにとって最大の賛辞の部類に入る言葉であった。
その反応に「ハイド」全員が呆れたような、そしてほっとしたような笑顔を向ける。
リグは一度帽子を脱ぎ、目の前の帽子に向かって小さくこう呟いた。
―お帰り。
「…」
「…リグ?」
「…畜生…こんな姿になっちまいやがって…折角助けたのによぅ……」
ふるふる
「え。リグ。泣いて、る?なんで!?」
「うっせぇ!!!泣いてねぇ!!被りゃあいいんだろうが被りゃああああ!!!」