アナンのケツ圧によるリグの帽子圧殺事件から数週間が経過した。
その間もエノハ達属する「ハイド」には多くのアラガミ極秘討伐任務が課され、それを彼等は粛々とこなしていく。先日の「固有種」のような特殊案件を除けば彼等の様な特異、かつ個人の戦闘能力の高いGE達にとって極東地域と比べ、出現するアラガミの量、質共に劣るここ欧州地域で課される任務はとりわけ難易度が高い物ではない。
しかし―
彼等がどれだけ優れたGEであろうと、どれほどの出撃回数をこなそうと「時に」どうにもならないことがある。
それは何か?
It’s「素材集め」だ。
存在が「幻」とされているアラガミ―アバドン。
その幻の素材を追い求め、エノハは数々の戦場を渡り歩き、彷徨い、血眼になって探し求めた。
―しかし
どうやら彼にはその手の「運」が無いらしい。
幸運か不運かは選べずとも「極端かつ稀な結果に直面する運」というものをエノハという一個の人間は全く持ち合わせていないらしいのだ。彼は良くも悪くも「運」という一点に置いて悲しくも平凡なのである。
ただ淡々と彼の目の前では「普通」の事象が過ぎていくのだ。見慣れた戦場、見慣れたアラガミ、そして見慣れた素材達だ。
そんな彼に「幻と呼ばれたツチノコ級アラガミ」との遭遇という豪運を手繰り寄せるなどどだい無理な話である。当初こそは「気長に行こう」と皆の前で苦笑いをしていたエノハであったが日を追う毎に状況が逼迫していく。
何故なら愛用の帽子を失ってまともに射撃の出来ないリグは完全に「デク」なのだ。表向きには任務には参加しているものの、スプレーの様に拡がる安定しない今の彼の射撃精度では危なっかしくて満足にアラガミ戦闘に参加させられない状態である。隠密性、哨戒任務はどうにか果たせるものの、リグの高い機動力、愛機ケルベロスの銃形態神機の柔軟性、汎用性、攻撃力は正直宝の持ち腐れである。
そんな彼に「あははは!リグ!?あんたやっぱ『デク』に改名しようか」と言い放ったのはアナンである。
この少女、先日のサテライトBでの酷使が祟り、休養を余儀なくされている「レイス」が居ない事を良いことに言いたい放題である。
ハートブレイクの少年リグの心に深々と突き刺さす彼女の言葉にリグはさらに落ち込む。
そんな現状を憂慮した「ハイド」隊長であるエノハはさらに「アバドン捜索範囲網」を広げるものの彼の目の前に「ヤツ」は一向に現れなかった。
彼のGEとしての実力は世界トップクラスであってもこればっかりはどうにもならない。「出ない物は出ない」のだ。とうとう危険な撒き餌、誘因フェロモンまで彼は使用した。が、現れるのは相も変わらず見慣れたアラガミの顔ばかり。
ぶしゅ。ずぶしゅっ!
その現れた「外道アラガミ」達を片端から切り捨てるエノハの姿が
「『…探し物は何ですか♪見つけにくいものですか♪』」
うふっふ~
徐々に狂気を帯び始めている。
「…」
サテライトBでの戦闘から二週間、内最初の三日間眠り続け、目覚めた後も完全な隊長の回復に十日を擁してようやく戦線復帰した「レイス」の瞳にいきなりそんな変わり果てた隊長の姿が映る。病み上がり早々「ハイド」副隊長「レイス」は早速そのケアに追われることになる。
―アナンめ…私が不在の間エノハさんのケアもせずほっときながらリグをいびって楽しんでたな…?
同僚の赤毛外道少女が自分が療養中の間、もがき苦しむ隊長―エノハ、そして落ち込むリグ二人のその現状を楽しんでいたであろう事を的確に見抜いていた。しかし残念ながら一方で赤毛ゲス乙女はその証拠を一切残していない。
―あー面白かった♪
とでも言いたげに他二人の隊員の現状をよそに妙にアナンはてかてかと肌つやがいい。先日のサテライトBでの戦闘で相当に彼女自身も「力」を酷使したにも拘らずタフな少女である。「レイス」が居ない期間相当の「お楽しみでしたね」状態だったようだ。趣味と「血の力」が直結している彼女ゆえの「別腹」と言えようか。
先日の戦闘で消耗がほぼゼロであったエノハはその分相当この期間頑張ったのであろう。アナンは甘え上手だ。「私も先日の戦闘以来体が重くてさ~~。あ。イタタタタタタ」的な事を言って相当量の仕事を押し付けたはずである。それによってエノハは以下のとおりだ。
「はあ…俺はいつになったらアバドンを見つけられるのか…そもそも俺は…『一体何を探しているのか♪まだまだ探す気ですか♪それより僕と―』」
つまり病み上がりの「レイス」の目の前に拡がった特殊部隊「ハイド」の現状は
無能←リグ。現状満喫中←アナン。「夢の中へ」←エノハである。
これは『レイス』は相当逃げ出したい状況だ。皮肉なものである。リグの帽子の損壊→廃棄に関して全く非の無い、関わりもない病み上がりの彼女が一番の災難を被っているのだから。
「…」
―ヤバイ。ちょっとこれって私が一番まずくない?一体私がなにしたってのよぅ…。
「はぁ…陽す…い、いや羊水に帰りたい…。ああリッカ……俺はもう疲れたよ…」
「…」
―…エノハさんのステータス異常耐性がゼロに近い…。
そんな『ハイド』の戦闘員達を見ながら整備士のノエルはこう呟いたと言う。
「は、『ハイド』はもう駄目かもしれない……」
そんな日常が数日続いたある日の事であった。
欧州市街地痕―
「―じゃあ私とエノハさんはさっき捕捉したアラガミをA地区に誘導して仕留めてくるからリグとアナンは予定通りB地区南側を哨戒―いいね?」
インカムのイヤホンを装着し、『レイス』は二人にそう言いながら
「ほいほ~い」
「…ああ」
相も変わらず脳天気そうなアナンの返事とは対照的に最近の自らの役立たずぶりにすっかり意気消沈したリグが素直に返事を返す所を見て『レイス』は溜息を吐きながら肩をすくめる。普段は生意気な弟の様なリグが別人のように素直になったのは喜ぶべきことなのかもしれないが、流石に少々肩透かしがすぎる。彼の普段の生意気さもまた彼「らしさ」であったのだから。
「リ~グ…だいじょぶ。私らがちゃんとアンタがまた戦えるようにしてあげるからさ。だからもう少し辛抱して」
そう言って『レイス』は自分よりまだ背の低いリグの頬に軽く触れ、優しく撫でる。少々長めの療養期間から復帰後、彼女は物腰が少し柔らかくなった。
「…ん」
幼少時、目の前で亡くした世界で最も大事な存在であった姉の面影を『レイス』に重ねているリグは彼女のその所作を邪見に扱うことなく素直に受け入れて頷く。そんな少し和やかな雰囲気を―
「レイス~~最近さ~~俺自分の神機の捕食形態がアバドンに見えて来てるんだよね~~あはは~~~」
最近「ポンコツ」と化しているエノハの間の抜けた声がブチ壊す。
「はいはい…行きますよエノハさん。じゃね?また後で。リグを頼んだよアナン」
「らじゃ~」
そう言って一行は二手に分かれる。
「…」
「♪」
無言のリグがとぼとぼと歩いているのとは対照的にアナンは軽い脚取りで鼻歌交じりに先行する。
リグが戦闘行為に参加できない状態になった日以来、彼は完全に哨戒、探査任務にまわっている。唯一GEの力として失われていない彼の機動力、ステルス性を活かして、敵の数、種類、居場所、地形、地理などの情報を収集し報告。殲滅、掃討行動はリグを除く三人に委ねると言う形をとっている。先日のサテライトBでの活躍から解るようにその貢献は決して軽視出来る程低い物ではない。が、元々攻撃的な性格、攻撃に特化した神機を持った血気盛んなお年頃のリグ的にはやはり戦闘行動に参加したい面はあるようだ。しかし一方で射撃訓練場でまるで壊れたスプレーのようにあちこちへ散らばっていく自らの弾頭を前にしては流石のリグとて無茶を言う事は出来なかった。
少年は少し大人になっていた。
「拒絶」「攻撃」という彼の代名詞で在り、存在意義でもあった暴力、牙を制限された彼は作戦行動に於ける役割分担、己の適性、集団の中での役目をより強く意識するようになった。彼なりに自分の存在意義であり、居場所である「ハイド」での存在価値を見出す為に。
だから今更になって適合した神機を失い、それでも尚「ハイド」の為に出来る事を探し、整備士という道を選んだ内心バカにしていたノエルを見直した。
しかし―
―流石に……つまんなくなってきたな。
アナンはそろそろ現状に不満の様だ。鬼(レイス)の居ぬ間に確かに言いたい事は言いまくって趣味と「生」癖を満たした彼女であったが自省が過ぎ、少々己らしさを見失ったリグに一抹の寂しさと物足りなさを感じていた。
やはりリグは子供で少々生意気な方が彼らしいしアナン好みだ。
「幼さ、性格ゆえに周りとぶつかることの多い少年」―其の方が自分の「生」癖を満たしやすい事も一因として…いや彼女の大半を占めている…。が、今の様に現状を粛々として受け入れるリグは「まだ若い男の子」としては少々魅力に欠ける。
「伝え方」を間違えば問題はあるものの現状の不満や解らない事、理不尽なことにちゃんと反発できる、はっきりと態度に出す事そのものは決して悪いことではない。その度に周り、世間からは弾かれるがそれから逃げ出さず向かい合えばその分耐性もつき、人としてのさらなる成長の糧になってくれる。
アナンはリグのとんがった所を失わないでほしいと思っている。美点だと思っている。快楽を満たす一方で弟を見守る様に彼の成長にも期待しているのだ。
……ほんの二割くらい。
八割はこのままいがみ合いが無くなっては「つまんない」という何とも目先の快楽、目の前にぶら下がった人参を失う事に大変アナンは不満のご様子である。
「~~~~!リグ!!そこに直りなさい!!」
「…?おお」
「違うでしょ!!そこは『俺に命令すんじゃねぇ』とか『いきなりワケの解んねぇこと言うんじゃねぇ』とかでしょうが!!」
「え?作戦行動中の指示じゃねぇの?」
「なんでそんなに大人になっちゃったの!?お姉さん悲しいワ!!」
「…?ワリィ」
リグは目を点にする。????が頭の上からひっきりなしに出続けたまま。
―あ~~ん!!もう!!こんなの私が知ってるリグじゃないよ!!
もう!
アバドンでも何でもとっとと出ちゃってよ!!んでいつものリグ返して!!!っとにもう!!
ズボッ!
キュ?
「……!?」
「……え!?」
キュ?キュ?
彼女達の背後約10メートル。ぷかぷかと宙に舞い、訝しげな小動物の様な高い声を発しながらキョロキョロ周りを見回すファンシーな生き物の姿があった。
―で、
出た。
幻のアラガミ。
あばどん。
「にやり……」
さぁ煮て喰おうか、焼いて喰おうか。
じりり…
アナンは近付く。「血の力」を確実にこのアラガミに浸透させるために。
しかし―
彼女はこのアラガミの習性を忘れている。
このアラガミには人間に対して一切の敵意、害意、そもそも闘争心というものを持っていない。このアラガミは自らが天敵に遭遇した際の感情、行動理念はとある一つの方向性に限られる。この場、この状況に「必要」な彼女の血の力に発動な「きっかけ」など発生しようがない。
その感情、行動理念とはただ一つ
「逃げる」事だ。
キュ―――っッッッッ!!!!!!!
「あ~~~~~~~~っ!!!???」
まさしく猛スピード。噂にたがわぬ逃げ脚を発揮し、ツチノコ級、UMA級ファンシーアラガミは天駆ける。
このアラガミを捕えるためにはアナンの血の力は全くの役立たずと言う事が判明する。口をあんぐりと開き、アナンはその可愛くフリフリ揺れるアバドンのお尻を見送る他無かった。
一方―同時
パチン!
反射的にリグは自らの血の力を解放。一応彼の戦線復帰を約束する獲物だ。当然逃すわけにはいかない。しかし…
ずん
「ぬ!!??」
アバドンを追い、駆けだす直前の彼の背部にどすんとした重みが。そして
「いっけぇえええええリグ!!!!そして追え~~~殺せ~~~」
アナンがリグの背中におぶさっていた。アナン―体重―
「はいストップ!!乙女の秘密をばらさない!!」
…+彼女の愛機―エロス約―
「はい❤企業秘密❤」
…の全体重がリグに覆いかぶさる。当然リグは
「おい!!おめ~~んだよ!!どけアナン!!逃げられるだろうが!!」
しかしアナンはにっこりとってもいい笑顔で笑い、
「リグ?一度あの子に向かって銃撃って御覧なさい?」
「…」
大型種ですら現在まともに当てられない射撃能力のリグにあんなすばしっこく、小さな的を捉える事など出来るはずもない。百年ほど前の某国のカートゥーンアニメの如く決して銃弾が当たらないシュールな光景が展開されることになる。
「わかった?解ったならほら。エロスと私に任せなさい♪」
リグは従う他ない。今は馬になる他ないのだ。目の前にぶら下がったとびきり上手そうな人参を食う為にどんなに騎手が不本意な相手だとしても。
「~~~っ!しっかりつかまってろよ!!!」
「お~♪」
ボッ!!!
烈風を巻き上げ、アナンを背中に乗せたままリグは猛スピードで逃げるアバドンの追跡を開始。
「その体勢、速度のまま銃身動かさずアサルトのバレット撃って。照準は私とエロスが合わせる!!」
「了解!」
チャッ
リグは強引に神機ケルベロスのアサルト銃身を背部のアナンの構えた盾に向ける。
「……てっ!!」
チュイン!!
アナンの掛け声と同時にリグは発砲。同時にアナンの盾によって反射されたリグの弾頭がアバドン目がけて精確に向かっている。
―捉えた!!アバドンゲットだぜ!!
アナンは勝利を確信する。が―
……キュっ!!
このアラガミ。「逃げ」に特化しているだけはあった。
クン!!
まるで最盛期のYキースの〇ベラの如き鋭いまっスラ軌道で飛行の軌道修正。
チュイン!
弾頭を躱す。
「おお!?すっげぇ反応速度!!やぁるねぇ~~~♪」
「そうでなくては」とでも言いたげにアバドンの華麗な回避に感嘆の声をアナンは上げる。にゃろう。なんて奴。
「おい!大丈夫かよ。こっちはお前は重い上に銃の反動のせいで足は劣るぞ!!」
「さりげなくセクハラ発言混ぜんな!!おっけ!取りあえずアンタはこのままアバドンを追って!射撃の合図は私がまたする!弾数は最初にこっちで指定するからOP無駄にしないで!」
「了解!」
「…よし。弾数2!!…って!!!」
チュインチュイン!!
アナンの掛け声、発砲音、同時の反射音、そしてリグの
「下手くそ~~!」
「うるさ~~い」
的な応酬が欧州市街地痕に響き渡る。