G・E・C 2  時不知   作:GREATWHITE

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神隠し 3

「…固有種?」

 

「ええ。その名の通り世界にたった一個体だけ存在するアラガミ種よ」

 

赤髪の女性―レア・クラウディウスのもう一つの人格である女性―ルージュが豊満なバストを押し上げるように腕を組み、長い脚を絡ませ、ソファに背を持たれかけながらそう言った。

 

欧州

 

クラウディウス家邸宅―執務室

 

「この前説明したアラガミの新種―「感応種」のことは覚えてるかしら?エノハさん」

 

「当然。人類を滅ぼしかねない厄ネタを笑って聞き流せるほど平和ボケできるご時世じゃない」

 

「よかった。まぁ何せ私達が初めて出逢った時のお話を忘れてもらってわね?初対面の印象、記憶はその二人のこれからの人間関係を左右するたった一度きりの瞬間ですもの。増してそれが若い男女であったなら尚更―」

 

「…ルージュ」

 

「…相変わらずつれないわねぇ」

 

「ふん。いいもん」とでも言いたげに幼く口を尖らせたルージュにエノハがやれやれと大げさに溜息をつくとルージュの傍らで佇んでいた軍服の女性―ナルが

 

―いつものお戯れです。ご了承を。

 

一見隙のない、きちりと被られた軍帽の下から覗く目が優しく緩み、少し困った笑顔でエノハに謝罪し、拗ねたルージュの替わりにエノハへ説明を始める。

 

「…もともと最初に確認されたいくつかの『感応種』自体もこの『固有種』にカテゴライズされていました。でもどうやらアラガミの種全体が進化の方向性をこの『感応種』の方向に舵を切ったみたいですね。あっという間に種類、個体数を増やして『固有種』から脱却し、『感応種』という独自のカテゴリーを作り上げるに至りました。この期間僅かに半年足らず。…相も変わらずデタラメな進化の速度です」

 

「…まぁ確かにアラガミ内での生存競争、天敵である俺達人間、GEに対抗するために種類、頭数を増やすことは方向性としては妥当だな」

 

エノハのその言葉にナルもやや神妙な面持ちで微かに頷く。ルージュもそのやり取りを見て気を取り直し、少し気だるげに頬杖をつきながらも補足していく。

 

「けどコイツら『固有種』は違う。謂わばその逆の方向を行っているわね。敢えて増えず、己の種の保存すら望まず、世界で唯一の単一個体として存在することを選んだアラガミなの。…エノハさん?貴方程のGEであればこの存在がどれほど厄介な存在か解るでしょう?」

 

 

そう。

 

一個体しか存在しないということはその因子を手に入れること自体困難だ。絶対数が極限に少ない、そもそも「1」なのだから当然である。

そして例えその因子を手に入れ、偏食装甲の更新をした所で意味は無い。その一匹しかいないアラガミを討伐し、コアを手に入れた時点でそのアラガミは絶滅しているのだから。

しかしそれは逆を言えば理論上世界の全ての支部の装甲壁がそのアラガミが生きている限り、その攻撃、浸食に対して耐性、対策を持てない事になる。実質上フリーパスだ。エノハがかつて討伐した巨神―ウロヴォロスもその個体数の少なさから十分な装甲壁更新のための偏食因子が採取出来ず、甚大な被害がいくつも発生したケースだ。

 

しかし当のこの種はたった一匹である。

討伐によるリターンは小さく、かといって討伐しないとリスクは大きいという厄介な性質をもったアラガミ種だ。

 

そして更に厄介な事実がある。

 

 

どうやらこの固有種はその自分のアドバンテージを「理解している」節があると言うことだ。

 

簡単に言えば自分の情報が外部に漏れる事を極端に嫌う性質を持ち、その為の特異な能力を持っている。

 

前述の感応種は周囲に居るアラガミを操り、同時同じオラクル細胞で構成されている神機ですら干渉、その行動を阻害してしまう特殊な感応波を出すことが確認されている。

「固有種」もまた似たような波形のパルスを出すことができるが感応種とは少々その目的の趣旨が異なる。

 

EMP。

 

即ち電磁パルス。固有種はこれに「似た」波形の特殊な感応波を周囲に展開し、範囲内の機械、電子機器、情報通信機器を完全に機能停止させる。それだけでなく、どうやら同種同士の一部のアラガミが備えている特殊な交信能力等ですら阻害してしまう。

こうして彼等の情報が外部に漏れるルートを徹底的に、完全に遮断するのだ。相手が人間だろうが同じ細胞を持つアラガミであろうが、だ。

 

この種は基本己の存在のみが全てである。

 

己が単一の個であることを理解し、その優位性を失わない為には自分の情報、存在すら隠匿し、暗躍し続ける事が最善であるとこの「固有種」は「理解」している。

純粋な戦闘能力は極東などの蟲毒の如き生存競争の激しい地帯で特化されたアラガミに比べると確かに低い。

 

しかし、一筋縄ではいかない特性、狡猾さを持ち、ナンバーワンよりオンリーワンになる事を選んだ危険なアラガミ種―

 

それが

 

 

固有種。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……ぐっ…!んあ……!!!」

 

時は移り

 

欧州サテライトB市役所回廊―

 

銀髪の少女―「レイス」は歯を砕けんばかりに喰いしばり、自分の体を何とか前に進めようとするが自分の指先、爪先から延びた黒い線の長さが刻一刻とその長さを延ばしていることから自分の体が思いとは裏腹に徐々に後退している事を痛感させられる。

 

「…!」

 

恐る恐る振り返ると彼女の細く長い右足、その右足首にまるで枷の様に蒼白いスライム状の物体がしっかりと絡みつき、拘束を強める為に尚も少女の足を登り、舐め回すように伝っていく光景が映る。

 

ぞぞぞ

 

膝下まである彼女の厚い革のロングブーツの上からでも感じるその形容しがたい不快な感触と同時のおぞましい光景が絶妙にシンクロし、彼女の背筋は凍る。そしてそれがもう間もなく膝裏の地肌に達する事を考えると更に体と心が冷える。

 

 

「……う…あ、あああああああああああ!!!!」

 

 

「その瞬間」が訪れ、いつもは冷静沈着で物静かな大人びた少女が悲痛な叫び声を上げる。

 

それは不快感が理由だけでは無い。同時猛烈な激痛が彼女の膝裏を襲ったからでもある。

どうやらこいつは捕獲と捕食を同時に行う習性を持っているらしい。いやもっと厳密に言えばこれは消化行為だ。

 

人間が食物を口に入れた瞬間、それを噛み、唾液で消化や咀嚼を補助するのと同様である。食べ始めているのだ。「レイス」を。

 

不快感、激痛、そして自分が今正に喰われようとしている事実への恐怖が「レイス」に

 

「う……ぐぅっ……うううううっ!!!」

 

恥辱に満ち、悔しさを滲ませた最早涙声に近い呻き声を上げさせる。

 

うつ伏せのまま最早前進しようとする抵抗を止め、顔を伏せた。

傍目に見れば最早心が折れ、どうにもならない現状にただ自分が出来る限り安楽のまま事切れる事を悔しさを滲ませながらもどこかで祈る様な所作に見える。

 

 

 

 

 

―しかし

 

 

銀髪の少女を現在支配しているのは恐怖、激痛、不快だけではなかった。

 

 

 

それが「レイス」を捉えた背後の悪鬼―

 

「擬神」の誤算であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「レイス」というGEの少女は非常に感応能力が強い。

 

先日、エノハの神機スモルトの暴走時、戦闘中に神機を介して暴走したスモルトの精神状態、高揚を気取ったように在る程度の感情、状態すら読み取れる。

これは彼女の血の能力「絶殺」の発動条件の目安を図るのにも重宝されている。アラガミの精神状態とオラクル結合は密接に結びあっているケースは多い。

 

しかしこれはあくまで「神機を介して」の話だ。

 

触れた瞬間に捕食される危険性があることから周りも彼女自身も禁じているが、直接純粋なオラクル細胞に触れることでより強い感応現象を起こすことも可能だ。

簡単に言えば感応現象によって生じる情報の交換、交信の量―情報量が大幅に増えるのである。

 

最早感情だけでなくより情報を細分化、言語化出来るクラス、時には「思考」レベルまで感じ取る事が可能になる上、更にそのアラガミの「記憶」すらも読み取れる。

 

正し。

 

「彼女の意志に関係なく」だ。

 

周りの人間、そして「レイス」自身がこれを禁じているもう一つの理由がこれである。彼女自身では現時点、神機と言う「緩衝材」を通さずに直接触れる場合の感応現象では得られる情報量を制限、制御できない。

 

よって現在、擬神によって直接捕食されている「レイス」には許容量を超える感応現象が迸り、同時擬神の記憶が否応なくなだれ込んできている状態だ。

 

アラガミという生物は「捕食」と言う行為だけでなく、身を以て味わった経験や得た知識を素に己の体構成を変える事も出来る群体生物だ。

「記憶」の扱いは少々人間の感覚とは異なるものの、人間同様に軽視はしない。

「記憶」と言うよりかは「記録」に近い物であるだろうが、それでも「この先何が。どんな経験や記憶が活かされるか解らない」という柔軟な観点で人間と同様、物事をアラガミもまた記憶し、保存する。

リンドウがアラガミ化した黒いハンニバル―真帝がいい例だ。「捕食」だけでなく素であった人間―つまりリンドウの記憶や知識、経験を蔑にせず己の進化に反映させた結果、あそこまで強大なアラガミになったのである。

 

話がそれた。

 

要するにこのアラガミ固有種―擬神もまた自分の進化の為の「記憶」を保持しており、それを今「レイス」は感応現象で「見て」いる。

まるで自分の目で見ているみたいに擬神の記憶―見て来たものの光景が視覚情報として映るのだ。

その光景こそが喰われる恐怖、激痛、体を舐め回されるような不快感以上に「レイス」を叫喚させた原因であった。

 

その光景とは。

 

 

先程までこの擬神が擬態していた少女―ルーティ・パリストンの光景であった。

 

 

 

 

 

う、ひっく……ぐすっ…ママぁ、パパぁ…。

 

 

このサテライトBで行われた擬神の「一斉捕食」を何らかの理由で逃れる事の出来た少女―ルーティ・パリストンは無人になった支部内を彷徨い、最終的にこの役所に逃げ込んだ。有事の際にはここに逃げ込み、助けを求めるように言い聞かされていたのだろう。

 

彼女はその言いつけをきっちり守った。ここにはこの支部を司る機能が在り、保安官がおり、そしてGEがいる。

 

しかしここも安全では無かった。既に彼女の頼る最後のつてであった連中も既に喰われ、彼女がここに来た時には最早誰もいない状態。彼女はここでもひとりぼっちあるという恐怖、絶望を堪え、彷徨い、震えながら自分しか入れなさそうな狭い通気口を見つけてそこに隠れ、膝を抱えながら助けを待っていた。

 

 

え?あ。あぁ……あはっ!!

 

 

在る時、彼女は自ら外に飛び出してくる。おぼつかない動作で少女の小さく、か細い腕にはまだまだ重い通気口の蓋を懸命に開けながら。その表情はまるで花開いたように眩しい笑顔であった。

 

そして駆け寄ってくる。

 

…「レイス」の元へ。

 

天使の様な笑顔。「レイス」は思わず腰を落とし、両手を広げた。

 

そのまま胸に向かい入れて抱きしめてあげたい。

 

頭を撫で、綺麗な金髪に頬を寄せ、「もう大丈夫」と囁いてあげたい。

 

 

 

 

 

 

―でも違う。

 

この「記憶」は…この「記憶」は……!!

 

 

「私の物」じゃない!!

 

 

だから。

 

だから来ないで。

 

ダメ。

 

こっちに来ちゃダメ。

 

ルーティ…ルーティ?……ルーティ!!!

 

お願い…

 

 

 

 

 

逃げて。

 

 

 

 

 

 

 

そう。

 

少女の目の前に「居た」のは「レイス」ではないのだ。

 

この「記憶」の本当の持ち主―

 

 

 

 

 

擬神悪鬼。

 

 

 

結末は

 

 

 

既に決まっている。

 

 

 

 

 

 

 

「う……ぐぅっ……うううううっ!!!あぁあああぁぁああああ!!!!!」

 

 

 

 

泣き叫ぶ少女。必死で抵抗しながらも為すすべなく引き摺られていく。

まるで美しくさえずっていた小鳥が毒蛇にゆっくり呑みこまれていくような光景。

「レイス」自身が現実世界で今味わっている激痛、恐怖、不快感とこの時の少女―ルーティが味わったそれがシンクロし、相乗的な感情の奔流が「レイス」の中を迸る。

 

 

怖い。

 

痛い。

 

嫌だ。

 

助けて。

 

 

そしてそんな負の感情の奔流の中で一際粘つき、絡みつくような感情が「レイス」に流れ込んでくる。また全く違う第三者からのものだ。

 

 

 

―これは。

 

 

…「愉悦」だ。

 

 

人がハンティング等で獲物を追い込んだ際の高揚と似ている。己が絶対有利の状況で相手の命運を支配し、手の平の上で転がしている事を実感する時のもの。生きる為に最低限の糧を得るだけの者には決して生まれない感情。一定以上の知能を持つ者にしか顕現しない高等な感情。

それを擬神は既に手に入れていた。

 

 

 

 

―コイツ…!!

 

 

喜んでる!!!

 

 

 

擬神は決してこの「記憶」を消し去らないだろう。取り払わないだろう。

この記憶を消し去ると言う事はこの甘美な感情を捨て去る事に他ならない。

人間は有史以来この感情を決して手放した事が無い。そしてこの感情を手に入れる為なら時に何でもする。

 

己の存在だけに固執し、他の全てを呑みこみ、喰らう者にこの甘美な感情を捨てられるはずが無い。

 

 

事実それはすぐに裏付けられる。

 

今「レイス」を蝕んでいる現状の擬神の中にある物は寸分違いも無く「それ」であった。喜び、打ち震えていた。

もう一度あの悦楽の時間を味わえることを確信して。記憶を反芻している。

それは哀れな獲物が今わの際に見せた生への希望と絶望の境目の姿。

 

 

 

 

 

 

…あの獲物はいつごろから動かなくなった?抵抗しなくなった?

 

ほぼ半身を喰らい尽してまともに呼吸ができなくなったあたりだっただろうか?

 

口をはくはくとさせながらヘンな鳴き声を発していたあたりだろうか?

 

 

 

 

パ……パ…っ……マ、マ?

 

 

 

 

…た、すっ……け、

 

 

 

 

 

 

て。

 

 

 

 

 

小さな手はもう動かない。

 

美しい蒼い目はもう何も映さない。輝かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―…いいよ?

 

 

 

「持って」て?

 

 

 

 

その感情ごと……

 

 

 

 

記憶ごと……

 

 

 

アンタらを滅ぼしてやる。喰らい尽してやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その瞬間擬神の中に流れ込んでくる。

 

感応現象の逆流。今まで「出ていくだけ」だったものが一気に擬神の中へ入り込んでくる。まるでさっきまで「大津波が来る直前の海が一気に引いていた状態」であったかのような全く真逆の変容。

 

擬神の中に流れ込んできた物はこれまた「感情」。ただし今まで擬神が見知っていたもの―恐怖。悲哀。絶望とは全く違う異質な物。

 

それに気付いた時に擬神は行動していた。生物として全く当たり前の反応、行動―反射行動であった。生物があまりに許容を超えた高熱の物に触れた際に無意識にひっこめたりする際にとるような行動―感情よりもより早く生物を行動に至らせる原始的な防御反応であった。それは擬神の中で最近生まれた新たな高位の感情―「愉悦」をあっさり優先順位から捨て去る強制力を一気に発揮。

 

…!!

 

擬神はこの圧倒的有利な状況でありながら、怯む。

 

が、

 

 

ズボォッ!!

 

 

さらに予想だにしない光景が擬神の目に映る。

 

「……ぐっ…!!」

 

獲物―「レイス」の右拳が深々と擬神の体内に突き刺さったのだ。

しかし、形態、性質は大きく従来の物とは異なるものの、あくまで擬神は「アラガミ」である。生身での攻撃―「レイス」の行為は無意味に他ならない。実際に擬神はノーダメージの上、

 

「くっ……ぅ…っああああああ!」

 

わざわざ擬神の体内に突っ込んだ「レイス」の右腕は右足と同様捕食、浸食が始まり、さらなる激痛に彼女は呻いた。実質この行為にリターンは無い。

 

しかし、

 

―これでいい。

 

確かに身体的ダメージでは両者の間で完全な大差が開いている。ダメージの無い擬神と右足、そして右手まで浸食されている「レイス」では。

しかし、こと「内部」においては戦局は全く異なる状態であった。

 

「そこ」では完全に「レイス」は擬神を制圧、圧倒的に「場」を制していた。

 

彼女の一見無為に思えた拳撃は実はより擬神に大量の感応現象を流し込む為の一撃であった。右足のみでも擬神を怯ませるほどの感情の奔流を与えた彼女がより感応能力の伝達力の強い右手を擬神の体内に刺し込んだことで、情報量を急激に増加させたのだ。

 

擬神の情報処理を司る部分に過負荷を与え、同時に新たな意識、感情を擬神に植え付けるために。

 

「レイス」は自分の目的のために新たな感情を擬神に与えた。

 

その感情の名は苛烈過ぎる「憤怒」

 

「レイス」はそれを素にした強烈な害意、殺意を擬神に一気に流し込んだのだ。現状のたった一つのシンプルな目的を達する為に。

 

「…!!!」

 

「レイス」は激痛に歯を食いしばりながらも顔を上げ、擬神を睨みつけた見開いたオリーブ色の瞳は涙で潤みながらも爛々と輝き、擬神の中に迸った強烈な感情と相まって擬神を戦慄させる。

 

……!!

 

今、「レイス」は完全に擬神を掌握した。

 

 

ずるっ!!

 

 

擬神は後ずさり、「レイス」を解放。目の前に転がっていた圧倒的有利な状況を捨てて逃げたのだ。つまり行く末は「勝利」しか無かった状況を捨てた。

 

 

「うっ!……はっ…はっ…」

 

ペタンと解放された体を力なく脱力させたまま座り、再び顔を伏せ、「レイス」は肩で息をしながら浅い呼吸をする。

 

…。

 

そんな彼女を少し距離を離して擬神はじっと観察しつつ、感応現象でひっかきまわされ、混乱させられた内部―情報処理を司る部分を落ち着かせる。

目の前の少女の姿はその回復速度に拍車をかけた。

 

…なんだ。

もうボロボロじゃないか。

 

右足の浸食は彼女の足を浅黒く変色させ、歩行不能のレベルに至らせており、擬神を殴った右手も右足ほどではないにしろ重傷、おまけに強烈な感応現象の発露した彼女自身の精神への反動も浅くない。間違いなく心身共に満身創痍である。

 

何故こんな状態の相手をみすみす一旦見逃したのかと自分の行為の疑問視すら擬神には浮かぶ。攻撃再開という行動方針が擬神の中で決定されるのは自然だった。

いや、むしろ「食事再開」と言った方が適当だろうか?

 

しかし

 

擬神は気付いていなかった。もはや自分は千載一遇のチャンスを逃していた事を。

 

そして忘れていた。直前に「レイス」から感じ取った新たな感情―「憤怒」から生まれる害意、殺意が決してただの虚構や虚勢では無かった事を。

 

「はっ…はっ…」

 

…。

 

 

「はっ…。…」

 

 

少女の呼吸が落ち着いたと同時、顔を上げてきっと擬神を見据えたその視線は擬神を戦慄させた時と寸分違い無く、戦意に満ち溢れていた。同時かぱりと少女は口を開く。

 

 

ガブッ!!

 

 

!!???

 

 

少女は突然、使い物にならなくなったはずの自分の浅黒く変色した右足の太ももに勢いよく噛みついた。当然擬神には当初その行為の意図、意味が解らない。しかし、間もなく理解した。

 

まるで少女の右足が沸騰したかのように膨れあがり、先程まで浅黒く変色し、血を吸い取られたかのようにやや萎んでいた右足が体積を取り戻し、同時美しい脚線と血色を取り戻していく。その予想だにしない光景を唖然と擬神は見送る。

 

「…」

 

少女―「レイス」が唇からやや粘つきのある血液の糸を垂らしながら顔を上げた時、擬神は反射的に飛び付いた―

 

が、既に時遅しであった。

 

覆いかぶさった自分の体が何の感触も無く地面に叩き付けられた時、擬神は次の瞬間に自分にとって最適な行動を直ぐに選択する。

 

「逃げる事」だ。

 

擬神は背を向ける。さっきの「レイス」と同じように振り返りもせず。

 

ずるりっ!

 

目の前の通気口に滑る込むようにして侵入、内部をその流動的な体を駆使し、蛇みたいに一気に駆け抜ける。ここであればあの人間はともかく「アレ」は侵入できない。

自分にとって最も驚異的な道具―神機だ。

 

少なくともこの場は逃れられる―擬神はそう考えた。

 

が。

 

 

 

ババババババっ!!

 

 

背後で連鎖的に砕け散るガラスの音が響き渡ったとほぼ同時のことであった。

 

 

ドスッ!!

 

 

……!!!!!??

 

 

擬神は横っ腹に猛烈な衝撃と痛みを感じ、猛烈な力で背後に引き出される。訳も解らぬ内に通気口内から引きずり出された直後、市役所2Fの回廊の高い天井に設置された照明が眼前に迫るほどの勢いで空中に巻き上げられた。

 

……!?

 

上も下も解らない。パニック状態の擬神が次に感じたのは

 

ガッ!!

 

自分の体に無数に突き刺さる刃の感触、そして生温かい息遣いが感じられる口内の中。

 

そこは「レイス」の神機―カリスの捕食形態の口内であった。

 

 

 

「レイス」は右足の完治後、即バックステップ。擬神の飛び付きをかわして背後の愛機―カリスを回収。接続。

直後逃げの一手に回り通気口内に逃れようとする擬神を目で捉え、鎌型神機ヴァリアントサイズの特殊形態―咬刃形態を展開、右方向から横薙ぎを仕掛け、裏庭に面した窓のガラスを突き破り、建物ごと切り裂いて通気口内を走り、逃げる擬神に鎌の刃の先端を突き刺し、形態解除をして擬神を引きずり出したのである。

 

そして現在、神機に銜えさせた擬神の姿を眺め、

 

ずずずずずっ

 

徐々に口内の圧力を強めていた。

 

「……」

 

擬神の目にはいつもの彼女と同じように無言で。しかし怒りの激情の光を携えたままの少女の姿が映る。状況はわずか三十秒足らずで一気に反転した。

 

……!…!?……!!!

 

今まで感じたことのない痛み、圧力に今にも潰えそうな己の命運を悟り、擬神はパニック状態のまま、今までの経験、知識を辿る。

最早この状況を力尽くでは突破できない事を理解した。それ程に今自分を拘束している人間は今までの相手とは別格である。基本能力自体は己単体の身では大したことのない擬神にとって今頼るべきは培った経験と知識だ。

 

そこで次に擬神が選んだ、採った「手」は中々に面白い「手」であったと言える。

 

「……っ!!」

 

揺るがない強い意志と激情を秘めた少女―「レイス」の表情がぐらつく。眉が内側に痛々しく歪み、唇を噛みしめるようにひき結ぶ。同時に擬神は自らに喰らい付いている神機の顎の圧力が少し緩んだことに自分の企み、謀りごとの成功を意識する。

 

その擬神の採った手とはやはり擬神にとって最大の強み―擬態だ。

状況に合わせて最も効果を発揮する形態を選び、変化することだ。

 

今の状況で目の前に居る人間―「レイス」にとって最も効果を発揮する可能性の在る姿であろう形態―それは

 

 

 

た。

 

す。

 

け。

 

て。

 

 

 

喰らった少女―ルーティ・パリストンの姿であった。

彼女が死の直前象った姿を記憶し、擬神は行動に反映させる。神機のアギトに銜えられた小さな少女―その口が象る。

 

「助けて」と。

 

人間の内臓―声帯まで擬神は模写していないため、声自体は出る事は無い。しかし少女が事切れる直前の擬神の記憶を感応現象でトレースしている「レイス」にとって、ほぼ最期の瞬間、声を出す事も出来なかった状態の少女の姿と今の擬神の擬態の姿と仕草は完全に同調している。

 

 

さあ。

 

人間。

 

この無力で哀れな最期を遂げたこの子をまた殺すのか?殺せるのか?

 

今度は自分の手で?

 

 

「レイス」は沈痛な表情のまま目を逸らす。

 

更に神機の捕食形態の拘束が弱まっていく。あともう少し弱まれば擬神の柔軟な体を駆使してこの顎から逃れる事も可能だ。

そして逃れる事さえできれば現状「レイス」は目と鼻の先、即今度は全身を拘束して一気に捕食すれば事足りる―

 

擬神が絶体絶命の状況で採ったこの作戦は現状最善の手で在った。

 

 

 

 

 

 

しかし

 

 

 

 

 

「妙手」では無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぎりぎりぎりぎりっ!!!!

 

 

 

……!!!!!!!!!

 

 

 

少女の姿になって以降、下がり続けた口内の圧力が最低ラインから一気に最高時の圧力の三倍以上の圧力となって擬神の体を喰いしばり始めた。今まで感じたことのない激痛と危機感に擬神はのたうち始める。

「擬態」を保っていられない。象った少女の姿がぶれる。思いの表情が、仕草が作れず、笑ったり、泣いたり、喜んだり、状況とはあべこべの表情になる。何とも形容しがたい不気味な光景である。

 

その光景を見据え、「レイス」は呟く。

 

 

 

「…アンタ…命を縮めたね」

 

 

 

―アンタの事を調べるために少しの間生かしておこうと思ったけど…

 

 

 

「…もういいや」

 

 

 

 

 

 

―死ね。

 

 

 

 

 

 

ぐしゃあっ!!

 

 

 

擬神は粉々に砕け散り、食い散らかされた。得た記憶も知識も全て一緒くたにして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「…!!レイス!!」

「レイス」の神機の攻撃による轟音、一部不自然に傾いた市役所の二階の姿を見てエノハは階段を駆け上がり、回廊に達する。


「…エノハさん」

そこには神機を携えたまま立ち尽くす「レイス」が後背中を向けたままエノハに振り返る。その周りは見るも無残な状況である。
砕けたガラスが散乱し、埃が立ち込め、床の紅いカーペットもズタズタ。そして周りには砕け散った擬神の破片が所狭しと飛び散っていた。その状況でエノハは何が起きたのかを大体理解し直ぐに「レイス」に歩み寄る。

エノハの姿を見て少し申し訳なさそうに目線を逸らし、視線を落とす。同時

「あっ…」

彼女の膝が落ちる。擬神の攻撃、感応現象、そして自分への血の力の行使。「レイス」の消耗は激し過ぎた。

「…!」

エノハはすぐに駆けより。背中から手を回して彼女の体を支える。
エノハに抱きかかえられたままやや焦点の定まらない瞳を「レイス」はエノハに向け、

「ゴメン…殺しちゃった。色々調べる事あったのに」

「…安心しろ。リグとアナンが一匹捕えてる。それよりこっちこそ悪かった。…一人にさせて」

「…我慢できなかった」

「…そうか」

「レイス」はそう呟いた後右手で目を覆い隠し、また不明瞭に呟き続ける。「ごめんなさい」と。

その言葉は何を意味していたのか。

調べなければいけない獲物を殺してしまった事に対してか。

それとも。

救うことができなかった記憶の中の少女へ向けてか。




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