先日
リグが常に着用、愛用していた彼のワークキャップが度重なる負荷に耐えかね、昇天した。
先日アナンがソファに置かれているそれに気付かず、小一時間尻に敷いていた結果大幅に型崩れし、最早別の何かと化したワークキャップを泣く泣くリグは処分した。
「…だからさぁ…謝ってんじゃん」等のアナンの軽い謝罪は彼の心を深く抉り、ふてくされたリグは口を利かなくなり現在に至る。
「と、まぁエノハさん…こう言う事がありまして…」
「で。今リグはああいう状況。と…」
事の顛末を『レイス』から聞いたエノハは最近、ふてくされたまま誰とも口を利かないリグが黙々と神機の射撃練習場で神機の調整を行っている後ろ姿をガラス越しに見ながら腕を組む。その場には他にアナン、ノエルの姿もあった。
「まぁ最期はアナンちゃんのお尻の下で果てられたんだから帽子(カレ)も本望だったと思――うっ!!!??」
どすっ…
「…」
「うぇっ…すんません調子に乗りました二度と言いません許して下さい」
腹を抱え、蹲りながらアナンは息も絶え絶えに深々と彼女のみぞおちにめり込ませた直後の拳を握りしめながら脆く、そして冷たく自分を見下ろす『レイス』に頭を垂れる。
「まぁ四六時中被ってるから相当お気に入りだった事は解るけどそこまでか…。確かに少し可哀そうではあるな。…俺のせいでもあるし」
先のエノハの神機―スモルトの暴走時の戦闘はリグのワークキャップの「鍔」の部分を蒸発させていた。完全なトドメはアナンのケツ圧とはいえ、エノハの神機の暴走がリグの帽子の消耗に一役買ったのは確かだ。よってエノハは決断する。
「よっし仕方ない。俺が同じのを買ってくるとしますか…。ノエル?レイス?アイツがアレをどこで手に入れたのか知らないかな?」
「…」
「…」
そのエノハの言葉を聞いてノエル、『レイス』の二人は無言で互いに顔を見合わせる。その質問が来る事を予期していた節があった。しかしいざその質問の際の答えに窮していたことがその態度から伺える。
「どうした?何か問題でも?」
「…う~~んそれがさエノハさん?…事はそんな単純じゃないんだよね」
「…?」
「僕が説明するよ。『レイス』」
「…お願いノエル」
「有体に言うとワンオフなんですよ。リグのワークキャップは。…完全なオーダーメイドでリグの頭の大きさ、形、骨格に合わせて調度、設計した世界で一つの『リグの為の帽子』だったんです。デザイン料だけで軽く数十万FCはいってると思いますよ」
「…」
―まだ成長期の子供になんてもん買い与えてやがるんだレアは…。これだから金持ちは…。
実家は一応資産家だが過剰な浪費家の父を持つ故に思考は結構貧乏人のエノハである。
「ですからもう一つ作るとなると帽子をデザインしてくれたデザイナーさんに連絡を取ってとりあえず図面を受け取らないことには…」
「成程…ん?ノエル…?君の言い方だとひょっとして…」
「はい。ちょっと時間はかかると思いますが同じ物を作る事は出来ると思います。図面と素材さえあれば。問い合わせれば図面に関してはすぐに送ってもらえるでしょう。ママが懇意にしているデザイナーさんなので」
ノエルはあっさりそう言いきった。
「くすっ。ほら…ママって物凄くスタイルがいいでしょ?貴族お抱えの高名なデザイナーさんから新作の試着を頼まれることがあるの。だからその方面の人達にすっごい顔がきくんだ。かくいう私の服もその中の一人にデザインしてもらったしね」
「…。ふ~ん」
『レイス』にしては珍しく明るい口調で話にのってきた事にエノハは戸惑いながらも目を丸くして微笑んだ。彼女も年相応にその分野に関しての興味はあるらしい。
「そうそう!この前なんかウェディングドレスの試着を頼まれて行ったらそのデザイナーにプロポーズされたりしてさ~~?『私には四人子供がいまして』ってママが言った時のデザイナーの髭のおっさんのカオったら!!エノハさんに見せたかったなぁ!!」
「へ、へぇ…そうなんだ」
アナンは相変わらずブレが無い。
「ああ~あったね~…。あの場にリグが居なくてホントよかったよ。下手したらあのママに言い寄ったデザイナーブチ殺してたんじゃない?」
「あはは~私もちょっと『新しいパパ』としては無理だな~あのおじさんじゃ。何か噂によると表では同性愛者を公言しながら実は『ノーマル』で裏で油断したモデルの女の人何人か襲ってたみたいでさ~。全くやり方がウンコだよね」
「…信じらんない。あん時はママが股間キックで悶絶させちゃって『ちょっと気の毒』とか思ってたんだけど…。…今から私がシメに行こうかな」
「だよね~同性愛者騙る位ならせめてまずそのきたねぇ『イチモツ』切り落としてから出直してこいっつ~の」
「…。それやっちゃうと本末転倒だけど…それぐらいの覚悟はしてほしいね。『私達』のママに手を出すくらいなら」
「…」
ほのぼのと中々凄いエピソードを語る彼女等にエノハ絶句。そんな彼の肩にノエルはポンと手を置き
「…慣れる事ですよ」
一言そう言った。
「ま、まぁ作れるなら話は早い。ノエル!早速図面を取り寄せてくれるか?」
エノハは気を取り直して努めて明るくそう言ったが途端
「「「…」」」
三人の表情の雲行きが一気に怪しくなる。一回り年下の子供らに「若いな…」的な顔をエノハはされた。
「…?三人とも心配すんなって。代金は俺が持つからさ」
「そういう意味じゃないんだよ…エノハさん」
「?」
「…。とりあえず図面を送ってもらいます。それと一緒に必要な素材をリストアップしますから…まずはそれを見て頂けますか?エノハさん」
「あ。そうか。製造費用とは別に素材が居るんだったな。そういや」
ノエルは徐に手元の携帯情報端末にアクセス。十分とかからない内に…
「はい。出ました。これです」
「どれどれ…」
手渡された携帯端末をエノハは覗きこむ。そこにはリグのワークキャップの製造の為の必要素材が箇条書きで羅列されていた。
リグのワークキャップ必要素材レシピ
・カシミア×1
(メリノウールは邪道!問題外よ!!)
下の一文はどうやらデザイナーの一言メモらしい。
―…カシミアか。素材倉庫に何個かストックがある。何とかなりそうだな。
・兎毛×1
(可愛い可愛いウサちゃんの毛よ。今や絶滅危惧種のウサちゃんの皮だけど容赦なくバリバリ剥いじゃって!私の作品の素材になれるならきっと本望の筈だわ)
―…。人でなしだな。このデザイナー。
・人工皮革
・牛革
・アリアドネの糸
・高品質ゴム
・ガラス繊維
すべて各2
―…!?オイオイこんなに混ぜて大丈夫なのか!?爆発しないだろうな!?
・絹
・上絹糸
―…。どれだけ搾り取る気だ。クソ高い素材ばかり要求しやがって。
(む!?さては「高級素材ばっかり要求しやがって」とか思ってるんでしょう!?でもお生憎様。一流のファッション、おしゃれの為にはお金、手間暇を惜しんじゃ駄目なのよ!)
―うるせぇ!
端末に向かってエノハは内心そんな禅問答を繰り返しながらようやく最後の項に行きつく。
―はぁようやく最後か。なになに…?
・アバドンの天麟
(生後四カ月 メスがべスト)
―ん?
エノハは目をしぱしぱしながらもう一度リストを見返す。
・アバドンの天麟
―…?なんだ?この世界観を丸ごと無視したかのような素材名は…?
アバドン
最近存在が確認された新種の小型アラガミである。
アラガミではあるものの全く人間に対しての敵意、害意は無く、人間と遭遇しても一目散に逃げていく。その逃げ足は非常に速い。
前述の通り危険性は著しく低い為、討伐する必要は無いように思えるが体内に非常に希少かつ有用な汎用性の高いコアを有しており、神機のカスタマイズに一役買ってくれるためもし遭遇した場合、余裕があれば討伐を推奨する。
非常に希少な種、有用なコアを持ち合わせる上に妙にファンシーな見た目を持つ事から一部神機使い(特に女性神機使い)の間では「レアアラガミ」「幸運のアラガミ」などと呼ばれる。
またその体から採取できる体皮は質感、肌触りが良く(長嶋ライクに言うと「きゅっとして、もふっとしてムフフ❤って感じなんですね。ハイ」)、さらに染色が容易と文句なしの非常に素晴らしい材質をしており、前時代の利用されていた様々な動物の高級な皮革を凌ぐ新しい服飾素材として影で注目されている。
ただし本当に希少かつまだまだ生態も掴めていない「ツチノコ級」の幻のアラガミなのでミッションの際、過度の期待を持って本アラガミを探すことは任務に支障をきたす危険性があるのでお勧めはしない。
「…っ!なんじゃこりゃあ!!??そんなUMAクラスのアラガミの素材が必要だってのか!?第一なんだよこの『生後四カ月 メスがベスト』って!?アラガミに性別があんのかよ!?っていうかなんでそんなヘンな所妙に具体的なんだよ!?」
突っ込み所が多すぎて流石のエノハもテンパッていた。
「…知らないよ。私らだって最初聞かされた時は胡散臭い話だって気にも留めなかったもん」
「…。ダメだコレは。リグには悪いけど流石にこの件は保留。…とりあえず普段の任務をいつも通りこなしつつ、いざ現れた際には冷静に対処できるように努めよう。任務中気を取られ過ぎて怪我したりしたら目も当てられない。三人共!そのつもりで頼む」
「…了解。と、言いたい所なんだけどね…エノハさん」
「?何か?レイス?」
「そんな余裕はないかもしんな―」
チュイン!!
突如甲高い音が響いて四人の居る射撃練習所を臨む控室のガラスが貫かれ、
「え…?」
一発の銃弾がエノハの頬を掠めていった。掠めた銃弾はエノハの背後の壁を貫き、煙を上げる。唖然と目を見開き、口をパクパクとさせながらエノハはようやく目線だけ動かして貫かれたガラスの向こう側を見る。
そこには顔面蒼白で今までに無く本気の謝罪の顔をしたリグの唇が「わ、わりぃ…」という動きを作っていた。
「まぁこう言うわけでして。…リグはね?カッコつけていつもあの帽子を被ってたわけじゃない。あの帽子を被らないと全く銃の制動、照準合わせが出来ないのよ。不思議な事にね」
「ど、ど、ど、ド死活問題じゃねぇか!!!」
その日よりエノハと未だ姿を見せぬ幻のアラガミ―アバドンとの戦いは始まった。