風が舞い上がる。
「・・・」
熱砂の砂漠に不似合いな、身をナイフで刺すような冷風。翻された外套と飛ばされそうなターバンを片手で押えながらエノハは見据えた。
乾いた蒼空と水気の無い白い雲。蒼い海を泳ぐように浮かぶまさしく「紅」一点を。
・・・。
「紅い鮫」もまた目標―エノハを無言で見据え、ゆらゆらと空海を彷徨う。
捕食者が獲物を襲う時のやや落ちつかない不規則な牽制の動きが緊張感を煽る。押しつぶされそうな威圧感に頭領が音を上げた様な形で口を開いた。
「なぁ・・一体アイツは何なんだ?・・長年仕事上あの化け物どもを相手にしてきたがあんな奴は見た事もねぇ・・」
頭領はじとりと汗が滲む額を抑え、目標から目を逸らさないエノハに話しかける。返事は無くても良かったが青年からは答えがあった。
「・・カリギュラ」
「・・カリギュラ?」
氷を操る蒼帝―「カリギュラ」は確かに極東在籍時にエノハは交戦している。しかし・・
「・・に似ています。でも身体的特徴が若干違う・・。本来は濃い青色の体色のはずなんですがコイツは見ての通りです」
「・・新種か」
「恐らくは。とりあえず俺も見た事はありません。・・・!」
ズオッ!
「つかまってっ!」
「うおっ!」
ザザザザザザザザッ!!
空を泳ぐ熾帝―ルフス・カリギュラは急降下。腹部を擦るぐらいの低空飛行で砂塵を巻き上げ、トレーラーに迫る。
砂の海の水上を走るトレーラーを「沈没」させるために。その姿は紅い背びれを砂の海から出して舟を襲うまさしく紅い鮫の如き姿であった。
狙いは船上のエノハただ一人。熾帝の興味は最早その一点である。
―・・!速っ・・!
エノハが極東で遭遇、交戦した原種カリギュラとの徹底的な違い―それは圧倒的な機動力の差である。
紅い鮫は強靭な顎と歯の替わりに右手の片刃を展開、低空飛行の姿勢から一気に躍りあがる様に
ズオッ!!
ライズした。エノハの上半身が一気に吹き飛ぶ軌道の剣閃である。
「ぐっ!」
「受け太刀は無い」と即判断し、飛び退いたエノハの鼻先を紅い剣閃が掠めていく。先程までエノハが立っていたコンテナの角が豆腐の様にあっさりと切断され宙を舞っていた。同時剣閃による風圧で吹き飛ばされたエノハの頭上を熾帝の巨体が掠めていく。
しかし強烈な先制攻撃であったがエノハは目を逸らしてはいなかった。反撃を諦めていない。「頭上を掠めている」という事は詰まる所腹部を晒してくれているのだ。ここは反撃―
―そう思うと思ったろ?
ガキン!!
「堅っ!!!」
熾帝の頑強な尾とエノハの剣閃が火花を散らし、お互い共に弾かれる。熾帝の渾身の切り上げの「フォロー」の為の尾の攻撃はエノハの神機―スモルトの白銀の剣形態が捌いた。
お互いノーダメージのまま次の攻防が始まる。
ブゥン!
熾帝の背中のブースターが眩い光を放ち、空へ一時離脱を図ろうとするが・・
「・・待てや」
ガコン・・
エノハとて自分のターンは欲しい。同時白銀の剣形態を銃身に切り替えた。
大口径のマグナムをそのまま巨大化させたような武骨な銃形態が躍り出る。全ての物を爆砕させそうなブラスト銃身―その銃口から
ドンドンドンっ!
三発のオラクル弾を熾帝の腹部目がけて発射。まるでイージス艦のトマホークミサイルの様に打ち出され、ホーミング軌道で空に逃れる昇り竜を追尾する。
!
自分の飛行速度を超える三発の弾頭に気付き、初めて完全に逃げの姿勢に回った熾帝を執拗にエノハの放った弾頭は追尾した。何度か空中で不規則に軌道を変えて飛行する熾帝を執拗に弾頭は追跡し、徐々に距離を縮める。直撃は時間の問題かと思われた。
が。
ズオッ!!
「・・・!?」
エノハの目が驚愕で見開かれる。熾帝の背部のブースターの蒼い光が突然一層増したと同時に最高速度が一気に跳ね上がり、瞬く間にエノハの放った三発のホーミング弾頭を置いてけぼりにしていく。そして徐々に弾頭はチャフ(アルミ箔)によって追跡を妨害されたミサイルのように頭を垂れる様にして放たれた順に追尾性を失って落ちていった。弾頭の追跡を振り切った熾帝は再びエノハを睨みつつ飛行。トレーラーに接近。
―さっきのがMAXじゃなかったのか・・・!?
同時エノハは思い知る。
「・・・。くそ。射程を測られた」
悔しそうに熾帝を見据えながらエノハはそう呟いた。エノハの言いつけどおり伏せ、必死にコンテナにしがみつていた頭領はエノハのその言葉に顔を上げる。エノハの言葉に困惑が隠せない。
「『射程を図られた』だ・・?おいおい相手は畜生だぞ・・?そんな知識があんのかよ!?」
「・・・。残念ながら。現に今奴はこっちの射程外ぎりぎりの所でこっちの様子を伺ってます。まるで確認するみたいに」
走行するトレーラーの速度に合わせ、一定距離を保ちながら飛行するその姿に頭領も思い知る。この新種に関しては今までのアラガミの常識が全く通用しない相手だと言う事に。
その時だった。
「・・・!?」
「あ・・!?」
大幅な揺れと振動の増加でコンテナの上で立っている二人の目線がブレ、エノハ、頭領お互いに違和感に顔を見合わせる。明らかにトレーラーの速度が上がっており、揺れや振動から随分と乱雑で荒っぽい運転になっている事が解る。
「・・マハ!!」
頭領は慌てて運転席へ滑り込むように走っていき、部下の男の様子を見る。そこにはいつもの生意気そうな面には似つかわしくない顔面蒼白で歯の根を鳴らした若造の顔があった。
歯の根が噛み合わないまま、マハはようやくこう言った。
「何だよぅ・・・何なんだようおやっさん・・・・。アレ・・」
どうやら「アレ」を見てしまったらしい。あんな想定外の厄ネタ相手だ。この反応は自然と言える。そしてそんな脅威から少しでも離れよう、逃れよう、逃げだそうとする反応もまた自然である。
「落ちつけ!!マハ!スピードを下げろ!!」
頭領は必死で声をかける。所詮スピードを上げた所であの化け物には簡単に追いつかれるに決まっている。それならばエノハが交戦しやすいスピードを維持する事がせめてもの貢献なのだが今のマハにそんな気持ちの余裕があるはずも無い。
「死に・・死にたくねぇよ俺・・・」
「俺だっておんなじだ!!いいからスピード落とせって・・・!」
「おじさん!!!」
突如背後のエノハからも声がかかる。頭領はうっとおしそうに振り返りつつ
「『頭領』って呼べ!!で。なんでぃ!?こっちも取り込み中だ!・・って・・うぁ・・・!」
絶句した。
空中で人間くさく直立のまま佇む熾帝の両掌が光を帯びる。紅い体、蒼いブースターと多彩な「色」を持つ彼に新しい「色」が混ざる。
「注意」「不穏」を表す黄信号。
熾帝―ルフス・カリギュラは「痺れ」を切らした。思いがけず現れた極上の闘争相手を抱えてチマチマ、チンタラ逃げようとするトレーラーは最早不要と考えたのだろう。
マハの些細な抵抗は皮肉にも熾帝の極端な行動、攻撃を煽る結果となった。
バチチチチチチチッ!!!
巨大な球状の放電現象が熾帝の両掌でチリチリとけたたましく鳴り響いていた。まるで両手でバスケットボールを掴んだ長身の人間の様な姿勢で電球体を構え・・
ぐぐっ・・
そこから円盤投げの様な体勢で器用に体をねじる。明らかな投擲姿勢。あんな電圧の物がトレーラーに直撃すればエンジン、バッテリー、電子機器は当然即オシャカでトレーラーは走行不能。エノハを除く二人は一瞬にして真っ黒焦げである。
「・・・!」
エノハの手段は一つであった。
コンテナの上を一気に駆け抜ける。
「ま、待て!!!!!に、兄ちゃ~ん!!!!!!!」
エノハは「助走」を終え、外套を中東の風にたなびかせながら宙に舞った。大事な「積み荷」が自らの手を離れていくのを頭領は見送る他なかった。
ガコン!!
跳躍によってぎりぎりの熾帝に銃撃可能の範囲に入り込んだエノハは銃形態の銃口を熾帝に向けた。それを目端で捉えた熾帝の狙いを直前で・・
ババババババッ!!!
トレーラーからエノハ自らに変える事に成功。同時「フェイク」であった銃形態を盾形態に変換し、完全な防御姿勢でエノハは構える。
目の前には熾帝の手より離れ、放電した複数の電撃玉がエノハを取り囲み、吸い込まれるようにエノハの周囲に
ドッドドドッドド!!!!
「ぎっ・・・っぐっぐぐぐうう・・・・・!!」
着弾していく。砂しぶきが巻きあがり、その中心でエノハは盾を通して伝わる強烈な電圧に歯を食いしばり、まるで両腕を強引に引かれ、引きちぎられる様な感覚を味わいながら必死で耐えていた。
そしてその中で確実に聞いた。巻きあがる砂ぼこりの向こう側で・・・
ガキっ
機械音の様な「どこかで聞いた様な音」を。
―・・・勘弁しろ。
次の瞬間砂塵を裂いてトップスピードで躍り出たルフスの渾身の斬撃がエノハの盾を直撃し、エノハは砂漠の海の「水上」を跳ねるようにバウンドしながら80メートルほどふっ飛ばされた。
エノハの頭部を覆っていたターバンが脱げ、宙に舞う。熾帝―ルフス・カリギュラは本懐を達成し、完全にトレーラーへの興味を失ってはじき飛ばした獲物に走り寄る。
「・・・ぐっ・・!」
急激に遠ざかっていく「積荷」の方向を成すすべなく頭領は無念の表情で見送る他なかった。
今、運び屋として自分の仕事は完全に失敗した。積荷を所定の場所に無事に運ぶ事も出来ずに尻尾巻いておめおめとこの場を去ることしかできない。
無念だった。
その視線の先で砂の中でむくりと起き上がり、トレーラーを見送る青年の姿が見える。
軽く青年が強烈な電圧によって痺れて震える右手を上げた。
「・・・くすっ」
その眼にはその場を去る自分達への非難、軽蔑の感情の色が無い。ただただ自分達が無事でよかったという安堵の表情を浮かべる幼い少年の様な無垢な笑顔であった。
「・・・・」
頭領は自分の眉が痛々しく内側に曲がるのを止められなかった。仕事の為に稼いだ金で綺麗に矯正した歯を歯並びが変わりそうなほど力一杯噛みしめながら離れていく青年の姿を見送り・・
―神よ・・。
「祈り」の姿勢で両手をコンテナの上につき神に祈る。しかし、次から次へと湧き出る自分の無力さへ憤り、拳をわなわなと震わせた。
「ふぅ・・っ」
パタパタと外套をはたき、体に纏わりついた土を払ったのち、外套で額をエノハは拭う。
「・・・」
汗の替わりにべったりとついた紅い血液を無感動に眺めた後、その血の色によく似た色をした目の前の怪物を見据える。
怪物の纏った冷気のお陰で熱砂はマシになっているがそれでも頭部から流れ出る出血が貧血を引き起こし、徐々にエノハの意識を肉体からの乖離に近づけている。
例えこの怪物―熾帝を撤退、もしくは倒した所で自分が生きてこの砂漠を抜ける事はほぼ不可能に近い。状況は中々に絶望的である。
「まぁ考えても仕方ないか・・」
まずは目の前のこの存在をどうにかしない事には何も始まらない。砂漠を抜ける事より、遥かに困難な懸念事項がゆっくりと歩いてきているのだから。
グルル・・
短く鋭い牙が生えそろった口内から蒼い冷気を発しつつ、
考える時間は済んだか?なら
はじめよう。
とでも言いたげに巨大な紅い竜騎士は両手の刃を展開。
全開状態の体勢を整えた。