舞い上がった煙たい粉塵を満足そうに眺め、ちらりと少年―リグは
―お前達も来たけりゃ何時でもどうぞ。
と、でも言いたげな視線を後方に居る『レイス』、ノエルに向ける。アナンは来るわけが無いので省略。リグはかりりと口にエノハの命綱―P-66偏食因子の注射器を銜え、「早くしないと噛み砕いちまうぞ」と更に煽る。
「・・・リグっ・・・!」
ノエルは悔しそうに眉を歪めるが一方で『レイス』はどこ吹く風だ。
「・・余所見しない方がいいんじゃない?」
そう言っただけで彼女は眠っているレアの様子だけを気にかけている。先程の「付き合ってらんない」は心底そう思った台詞であったらしい。相も変わらず相手にならない『レイス』に悪態つき、リグが歩み寄ろうとした時、
『レイス』の指摘通り動きがあった。
「・・おっ」
様子をただ傍観しているアナンが頬杖ついたまま声を上げる。翠色の瞳を興味深げに大きく膨らませて。
「!」
リグが振り返るとそこには無数の打ち捨てられ、ただ隅っこで積み重なり固まっていたもはや無用の座イス、テーブルが何脚も宙に舞い、迫ってきている光景が映る。
ガン、ガガン!ガガガガン!!!
「・・・?」
しかしリグは動かなかった。怪訝な顔をしてその場に立ちつくす。コントロールが微妙に定まっていない。目標であるはずの彼を捉えることなく彼の周りに落ち、積み重なっていく。それが無軌道ではなく、コントロールされたものだとリグと眺めていた連中が気付くのは間もなくの事。
「・・あ」
「・・・ふぅん」
「・・・なるほどなるほど」
最後にアナンがそう呟いた時、リグは座イスの林の中に四方を取り囲まれていた。リグの解放状態の機動力を垣間見たエノハがまずそこの優位性を排しにかかったのだ。
神機解放できず体調も万全ではないエノハが解放状態のリグとまともに競争した所で所詮、三輪車がロードレーサーと張り合う様なものである。
この座イスとテーブルの林の中に身を隠し、尚且つ障害物によってリグの移動範囲、機動力を制限する。座イスなどGEの膂力を前にしてはバリケードにもならないが押しのける手間を相手に与え、こちらは隠れ蓑にして接近する目隠しの役目を成す。
倒すのは無理でも「触る」だけならエノハにも目はある。
―ってことか・・。舐められたもんだな。
リグは首を傾げて嘲笑した。仕掛けてくる事の大体の予想は付く。正攻法の通じない相手への所詮苦肉の策であると。
そしてその「仕掛け」はすぐに現れた。リグの予想と寸分違わない光景で。
ガラっ!
背後の異音にリグが振り返るとそこには五脚の椅子とテーブル混合軍が今度は確実にリグを捉える軌道で宙を舞っていた。
解放状態の研ぎ澄まされた感覚の中でリグはその「配置」を見極める。
―・・成程。回避方向を制限させてる。そこの方向へ逃げろってことか。そこに待ち伏せ。タッチで終了ってか?
つまりこれは陽動。回避して逃げた方向に先回りして距離を詰め、座イスの林の隙間からリグに触れて終了―
―とでも思うと思ったか!??
リグは利き手の右手で座イスの一つを掴み、彼に投げつけられた五脚の座イス、テーブル混合軍の一つ―円形のテーブルに向かって投げつけた。
「それ」だけ何故か空中で不自然に重心が固まっている不自然さにリグは気付いていた。円形の表面をこちら側に向けたまま突っ込んでくるテーブルがリグの投げた座椅子によって砕け散るとそこには―
「・・ぐっ!」
弾かれ、飛び散ったテーブルの破片と投げつけられた座イスから目を守るエノハの姿が曝け出された。しかし、リグの動きも投擲姿勢で一瞬であるが止まっている。ここは押し通すしかない。宙に舞ったエノハの近く―そしてリグの真上には「シーリングファン」(空調の循環効率を上げる為にプロペラ状のファンが取り付けられている照明の事)が取り付けられていた。
―お~だからそこにリグ誘導してたのか~~~。
アナンが内心感嘆したように感想を述べる。エノハは捲きあがった座イスの破片をその照明に投げつけた。バキンと音がして吊り金を破壊されたシーリングファンはリグ目がけて落ちていく。―しかし
―誰がもらうか。
シーリングファンの形状上、自由落下速度はあまりにも遅い。ほんの小さなバックステップでリグは落下地点の外に出る。
―しかし
「!?」
いつの間にかリグの目の前にエノハが達し、リグに回避され、まだ床に達していないシーリングファンのファンを先回りして掴んでいた。空中に浮いていたはずのエノハがこの地点に達するには少々時間がかかるはずだ。現在ほぼ人間の身体能力と変わらないエノハでは尚更である。
そのトリックの正体を離れた場所に居るリグを除く三人は確認していた。
空中で砕け散ったテーブルを足場にして天井に跳び、そこから三角飛びの要領で天井を蹴って一気に加速。結果落ちていくファンに追いついてキャッチしたのである。
ビシュッ!
そのファンをすぐさまエノハはブーメラン状にしてリグに投げつけた。自由落下に比べたら速度は段違いだ。おまけにまだバックステップで宙に浮いているリグは即自由な回避行動が出来ない。
「ぐっ!!」
上半身をフルに後方に捻ってリグは伏臥上体反らし。眼前を通過していくファンを見送る。投げつけられたファンは
ズドッ!
丁度『レイス』とレアがもたれかかった壁、二人の真上を通過して突き刺さる。
「・・・」
一瞬目を軽く見開いたものの、『レイス』は表情を変えず無言で瞬きもしない。
一方空中で上体を反らし、ほぼ寝転がったような姿勢であるリグを先に着地したエノハが追いすがる。狙いは足。空中で身動きの取れないリグの姿勢に勝負は決まったかに見えた。
しかし。
リグには余裕があった。
―忘れたか?
俺。
「解放状態」なんだぜ?
パン!!
「ぐっ!!」
目の前で空気のはじける音がしてエノハは思わず目を塞ぐ。空を「蹴った」リグの空圧がエノハの顔を直撃し、怯んで速度が緩んだエノハからリグは距離を離し背中むきに着地。
姿勢は万全ではない。両手をついたてに上体を起こす直前の段階だ。エノハは行くしかないが・・
―・・・う~~ん。
アナンは内心唸る。
―・・・。
『レイス』は軽く溜息。
―・・・!
ノエルも悟ったのか申し訳なさそうな悔しそうな何とも言えない表情をしていた。
―まぁまぁだったけど・・リグの勝ちかな。
アナンはそう結論付けた。そしてそれは間違っていなかった。追いすがるが空圧を喰らって視力のままならない手探りのエノハにリグを捉える事など出来るはずも無い。それ程現時点、身体能力、体調においてリグに分があり過ぎる。
―よっ。
万策尽きたエノハを片手間に向かい入れ、無作為に延ばしたエノハの掌を難なくかわし、リグは着地した右足を使い、柔道の巴投げの要領でエノハを後方に受け流した。
「うわっ!!ぐっ・・・!!」
投げ飛ばされ、背中から叩きつけられたエノハは更に三メートル転がってようやく受け身をとって着地。同時リグを睨むとそこには既に体勢を万全にしたリグが「残念でした」と言いたげに銜えた注射器を左右に首を捻りながら見せつけた。
「くっそ・・!!」
エノハはガンと悔しそうに床を叩く。息が上がる。消耗した体力のスキを突くように―
「・・・っ!うぁっ・・・たっ」
立ち上がる同時の立ち眩み。ふらふらとエノハは後方に後ずさる。
「エノハさん!!」
ノエルが駆け寄り、声をかける。その所作にリグは銜えた注射器を一旦出し、
「あ~こりゃそろそろヤバイな。アラガミ化待ったなしだ。さっさと話断ってここから出ていってくんねぇかな?極東支部第一部隊長さんよぉ?あ。わりぃ。『元』か」
そう言って笑った。
「もういいだろ!?リグ!!お前の勝ちだ!それを返してあげてくれ!!」
「べっつに俺はどっちでもいいんだけどよ。ただ一言正直『断る』って言ってくれりゃ
返すんだぜ?俺は?なのにこの兄さん意固地になっちゃってまぁ・・」
自分を棚に上げてリグはそう言った。ノエルが再び何か言い返そうとしたその時であった。
トン
「えっ・・?」
俯いたエノハがノエルの胸を軽く突き飛ばした。意外すぎるエノハの所作にノエルの背筋に冷たい物が走り、絶句してしまう。それを見てリグは更に嬉しそうな顔をした。
「・・おいおい。みっともねぇな?唯一の味方に八つ当たりしてそんな態度とっちゃって?そんなんでよく天下の極東支部の第一部隊長さんが務まったもんだ。案外極東ってのは言われてるだけで案外大したアラガミなんて居ないんじゃねぇか?」
上機嫌のリグはさらに口が滑らかになる。
「悔しかったら言い返してみろよ。それが出来なきゃ今すぐお家帰ろ?な?」
「・・・!!!!んぐう・・・・うあああああっ!!!!!!」
エノハが突然今までにないほどヒステリックに。
吠えた。
ノエルは絶句し、アナンはウザそうに耳を塞ぎ、リグは更に笑う。相も変わらず『レイス』は無言のまま興味なさげにレアの顔色を伺っていた。
「・・・おいおい。男のヒステリーはみっともないぜ?」
「なんっっっで・・・!!!!なんでこの俺がこんなガキにいい様に言われなきゃなんねぇんだっ!!!!俺は嫌々でここに来てやってんだぞ!?好きでここに来た訳じゃあねぇ!!ましてやこんなクソ餓鬼どもの御守なんぞ聞いてねぇ!!!聞いてねぇぞ!!!」
「エ、エノハさん・・」
ノエルはもう泣きそうだ。
「誰の・・誰のせいだ・・!?・・・ああ・・そうだ!お前のせいだ。このクソ女!!!」
視線が挙動不審に彷徨いながらエノハは憎しみを込めて振り返る。視線の先には・・壁にもたれかかったまま眠る無防備なレアの姿があった。
「あんたさえ・・あんたさえいなきゃ・・俺は王様でいれたんだ。極東で皆にちやほやされて・・もてはやされて・・美味いもん食って・・女抱いて・・」
「は?イカれた?」
リグは嘲りをこめた声を一つ。しかし今のエノハには届かない。
「・・ぶっ殺す・・殺してやる・・!」
絞り出すような憎しみの声と同時にエノハは飛び出した。同時に粉々になった足元の座イスの破片を握る。人間を「刺し殺す」には充分なものだ。
「ああっ!!!??てめっ!!??」
しまった、とリグは内心思ったと同時一歩遅れて駆けだした。しかし同時に悟る。
―やっべ・・間に合わねぇ。
同時に気付く。
直前の攻防でエノハが投擲した照明のファン・・実はあれはリグを狙ったのではなく、そもそもレアを狙っていたものだとしたら・・?
そして立ち眩みの後ずさり。あれがレアまでの距離を縮める為の物だったとしたなら?
―コイツ!!狙いは俺じゃなかったんだ!!!
レアを介抱している為、レイスは今突進してくる背後のエノハを見ていない。完全に無防備だ。
―まずいまずいまずい!ママが!!『レイス』が!
ママママママママママママ!!
『レイス』『レイス』『レイス』『レイス』!!!
眉と瞳を歪め、心根を曝け出した素の「ガキ」の表情に戻ったリグが必死でエノハの背中を追う。
行かないで!!
行かないで!!
連れて行かないで!!
「・・え?」
ぱさりと灰色がかった髪を揺らしてリグは怪訝そうな顔をする。彼の時が止まった。
「・・・・うん。中々いい材質。何製?この帽子?」
何とも間の抜けたような軽い声が響く。
エノハはレアと『レイス』を「刺し殺す」はずだった座イスの材木の替わりにくるくると指先でワークキャップを回しながら思いの外、品質のいいそれに感嘆の声を出し、ポスりとそれを被る。
「どう?似合う?・・ん?・・・あっ!!ひょっとして「帽子だと身体に触れたわけじゃないからアウト」とか!?しまった!!どうしよう!?」
「・・・」
リグは呆気にとられたまま声が出ない。判定も出来ない。変わりに
「は~い。私が判定しま~~~っす!鬼ごっこ開始前によると特にそのような規定をリグは設けていません!タッチする場所の指定も特にナシ!!リグはあくまで「体」と言っていました!しかし、もし衣服を除いた所にタッチとなると・・リグの場合、顔。首。手位しか露出している所がありません!!でも~そこにエノハさんが触れるとなると・・流石に絵的にちょ~~~っとヤバイです!!・・ま、まぁ個人的にはそういうのも嫌いではありませんがそこは審判として涙を呑んで裁定しましょう!ぐすっ!!よって衣服、帽子も体の一部とみなします!!エノハさん!!セーーーーーーーーフ!!!」
アナンが手を上げ、楽しそうに独断と偏見、そして趣味、嗜好を込めたジャッジを下す。
「はぁああああ~よかったぁ~」
「・・・」
ノエルも呆気にとられたまま声が出ない。
「・・くすっ」
やれやれと『レイス』は初めて鼻で笑い、エノハを見る。
―・・いい判断だね。リグの性格上例え触られてもしらばっくれる可能性あるし、それなら身につけてる物取った方が勝敗をリグにも周りに居る人間にも理解させやすい。
次にリグを見てこう続けた。
「・・リグ」
「・・あ?」
「アンタの負け」
「・・・!」
『敗因』に言われたその言葉に絶句したリグを尻目に先に我を取り戻したノエルはてくてくと歩いていき、おもむろに拾った「何か」を少し汚れている繋ぎの衣服でごしごし拭った後、エノハの元へ歩いてきた。
「エノハさん。腕・・・出して下さい」
ノエルはリグが動揺のあまりとり落としていた注射器を手にしてそう言った。
「・・・ありがとう。ノエル」
「・・・!」
ぶすっ!
「・・・てっ!?」
意外な手荒かつ乱暴な注射にエノハは目を丸め、同じく「ぶすっ」としたしかめっ面の気がいいが気の弱い少年を見る。
「悪かったよ・・でも相手を騙すならまず味方からって言うじゃないか?」
「・・・。くすっ」
エノハの困り顔の謝罪にノエルは無言のしかめっ面を少し緩ませた。
・・・プシュッ
小気味の良い音が薄暗くなった旧ライブハウス内で響く。
読了お疲れさまでした。
う~ん。さっさと導入部分終わらせねぇと日常パートも書けないな・・。
おまけ
「どうですか・・?」
「・・気分は良くなった。助かったよノエル。いろいろ有難う」
ライブハウスのバーカウンターに腰掛けていたエノハがノエルに礼を言うと同時、目の前にコトリと一脚のティーカップ、そしてそこに綺麗な紅色をした温かい紅茶が注がれる。
「・・!」
意外な人物にエノハは少し驚いた。『レイス』だ。
「・・どうぞ。血行が良くなればもう少し状態も安定するし、もうそろそろレアママも起きると思う。その時にちゃんと診てもらってね。良かったらそれまであそこに在るソファで横になっててもいいよ。・・大丈夫。リグには何もさせないし、当然私らも何もしない」
表情はあまり動かないが、ちゃんとした気遣いが感じられる口調。基本素っ気ない少女だが面倒見はいい様だ。
「『レイス』の淹れた紅茶は美味しいよ~。あ~安心して~~?毒は入ってないよ。た~ぶ~ん?」
アナンがそう言って割り込んできた。
「・・・」
「・・・本気にしないで。貴方は絶対的不利な状況を打開して実力、経験、知識を見せてくれた。何よりも貴方はママが選んだ人。なら私は貴方がここでちゃんと戦えるようにサポートするだけ」
「・・ありがとう。レイス。頂きます」
五分後
「ご馳走様」
「・・お粗末さま。どう?少し横になる?」
「いや・・眠るのは今は遠慮しとくよ。もう一つやり残した事がある」
「・・やり残した事?」
「美味しい紅茶有難う。おかげで温まった」
半分近く残った紅茶を置いて立ち上がり
「リグ!」
「・・あ?」
一行とは離れた所で拗ねたように座っているリグがエノハを睨む。
「俺は君との勝負に勝った。だから君は俺の言う事を聞いてもらうよ?」
「・・ちっ。わーったよ。あんたの命令を聞けばいいんだな」
「いや少し違う」
「?」
「俺は君に勝った。だから俺の頼みを一つ聞いてもらう。これは命令じゃない。リグ・・コレは君が安易な賭け、勝負を挑んだことによって負う『リスク』だ」
「・・?何が言いたいんだアンタ・・?」
「リグ。君みたいな部下は俺には要らない。ここを今すぐ出ていくか、ここで今すぐ死ね。それが嫌なら・・リグ。君のママ―レアを今すぐ殺せ」
エノハの残した紅茶が未だ温かい蒸気と香りを残しながら、エノハが「やり残した事」―言い放った言葉はライブハウス内を一気に凍らせた。