Summer/Shrine/Sweets   作:TTP

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※ラブコメです。
※本編の空気を壊す可能性があります。ご了承下さい。
※本編とはよく似た別の世界のお話と解釈するのが良いと思います。


幕外
幕外一/大星淡/コメットガールとイヴィルストーン・前


東京/全国高等学校麻雀大会選手権会場 団体戦決勝卓

 

 インターハイ女子団体戦Aブロック準決勝、白糸台が二位抜けで決勝進出。

 

 多くのメディアがこぞって書き立てた準決勝の記事を見つけたとき、大星淡は強く歯噛みした。どこの誰かも知らない人間に何を言われても気にならない。問題は――二位、という事実である。

 

 常勝白糸台の大将を務めながら、トップを許した。鼻差であろうと、先輩たちからフォローされようと、傷付いた淡の自尊心が癒えることはなかった。

 

 名誉を挽回するための手段は、ただ一つ――高鴨穏乃を叩きのめすことだけ。

 

 副将からたすきを受け取り、真っ先に決勝のステージに淡は降り立った。全ては、格好良く高鴨穏乃に宣戦布告するため。――大星淡、少々ネジが緩んだ子であった。

 

 扉が、開く。

 

 ――来た……!

 

 揺れるポニーテール。小さな体。丈の短いスカート。間違いない、高鴨穏乃だ。淡は彼女を指差し、大きく口を開け、

 

「いやー、石戸さんと戦うなんてどきどきしますね」

「ええ、私もよ。今日はよろしくね、高鴨さん」

 

 のほほん――とまではいかなくとも、和やかな空気で会話する穏乃に、淡はがくりと膝を落とす。

 

 穏乃の隣には、この卓唯一の三年生、石戸霞の姿があった。どうやら穏乃とは顔見知りらしく、二人の間に遠慮はないようだ。

 

 完全に機先を制された形となった淡は、ぎろりと霞を睨み付ける。しかし彼女の身体的特徴に目を奪わると、淡は再び膝を落とした。圧倒的だった。

 

 淡が一人悶えていると、四人目の選手が姿を現す。――空気が、変わった。

 

 ――テルの妹……!

 

 流石にプレッシャーが違う。ごくりと唾を飲み込むと、淡は猛禽類を思わせる笑みを浮かべた。敵同士にも関わらず馴れ合っている高鴨穏乃なんて、もうどうでも良い。彼女こそ自分のライバルに相応しい。淡は立ち上がった。

 

 が、

 

「あ……宮永さん」

「岩戸さん……」

 

 今度は咲と霞が目を合わせると、気まずそうにお互い顔を背けていた。

 

 二人は二回戦、準決勝と鎬を削り合った仲だ。淡の与り知らぬところで色々あったのだろう。しかし、彼女たちの間に流れる微妙な雰囲気はうかつに手を出せるものではなかった。ただ卓を共にしたというだけでは、こうはならない。

 

 全て、淡の思った通りに話は進まない。

 気が付けば、場所決めが始まっていた。

 

 

 ◇

 

 

 団体戦の表彰式が終わった途端、淡は走り出した。

 

 当てなどない。後ろからかけられた先輩たちの制止の声も、彼女の耳には届かなかった。とにかくもう、誰の顔も見たくなかった。――自分の顔を、見せたくなかった。

 

 敗北。

 

 その二字は、淡の心を大いに傷付けた。

 

 気が付けば、会場の外へと飛び出していた。走って走って、走り続けた。しかし彼女もまた文化部。息が切れると、途端に足が止まった。

 

 ぜいぜいと肩で息をしながら、目元を拭う。

 辿り着いたのは、どことも知れぬ公園だった。

 遊具も少なければ、街灯も少ない。

 

 急速に、淡の頭が冷えていった。

 

 どうしよう、と淡は内心焦った。東京住まいの彼女ではあるが、ここがどこかさっぱり分からない。当然帰り道など知るはずない。

 

「うう……」

 

 そこまで遠くまでは来ていないはず。とにかく歩き出そうと、一歩踏み出して、

 

「あうっ」

 

 足がもつれて、盛大に転げた。彼女自身、思っていたよりも足は悲鳴を上げていた。

 

「痛い……」

 

 思い切り膝を擦りむく。制服のスカートも汚れてしまった。淡は別の意味で涙目になった。何もかも、最低だ。立ち上がる気力も最早なく、淡は目を伏せて――

 

「おいお前、大丈夫か」

 

 かけられた声に、淡ははっと顔を上げる。

 すらりと背の高い男子が、そこに立っていた。どこにでもあるようなカッターと黒ズボンの制服。目を引くのは、自分と同じ金色の髪だ。心配そうに、こちらを見つめている。

 

「立てるか」

 

 差し出された大きな手に、

 

「……うん」

 

 淡は、素直に応じた。

 強い力で引き上げられる。簡単に立ち上がれた。

 

「膝、怪我したのか」

「あ……うん」

「そこのベンチ座ってくれ。ちょっと待ってろ」

「うん」

 

 淡は頷くばかりで、言われるがままにベンチに座る。

 彼は手元の鞄から、救急箱とペットボトルのミネラルウォーターを取り出した。

 

「ちょっと沁みるぞ」

 

 ミネラルウォーターで土埃を落とされる。つん、とした痛みが走ったが、淡は気にしなかった。彼は慣れた手つきで消毒液をかけて、絆創膏まで貼ってくれる。

 

「これで良し」

「……なんでこんなもの、持ち歩いてるの?」

「雑用係をやっててな。すぐ迷ったり転げたりする奴がそばにいて、念のため持ち歩いてるんだよ」

「変なの」

「変なんだ」

 

 彼が微笑み、淡は笑った。少しだけ、気が晴れた。

 

「……アリガト」

「どういたしまして」

 

 スカートの汚れを払いながら、淡はベンチから立ち上がる。――見上げなければならないほど、彼とは身長差があった。

 

「お前、白糸台の大将か」

 

 救急箱を片付けながら、彼は言った。特段淡は、驚きはしなかった。高校麻雀界ではちょっとした有名人であることくらい自覚している。宮永照の後継者。その肩書きも、今の淡にとっては虚しい響きだった。とにかく同年代の男子が自分を知っていてもおかしくはない。

 

「あんたはどこのどなた?」

 

 淡は訊ねた。矜持の高い彼女が、どこの馬の骨とも分からない他人に興味を示すのは珍しいことだった。

 

「清澄の、須賀京太郎」

「清澄……」

 

 ライバルの学校。半日前の淡なら、敵愾心を剥き出しにしただろう。しかも、負けたばかりの相手。だが、今更そんな気にはなれない。というより、彼を前にするとそんな気力が全く湧いてこない。

 

「なんで清澄のあんたがこんなところに? みんな、まだ会場にいるはずでしょ。折角……優勝、したのに」

「ちょっとな。今、あそこにはいられないんだ」

「どうして?」

 

 淡の質問に――

 困ったように彼は笑って、誤魔化すように夜空を見上げた。自然と、淡はそれに倣った。上弦の月が、浮かんでいた。綺麗だった。

 

 そっと覗き見た彼の横顔は、どこか泣いているみたいだった。涙なんて、一筋も流れてはいないのに。淡には、そう見えた。

 

「お前こそ、どうしてこんなところにいるんだ?」

 

 問われ、淡は迷った。本来の彼女なら、「あんたには関係ないでしょ!」と毒づくところであろうが、今回はそうはならなかった。

 

「負けて……飛び出して来ちゃった」

「そうか」

「笑わないの?」

 

 なんでだよ、と彼は不思議そうに訊ね返してくる。

 

「俺は全国の決勝なんて舞台、自分で立ってないからな。そんな奴が、そこで必死で戦ってた奴を笑うなんておかしいだろ」

「……そうなの?」

「そうなんじゃないのか、ふつう。……負かされた学校の人間に何を言われたってつまらないかも知れないけど、大将戦、凄かったぜ。つぅかもう無茶苦茶で俺には理解できなかったし」

 

 勝者は褒め称えられ。

 敗者は嘲笑される。

 

 そんな淡の価値観は、一瞬で打ち砕かれた。

 

「お前、マジで強いんだな。俺も打ちたくなったよ」

「ふ……ふーん」

 

 胸が、ざわつく。同時に、暖かくもなる。持て余した感情の置き所が、分からない。

 彼は、どこか悲しげに続けた。

 

「でもさ、逃げ出しても結局、また向き合わなくちゃならないんだ」

 

 それは、まるで自分に言い聞かせているみたいだった。

 

 高校百年生の私に説教とは片腹痛い、と高笑いするのが淡の常だろう。しかし彼の言葉は、強く淡の胸を打った。確たる裏打ちがあるみたいだった。

 

「ねえ」

「ん?」

「名前」

「名前がどうかしたのか」

「もう一回、名前、教えて」

 

 淡が訊ねて、彼は「酷いな」と苦笑した。

 

「須賀だよ。須賀京太郎」

「キョータロー」

「そう。お前は――」

「淡。大星、淡」

 

 淡は、花のような笑顔を浮かべた。実に楽しそうに笑った。

 

「キョータロー」

「おう」

「キョータロー、キョータロー」

「な、なんだよ」

 

 何度も名前を呼ばれて、京太郎は戸惑う。淡は気にしない。些事に彼女はかまけない。今彼女にとって大事なのは、この気持ちだった。

 

「ねー、キョータロー」

「うおっ」

 

 がばりと彼に抱きつく。迷いなど、淡になかった。

 

「な、なにするんだお前っ」

「えー、良いじゃん別に!」

 

 淡は歯を剥いて笑い、

 

「私と結婚するんだから、キョータローは!」

 

 と、高らかに宣言した。

 

 

 ――大星淡、自称高校百年生。

 若干、頭のネジが緩んでいる。

 

 

 ◇

 

 

東京/全国高等学校麻雀大会選手権会場

 

 個人戦初日の午前中、淡は快調に点棒を稼いだ。二日前は沈みに沈んでいた彼女とは打って変わって、調子が良かった。

 

 逆に心配になった白糸台部長・弘世菫が対局の合間に訊ねる。

 

「お前、変なものでも食べたんじゃないのか」

「もー、スミレ何言ってるのー?」

 

 しなを作って、淡は答えた。

 

「愛の力だよこれは!」

「……バカなのか?」

「おー、もしかしてスミレ妬いてる? 妬いちゃってる?」

 

 額に青筋を浮かべ、しかし菫は我慢した。この後輩に常識は通じないと彼女はよく理解していた。色んな意味で。

 

「実際何があったんだ」

「初恋もまだのお子様のスミレには分からないだろうなあ……」

 

 今度は菫は我慢しなかった。鍛えられた彼女の握力が火を噴く。――「痛い痛い、折角セットしたヘアスタイルが崩れる!」「どうせ対局中に勝手に崩れてるだろう!」「スミレのバカー!」。――二人は揃って運営に怒られた。当然である。

 

 昼休憩に入ると、淡は真っ先に対局室を飛び出した。

 

 探すのは、彼の姿。チームメイトたちの応援をする、と確かに言っていた。

 観客席までいの一番に辿り着くと、淡はあっという間に衆目を集めた。団体戦で敗北を喫したとは言え、王者白糸台の期待の一年生。美少女と言って差し支えない容姿。目立つ要素は揃っている。

 

 彼女は必死になって周囲を見渡す。

 

 群衆ではあるが、彼の身長は高い。充分に見つけられる勝算が淡にはあった。何より愛の力がある。淡は本気で信じていた。

 

「いたっ」

 

 彼もまた、目立つ髪色。

 

「キョータロー!」

「うおおおっ」

 

 抱きつくどころではなく、もはや飛びかかる領域で、淡は京太郎との距離を詰めた。京太郎の体幹がしっかりしているおかげが、投げ出されずに淡の体はしっかりと受け止められる。

 

「お、おま、お前大星、なんでここにっ」

「もー、大星なんて他人行儀に呼ばないでよー。淡で良いから」

「い、いや……」

「あーわーいー」

 

 可愛らしく拗ねてみせると、京太郎のほうが折れた。「……淡」と不承不承に呼んでいるのは丸わかりだったが、淡は些細なことを気にしない。ぱあっと顔を輝かせる。

 

「あのねあのね、今日はキョータローにお弁当作ってきたの!」

「は、はぁ? なんで?」

「キョータロー、サキたちの応援するんだよね? だから私が応援するキョータローの応援をしようと思って!」

 

 周囲の観客たちは思った。――言ってる意味が、さっぱり分からん。

 淡はやはり何も気にせず、四角い包みを京太郎に手渡そうとする。押し付けられる京太郎は困り果てて、

 

「あ、あのな大星――」

「淡」

「……淡、一応、俺たち敵校同士だし、こういうのはちょっと」

「えー、別に良いでしょ? 直接戦ってるわけじゃないんだし!」

「でも……」

「それに私たち、結婚するんだし! 予行演習!」

 

 周囲の人間が、一斉にざわめく。記者が一人もいなかったのは、京太郎にとっての幸運だった。が、当然彼は吠える。

 

「いやしねぇよ!」

「なんで?」

「なんでってお前、そりゃあ結婚ってのは好き合ってる者同士がするもんでな――」

「私はキョータローが好きだよ?」

 

 淡は、さも当然のように言った。恥じるところ一つ見せない、率直な感情表現だった。それから首を傾げて、彼女は訊ねる。

 

「キョータローは、私が嫌い?」

「き、嫌いってわけじゃないけど」

「だったら良いじゃん、いけてんじゃん!」

 

 京太郎は頭を抱える。――迂遠な言い回しは、逆効果だと彼はここで気付いた。それに、不誠実な態度は彼女にも悪い。

 

「……あのな、淡。俺は、別に好きな人がいるんだ」

「え……」

「だから、お前とは結婚……いや、付き合えない」

 

 これでどうだ、と京太郎は男らしくはっきりと答える。淡が真っ直ぐであれば、彼もまた真っ直ぐだった。野次馬たちも、これには唸った。

 

 しかし、肝心の淡には通じなかった。

 

「その子とは、付き合ってるの?」

「え?」

「片想いなの?」

「……付き合っては、いないけど」

「じゃあ大丈夫じゃん」

 

 あっけらかんと、淡は言い放つ。

 

「付き合ってたら、別れて貰わないといけなかったけど――片想いなら別に、良いでしょ? 浮気にはならないんだから。うん、浮気は良くないもんね!」

「い、いやそういう問題なのか? おかしくないか?」

 

 淡の理論についてゆけず、京太郎は困惑を深めていく。彼女が何を言っているのかさっぱり理解出来ない。

 

「そういう問題!」

 

 淡は胸を張って答えた。

 

「キョータローにこれまでに好きな人がいたって不思議じゃないもんね。そこは仕方ない」

 

 で、も、と一音ずつ区切って、彼女は言う。

 

「それは私と出会う前のお話! 出会えなかったら、好きになりようがないもんね! だけどもう出会っちゃった! 出会えたなら好きになれる! だからこれからキョータローに私のことを好きになって貰えば良い!」

 

 すげぇ、と野次馬の誰かが呟いた。何が「すげぇ」なのかよく分からないが、皆口々に呟いた。今の淡には、全てを押し切る謎の力があった。

 

「というわけで――結婚しよ、キョータロー」

 

 甘く、淡は囁く。狙ってはやっていない。彼女の作る仕草は全て、天然だった。無論京太郎の意思が揺らぐことはなかったが――退路を断たれつつあるのは、確かだった。

 

「ね、ね、キョータロー――」

 

 一歩、また一歩と淡がお弁当の包みを片手に距離を詰める。後退る京太郎。

 万事休すかと、思われたそのとき。

 

 

「待つのですよー!」

 

 

 彼女を止める、高い声があった。

 

 淡が振り向いた先、そこにいたのは珍妙な格好の巫女だった。矮躯にかけられたのは、はだけた白衣。襦袢は当然のようにない。緋袴はまるでミニスカートのように短く、足袋の代わりにニーソックスを履いている。

 

 淡にも見覚えがあった。――団体戦決勝で当たった永水女子の、副将。

 薄墨初美は、淡に向かって言い放つ。

 

 

「私が京太郎の彼女なのですよー!」

 

 

 まず、京太郎が「何言ってんだこいつ」という目で初美を見て。

 次に、淡が「何言ってんだこいつ」という目で初美を見て。

 最後に、初美自身が「何言ってんだ私」という苦悶の表情で自らの頭を抱えた。

 

 

 




次回:幕外二/薄墨初美/コメットガールとイヴィルストーン・後

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