東京/全国高等学校麻雀大会選手権会場
夏になると、いつも彼らのことを思い出す。
「――決着! 決まりました! インターハイ女子団体戦優勝は、白糸台高校です!」
熱の点った声で、アナウンサーは叫ぶ。観客の歓声にかき消されそうになるも、彼女は声を張り上げる。
「素晴らしい! 素晴らしい戦いでした! 白糸台はここ数年関西勢に押されていましたが、古豪、見事に復活です! ――宮永プロ、おめでとうございます! 母校の勝利に、一言お願いします!」
アナウンサーに話を振られ、この決勝戦の解説を務めていたSリーグプロ・宮永照は、「はいっ」と明るく返事をする。
「私情を交えて失礼しますが、本当に嬉しいです。もちろん、全ての選手が素晴らしい打ち筋を魅せてくれました。正にインハイの歴史に残る一戦だったのではないでしょうか」
「そうですね。逆転に次ぐ逆転、どの学校も一歩も譲らず、本当に最後まで手に汗握らされました。今一度大きな拍手を送りたいと思います!」
「ええ……本当に良かったです」
「宮永プロ……」
涙ぐむ照に、アナウンサーが微笑む。
「……それでは優勝校インタビューに移りたいと思います。まずは――」
アナウンサーは、変化する画面に合わせて番組を進行させる。
宮永照は、とても嬉しそうに目元を拭った。
◇
「お腹空いた」
インハイ決勝戦の中継を終え、控え室に戻ってきた宮永照が、のっぺりとした表情で開口一番そう言った。
「お菓子が足りない」
この夏相方を務めたアナウンサーは、深い溜息を吐く。番組中とは打って変わって砕けた口調で、彼女は照に向かって言った。
「あんた急にトーンダウンし過ぎよ、びっくりするわ。さっきまでほんとに感動してたの?」
「え……確かに感動してたし、思ったことを言っていた。本当に良い戦いだった」
「そうは全く見えないのよね……あんたの営業スマイル、かなり怖いわよ」
「よく言われる」
照は気にする素振り一つ見せず、椅子に座った。アナウンサーはもう一度溜息を吐いてから、鞄の中からクッキーの入った袋を取り出して、照へと手渡す。
「流石新子アナ」
「褒めてもこれ以上何も出ないわよ」
女子アナウンサー――新子憧は、照の対面に座る。無表情のままクッキーを噛み砕く照を見つめながら、憧は頬杖を突いた。
「美味しい。どこで買ったの?」
「あたしの手作りよ、それ」
「凄い」
手短な賞賛に、憧は苦笑する。
「教えて貰ったレシピだけどね。――弘世さんに、あんたとの付き合い方聞いておいて良かったわ」
「菫に? 何て言ってたの?」
「まずはお菓子を常備することって言われたわよ」
なるほど、と照は納得したように頷いた。それで良いのか、と憧は突っ込みたくなったが、どこか幸せそうな照を見ているとどうでも良くなった。
「……去年の江口プロと言い、なんであたしの相方はこうも特徴的というか、なんというか。ほんっと疲れるわ」
「新子アナ、高校時代に団体戦で江口さんと当たってなかった? あのときは仲良さそうだったけれど」
「よく覚えてるわね、そんなこと。もう八年も前の話よね」
「準決勝で私たちも一緒に当たったから。白糸台と、阿知賀と、千里山と、新道寺」
ああ――と、憧は思い出す。あのときは、大変だった。本当にもう、大変だった。
「結局清澄に優勝とられちゃったのよね」
「もっと言えば、準優勝も阿知賀にとられた」
恨めしげに言っているのだろうか――いまいち声に抑揚がなくて、感情が読み取れない。こういうときこそもっと営業スマイルを見せて欲しいものだ。とりあえず憧は、「ふふん」と勝ち誇っておく。
「あ……咲からメールだ」
随分と型式が古い携帯電話を照が開く。へぇ、と憧が関心を示す。
「仲良いのね。咲とはアマ時代は別の学校だったし、今はリーグでライバル同士でしょ」
宮永姉妹と言えば、今や日本を代表する若手の二大エースだ。国別代表戦では揃って出場するのが当たり前になっている。反面二人の所属チームは違うし、プライベートの話はめっきり聞かない。
「一時は疎遠になっていたけど、今はこうしてちゃんと連絡取り合ってる。白糸台優勝おめでとうって、今も言ってくれた」
「へぇー。宮永プロって二人とも喧嘩するようなタイプには見えないから、意外」
「人生色々ある」
端的な言葉だった。しかし憧は腑に落ちた。どれだけ仲が良くても、どれだけ想い合っていても、離れなければならないときがある。
ついでにあのことを咲に訊いてもらおうか、と憧が思いついたのと同時、照が真剣な眼差しで見つめてきていることに気付く。
「新子アナ」
「な、なに? どうしたの?」
「クッキー、もうないの?」
「ない! え、全部食べちゃったのっ? 早っ!」
美味しかった、と照は満足気にお腹をさする。
「あんた、ヴィジュアルも大事な仕事やってるんだから気を付けなさいよ」
「新子アナ、菫みたいだね」
「弘世さんの苦労がよく分かるわー……」
がっくりと憧は肩を落とすが、やはり照はどこ吹く風だ。それどころか、
「またこのクッキー、作って欲しい」
と要求してくる始末。それでいて憎めないのだから、これが王者のカリスマなのかと憧は首を捻ってしまう。
とにはかくにも、
「作ってって言われても、あんた明後日から欧州行脚でしょ? 渡せないわよ」
「明日がある。新子アナもオフでしょ?」
「残念」
憧はしてやったりと笑い、手をひらひら振った。
「明日は先約があるの。昔の友達と、ちょっとね」
「同窓会?」
「んー、学校違うからね。ほら、永水女子って覚えてる? インハイで戦ったでしょ?」
「ああ……あの人たち、凄かった。よく覚えてる。友達だったんだ」
「うん。ずっと昔からのね。あの子たちと約束してるの」
さて、と憧は席を立つ。
「もう遅いし、そろそろ帰ろっか。――解説お疲れ様でした、宮永プロ」
「うん。次回もよろしく、新子アナ」
「いやいや次は別のプロを希望しておくから」
憧が容赦なく言い放つと、照は吹き出した。カメラの外では、珍しい姿だった。憧も釣られて、笑っていた。
◇
東京/東京大神宮
憧が大神宮を訪れるのも、ほぼ毎年の恒例行事になっていた。
うだるような暑さと、蝉の声。青々とした木々、荘厳な社。行き交う参拝客たち。例年通りのその光景に、日傘の影で憧はほっと息を吐く。
初めて訪れた幼い頃、途方もなく大きく感じたご神木は、しかし今も圧倒される。これもやはり、変わらない。
顔見知りとなった宮司と挨拶を交わし、社の奥に通して貰う。目指すのは、境内にある宿泊施設。
かつて、「みんな」で寝泊まりした場所。
経年劣化でそろそろ建て直しが必要らしく、憧は一抹の寂しさを覚えつつ中へと入る。
既に、先客が訪れていた。
「憧ちゃん」
「こんにちはなのですよー」
「ん」
巴と初美と春だ。いずれも変わりない姿の三人は、すぐに憧の元へと駆け寄ってくる。
「久しぶりね、みんな」
「昨日まで憧ちゃんの顔はテレビでよく見ていたから、私たちはあまり久しぶりという気はしませんね」
巴に言われて、憧は困ったように笑う。
「柄じゃない仕事かな?」
「そんなことないのですよー」
「よく似合ってる」
ありがと、と憧はお礼を言ってから、辺りを見渡した。
「他の二人は?」
「霞ちゃんは――」
「ここよ」
奥から、霞がそろりと現れる。艶やかな美貌は、成人してからますます磨きがかかっているようだった。
「暑かったでしょう。すぐにお茶、用意するから」
「ああ、ごめん霞さん。ありがと」
「気にしないで。……最後に会ったのは、今年のお正月だったかしら。その後、お仕事のほうは順調?」
「何とかね。麻雀プロたちの相手は大変だけどね」
半ば本気の冗談に、霞はあらあら、と微笑んだ。それから、
「今日は六人で、昔みたいに遊びましょう」
「……うん」
憧は、複雑な気持ちで首肯する。六人、なのだ。
「小蒔ちゃんは、いつものところにいるから」
「分かった、すぐ会ってくる」
憧は一人で、廊下を進む。懐かしい畳の匂いが、鼻をついた。ぎしぎしと軋む床の音まで、同じであった。
かつて寝泊まりした部屋の障子を開ける。かけられた時計、箪笥もそのままだ。部屋の中に、彼女の姿はなかった。
部屋を横断し、縁側まで進む。
そこで憧は、庭の中央で佇む彼女を見つけた。
かつて二つにしていたおさげは、一つになっている。どこか幼さを残した顔つきはそのままに、しかし年齢相応の雰囲気を漂わせ、見事に大人の女性に成長した。――というかまた胸大きくなったんじゃないの畜生と憧が心の中で妬んだのは、彼女だけの秘密である。
「小蒔」
「憧ちゃん」
憧が声をかければ、満面の笑みで答えてくれた。――ああ、そこは昔のままだ。
「今年は無理なスケジュールになってごめんなさい。憧ちゃんは明日も仕事でしょう?」
「良いの良いの、むしろインハイのおかげで東京に残りやすかったし」
二人は縁側に腰掛ける。
霞が持ってきてくれた烏龍茶を片手に、近況を伝え合った。
「ほんっと宮永プロには困ったものよ」
「なんだか印象と違いますね。あの人はこう、凄い自律心があるというか、厳しい方というか」
「お、小蒔、八年前に負けたことまだ根に持ってたりする?」
「そんなことありませんよっ」
「どうだか」
愚痴混じりに、憧は小蒔をからかう。小蒔は「もうっ」と怒りながらも、その表情から笑顔は絶えない。
「あれが八年前、ですか」
「でもって、ここで初めて一緒に遊んだのが十六年前」
「早いものですね」
「早すぎでしょ、もう」
くすくす笑い合って、憧は空を見上げる。
話題が尽きたわけではない。しかし、二人はしばしの間黙り込む。流れていく雲を、目で追った。
その間が、憧の心を変化させる。
――言うまい、と決めていたはずが。
「これであいつがいれば」
しんみりと、憧は呟いてしまう。
「あいつがいれば、皆揃うのにね」
小蒔は少しだけ顔を伏せ、頷く。
憧は、気を取り直すように言った。
「ま、あいつがここにいるわけないか」
「そうですね。だって――」
小蒔の言葉が途切れる。それ以上、声にならなかった。
憧も、押し黙り。
蝉の声だけが、周囲に木霊する。
場を取り直そうとして、憧は無理矢理笑おうとして、
「あいたっ」
こつん、と後頭部に小さな衝撃が走った。何するのよ、と反射的に振り返り、
「あいつって、どいつのことだよ?」
にやりと笑う彼の姿に、「はぁっ?」と憧は間の抜けた悲鳴を上げた。
「京太郎っ」
「京太郎さん!」
「や。久しぶりだな、憧」
丸い西瓜を片手に、すっかり青年らしくなった幼馴染が立っていた。ぽかん、と小蒔が口を開けている。だから代わりに、憧が訊ねた。
「あんた、今日アメリカじゃなかったのっ?」
「咲と淡が気ィ利かせてくれてな。先に帰して貰ったんだ」
「だったらそう連絡しなさいよ!」
「サプライズだよサプライズ。たまには良いだろ、こういうのも」
これには小蒔も、
「意地悪ですよ、京太郎さん」
と立ち上がり抗議する。ぎゅっと彼の左手を取って、
「今年は揃わないんだなって、みんな悲しんでたんですから」
「だからこれ、お詫び。食べようぜ、昔みたいにさ」
悪びれず、京太郎は西瓜をかかげた。憧は振り下ろそうとしていた拳を、ぴたりと止める。それから深い、深い溜息を吐いて、
「仕方ないわね、もう」
と、微笑んだ。
西瓜を切り分け、三人で縁側に腰掛ける。風が吹いて、ちりん、ちりんと風鈴が音を鳴らす。
塩を振って食んだ西瓜は、例えようもない甘さを与えてくれた。京太郎は齧り付き、小蒔は口をほとんど開けずに食べていく。
「さっきまでインハイの動画見てたぜ。いやぁ、憧と照さんのコンビ凄い良いな。あっという間にファンになったぜ。来年も見たいよ」
「あたしは勘弁して欲しいわよ、正直ね……あの人の相手は大変なのよ?」
「宮永妹の相手をしている身からすれば、その苦労は理解出来るな」
「京太郎さん、京太郎さん。私はアメリカ遠征の話を聞きたいです!」
「もちろん! そうだな……まずは空港で噂の咲が迷子になったところから話さないとな」
「咲ちゃん、変わりませんね」
「あの姉妹はほんとにもう、手を焼かせるわね」
幼い頃と、同じように。
三人は、甘みに頬を緩ませながら語り合う。夏の眩い陽など関係ないように、三人は肩を寄せ合う。――触れ合った。
夏になると、いつも彼らのことを思い出す。
――大好きな、彼らのことを。
Summer/Shrine/Sweets おわり
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