Summer/Shrine/Sweets   作:TTP

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十七/須賀京太郎/選ぶべきもの

 ――友達なんかじゃ、ない。

 

 

 その言葉は、京太郎自身に向けたものだった。彼女たちへ背中を向けた自分に、友達を名乗る資格はない。そう思って、八年を過ごしてきた。

 

 だから彼女らへの愛慕など、忘れたはずだった。

 

 なのに、二人を抱き締め、二人と繋がって――いかに自分の覚悟が薄っぺらかったか、京太郎は思い知らされた。

 

 二人を彼女たちの仲間の元へ送り届け、手を離すとき。京太郎の胸に去来した感情は、寂しさなんて一言で言い表せるものでは、とてもなかった。

 

 未だ涙が枯れない憧。

 きっともう、これが最後の小蒔。

 

 断腸の思いとは、こういうものを指すのだろうな、と京太郎は一人納得しながら、彼女たちから手を離した。

 

 一人宿に戻った京太郎を、他に誰もいないロビーで待っていたのは、咲だった。京太郎はどきりとした。そう言えば、誰にも言わずに出てきてしまった。

 

「お帰り、京ちゃん」

 

 しかし咲は、いつもの笑顔を京太郎に向ける。彼女は先んじて、言った。

 

「京ちゃんの仕事はみんなで手分けして終わらせておいたから。部長もそんなに怒っていなかったけど、明日謝っておいたほうがいいよ」

「……悪い。さんきゅ、咲」

「どういたしまして。夏休み明けたら、学食で何か奢ってね。後、優希ちゃんはタコス十枚って言ってたよ」

「あーはいはい、了解」

 

 ほっと、京太郎は一安心してから、改めて咲にお礼を言った。

 

「ありがとな」

「ど、どうしたの?」

「咲のおかげで、一番大事なことは、たぶん守れた」

「……そっか」

 

 咲は、安堵の息を吐く。胸元に添えられた彼女の右手が、ぎゅっと強く握られる。

 

 本当に、咲のおかげだった。彼女も色々と抱えて東京に来たのは、京太郎だって知っている。実際のところ余裕もないだろうに、気遣ってくれた。咲だけではない、他の麻雀部のみんなもそうだ。

 

「もう寝ようぜ。明日は休みだけど、明後日は準決勝だ」

「そうだね」

 

 京太郎は歩き出し――咲が着いてこないことに気付いて、立ち止まる。

 

「どうした?」

「結局、あの二人は……京ちゃんの、お友達?」

 

 少しだけ悲しそうな微笑みとともに、咲は京太郎に訊ねた。

 京太郎は、すぐに答えられなかった。

 

 

 ――友達なんかじゃ、ない。

 

 

 あのときの回答を、翻す権利が自分にあるのだろうか。彼女たちの友達と、自分が名乗っても良いのだろうか。彼女たちを泣かせてしまった自分は、許されるのだろうか。

 

 京太郎の自問に答えられるのは、彼女たちだけ。しかしこの場に二人はいない。

 だから結局、これは願望だ。

 

「――ああ。小蒔ちゃんと、憧と、俺は……友達だ」

 

 笑ったのは、精一杯の虚勢。すぐにでも見抜かれてしまいそうな、はりぼて。

 けれども咲は、

 

「うん」

 

 と、満足そうに頷いた。

 それだけで、京太郎は救われる想いだった。

 

 

 ◇

 

 

東京/永水女子宿泊施設

 

 インターハイ女子個人戦初日。

 

 長野県代表として、清澄からは宮永咲と原村和が出場している。調整相手としては役者不足の京太郎ではあるが、応援という重要な役目が彼にはあった。団体戦のように控え室で、とはいかないが、会場の観客席で声援を送るつもりだ。

 

 しかし、京太郎は他の部員と連れ添って宿を出ることはなかった。

 

 神代小蒔も、インハイ個人戦の選手だ。彼女と顔を合わせられない京太郎は、時間をずらして会場に赴く予定だった。

 

 最初の半荘が始まったことをテレビで確認して、京太郎は宿の門をくぐった。

 そこで待ち構えていたのは――滝見春。彼女もまた、京太郎の古い友達。

 

「春? どうしてここに? 小蒔ちゃんとはっちゃんの応援は?」

 

 成長した胸部をつい凝視してしまいそうになり、京太郎は顔を赤らめながら視線を逸らして訊ねた。彼女は八年前と変わらないマイペースさで、答える。

 

「少し付き合って、京」

 

 けれどもその目は真摯で、京太郎に逆らう余地を与えない。

 

「分かった」

「ん」

 

 歩き出す彼女の隣に並ぶ。落ち着き払った春の雰囲気は、八年前から変わっていなかった。

 

「黒糖、食べる?」

「一個もらうよ」

 

 差し出された懐かしい砂糖菓子を、噛み砕く。渋い甘みが口の中に広がった。夏の熱気も合間って、水が飲みたいと思ったら、春がペットボトルを手渡してきた。

 

「春は相変わらずだな」

「京も相変わらずで良かった」

 

 そんなことない、と京太郎は言おうとした。八年前と同じようにはいられなかった。しかし春は、さらりと続けて言った。

 

「姫様と憧が、大好きなまま」

 

 京太郎は、先ほどとは違う理由で頬を染める。僅かに先行する春は、随分と機嫌が良さそうだった。してやられた気がして、京太郎は彼女の頭に手を乗せる。

 

「二人だけじゃなくて、春も、巴さんも、はっちゃんも、霞さんも、俺は大好きだよ」

「……そう」

 

 かり、と黒糖が砕けた。間を置いてから、京太郎は訊ねる。

 

「なぁ、どこに行くんだ?」

「うちの宿」

「……それって」

「姫様はちゃんと個人戦に行っている」

 

 先回りして答えられ、京太郎は何も言えなくなってしまう。

 

 永水女子の宿に辿り着き、彼女らが泊まる客室の入口まで案内される。

 春は戸に手をかけ、それから言った。

 

「京」

「なんだよ」

「さっきの言葉。ちゃんと、言ってあげて」

 

 がらりと戸が引かれ、客間の奥に座る彼女の姿を認めたとき、京太郎は反射的に引き返しそうになった。が、春に背中を押されて部屋に入り込んでしまう。続けてぴしゃりと戸が閉められた。逃がすつもりはないようだった。

 

 京太郎は観念して、彼女の傍へと歩み寄る。

 

「霞さん……どうして」

「ごめんなさい、京太郎くん。春ちゃんに無理を言ったのは私だから、怒らないであげて」

 

 巫女の装いの石戸霞は、努めて穏やかに語りかけた。座布団を勧められ、京太郎は机を挟んで彼女の前に座る。

 

「……霞さん」

「言いたいことは分かってるわ。でもまず、私に謝らせて」

 

 京太郎が止める間もなく、霞は額を畳につける。

 

「ごめんなさい」

 

 それは違う、と京太郎は言いかけた。彼女に殴らせるよう仕向けたのは、自分だ。誰も彼もを悪し様に罵り、挑発した。例えそこに目的があっても、非情に過ぎる言動であったのは間違いない。そもそもの原因は、迂闊であった自身にある。

 

 しかし、畳につけられた霞の指先が震えているのを見て、京太郎は彼女の謝罪を受け入れた。

 

「大丈夫。これっぽっちも痛くなんかなかったから。だから顔を上げて」

「……ありがとう、京太郎くん」

 

 ゆっくりと、霞は面を見せる。

 

「謝らないといけないのは俺のほうだよ。酷いこと言って、ごめんなさい。それと、お礼も言わないと」

「お礼? どうして?」

「俺一人だったら、小蒔ちゃんたちにきちんと説明できなかったと思うから。昨日は、ほとんど霞さんが話してくれただろ」

 

 ああ、と霞は頷いた。それから彼女は少しばかり、苦笑する。

 

「京太郎くんが秘密にしていたことを、無理矢理暴いて知ったことよ。結局私は、貴方の覚悟を踏みにじってばっかりね。小蒔ちゃんのためと言い訳して、自分のことしか考えていなかった」

「だけど、霞さんにも知る権利はちゃんとあったよ」

 

 決して、彼女も無関係ではない。むしろ当事者の一人と言っても差し支えないだろう。こうして二人だけで対面している時点で、危険な目に遭っているのだ。彼女もまた、人ならざるものを降ろせる身。京太郎の存在が、悪影響を与える可能性は充分に考えられる。

 

 だが、だからこそ直接顔を見せることで霞は謝意を見せた。彼女の覚悟こそ、自分のそれよりもずっと尊い――京太郎は、頭が下がる思いだった。

 

「自分のことしか考えていなかったのは、俺のほうだよ。逃げただけだった。……霞さんとは、小蒔ちゃんとずっと友達でいるって、約束したのにな」

「……そんな話も、したかしらね」

 

 とぼけるように呟いて、霞は目を伏せた。

 

「でも、今はちゃんと、友達って言ってくれるんでしょう?」

「うん。大切な、友達だ」

「なら、良いの。それで、良いの」

 

 噛み締めるように言った霞の表情は、京太郎の胸を締め付ける。

 

「傍にいてあげて、なんて言わない。だけど、小蒔ちゃんを忘れないであげて。……勝手なことばっかり言って、ごめんなさいね」

 

 でも、と霞は首を振って、

 

「私は小蒔ちゃんの味方でいるって、決めたの。神代と石戸がどうこうというわけではなく……何があっても、あの子だけの味方でいると、決めたから」

「別に、気にしやしないよ。それに言われなくって、小蒔ちゃんを忘れるわけがない」

「憧ちゃんを、選んでも?」

「――」

 

 何の捻りも加えずに、霞は真っ直ぐに訊ねてきた。あまりの直球ぶりに、京太郎も思わず言葉を失う。

 

「二人の気持ちに気付いてない、なんて言わせないわよ?」

 

 このときばかりは意地悪げに、霞は可愛らしく首を傾げて釘を刺した。

 

「……あの」

「私に答えても仕方ないわよ?」

「……そうっすね」

「乙女の気持ちを弄んだら、承知しないから」

「……肝に銘じておきます」

 

 くすくす、と霞は笑った。――本当に久しぶりに、彼女の楽しそうな笑顔を見た。八年ぶりの、もう一度見られるか分からない笑顔。

 

 彼女との思い出も、京太郎は捨てようとしていた。春も、巴も、初美も。全部、捨て去ろうとしていた。

 

 全てが全て、間違っているわけではない。少なくとも今、小蒔と霞に会ってはならないのは確かだ。

 

 それでも自分は選ぶべきものを間違えた。そう、京太郎は今一度確認する。

 

「私の用件は、これで終わり」

 

 寂しそうに、霞は言った。

 

「個人戦の前に時間をとらせてごめんなさいね」

「いいや。俺もちゃんと霞さんと話せて良かった。心残りが、ちゃんと消えた」

 

 京太郎は立ち上がり、霞を見下ろして言った。春から頼まれたことだ。

 

「ありがと。大好きだよ、霞さん」

「――っ、もうっ」

 

 びくりと霞の体が震えて、京太郎は笑った。霞は顔を赤らめ、むくれて京太郎を見上げる。年齢より大人びた雰囲気を漂わせる彼女が、年相応に見えた。

 

「先に、行きます」

「……ええ。手間をとらせたわね」

 

 彼女と連れ添っては、ならない。

 

 京太郎はその場を去ろうとし――

 背後から抱きすくめられ、足を止めた。

 

「かっ、霞さんっ? ちょ、あの、これっ」

 

 背中に当たるふくよかな感触に、京太郎は激しく狼狽える。耳元で、霞が囁いてきた。

 

「仕返しよ」

「だ、だからって、あの、あ、当たってるからっ」

「でも、これが最後かも知れないでしょう?」

 

 振り上げられた京太郎の腕が、ぴたりと止まる。

 

「貴方は私にとっても、可愛い弟分なんだから」

「霞さん……」

「そう言っても、許してくれるかしら」

「……当たり前だよ」

 

 ぎゅっと、強く抱きすくめられ、京太郎はされるがままになる。彼女の呼吸と鼓動の音が、聞こえた。

 

 京太郎は、唇を噛む。

 確証のないことなど、京太郎は口にするつもりはなかった。このまま、立ち去るつもりだった。けれども、気が付けば言ってしまっていた。

 

「霞さん」

「なにかしら」

「憧に宿題を出されてるんだ」

 

 霞の戸惑いが、体越しに伝わってくる。

 

「宿題?」

「俺が、小蒔ちゃんや霞さんと一緒にいられる方法について、考えてこいって」

「……そんなものが、あるの?」

「少なくとも、憧は思いついたみたいだ」

 

 本当は京太郎自身も――その可能性を、考えなかったわけではない。

 

 けれどもそれは、可能性としてはか細すぎる。叶うかどうかなんて分からない。どれだけ時間がかかるかも分からない。夢物語と笑われても仕方ない話だ。少なくとも今までは、試みることさえできなかった。

 

 そして今は。

 試みることが許されるのか、京太郎には分からなかった。

 

「憧と、答え合わせをしてくるよ」

「……分かったわ」

 

 そっと、霞は了承する。

 

「憧ちゃんに……ああ、それから、宮永さんにもよろしく伝えてくれる?」

「咲にも? どうして?」

「結局あの子は――私を助けてくれたみたいだから。感謝してもしきれないわ」

「だったら直接言ってくれれば」

「それは無理。私、嫌われちゃったみたいだもの」

 

 霞はくすりと笑い、そしてようやく腕の拘束を解いた。団体戦の大将同士で、何かしらやり取りしたのだろうか――京太郎に詳しいことは分からない。しかし、自分のためだったということは、察せられた。

 

「分かった、ちゃんと伝えとく」

「ありがとう、京太郎くん」

 

 京太郎は最後に振り返ろうとして、止める。今振り返っては、ならなかった。

 彼は霞に背中を向けたまま、言った。

 

「また、霞さん」

「――ええ。またね、京太郎くん」

 

 その挨拶を最後に、京太郎は部屋を出た。

 戸の傍には、春が控えていた。

 

「何だ春、ずっとそこにいたのか」

「ん」

 

 短く答えて、春は廊下を歩き出す。京太郎は慌てて彼女の後を追いかけた。

 

「霞さんは――」

「一人になりたいときもある」

「……そっか」

 

 付き合いの長さも深さも、春のほうが断然上だ。彼女がそう言うなら、京太郎もそれに従うまでだった。

 

 再び夏の東京を、春と共に歩く。向かうは、インハイの会場。寡黙な春に倣って、というわけではないが、気分良く話す気にもなれず、京太郎は押し黙っていた。

 

「憧は」

 

 だから、話しかけてきたのは春からだった。

 

「憧は、強かった」

「……そっか。春は、憧と中堅戦で直接やりあったもんな」

「ん。でも、憧は悩んでた」

 

 春は、続ける。

 

「きっと今でも、悩んでる」

 

 声援が遠くから聞こえてきた。インハイ会場が、近い。京太郎は足を止め、春は首だけ振り向いた。

 

「京」

 

 それ以上、春は何も言わなかった。

 

 京太郎は頷いて、再び歩き始める。

 

 もう一度、彼女たちと向き合うために。

 ――選ぶべきものを、選ぶために。

 

 

 ◇

 

 

 京太郎の携帯電話が、震える。電話の着信だった。

 

「――もしもし」

『もしもし、京太郎?』

「憧」

 

 凛とした、それでいて明るい彼女の声。未だに聞く度に、懐かしさが京太郎の中で湧き上がる。嬉しくて、けれども照れ臭くて、ついつっけんどんな口調になってしまう。

 

「どうしたんだよ、こんな夜遅くに」

『どうしたもこうしたもないでしょ』

 

 もう、と憧は呆れながら、京太郎に問いかける。

 

『この間の約束、覚えてるんでしょうね』

「ああ、当たり前だろ。ちゃんと、覚えてるよ」

『良かった』

 

 古い幼馴染は、声を弾ませて言った。

 

『デートよ、京太郎』

 

 

 




次回:十八/新子憧/愛を謳う

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