Summer/Shrine/Sweets   作:TTP

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八/新子憧/続 東京迷宮・前

東京/阿知賀女子宿泊ホテル

 

 

 ホテルの窓から見下ろす東京の夜景は、確かに綺麗だった。八年前に来たときは、一度も観なかった光景だ。

 あの夏は、ただ父親に手を引かれて遊びに来ただけだった。

 

 今年は違う。

 

 仲間たちと共に、権利を勝ち取ってこの地に乗り込んできたのだ。様々な決意を胸に秘め、全国の強敵と麻雀で鎬を削り合うために。

 

 ――ダメだなぁ、あたし。

 

 憧は、窓に体重を預ける。こつん、と額がぶつかった。

 

 心が乱れている。先ほどまでのミーティングでも上の空だった。明日は開会式と試合組み合わせの抽選。早ければ明後日は第一試合だ。このまま試合に臨めるのか、甚だ疑問であった。

 

 憧は、このインターハイで数名の旧友と再会できることを期待していた。

 

 一人は、かつて同郷で共に麻雀教室に通っていた原村和。和がインターミドルで優勝したことがきっかけとなり、憧は阿知賀に進学したようなものだった。彼女との再会は、まだ果たしていない。できることなら、卓上で。それが、親友である穏乃の望みだ。

 

 他の子たちは、より個人的な因縁だ。

 

 神代小蒔を初めとする、鹿児島永水女子の面々だ。子供の頃、ほんの一週間程度の時間を共有した、大切な親友たち。この八年、ずっと疎遠になっていたが、いつも心の中でひっかかっていた。

 

 だから今日、彼女たちと再会できたのは僥倖以外の何物でもなかった。すぐに思い出して貰えなかったのは、むしろ良しとしよう。イメージチェンジ成功の証だ。

 

 ――小蒔はもっと、とても綺麗になっていたけれど。

 

 思わず溜息が漏れそうになるくらいだった。子供の頃の素朴な魅力はそのままに、そこはかとなく色気を漂わせていた。全くもって腹立たしいが、おもちのほうにも差がついていた。

 

 長らく途絶えていた小蒔との交流を復活させたかった憧は、彼女たちをお茶に誘った。

 

 しかし、そこで思いも寄らない、もう一人の友人との再会を果たしてしまった。彼の存在は、本当に予想外だった。

 

「憧ー? どうしたの、黄昏れちゃって」

 

 背後から声をかけられて、憧は振り返った。

 

 ベッドの上に腰掛けて、不思議そうにこちらの様子を窺っているのは、チームメイトで幼馴染の高鴨穏乃だ。阿知賀女子のムードメイカー。突っ走る彼女に冷や冷やさせられるときもあるが、憧とは気心の知れた仲で最も付き合いの深い友人だった。

 

「ホテルに戻ってきてからずっと、変だよ?」

「ん……ちょっとね」

 

 確かに集中できていないのは明白だったが、それでも憧は周囲に心配をかけないよう取り繕っていたつもりだった。だが、やはりと言うべきか穏乃には通じなかったらしい。

 

「心配事があるなら、聞くよ?」

「……シズ、あたしが昔東京に行ったときの話、覚えてる?」

「覚えてる覚えてる、あれだけお土産頼んだのに、憧、変なストラップしか買ってきてくれなかったやつだ」

「へ、変なところばっかり覚えていないでよ」

「ごめんごめん。で、それがどうしたの?」

 

 憧はどう話すべきか少し逡巡してから、口を開いた。

 

「鹿児島の、永水女子っているじゃない」

「シード校の? エースの神代小蒔さん、凄く強いよね」

「東京旅行のとき仲良くなったのが、その神代小蒔なの。あと、永水女子のチームメンバーも全員」

「ええっ、憧そんなこと一言も言ってなかったよねっ?」

「ゴメン」

 

 穏乃の反応はもっともだった。八年前も、穏乃に仲良くなった友達の話はしたが、名前までは言っていなかった。

 

 それから時が経ち、同じ学校の麻雀部員として活動していても、永水女子に憧が言及することはなかった。特に機会に恵まれなかったというのもあるし、憧自身、正直疎遠になっていた彼女たちを忌避する想いがあった。

 

「今日ね、たまたま会えちゃったの。和より先駆けてね」

「へー。でも良かったじゃん。憧、あのときすっごく楽しそうに東京で出来た友達の話してたもんね」

「ま、まぁね。確かに嬉しかったわよ」

 

 でも、と憧は気を取り直して続けた。

 

「もう一人……あの東京旅行で仲良くなった男の子の話もしたの、覚えてる?」

「ああ、憧の初恋の人」

「ふきゅっ」

 

 変な声が出た。

 

「なななななに言ってんのよシズっ! 誰がなんであいつに初恋とかっ! あたしそんなこと話してないでしょっ?」

「えー、その子の話をする憧を見てたらすぐに分かったよ? もう、ほんとご馳走様って感じだったもん」

「……く」

 

 妙に鋭いんだから、と憧は歯噛みする。何も考えずに山中を突っ走っているようで、その実よく人を見ている。だからこそ、頼りになる大将なのだけれども。

 

「でも、夏休みが明けたらぱったり話さなくなったよね。あのとき憧は怪我してるし暗かったしで、すっごく気になったんだけど、私も詳しく訊きづらくてそのままになったんだよなぁ」

「ほんと、よく覚えてるわね」

「そりゃあ憧のことだから」

 

 さらっと恥ずかしいことも言える素直さは、小蒔に通じるところがあって、憧は吐息を吐いた。自分にはない、そういうところを求めているのだろうか。憧は自己分析しながら、話を先に進めた。

 

「そいつともね、今日会ったの」

「ええっ? インハイ会場で? 男の子でしょ?」

「女の子と一緒だったから、たぶん、女子部の付き添いか何かだと思う」

「へーへーへー! 凄い偶然! ろまんちっくだ!」

「そうでもないのよね」

 

 うん? と穏乃は小首を傾げた。憧はちょっと迷ったが、結局端的に説明することとした。

 

「逃げられた」

「は?」

「会った瞬間、凄い勢いで走って逃げられたの。びっくらこいた」

 

 投げやりな気分になって、憧はベッドに自分の身を放り投げた。家のベッドとは違う、良いスプリングが体を跳ね返してくる。

 

「気まずいって気持ちは分からないでも、ないけれど」

 

 穏乃に向けられたわけではない言葉は、布団に飲み込まれていった。

 

「そもそもさ」

 

 長年の疑問を氷解させるため、穏乃は憧に訊ねる。

 

「なんで憧、永水の人たちとも、初恋の人とも、ずっと連絡取ってなかったの? 仲良かったんだろ?」

「私だってずっと連絡を取りたかったわよ」

 

 憧は口を尖らせる。

 

「でも、お父さんたちに禁止された」

「ええ、なんでっ?」

「あたしと、小蒔と、京太郎……その、男子の名前ね。皆の父親が、喧嘩してお互いに縁を切ったの。三人とも同じ大学の同期で、それこそあたしたちみたいに仲良かったって話だったんだけれど」

「縁を切るって凄い話だ……しかも大学同じって、もしかして憧ん家と同業?」

「そゆこと。傍目でも仲良さそうに見えたから、今でも信じられない」

 

 はー、と穏乃が嘆息した。

 

「なんでそんなことになっちゃったの?」

「あたしのせい……かも知れない。お父さんは、個人的な問題だって言ってたけど」

「なにやったの、憧」

 

 やはりここでも憧は、どう穏乃に聞かせるべきか悩んだ。そもそも、憧は当時の記憶があやふやなのだ。

 

「八年前、あたしたちは京太郎の須賀神社でもう一度集まったの。でも、そこで小蒔と京太郎とあたしは、事故に巻き込まれた……らしいの。……でも、気が付けばもう奈良の実家に戻っていて、お父さんは『奴らとは縁切りした』って言い出して。あのときは携帯も持ってなかったし、そのままになっちゃった。ちゃんと覚えていないのが、辛い」

「事故って、どういうの?」

「山で遭難」

 

 うひゃあ、と穏乃は驚きの声を上げた。普段から山をその身一つで駆け巡る彼女であったが、だからこそ山の恐ろしさもよく知っている。

 

「そりゃあお父さんたちも怒るんじゃないの? お前のところの子供のせいでー、とか。お互いのせいにしてさ」

「たぶん、そういうことなんだと思う。……なんだか違和感はあるんだけどね。縁切るくらいにまで、いくのかなって」

「お父さんにもう一度訊いてみたら?」

「なんだかそんな空気じゃなかった」

 

 そっか、と穏乃は呟き、

 

「だからその……京太郎くん? が、逃げた理由も分からないんだ」

「そ。もしかしたら、事故の責任を感じているのかも」

「神代さんのほうは?」

「今日は変な空気になっちゃって、そのまま別れて来ちゃった」

 

 なるほどなるほど、と穏乃が何度か頷いて。

 それから、彼女は憧に訊ねた。

 

「で、憧はどうしたいの?」

「え」

「お父さんの目の届かないところで折角再会できた友達でしょ? よく覚えていないんなら、今それを知るチャンスだよ。京太郎くんとも仲直りもできるかも」

「…………シズの言うとおりだ」

 

 やっぱり穏乃に話して良かった、と憧は思う。穏乃がいてくれて、良かった。自分でも自覚のなかった望みを、気付かせてくれた。

 

「うん。あたしはあのとき何があったのかちゃんと思い出したい。後、逃げ出した京太郎は一発殴る」

 

 決意を新たにして、憧は穏乃にお礼を言った。

 

「ありがと、シズ。おかげでもやもやしてたもの、晴れた」

「どーいたしまして」

 

 穏乃が歯を剥いて笑う。

 

「でも、インハイも忘れないでよー。皆で力を合わせて勝ち進んで、赤土さんを決勝に連れて行って、和と会わなくちゃ」

「分かってるわよ。和と一緒に、皆で遊ぶため阿知賀に進学したんだから」

「あー、もう燃えてきたー!」

「はいはいホテルの中で走らない」

 

 穏乃の浴衣の襟首を引っ掴み、憧はベッドに寝転ばせる。

 

「とりあえず、今日は寝ましょ。明日に疲れを残しちゃだめよ」

「はぁい」

 

 電気を消して、憧もベッドの中に潜り込む。

 

 ――目的地は決まった。ずっと引っかかっていた小骨が取れた気分だ。明日はできるなら、もう一度小蒔と話そう。小蒔も、もしかしたら自分の知らないことを覚えているかも知れない。そして、一緒に京太郎に会いに行こう。

 

 気持ちばかりが逸って、自分で言い出しておきながら中々寝付けない。

 

 ――京太郎、背、高くなってたな。

 

 昔は自分とさして変わらなかったのに。見た目はちょっと軽薄そうになっていたけれど、スマホを拾ってくれたときの物腰は柔らかく、昔と変わらない親しみを与えてくれた。

 

 落ち着いていた心臓が、またどきどきし始める。

 

 あれから、八年。

 

 おしゃれにも気を遣うようになり、中学に上がった頃からは色んな男子から声をかけられるようになった。だけど、ぴんと来る男子は一人もいなかった。

 

 ずっと、京太郎が憧の心を占めていたのだ。

 

 こんなところで出会えたのは、きっと麻雀の神様がくれた幸運だ。枕を抱きかかえて、ぐるぐるとベッドで転がり回る。

 

 ――格好良かったな。

 

 頬が緩む。どうしてもにやにやしてしまう。昔は無邪気に遊び回るだけだったけれど、今ならどうなるのだろう。

 

「デート、とか……」

「ん? 憧、何か言った?」

「な、なんでもない!」

「憧こそ、ちゃんと寝なよー」

 

 漏れ出てしまった独り言を穏乃に拾われて、憧はベッドの中で縮こまる。ひゃあ、と妙な声が出た。想像だけで赤面するとは思いもしなかった。

 

 八年経っても、彼への想いは色褪せていなかった。むしろ、ますます強くなっていた。今更そんなことに気付いて、憧の胸は一杯になる。

 

 ――やっぱり好きなんだ、あたし。

 

 告白、という文字が脳裏に過ぎり、憧の頭はさらに混迷する。

 

 それから、小蒔のことを思い出した。もしかしたら、彼女も今、同じ想いを床の上で抱いているのかも知れない。自分と同じく、京太郎と離れ離れになっていたのだから。そして彼女もきっと、一途に想い続けていたのだろうから。

 

 絶対に、もう一度会いに行く。

 

 そのときは、小蒔も一緒だ。恋敵と考えればおかしいのかも知れないが、憧はそうするのが正しいのだと思った。理論派な彼女らしくない、直感だった。

 

 隣で穏乃がすやすやと寝息を立て始めても、憧はもうしばらく眠りにつけなかった。

 

 

 

 

東京/全国高等学校麻雀大会選手権会場

 

 

「ぶちかませー!」

「灼ちゃんファイトー!」

「頑張ってー!」

「たかが抽選に大袈裟な……」

 

 壇上の抽選に向かう部長の鷺森灼を見送って、大声を出した阿知賀の面々は一息つく。

 

 いよいよインターハイの始まりだ。

 

 観客席から抽選の様子を見守るため、監督である赤土晴絵を先頭に一同は移動する。道中、偶然和に会ってしまったらどうしようと苦悶する穏乃と言葉を介しながら、憧は期待に胸を膨らませていた。上手くいけば小蒔とも、京太郎とも今日中に会えるかも知れない。

 

 向かい側から、女子生徒の影が見えた。道を譲るため、阿知賀の面々は少し右にずれる。

 

「――っ!」

 

 前を歩いていた赤土晴絵と松実玄の足が止まる。何事か、と憧が様子を窺うと、

 

「あっ」

 

 驚嘆の声を上げてしまった。

 昨日、京太郎と一緒にいたセーラー服の女子生徒がそこにいた。

 

 ――よくよく思い出せば、この制服。

 

 長野代表、清澄高校。――和と同じ、学校だ。どうして昨日のうちに気付かなかったのか。つまり、京太郎と和は同じ学校にいる。

 

 隣を歩く穏乃も、彼女が清澄の生徒であることに気付いたのだろう。意識が彼女へ向いている。当然だ、大将として闘わなければならない相手なのだ。

 

 だが、声をかけるにまでは至らない。どこに向かうつもりなのか、すれ違って彼女は歩いて行く。

 

「あのっ」

 

 だから、憧は必死に彼女を呼んだ。ここを逃すと、次の機会はいつになるか分からなかった。

 

 清澄の生徒はびくりと体を震わせてから、振り返った。それから憧の顔を見ると、「あっ」と可愛らしい悲鳴を上げた。

 

「昨日、会った……」

「ど、どうも。昨日は道塞いでいてごめんね」

「いえ、こちらこそ。電話、大丈夫でしたか?」

「うん、心配しないで」

「……」

「……」

 

 会話が、途切れる。声をかけた憧が、どう話を継げば良いか分からないまま動けない。いつもちゃっかりしゃっきりした彼女らしくなかった。

 

「そ、それでは」

 

 清澄の女子生徒は、軽く会釈して去ろうとする。

 

「待って!」

 

 憧は彼女を呼び止める。再び女子生徒は体を震わせた。

 

「あの……なにか?」

「昨日、貴女と一緒にいた男子のことなんだけど」

 

 途端、女子生徒は顔を強張らせた。憧は一瞬躊躇するものの、次の言葉を彼女にぶつけた。

 

「あいつ、須賀京太郎……よね。ねぇ、あいつは今どこに居るの?」

「……やっぱり、知り合いなんですね」

「うん。昔の友達なんだ」

 

 その言葉に、女子生徒は眉を寄せた。理解できない、不可解だ、そんな彼女の困惑が憧にまで伝わってくる。――いや、「やっぱり」とはどういう意味なのだろう? 憧には分からなかった。

 

 だが、とにかく憧は構わず続けた。彼に会いたいという気持ちが先に空転する。

 

「挨拶したくて。紹介してくれない?」

「…………」

 

 清澄の女子生徒は、答えなかった。人見知りする性質なのだろうか。大人数に取り囲まれて、気後れしているのかも知れない。

 

 一度二人きりにして貰おうか、と穏乃たちに声をかけようとしたとき。

 

「ごめんなさい」

 

 と、一言だけ残し。

 女子生徒は、踵を返して歩き去って行った。その足に迷いはなく、憧はぽかんと見送るしかなかった。気弱そうな外見とは裏腹に、強い意志を感じた。

 

「……あんの野郎」

 

 京太郎から、避けられている。それを理解してなお、憧の気持ちは萎えない。むしろ燃え上がった。

 

「丁度良いわ」

「あ、憧?」

「勝ち進んで清澄と当たれば、和と京太郎、どっちにも辿り着くわけだから一石二鳥よ。ううん、その前にでもとっ捕まえてやるんだから」

 

 憧はふふふふふ、と怪しく笑う。穏乃はそんな親友の様子に、ちょっと引いた。

 

 

 

 

 新子憧はまだ知らない。

 八年前に何が起こったのか。

 京太郎の身に何があったのか。

 新子が、彼に与えた影響も。

 彼女はまだ、何も知らない。

 

 

 




次回:九/神代小蒔/続 東京迷宮・中

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