セシリアが教室に足を運んだのは、午前最後の授業が終了した後だった。授業終わりでへとへとになった生徒たちがぞろぞろとやって来るのを、彼女は物好き共め、と思いながら黙って眺めていた。
生徒たちはセシリアを見るなり、羨ましそうな顔を見せてくるのだが、彼女の知ったことではなかった。嫌ならやらなければいい。やめられないお前たちの意志の弱さが悪いんだ。
クックッと笑いを漏らすセシリアに、周囲は一歩引いた。近づいたら首もとを喰らいつかれる恐怖を感じていたのだ。
そんなことも知らないセシリアは周囲を見渡して、一夏一味の姿を探す。何か適当に奢ってもらおうと考えていた。捕食者のように瞳をギラつかせて、一夏だちを探しだそうとするのだが、彼らはセシリアが戻ってくるより早く教室に戻ってきてから何処かへ行ったのか、それとも教室に戻らずに何処かへ行ったのか。どちらにしろ、金づるを逃がしたのは痛い。
舌打ちをしたセシリアは教室での用事は果たされず終わったものとして、目的地を備品室へと変更した。是っ清にたかりに行くことにしたのだ。
セシリアが教室から出ていこうとすると、腰回りに何か柔らかいものがぶつかってきた。フニャッといかにも柔らかそうな音にセシリアが見下ろす。
「えへへ〜」
人畜無害そうな笑顔を浮かべた布仏本音が腰に引っ付いている。ちょうどいい体温がホッとさせる。
「どうした?」
「どうしたじゃないよ。今日の授業は楽しみにしてたんだから〜」
「楽しみに? 物好きだな。授業を楽しみにしてんなんて」
「だって〜。今日の授業はISの起動訓練で、もしかしたらせっしーから色々と教えてもらえるかと思ったんだよ」
本音が柔らかそうな頬を餅みたいに膨らまさせる。セシリアは思わずつついてしまった。案の定柔らかかった。
「そりゃ悪かったよ。なんか埋め合わせするさ」
密着を続ける本音の頭を、セシリアは優しく叩く。
「じゃあ、一緒にご飯食べよう。おいしーご飯の時間」
ようやく腰から離れた本音が気の抜けるダンスを披露する。感想を求められても答えが浮かんでこないような。
セシリアはため息を吐き出すと、本音を背後から抱き締めて動きを封じる。腕回りに感じる和む柔らかさに頬を緩めた。
「でだ。アタシがいないうちになんかあったか?」
セシリアが聞く。午前中は屋上で日向ぼっこを堪能していたために、その間に何が起こったのかの情報を持っていなかったのだ。
確か、近々専用機持ちの転入生が来るとか言っていた。もしかしたら今日にも来たのかもな。セシリアからしてみれば専用機持ちだろうがなんだろうが、興味を引かれるような相手ではない。しかし、頭の中を前世の映像が過るもので、普段なら気にしないことを気にしてしまう。もしや、という小さな希望が芽生えてしまうのだ。
「転入生が二人来たよー」
「二人? どんなの?」
「一人はフランスから来た世界で二人目のISを扱える男の子なんだよ」
本音が重大な発表をのほほんと言ってのけると、セシリアは特に興味がなさそうに相槌を打った。実際に全く興味がなかった。たとえ世界が注目するような存在であってもセシリアのセンサーに引っかかることはない。彼女の探し求めるものは物珍しい生き物ではないのだから。
「もう一人はドイツから来た子だよ。あんまり仲良くできそうにない雰囲気だったかな」
のほほんとした笑顔を少しだけ硬くする本音に、普段の彼女を知るセシリアはちょっとだけ驚いた。人畜無害で人懐っこい本音があからさまに表情を曇らせるのは見たことがなかった。
「珍しいな。本音がそんな顔をするなんて」
セシリア異が率直に聞く。まどろっこしい話をする手間を取りたくなかった。
「うーん。なんとなく仲良くなれそうにない雰囲気があったって言えばいいのかな? 私も分かんないけど」
歯切れの悪い答えが返ってくる。本人もいまいち理由を掴めていないことは見て分かった。ドイツの転入生は本音でさえも敬遠するようなおかしな人間なのかもしれないな。セシリアは苦笑して、本音の頭を撫でまわす。サラサラと髪の毛が流れていく様が楽しい。
「よしよし。飯に行くぞ。どこで食うんだ?」
転入生がらみの話は多少の興味を引かれたが、今の段階では自ら会いに行くほどではなかった。小さな希望がゆっくりと萎んでいったのを自覚しつつも、セシリアはおくびにも出さずに本音の背中を押して教室を出る。
廊下は昼食の時間に混み合っていて、スムーズな移動はできない状況だった。ゆっくりと流れていく人波に、セシリアと本音は飲み込まれて波の一部となって学食へと続く道を歩く。
「せっしー。目的地からどんどん離れちゃうよ」
「どこだ?」
「生徒会室だよ~」
本音が波にさらわれないようにその身体を手元に引き寄せたセシリアは、本音を片腕で抱きしめると近くの窓から外へと飛び出す。数人の生徒が奇妙な行動に気がついて視線を送ってきたが、セシリアは気にせずに校舎の外壁の僅かなくぼみに指をかけて上の階へと向かって行った。人間離れした行動に、本音は暫く目を丸くしたままだった。