べつじんすと~む改 愛と愛と愛   作:ネコ削ぎ

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一話

 両足を使って壁と壁の間に生じた出っ張りを蹴る。人間が単体で出すには困難な跳躍力によって身体が大きく浮き上がり、セシリアの視界から地面が消え去った。壁が上下にスライドしていくように見えるのは、彼女の驚異的なジャンプ力によって壁が置いて行かれてるからだ。壁は一切の動きは見せてないない。ただ、彼女が物凄い力で壁を昇っているだけだ。両足の跳躍で高い場所にある出っ張り部分に指をかけ、指先だけの力で身体全体を持ち上げていき足をかけて跳躍をする。その繰り返しだけで壁を駆けあがるかのように昇って行った。

 屋上へたどり着くのには一分もかからない。階段を上るよりも早くたどり着くことができるのには、彼女の鍛えることでは手に入れることが難しい力があるからだ。落下防止用のフェンスに指を絡ませて飛び越えると、屋上の解放された空間に広がっている色とりどりの季節の花々とテラスが出迎えてくれる。フェンスの無骨さを隠すかのように花が絡みついていたのだが、セシリアには無縁の代物だった。

 時間が授業中ということもありテラスに生徒の影も形もなかった。生徒は居なかったが、一人の不真面目そうな男性教師が一つの丸テーブルを陣取っていた。頬を杖をついて欠伸をする姿は不真面目な教師そのままで、生徒が見れば後ろ指をさしそうなものだった。

 セシリアは空いている丸テーブルには目もくれずに、の教師の向かいの席に座った。IS学園の備品の一つ一つに金がかかっているのか、椅子の座り心地は中々だった。

 背もたれに背中を預け胸の前で腕を組む。形の良い胸が僅かに強調されるのを、教師は鼻の下を伸ばして盗み見るが、セシリアはジロジロと向けられる視線を物ともせずに、テーブルの下で教師の脛を蹴飛ばす。手加減はしたが、それでも元が凄まじい力だ。教師は打たれた脛を抱えて歯と歯の間から唸り声を出した。

「ちょっといやらしくしただけじゃないか」

 暫く痛みに全てを支配されていた教師は、痛みの引き際なってようやく声を荒げて訴えた。蹴られるほどのことはしていないぞ、と不満を乗せた顔に、セシリアは愉快そうに笑った。

「くひゃひ。女を視姦した罰だぜ。今の時代は女の正義だけが罷り通るんだ。下手なことすりゃ痛めつけちまうぞ」

 だからアタシ以外にはやめた方がいい。エロに生きようとした教師に灸を添えたのだ。ぐらりと揺れ動いた教師は机の上に上半身を投げ出したのだが、セシリアは気にせず空を仰ぎ見た。透き通る純粋無垢な青空は、それでも十数年前に比べて格段に汚染されているのだが、排気ガスに満たされて空模様が見えないなどということはない。いまだに汚れているようには見せない空の雄大さにセシリアは若干の興奮と落胆の想いを抱いた。 この世界一つしか知らないような奴らには分からないはずだ。セシリアは苦笑した。空気が美味しい、と言えるようになるとは考えもしなかった。富裕層達だけが取り込む空気を、身体に取り込むことができるなんて夢みたいだ。

 そうだ。夢だな。満ち足りない夢だ。現実ほど枯渇してはいないが、夢というには満足出来ない。空腹時に味の極薄な食べ物を食っているのと変わらなかった。

「是っ清。飯食いに行くぞ」

 味気ない気分に、無性に口に物を入れたくなったセシリアは立ち上がると財布役の男性教師の襟首を掴んだ。後は言わずもがなと自身よりも一回りも大きい身体を軽々と引き摺って屋上を去っていく。背後から「よせ」や「やめろ」と声が聞こえてくるが、彼女は一切の雑音をシャットダウンしていたために、訴えの一つも受け入れることはなかった。

 

 

 

 

 

 IS学園と言われてセシリアが思いつくのは、世界的に有名なインフィニット・ストラトスというパワード・スーツについて学ぶことくらいだった。実際にその通りではあるのだが、彼女の考えているIS学園像と実物のIS学園では天と地ほどの差異があった。

 実際のIS学園はIS選手の育成や発掘という目的を持ちながらも、多くの生徒には進学や就職を円滑に運ぶための道筋の一つとしてしか見られていないのだ。つまりは勉強にも力を入れているということだ。

 セシリアは勉強が嫌いだ。学ぶことの大切さを知らないわけではないが、それは自分とはほとんど無縁のものだと考えていた。勉強をしたい奴だけが好きに勉強をすればいい。強制される勉強に何を学ぶ意欲を出せばいいのか分からない。

 そんな勉強嫌いらしい心根を持ったセシリアはひょんなことにIS学園の生徒として認められていた。忍び込んだわけもなく、正式な手順を踏んで生徒として受け入れられ学び舎に出入りしている。白い制服のポケットに仕舞い込んだ写真付きの生徒手帳が証明してくれるのだが、セシリアとしては不本意と言うしかない。

 頭が痛くなる。八つ当たりでもしたい。勉強で熱暴走を起こした頭が不穏な思惟を呼び起こした。授業は専門用語や理解のできない数式があちらこちらに書き記され、頭が拒絶反応を起こしてしまう。一度として授業時間を真面目にやり通せた記憶はなく、最初のわずか数分を嫌々努力するので限界だった。

 結果、次の授業をサボった。目にも止まらぬ速度で教室を飛び出し、空いている窓から身を乗り出した。教室は二階にあり、普通なら飛び降りることを躊躇するはずなのだが、セシリアは構わずに飛び出す。数秒の浮遊感の後、足裏に微かな刺激を感じるだけで、二階からの着地を終えた。

 そして次は人間離れした壁昇りで屋上へと向かい、テラスでサボっていた町田是っ清を拉致して校舎内の備品室へと向かった。

 備品室は名前の指す通りに学校内で使用される備品の替えが山積みにされている部屋だ。手入れは行き届いてなく、あちこちにホコリを被っていた。空気が汚れている為に教師たちは近づくことをせず、女尊男卑の関係で是っ清が備品室から注文されたものを調達してくる係となっていた。体の良いパシリだったが、彼は人が近づかないことを知って備品室でよくサボるようになっていたのだ。転んでもただでは起きないというべきか、教師として失格だと言えばいいのか。セシリアには判断できなかったが、それでも是っ清のおかげで彼女も安全地帯を手にすることができたのだから、教師失格と罵ることはできない。

「いてぇぞ。もっと優しくしてくれよ」

 階段を降りる際に散々に腰を打ちつけた是っ清が情けない声をあげる。腰を擦って痛みを誤魔化そうとしているようだった。今、この腰を蹴飛ばしてみれば目の前の男はどんな悲鳴を上げて転がってくれるのか、セシリアは好奇心を浮かび上がらせてしまった。右足がうずうずしてくるのを左足を上にして組むことで押し留めるが、中々に収まってくれない。

「やばいな。一発蹴らせてくれ」

「悪魔だな!?」

「悪いな。前世で喰らった言葉だから気になんないぞ」

「ああ、そうかい」

 前世というモノがあるらしい。セシリアの知らない言葉だった。初めて聞いたのは、目の前で不貞腐れたような顔をする男の口からだった。

 前世とは、今の自分が生きるより前の記憶や体験のことらしい。セシリアには理解し難い言葉だったが、色々と話を聞く限りセシリアも前世というモノを持って生まれてきたのだという。過去の記憶を持ち、また体験を持ったまま今を生きているのだから、確かに前世というものがあるのだろう。

 是っ清も前世を持っていると豪語していた。彼は日本で社会人をやっていたと語り、この世界を元にした小説を愛読していたとかで、セシリアを見るなりに「誰だお前は」と声を張り上げたのを記憶している。その時は至近距離での大声にセシリアは五月蠅いと殴り倒してしまったが、後々聞いてみると前世持ちという稀有な存在であることを主張してきた。そして、彼女に対しても前世持ちかどうかを問い詰めてきて、あまりのしつこさに根を上げたセシリアがそれっぽいと言ったことから関係が始まったのだ。

「そういえば、もうすぐ転入生が来るはずだぞ」

「転入生だぁ?」

「俺の知っている話通りならな。ま、ちょっとは騒動になるはずだ。珍しい生き物が来るからな」

「珍しい……下半身が蛇の奴か」

「そんな奴、見つかった瞬間に研究所行きだ。人間の範疇のもんが来るだけ」

「なんだ。つまんねー。見たことのないモノが見れると思ったのによ」

「それはないから」

「うっせーよ。アタシは夢見る乙女なんだよ」

「乙女はないだろ」

 わざとらしく肩を抱く是っ清。セシリアは手元にあった黒板消しを投げつけてやった。

 夢見る乙女で何が悪い。アタシは昔からずっと夢見てきたことが沢山あるんだ。今だって沢山の夢を持っている。叶えられる可能性の低い夢だ。持っているだけで心の中に仕舞い込んだ夢の数々に押しつぶされそうだ。叶えていきたいのに。

 夢を叶えるためには叶えるだけのファクターが必要になる。物だったり、お金だったり、人だったりだ。色々な要因によって夢は叶えられるものなのだが、セシリアには絶対的に足りないモノが二つあった。この二つの不足分によって胸に抱え込んだ夢の全てが叶えることのできないモノになってしまっていた。不足分は補えばいいのだが、セシリアの夢に足りないモノはすげ替えの利くものではない。結果、セシリアは実現不可能な夢を抱え続けることになっていた。

「転入生なんて来なくていいのにさ。物好きだよ、こんな厳しい場所に入りたがるなんて」

「エリートは向上心が概ね強いのさ。それに人間ていうのは自分一人の意志だけじゃどうしようもないところもあんだ。きっと楽しんで来ているわけじゃないだろ。結果的に楽しい学園生活にはなるかもしれないけどさ」

「大人な意見だな。小難し言葉で煙に巻くような」

「大人だからな。煙にだって巻けちゃうのだよ」

「ふん。アタシもかつては大人だったさ」

 セシリアは気に入らないと鼻を鳴らした。今は確かに少女なのだが、セシリアも前世では三十を迎えて暫く過ぎた女だったのだ。前世と合わせて四十を超える年齢を積み重ねたにしては多少幼い言動が見えるのだが、それはセシリアの気にするところではなかった。


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