べつじんすと~む改 愛と愛と愛   作:ネコ削ぎ

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マリ・チェンマルン

 

 ――あったかい。良い匂いがする。

 

 

 

 

 空中投影ディスプレイに映された情報は努力の結晶と言っても過言ではなかった。一年をかけた。ようやく全ての必修項目にチェックを入れることができたことに、マリ・チェンマルンは涙が溢れ出てくるのを止められなかった。

 一年前、上司が自慢の禿頭を撫でまわしながら言い渡してきた辞令が、マリが苦難の踏み出すきっかけだった。

 イギリスが開発している新型IS『ブルー・ティアーズ』の装着者に相応しい適正を持つ少女に教育を施し、来たるIS学園入学までに必要最低限の知識と教養を身につけさせる。十数人の国家代表候補生を育成してきた実績のあるマリには酷く簡単な仕事だった。

 わざわざ上司からの指示がなくても、養成所にやってくれば育成するだけだ。ブルー・ティアーズの装着者の最有力候補と出会う前までは、マリは自身の手腕に誇りを持っていた。どんな問題児でも数日で従順に言い聞かせられる。暴力は必要ない。言葉一つで相手の全てを屈服させる。

 全ての結末が見えたマリは鼻を鳴らして候補の教育へと向かった。相手が今までの候補とは比べられないじゃじゃ馬だとは知らずに。

 積み上げてきた実績から来る自信は、数日で崩れ落ちた。ガラガラと音を立てて崩落していくプロという言葉。受け持った少女はマリの考えるような問題児ではなかった。想定を大きく上回る。まるで野生に生きる猛獣に、人間の勉強を教えようとする無謀さだった。想定外、と嘆いても許される気がした。

 セシリア・オルコット。開発中のISブルー・ティアーズに高い適正を示した少女。良質な金髪をオールバックにして額を露わにし、髪に遮られることのない瞳は力強く睨まれれば蛇に睨まれたカエルのように身動きができなくなる恐怖を与えてくる。実はカエルに姿を変えた王子様がいるならば、素敵な殿方にでもセシリアを引き合わせれば、いずれ私の王子様が現れるかもしれない。疲労の原因なら幸福の要因にもなってみたらどうだ、と疲れ切った時のマリは溜息を吐き出したものだ

 だがマリの苦労は終わる。セシリア・オルコットは反抗に反抗を重ねて、挙句に数回の暴力を振るってきたことがあった。赤縁眼鏡がトラックに踏みつぶされた後のようにグシャグシャになったことは一度や二度じゃ済まされない。その度にマリは上司に訴えて経費で眼鏡を買い換えたが、上司からの心象は悪くなったはずだ。しかし、今更上司の心象を気にする器の小ささは備えてはない。圧倒的脅威を前にしてマリは自らが進化したのを自覚していた。苦労は苦労なりにもたらしたものがある。

 しかし、マリは奇妙な引っかかりを感じていた。最初は気のせいだと思っていたが、育成最中にそれは気のせいではないと考えを改めた。

 セシリアの瞳には何かを期待する甘えみたいなものがあった。最初の何回か行った育成では甘えを含んだ瞳を向けてきていた。何をどう望んでいたのか定かではない。誰にでも媚びへつらうようなタマではないことは一番最初の育成で分かった。攻撃的で、危険物体のレッテルを何枚も張られているような人間という他ない。それなのに甘えを求めてくる瞳に、マリの体表は隙間なくざわついた。意味も分からずに心の内で受け入れられない、と両腕を突き出して拒絶してしまった。

 それ以降、セシリアの瞳に甘えは見えなくなっていた。ただそれだけだった。行動に変化はなく、前回までと同じ反抗と暴力を見せ続けていた。

 アレは一体何だったかの。どうして自分はあの瞳を受け入れられなかったのか。答えもでないまま、喉の刺さった小骨に気持ちは晴れない。

「先生、風邪ですか?」

 涙を流したり首を傾げたりと忙しいマリを、かつての教え子であるサラ・ウェルキンが気遣う。育成によって優等生気質がより一層深まった彼女は、不良生徒の様を見せつけるセシリアを好ましく思っていないが、マリの頼みを引き受けてISの基本動作等をセシリアに教えてくれていた。

「いいえ。ちょっと気になることがあっただけだから」

 話すことではない、というニュアンスを匂わせれば「そうですか」とサラは素直に引き下がる。相手の望んでいないことはしない。それが彼女なりの生き方なのかもしれない。

「学校。もうすぐ始まるのでしょう。今日はもういいから準備をしなさい」

 IS学園の一学年に所属するサラは冬休みの期間を割いて育成に協力してくれているので、最後の最後まで甘えるわけにはいかない。セシリアの為だけにあれこれと無理をしてもらうのはよろしくないので、マリは労わりの微笑みを浮かべてサラの背中を押して帰るように言った。


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