べつじんすと~む改 愛と愛と愛   作:ネコ削ぎ

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エドウィン・マグル

 ――ママの想いが包み込んでいるんだ。

 

 

 

 

 

 

 黒服の一団が前を横切っていく。仕立ての良いスーツであることは一目見れば分かる。厳格な顔、軽薄そうな顔、気弱さそうな顔、強欲そうな顔。スーツを着る一団の顔は皆違うが、瞳の奥に宿るのは周りの人間を出し抜き、いかにして財産の多くを懐に収められるか、という強欲の意志だ。この場が葬儀場であることなど誰も意識してはいない。身内の一人が不運な死を遂げたことなどまるで見えていない。名門貴族という響きが陳腐に思えてくる。

 身内の喰い合い。オルコットの親族はいずれ潰れる。安過ぎず高すぎず、動きやすさを重視した作りになっているスーツを着た男は、サングラスを指で押し上げて溜息を吐く。死んだとはいえ主人の目がある場所だ。本来なら溜息など許されるものではないが、既に男は解雇を告げられた身だ。いまさら咎められることもない。

 強欲に瞳を爛々と輝かせている男たちが、墓石の前で何かを話している。どうせ、形ばかりの悔やみの言葉でも言っているのだろう。彼らの頭の中では既に遺産強奪の計画が着々と進んでいるはずだ。過去の振る舞いを思い返し、自分がいかに貢献してきたか、故人に期待されていたかを列挙して、多くを相続するに足る人物であるとアピールするために。

 いいや、それだけじゃない。亡くなった主人の娘についても考えているか。その面倒をどうやって回避しつつ、相手に押しつけるかの手段も考えているに違いない。最大限のリターンと最小限のリスク。主人の悪い口癖だった。親戚勢にも蔓延しているのだろう。

「エドウィン。貴方はどうするつもりですか?」

 主人の親族たちの嘘と欲に塗れた背中を眺めていると、チェルシー・ブランケットが肩の荷が下りたと言いたげに吐息を零す。同じ職場の同僚と呼ぶには年齢が離れているが、同じ主人の元で従事していたことには違いない。金持ちが好きそうなボディーガードとメイドの役割を担っていた。

「どうする、とは?」

「再就職の先です。貴方は決めましたか?」

 そのことか。エドウィンは重い溜息を吐き出した。先行きの暗い案件だ。解雇され、先を考える暇もなく葬儀が始まり、終わった後も就職の目途は経たない。

「そういう君は?」

「私は実家近くの学校にでも通います。母がご主人様と知り合いだったが為に半ばご機嫌取りの供物として捧げられましたが、今は目の上のたんこぶも消えました。ご主人様にはとてもよくしてもらいましたが、それとこれとは別です。セシリア様について行くはありません。それは貴方もでしょう?」

 チェルシーの瞳が下から覗き込んでくる。主人に対しての敬愛を感じ取れたが、主人の娘には一切の情は湧いていない。

 同じなものか。エドウィンは声を荒げて否定したくなった。しかし、喉元までせり上がってきた言葉をぐっと飲み込んで「かもな」と煮え切らない言葉を代わりに吐き出して答えた。

 私はセシリア様を……どう思っている。チェルシーの視線を意識の外へとやったエドウィンは自問する。敬愛した主人の娘だ。学のない彼を招きよせ、ボディーガードとしての教育を施して立派にしてくれた主人の忘れ形見。娘個人に対して良くしてもらった覚えはないが、だからといって想いを断ち切れるものではない。

 目を瞑ってみれば瞼の裏に思い出せる。名門貴族であると同時に、大手企業の社長令嬢の肩書きが相応しくない少女の、向けられるだけで底冷えするような笑顔。荒事を生業とする身体がすくみ上って膝が笑いそうになるのを恥じたものだ。今も、あの笑みを思い出すだけで心臓が早鐘を打つ。怯えているな。

「ただ、セシリア様が可哀想に思えてしまうな」

 心にもないことを。チェルシーの視線を思い出し、怯えを悟られないよう彼女の好きそうな話題を差し出す。

「そうですか? セシリア様の振る舞いに少しでも可哀想と思う部分があると思います?」

 チェルシーは軽やかに囀る。目の前に落とされた餌にご満悦と言ったところか。よくもまあ、ここまで人目を憚らずに悪口を言えるものだ。エドウィンは女というものが分からずに、心が一歩後ずさる。

「あの子は獣ですよ。学ぶことの意味も分からずに振る舞って。恵まれた環境にいるのに努力もせずに癇癪ばかりで。貴方も経験あるでしょ? セシリア様の専属ボディーガードだった貴方なら」

「ないとは言えないな。セシリア様には振り回されてばかりだから」

 しかし、手を焼かされたことばかりではない。人間相手には感じたことのない恐怖の中に、無垢な心を感じることがある。

「それに継ぎ接ぎだらけのぬいぐるみを部屋に飾っているのが不気味ですよ。普通の女の子なら可愛いぬいぐるみを手元に置いておくはずなのに、どこかで拾ってきたんですかね。何か色もくすんでいますし」

「ああ、あのぬいぐるみか」

 チェルシーはぬいぐるみが不気味だと言う。確かにそうだな、とエドウィンは思う。普通の感性を持っていればあのぬいぐるみは恐怖の対象でしかない。幼少期の子供ならまだしも、セシリアの年齢を考えれば考え辛いものである。

「……普通はそうだな」

 セシリアがぬいぐるみを拾ってきたのは、まだ彼女が小さい頃だ。四六時中警護という名目で行動監視を行っていたエドウィンは、幼いセシリアが屋敷の外へと抜け出して町のゴミ置き場でボロボロの熊のぬいぐるみを拾ってきたのを確認している。主人へと報告をして、セシリアの部屋がぬいぐるみだらけになる原因を作った自覚もある。そのぬいぐるみたちは大小様々で、どれも一般家庭で見られるような安物ではなかったの。だが、セシリアはどれにも興味を示さず、拾ってきたボロボロのぬいぐるみを自らの手で修復して、今も手元に置いていた。

 歳を重ねても変わらずに熊のぬいぐるみを大事にしている姿に、慈しむ想いを肌で感じ取ったエドウィンには、ぬいぐるみを抱きしめるセシリアを不気味とは思えなかった。

「ああ、もう終わるな」

 親族たちが墓石から離れていく。これから奴らは厚顔を突き合わせて遺産相続という身内争いに精を出すのだろう。本当の金持ちは遺産争いをしない、と聞いたことがあるのだがどうやらオルコットの家はそうではないらしい。中途半端に金持ちであるが故に、金に目が行ってしまうのだ。

 問題は誰がオルコット社の手綱を握るかだ。たしか親族の一人が中小企業の社長だったはず。彼が経営の経験を武器に、大企業の頭へなろうとするに違いない。小さい会社を傾かせて青息吐息の社長には、大企業の経営など土台無理な話だ。

 ボディーガードとして働きだした時から付けていたサングラスを外し、スーツのポケットに無造作に突っ込む。自分の中にあるボディーガード像とは程遠い目を隠すために着用していたサングラスを外すと、ようやく素の自分が表に出せた気がする。外気を取り込むにも、いつもと違う。サングラスという物理的なフィルターが心身全てに影響を与えていたということか。そうやって自分を隠さなければ仕事もままならない。やっぱり俺は弱いな。

 ふと視線を感じる。隣に居るチェルシーのモノのようで視線はエドウィンの顔に向けられていた。仕方がない。彼女だけでなく誰の前でもサングラスを外さなかったのだからな。

「思っていたのと違いました」

 チェルシーが意外だと言う。何が意外なのかと顔を向けると、彼女はふんわりとほほ笑んで「優しい顔をしています」とボディーガードとしては納得できない感想を口にした。優しい、と言った彼女のほんのりと赤らめた頬を見て、エドウィンは何故かセシリアの姿を思い出した。慈しみの感情の中に、何かを探し求めるように揺らぐあの瞳を。そのくせセシリアは何時だって可愛らしい表情を見せてくれなかった。


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