べつじんすと~む改 愛と愛と愛   作:ネコ削ぎ

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七話

 セシリアがセシリア・オルコットになる前のことだ。

 彼女は今居る世界とは別の世界に生まれ落ちた憐れな生き物だった。その世界は彼女が生まれるよりも前から汚れきっていて、多くの人間たちは汚れた環境に適応して生きていた。

 彼女が生まれた時、両親かの祝福を一切受けられなかった。両親は不純物の塊のような世界で荒んだ生活をしていた。生活の糧を得るために汚いことばかりをしてきた両親にとって、食い扶持を減らしかねない少女の誕生は決して喜ぶべきことではなかった。

 彼女が言葉を話すようになった時には、常に両親からの虐待が付きまとっていた。食糧が得られなかったら蹴られ、あこぎな事業を失敗しては殴られ、ただ気に入らないという理由一つで突き飛ばされた。

 彼女は暴力がなんであるかも分からずに、その身体に痛みだけを刻み続けていた。暴力を振るわれる理由を知った後でも、抵抗も出来ずに殴られ続けた。

 ただ、受けた痛みを何倍にも変えて両親を殴りつける夢を描きながら、暴力に身を痛めつけられていた。

 そんな生活が何年も続いた後、彼女に転機が訪れた。父親が食糧確保に失敗して怪我をして帰ってきたのだ。足を引き摺り、右腕を庇うようにして姿を見せた父親に、ろくに母親らしいことをしてこなかった女がヒステリックな悲鳴をあげて父親を罵っていた。

 彼女はチャンスだと思った。この暴力から解放される最初で最後の機会だと。

 彼女はすぐさま行動に移した。付近に落ちていた拳ほどの石を拾い上げると、まずは母親の後頭部を殴りつけてやった。

 何年もの間、両親を殴る想像をしてきた彼女の、振り上げた腕は並の人間の速さではなかった。アスリートでも視認するのが困難な速度で振り上げられた腕は、雷を宿したかのように瞬く間に女の後頭部を狙い打った。

 ぎひゅっ、と奇妙な声を漏らして地面に倒れ伏す母親。後頭部からどくどくと鮮血が溢れ出す。真っ赤な血液が地面を赤く染めていき、酸化してどす黒く変色していった。

 父親が情けない悲鳴をあげる。彼女に背中を向けて足を引きずりながらも必死に逃げ出す。

 彼女は母親を叩いた石を投げつける。剛速球で飛んだ石は父親の左肩に命中し、父親の左肩を容赦なく砕いてしまった。衝撃と、左肩を砕かれた痛みで足をもつれさせる父親が無様に地に這い蹲る。

 かつてはいいように殴りつけていた男の情けない姿は、彼女の心をスカッとさせた。清涼剤を口にした気分にも似ているかもしれない。

「ぶっ殺してやる」

 父親が口癖のように呟く言葉を、彼女は知らず知らずの内に口にした。過激な言葉が鼓膜を振るわせて、脳を刺激していく。言葉が感情にマッチしていた。

 ニヤリ、と今まで抑えていた感情を爆発させた彼女は、倒れてもまだ這って逃げ出そうとする父親の弛みきった背中に踵を落として地面に縫い付ける。ぐぎゅ、と奇妙な悲鳴と空気の漏れる音が聞こえてきた。

「ぶっ殺してやるぜ」

 かつて父親が向けてきた暴力を、今度は彼女が父親に向けて解き放つ。

「あひひゃひゃひゃ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あひひゃひゃ……おう」

 女性のモノとは思えない品のない笑い声と共に、セシリアは目を覚ました。

 段々と迫りくる夏の気配を風から感じて、眠くなったところまでの記憶を瞬時に引っ張り出す。本音と一緒に生徒会室で昼食を取り、それから午後の授業を拒否して屋上に撤収。後は空腹を満たしたことで生じる睡眠欲に任せて意識を手放したのだ。

「いやな夢だったな」

 セシリアになる前の自分の、それも底辺だった時代を夢を見た。愛を知らなかった頃、両親にいいように殴られていたあの屈辱的な日々。そして、自分自身が殺人や暴力の魅力を知った瞬間でもある。

 だけど、とセシリアは過去の自分を否定する。

 今になってはそこまで殺しや暴力に傾倒しちゃいない。私は愛を知ったんだからな。一番のものを知ってしまえば、後は全部取るに足らないものに落ち込む。

「あー、おかしな方向に流れてる」

 頭の中を前世の記憶が埋めつくし始める。その全てが幸せだった頃の記憶で、今の幸せじゃないセシリアを羨ませる。もはや手の届かない位置にある幸せの形を、頭を振って追い払おうとしても、根を張った幸せは振り放すこともできない。

 幸せだった昔に押しつぶされそうだ。

「今からでも授業に出るか」

 過去を封じるには何かをするしかない。特に嫌うことをするのが一番効果が出る。

 セシリアは立ち上がり、空を仰ぎ見える。今頃、クラスメイトたちは切磋琢磨でもしていることだろう。自分にはない熱意だ、と溜息を吐き出すと、屋上の出入口へと向かう。

「見つけたわ~、セーシーリーアー!」

 そして、マリに見つかってその場で説教を受ける羽目になった。そのために残りの授業には参加することはできなかった。自業自得だったのだが、セシリアには自分がようやく授業に出てやろうとしたのに、それを邪魔されたと感じていたのだった。


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