壊れた時計①
俺の棲む町、M県S市杜王町。
この町は眠っている。
1999年。81人。そのうち45人が少年少女。
この町における、行方不明者の数だ。
これは同じ規模の町の平均と比べても7〜8倍と異常なまでに多い。
この年だけではない、過去の数字を見てもこの町の行方不明者数は異常だ。
明らかだった。この町に『殺人鬼』がいることは。
この異常に気づいていた住民が、一体どれくらいいただろうか?
この異常に手を打った住民が、一体どれくらいいただろうか?
杜王町の人口、53,841人。
5万の内の81。
81の内の45。
45の内の1。
その異常の中に鞍骨恵という女がいた。
数字にしてしまえば、たった1でしかない。
だが、俺の姉は確かにこの世に存在し……そして消えた。
美しかった姉は、異常な殺人鬼の手にかかり命を落としたに違いない。
その殺人鬼がどんなやつかは知らない。
きっと今も、のうのうと「安心」や「安らぎ」といった、毎日訪れる普通の日常を送っているのだろう。
あるいは、誰かに「恐怖」や「絶望」を与えるために、次の獲物を狙っているかもしれない。
姉を殺した殺人鬼は、必ず俺が見つけ出す。
そして、どんな手を使ってでも、そいつを殺す。
この世に生まれてきたことを後悔させながら、そいつを殺す。
昔、テレビでやっていた白黒のマフィア映画の登場人物のように、硬い木のいすに縛り付けて、あらゆる拷問をしてから殺してやる。
昔、学校の図書室で読んだ、海外の小説に出てくる吸血鬼が、太陽の光を浴びて灰になるように、跡形もなく存在を消してやる。
俺の人生分の不幸をまとめて、その「殺人鬼」に喰らわせてやる。
……
だが、それで終わりだろうか?
いや、違う。
姉は確かに、殺人鬼によって殺されたのだろう。
しかし、こうとも言えないだろうか?
『姉はこの町に殺された』
「殺人鬼」という「異常」。
それを野放しにしたこの町の『無関心』に姉は殺されたとは言えないだろうか。
身の回りで起きている異常な事態にさえ気づかない、あるいは知っていながら見て見ぬふりをしてきたこの町が、俺の姉を殺したのだ。
別に責めるつもりはない。
俺自身、姉のことがあるまでこの町の異常を知ろうともしていなかったのだから。
だが、『目覚めさせる』必要はある。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『悪霊』が取り憑いてから、俺の身の回りでは、おかしなことが起きるようになった。
悪霊がそばに現れるたび、俺の体を軽い倦怠感が襲い、まるで、この醜い隣人にエネルギーを吸い取られているようだった。
悪霊は俺以外の人間には見えてはいなかった。
ふらふらと俺のそばを漂うそいつは、常に俺のそばにいるわけではなく、気まぐれに俺の目の前に現れたり、消えたりした。
ただ、そばにつきまとうだけで、俺に危害を加える気は無いようだった。
悪霊の顔面には無数の目があり、その一つ一つが別の方向を向いてギョロギョロと動いていた。
体からは、血管のようなものが浮き上がった腕が左右に3本ずつ、さながら阿修羅のように生えていた。
とても人間とは思えなかった。
見ているだけで吐き気を催すような気味悪さがあった。
だが、数日経つと悪霊が自分の体の一部のように思えてきて、やがて気にならなくなった。
それよりも俺は、度々自分を襲う、ある現象に悩まされるようになった。
それは『既視感』だ。
世間一般では『デジャヴ』とも呼ばれる現象。
かつては、行ったことがない場所に行った時、昔その場所を訪れたように錯覚する現象、それが『デジャヴ』だと思われていた。
しかし、最近になって、昔、確かに目にした映像と、今見ている映像が脳内で関連付けられているにもかかわらず、詳細を思い出せないときに起こる現象なのだと科学的に証明された。
だが、俺を襲う現象はそんな科学的な説明では、納得できないリアルさがあった。
自分がついさっき経験したことを、そのままもう一度繰り返しているような錯覚に陥った。
俺は、そんな奇妙な現象に悩まされながらも杜王町の捜索を再開した。
探す相手は「姉」から「殺人鬼」に替わっていた。
探す対象が替わっても、手がかりがないことに変わりはなく、「殺人鬼」を見つけることは雲をつかむような話のように思えた。
ある日のことだった。
俺は町の外れにある、廃ビルの中を捜索していた。
この町には、都市開発の影響を受けて、途中まで建てられて建設中止になった廃ビルや、近隣のS市に住民が引っ越したため空き家となった廃墟がたくさんある。
殺人鬼が潜むならそういった場所かもしれない。
そう思って、一つ一つの建物に足を運んでいた。
俺の足は、長い長い階段を登り、知らず知らずの内に屋上を目指していた。
捜索に疲れ、空でも見て気分を晴らしたい、そんな単純な動機だったのかもしれない。
屋上には先客がいた。
猫だ。
やけに毛並みのいいその猫は、こっちを気にする素振りもなく、黒いしっぽをゆらゆらと揺らしていた。
杜王町を歩きまわって気付いたことだが、この町には猫が多い。
飼い猫か、野良猫かは分からないが、そこら中に猫がいた。
こいつも、その中の一匹だろうか。
「俺が探している相手は、案外お前のようなやつなのかもしれないな…」
俺は独り言のように、その小さな先客に話しかけた。
「この町にありふれていて、どこかつかみ所のない存在。ありふれているからこそ町に紛れ、誰も気にしない。俺の探し人はそんなやつなのかもしれない」
そんなやつを、たった一人で見つけ出すことができるだろうか。
光のない闇の中で、自分の影を探すのが不可能なように、この町の闇を探すことは不可能なのではないだろうか。そう思えた。
目的を果たそうという強い決意はあったが、脳裏にちらつく不安が、言葉となって口からこぼれた。
そんな俺の弱気には興味が無さそうに、猫はそっぽを向いて向こうへ行ってしまった。
かと思えば、突然、その猫は屋上に設置されたフェンスを軽々と飛び越え、そこから飛び降りた。
「おい…お前!!」
決して低いビルではない。
あまりに突発的な出来事に驚き、俺はフェンスの向こうに手を伸ばした。
長い間手入れをされず、老朽化したそのフェンスは、俺の体重が寄りかかるといとも簡単に壊れ、そのまま俺の体ごと空中に放り出された。
あっけなかった。
俺は死ぬんだ。そう思った。
俺は…
俺は…屋上にいた。
空中に放り出されたはずの俺の体は、何事もなかったかのように屋上に座り込んでいた。
屋上には猫がいた。
やけに毛並みのいい黒猫だった。
「また『既視感』か…」
既視感というにはあまりにも鮮明な記憶だった。
目覚めながらにして夢を見ているような感覚でもあった。
さっきのはただの幻覚だったのだろうか。
ふと、猫を見る。
その猫を見ながら、俺は、数秒後、目の前の猫がこの屋上から飛び降りるのではないかと思った。
いや、飛び降りることが「分かっていた」。
そして数秒後、俺の予想通り、黒猫は屋上から飛び降りた。
それどころか、風もないのに猫のそばのフェンスが倒れ、そのまま屋上から落下していった。
まるで、そうなることが決まっていたかのように目の前の出来事は起きた。
先ほどの幻覚と違っていたのは、俺がビルから落ちなかったことだけだ。
俺には、猫や古くなったフェンスの「運命」が見えていた。
「まるで占い…いや、もはや『予知』だな」
そうつぶやいて、俺は落ちていった猫を見下ろした。
猫は見事にくるりと一回転した後、羽毛のように軽やかに着地した。
そのままのそのそと歩いたが、遅れて落ちてきたフェンスに驚き、「ギニャッ」と悲鳴を上げて走り去った。
「『運命』か……」
それから…俺の身を襲っていた『既視感』が、俺に取り憑いた悪霊の『能力』であることを理解するまでに、そう時間はかからなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
俺が『矢』に貫かれた夜から2年が経った。
あのとき、男は「力の使い道はお前次第だ」と言った。
ならば俺は、取り憑いた『悪霊』の力を使って『復讐』をしよう。
もう、過去を振り返るのは終わりだ。
姉を殺した『殺人鬼』を始末して、この町を『目覚めさせる』
それが俺の『復讐』だ。
その前に、俺にはやらなくてはならないことがある。
俺の心を鎮めるために、姉の魂を鎮めるために。
『順番』は守らなくてはならない。
「さて……行こうか姉さん」
俺は針の動かなくなった、壊れた小さな時計を腕につけた。