「大丈夫かい?たしか……片平楓くん…だよね?」
トラックにはねられて…
スローモーションで…
死んだと思ったらまた弾んで…
同級生がそれを見ていて…
え?え?
いろんなことを一度に考えている僕の脳は、実際にはこんな感じに軽いパニックを起こしていた。
僕は、まだ自分に起きた出来事を整理しきれずにいた。
それが表情に現れて、不思議そうな顔をしていたのだろう。
青年はその表情に答えるように言った。
「ああ、ごめんごめん。いきなり名前を呼ばれて驚いたよね。僕は怪しいものじゃないよ。実は僕と君は昨日から同じクラス、つまりクラスメイトなんだけど」
それは知っている。
彼の答えは見当はずれで、僕の欲しているものではなかった。
それに、目の前でそのクラスメイトがトラックにはねられたってのに、彼はやけに冷静だ。
でも、冷たい感じは一切受けない、どちらかというと温かさを感じる物腰だった。
「やっぱり覚えてないかな? 僕の名前は…」
「広瀬康一…くん」
僕が彼の名前を呼ぶと、彼はにっこりと微笑んだ。
「それにしても、不幸中の幸いってやつだね。たまたま跳ね飛ばされた先が柔らかい芝生の上だったなんて」
広瀬くんは、どこかわざとらしくそう言った。
まさか! 僕が激突したのは芝生なんかじゃない。
それはあの『スローモーション』の中で確かに体感した。
それに、いくら柔らかい芝生といったって無傷で済むわけがない。
第一、あんなに弾むわけがない。
しかし僕は、そんな疑問より広瀬くんの隣によりそって浮かぶ、奇妙な生き物のほうに気をとられていた。
トカゲなのか、亀なのか…そもそも生き物と言ってもいいのか、どちらかといえば機械か…?
それは、無機質な鎧を身に付けた爬虫類といったフォルムをしていた。
僕は生き物博士ってわけじゃないけど、おそらく動物図鑑ではお目にかかれないタイプだろう。
広瀬くんにつき従うように、あるいは広瀬くんを守るように寄り添うそれは、えらく康一くんに懐いているように見える。
そいつはちょうど僕が激突した地面のあたりから何かをひっぺがすと、それを粘土のように丸めて尻尾であろう部分に取り付けた。
僕はなんとなく、自分の【ギヴ・イット・アウェイ】に雰囲気が似ていると感じた。
「怪我はない?」
「ああ、ありがとう。それより君の…」
彼が差し伸べてくれた手をとり、横につきまとう生物について尋ねようとする。
だがその時、僕の左腕に鈍い痛みが走った。
あまりの痛みに、思考がどっかにぶっ飛んでしまうほどだ。
制服の袖をまくると、僕の腕はパフォーマーがバルーン犬かなんかを作るときに使う風船のように、気味悪く腫れ上がっていた。
たぶんトラックにぶつかったときにやったのだろう。
地面にぶつかった衝撃は、『不思議な地面』が吸収してくれたようだが、トラックと激突した衝撃はそうはいかなかったようだ。
「全く手が動かないや、折れてるみたいだね。でもこれくらいで済んでよかったよ」
僕がそう言うと、
「ちょっと見せてくれるかい?」
と、広瀬くんは僕の腕をまじまじと見はじめた。
そうしてから、
「ああ、これなら大丈夫だよ。腫れが酷いから折れてるように見えるけど、実はなんともないってときの症状だね。手が動かないのも一時的な痺れによるものさ」
と、いかにもそれらしい口ぶりで言った。
とてもじゃないが、なんともないで済む痛みじゃない。
信じられないな、という顔をしている僕に彼は、
「そういう怪我に詳しい友達がいてね。そうだ! よかったら彼にみせてみないかい。僕の言ったことが信じてもらえると思うよ」
と言った。
不思議な青年だった。
言っていることはめちゃくちゃなのに、僕は何となく彼について行く気になっていた。
それに、彼にはまだ聞きたいこともある。
あの生き物は、いつの間にか消えていた。
トラックの運転手が、地面に突き刺さるような勢いで僕に頭を下げにきたが、僕は、「自分の不注意ですから」 とその場を収めた。
僕らは、その友達とやらに会いに向かった。
行きがけに広瀬くんは、
「大丈夫、大丈夫! きっと君の得意なテレビゲームも、すぐできるようになるさ!」
と言った。
彼なりの気遣いの言葉だったんだろうけど、僕は忘れていた自己紹介の失敗を思い出し、恥ずかしさで耳を真っ赤にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
学校へ戻ると、もう1時間目が始まっていた。
「この時間なら、たぶんあそこにいると思うんだけど」
そう言って、広瀬くんと僕は中庭の方に向かった。
左腕の痛みはだんだんとひどくなり、ぶった斬ってその辺に捨てていきたいほどだった。
その友達がどんなやつかは知らないが、僕は早く病院へ行った方がいいような気がしてならなかった。
「あの…広瀬くん」
申し訳ないけど、お礼だけ言って帰らせてもらおう。
そう思って声をかけようとしたときだった。
「よぉ、康一じゃねぇか!」
背後からの大声に、僕の声はかき消された。
振り返るとそこには、いかつい男が立っていた。
頭に剃り込みをいれ、白目の多い、いわゆる三白眼の大男だった。
実際には大男というほどには大柄ではなかったが、その男の立ち振る舞いが僕にそう思わせた。
男は、馬力のあるバイクのエンジン音のような声で、広瀬くんに向かって言った。
「受験生さんがよぉ、新学期2日目から授業をサボってもいいのか?」
心配するような言葉とは裏腹に、男はにやにやと、どこかうれしそうに言った。
サボり仲間は歓迎するぜ、といったところか。
「違うよ億泰くん、今日はちょっと事情があってね。ああ、紹介するよ。こちらは同じクラスの片平楓くん」
億泰と呼ばれた男に、広瀬くんは律儀に僕の紹介をした。
僕がペコっと頭を下げると、小さな黒目をさらに収縮させた鋭い視線が返ってきた。
僕の苦手なタイプだ。
そうだ、目の前の男は『虹村億泰』。
彼は東方仗助と並んで、このぶどうヶ丘高校では名の知れた不良だった。
ただ、『ジョジョ』と違って、彼の噂はもっぱら『彼の頭の悪さ』についてのことだったのだが。
噂では、知能指数が極めて低くゴリラ並みの頭脳しかないだとか、足し算をするのに指を使うから2けた以上の計算ができないだとか、散々な言われようだった。
中には、日本語が理解できず会話が成立しないから、家では植物に話しかけてるなんて話もあった。
そんな噂を象徴するように、彼の顔には大きな「×」印のような跡が刻まれていた。
とても広瀬くんと交友があるタイプには見えないけれど…
「広瀬くんのいう友達って、もしかしてこの人?」
僕は目の前の男に聞こえないように、そっと耳打ちした。
「いや、彼じゃないよ。そうだ億泰くん、仗助くんを見なかったかい?」
『ジョウスケ』。それが広瀬くんの言う友達の名前らしい。
その名前を聞いて、僕の頭に真っ先に浮かんだのが『東方仗助』であることは言うまでもない。
ある意味彼のせいで、今朝僕は死にかけたのだから。
でも、その可能性はすぐに打ち消した。
この『虹村億泰』と同じく、あの『東方仗助』と、この広瀬康一くんが友達のわけない。
そう思ったからだ。
しかし、その期待は見事に裏切られることになる。
「仗助ならあそこにいるぜ」
大男が、親指で自分の後方をクイッと指す。
そこにいたのは、紛れもない、あの『東方仗助』だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
リーゼントがやってくる。
きっと江戸時代に黒船が来航したときの日本人は、今の僕と同じ気持ちだったに違いない。
『ゴゴゴゴゴ…』『ドドドドドド…』そんな迫力を背負って東方仗助はこっちへやってきた。
そして、虹村億泰の横までくると、肩に手をかけて言った。
「サボりもほどほどにしねぇと、こいつみたいになっちまうぜ、康一」
「仗助くんたちこそ、今頃登校とは随分と余裕だね」
「そりゃあ、俺たちは受験生様の康一とは違って、進学する気はサラサラねえからな。それにこいつが今から必死に勉強して受かる大学があるんなら、この世から受験なんて無くしちまった方がいいと思うぜ。なあ億泰」
二カッと笑い、冗談めかしてそう言う彼に、広瀬くんも笑顔を返す。
虹村億泰も、自分がバカにされていることをわかっているのかいないのか「違いねぇ」と笑った。
3人の間には穏やかな雰囲気が流れたが、僕は気が気ではなかった。
目の前のおっかなそうな不良二人と、優しげな広瀬くんのイメージのアンバランスさが余計に不気味で奇妙だった。
「仗助くん、実は頼みがあるんだけど、ちょっと彼の怪我を見てあげて欲しいんだ」
そう言われて東方仗助は、僕のほうに目を向けた。
その状況は、昨日の校舎裏の状況に似ていた。
目が合ったとき、彼は一瞬ハッとした表情をしたが、その後すぐに真顔に戻り、小さく「ふーん」とつぶやいた。
「僕のクラスメイトなんだ。トラックにはねられちゃって。痛みがひどいみたいだから、いつもの『マッサージ』をしてあげてくれない?」
さっきの康一くんもそうだったが、トラックにはねられたという非日常的な話を聞いても、二人とも動じもしなかった。
虹村億泰なんか
「そりゃあ災難だったな」
と軽く笑い飛ばすほどだ。
だが、そんなことより僕の腕の痛みは限界をとうに超えており、マッサージどころか触られるのもごめんだった。
しかも、見せる相手は東方仗助。
彼に医療の知識があるとはとても思えなかった。
僕は丁重にお断りしたかったが、彼が、
「見せてみろよ」
と言ったことで彼の意に逆らうわけにもいかず…結局断るタイミングを逃してしまった。
(もう…恨むよ、広瀬くん…)
僕は急いで袖をまくり、東方仗助に見せた。
僕の腕はおかしく変色し、腫れもひどくなっていた。
彼は僕の腕を覗き込んだ。
彼の髪型と二人の身長差で、はたから見る僕は、ハンマーで地面にうちこまれる釘にでも見えたかもしれない。
突出した前髪が、顔面に刺さるかと思った。
「なるほどな…」
東方仗助はそうつぶやくと、腫れた部分に手をかざし、その手を肘から手の甲のほうへ滑らせた。
そのとき彼の手が、調子の悪いテレビ画面をみているように二重にブレて見えた。
触られていないはずなのに、確かに温かみを感じる不思議な感覚だった。
僕は、痛みで目がかすんだのかと思い、目をごしごしこすってから、もっとよく彼の手元を見ようと顔を近づけた。
すると、「おい」と言う東方仗助の言葉に遮られた。
ビクッとして顔をあげると
「終わったぜ」
と言われた。
「え? もう?……ですか」
マッサージと言われたから、もっとベタベタと触られるのかと思っていたのでなんだか拍子抜けした。
たんなる気休めだったのだろう。
でも、これで広瀬くんも納得したはずだ、さっさと病院へ行こうなどと考えていたとき、僕は腕の異変に気づいた。
「あれ?痛く…ない」
それどころか、さっきまで南国の魚のように気味悪い色をしていた肌の色も元どおりになり、腫れもすっかり引いている。
試しに2、3度軽く振ってみたが、何ともない。
「これは…?」
狐に化かされたような顔をしている僕に、広瀬くんは悪戯が成功した子どものような表情で言った。
「ね! 言ったでしょ、大したことないって」
大したことなかったはずがない。
こんな短時間に治るわけがない。
できるわけがない。
たくさんの奇妙が、一瞬のうちに僕の頭の中を駆け巡った。
そんな僕に広瀬くんは、
「さあ、教室に行こうか。ちょうど1限が終わる頃だから、間の休み時間にこっそり入ろう」
と何事もなかったかのように言った。
「うん…」
混乱した僕の頭では、そう答えるのが精一杯だった。
僕は、
「ありがとう…ございます」
と東方仗助に礼を言って、広瀬くんの後に続いた。
心の中に、晴らしがたいもやが残った。
このままここを去ってはいけない気がした。
そうだ、僕は広瀬くんに聞かなくちゃならないことがあったんだ。
でも、なんだっけ?
思い出せない。
「どーでもいいことだがよぉ、康一。なんで、わざわざ『マッサージ』だなんて言ったんだ?」
僕らの足を止めたのは、東方仗助のこのセリフだった。
「どういう意味だい? 仗助くん」
「気づいてなかったのか?......『スタンド使い』だぜ。そいつ」
空気が変わった。
大気中の水素が瞬間的に冷却されて、凍りついたような緊張感が走った。
東方仗助が口走った『スタンド使い』という言葉。
意味はわからなかったが、その言葉が引き金になったことは間違いない。
「片平っつたか?コイツが見えるだろ?」
東方仗助の隣には、彼と同じ大きさの人のようなものが立っていた。
肉体は完成された彫刻のような、「美」を感じさせる造形。
「命」や「心臓」そして「愛」などのモチーフとして使われる、ハートマークが体の至る所にデザインされている。
ホログラム映像のような透明感があり、人のようだが、やはり人でないことが分かった。
そして、東方仗助とそいつが、僕のことを警戒しているということも…
「てめぇ、何が狙いで康一に近づいた?」
虹村億泰のそばにも、『そいつ』はいた。
だが東方仗助のそれとは違い、知性のかけらも感じない、『暴力』を彷彿とさせる姿だった。
まさに、僕のイメージする虹村億泰そのものって感じだ。
大きく広げた右手には、吸い込まれそうな迫力があった。
「待ってよ二人とも! 彼は何か狙いがあって僕に近づいた訳じゃない、本当にトラックに轢かれて、それを僕の【エコーズ】が助けたんだ。彼は『敵』じゃないよ」
広瀬くんが、僕を擁護してくれた。
彼の肩越しに、さっきの謎の爬虫類が見える。
それを見て、僕は広瀬くんに聞きたかったことを思い出し……
そして、僕が警戒されている理由を、なんとなく理解した。
「もしかして、君たちのそれは…」
「もしかして僕たちの『スタンド』が見えるのかい? 楓くん。じゃあ本当に君も…」
広瀬くんが言い終わらないうちに、東方仗助が言葉を遮る。
「敵じゃねぇっつーんならよぉ」
彼は、先ほどと同じだが、迫力も、その意味も全く違うセリフを口にした。
「見せてみろよ」
僕はうなずき、先ほど『治して』もらった左手を伸ばすと、そこに精神のエネルギーを集中させ、そして彼らが『スタンド』と呼ぶそれを発動させた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
これが、僕とその仲間たちとの出会い。
そして、そこから紡ぎ出される物語の始まり。
彼らとの出会いは、偶然だったのか、必然だったのか。それは僕にはわからない。
ただ一つ言えることはこの出会いがなければ、今の僕はないだろうということ、それだけだ。
これは、『出会い』の物語。
TO BE CONTINUED ⇒