By the way(ジョジョの奇妙な冒険)   作:白争雄

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最終章
広瀬康一の失踪


ぶどうヶ丘高校のチャイムが鳴る。

日直の号令に合わせて、生徒たちがお決まりの起立、礼、着席をする。

ついこの間まで、タバコの煙が漂っていた教室の空気も、ここ最近はずいぶんとマシになっていた。

どんなに不良ぶっている生徒でも、高校三年生の夏休み後ともなると、将来を意識してか多少はおとなしくなるようだ。

進学するものもいれば、高卒で就職するものもいる。

どちらにせよ、教師の心象を悪くするのはあまり利口とはいえない。

 

「この夏休み後が『運命の別れ道』だぞ!!」

 

そんな言葉が、呪いの言葉となって受験生たちを締め付けていた。

 

だが、片平楓は相変わらず机に肘をつき、つまらなそうに黒板を眺めていた。

『この町を守る』という目先の目標ができた彼だったが、自分の将来に対しては、夢だとか、目標だとかいったものをもっているわけではなかった。

こんなことがしたい、こんな職業につきたい、そんな具体的な展望はなく、それゆえに何かを学ぶというモチベーションも低かった。

もう夏も終わりだというのに、窓の外では、染みた岩から漏れだしたセミの大合唱が鳴り響いている。

 

「はぁ~あ、月曜日って、なんかいつもより疲れるんだよなぁ……」

 

一週間の中で月曜日にやたらと疲労感を感じるのは、何者からの『スタンド攻撃』を受けているからではなかろうか。

そんなくだらないことを考えながら、楓は大きなあくびをした。

 

それに今日はもう一つ、楓にとってただでさえ退屈な授業をさらに気乗りしないものにしている要因があった。

楓の斜め前方、濃いめの化粧をした女生徒の前の席。

楓の親友が座っているべきその席に、広瀬康一の姿はない。

 

「めずらしいな、康一くんが学校を休むなんて…」

 

今日の朝、いつもは自分より先に登校している康一のカバンが、まだ机の横にかかっていないのを見て、楓は康一宛にメールをしてみた。

 

“今日は休み?”

 

最新型の折りたたみ式携帯電話は、買ったばかりでまだ楓の手には馴染んでいない。

そんな不慣れな機械が送ったメールは、楓の気持ちとは裏腹にどこか冷たげな文章になってしまった。

返信はまだない。

 

心配になって仗助に相談してみたものの、「風邪でもひいたんじゃねぇか」とそれこそ素っ気ない返事が返ってきただけだった。

 

「そりゃ、いくら『スタンド使い』っていっても風邪くらいひくよなぁ。僕はてっきり…」

 

(新手のスタンド使いのしわざかと思った。)

 

口には出さなかったが、片平楓の脳裏に浮かんだ疑惑。

間違いではない。

何か異変が起きた時に、『スタンド使い』が敵の『スタンド使い』の出現を疑うことは間違いではないのだ。

「襲われた」「攫われた」「罠にはめられた」「再起不能にされた」あるいは…「殺された」

些細な異変を敏感に感じ取り、敵の出現の可能性を考えることは、むしろ自然なことだった。

なぜなら、「スタンド使いは引かれ合う」のだから。

 

しかし、楓はすぐにその可能性を打ち消した。

 

(杜王町は、平和な町だ。)

 

(そう頻繁に敵が現れるはずがない。)

 

(それに康一くんに限って…)

 

そんなことを一人で考えながら、楓は再び理解不能な記号で埋め尽くされていく黒板に目をやった。

窓から入る涼しい風と、教壇に立つ数学教師の呟く呪文が、楓を眠りの世界へと誘う。

 

楓がウトウトとしはじめ、まぶたがだんだんと重くなる。

そして、夢の国からのお迎えが来た頃だった。

 

『ドッギャーーン!!』

 

楓の眠気を吹き飛ばしたのは、教室に響き渡る轟音だった。

いきなり、巨大な黒い塊が、教室の入り口のドアをぶち壊して侵入してきたのだ。

騒然となる教室。

次々と入り込んでくる謎の侵入者が、教室を埋め尽くしていく。

うろたえる教師や生徒の間をぬって、その黒い塊は、楓に向かって一直線に迫ってきた。

 

「なんで、僕?」

 

まるで自らの意思をもっているかの如く蠢くそれは、逃げようとする楓の足首に、蛇のように絡みつく。

楓は、足を掴まれてからようやく、自分の足を絡め取っているのが『髪の毛』だということに気づいた。

豊潤な水分を含んだ、ツヤのある、美しい髪の毛。

その髪の毛が、束となり、囚人を縛りつける鎖のように、楓の足を捕らえていたのだ。

 

「クッソ! 何だこれ取れないッ!」

 

見た目とは裏腹に、強烈なパワーをもった髪の毛に引きずられ、楓はそこら中の机や椅子にぶつかりながら、教室の外まで引っ張り出される。

そして、そのまま廊下の窓をブチ破り、3階から外に放り出された。

 

楓は、髪の毛に足首を掴まれたまま空中に逆さ吊りにされ、さながら、タロットカードの『ハングマン』のような体勢となった。

 

そのまま、自分の足を掴んでいるものの先を目でたどっていく。

すると、黒い塊の発生源、中庭の芝生に1人の少女が立っていた。

 

「あれは……由花子…さん?」

 

「山岸由花子」。

広瀬康一のガールフレンドであり、彼女もまた『スタンド使い』だった。

由花子は、髪の毛を操るスタンド、【ラブ・デラックス】で、楓を自分のところまで強引に引き寄せた。

楓が間近で見る山岸由花子の顔は、いつも遠目から康一の横に並んで歩いているのを見るのとは、一味も二味も違って魅力的に見えた。

しかし、その目は真っ赤に充血し、由花子の整った顔立ちには、怒りとも悲しみとも取れる表情が浮かんでいた。

楓の足首を掴んでいるのとは別の髪の塊が、楓に向かって伸びる。

髪の毛は楓の首に巻きつくと、ギュウギュウと頸動脈を締め上げはじめた。

 

「なッ! ゆ…か……さん? な…で?」

 

わけもわからぬまま攻撃を受ける楓は、ただただ戸惑うだけだ。

 

「どこッ?……どこにやったのよぉぉぉぉぉッ!」

 

由花子は唇を震わせ、眉毛を釣り上げる。

由花子の興奮に合わせて、楓の首を締める髪の毛に力がこもった。

楓は、もがきながら自分の首を縛る髪の毛を振り払おうとするが、ビクともしない。

「テントウムシ」を発現させてみたものの、力なく楓の周りを飛び回るばかりだ。

 

「がぁ…はッ」

 

楓の意識が、だんだんと遠のいていく。

由花子はブツブツと、独り言のように何かを呟いている。

 

(もうダメだ…息ができない)

 

楓が意識を失いかけたとき、近くで空気を切り裂くような音が聞こえた。

 

『ガオォォォォン!!』

 

楓の首をしめていた髪の毛が、いや、そこにあった空間まるごと、何かに吸い込まれるように消え去る。

『吸い込まれるように』といっても、蕎麦をすするようにとか、掃除機がゴミを吸うようにといった感じではない。

『削り取られて』跡形もなく消えさったというのが、正しい表現だろう。

吊り上げられていた楓は支えを失い、芝生の上に叩きつけられた。

 

「大丈夫か? 楓ッ!」

 

「億…泰……くん」

 

楓が声のする方を見ると、そこには虹村億泰と彼のスタンド【ザ・ハンド】が立っていた。

その立ち姿は、ギリシャ神話のヘラクレスのように力強く、楓にとってはとても頼もしく感じられた。

 

「邪魔するんじゃないよ!このウスラボケェ!!」

 

冷静さを欠いた由花子の髪の毛が、【ラブ・デラックス】の能力によって黒い塊と化し、一直線に億泰に向かっていく。

しかし、【ザ・ハンド】が空中に数字に「1」を書くように、『右手』を振り下ろすと、億泰を襲う塊は削り取られ、空間の彼方へと消え去った。

 

「気が狂ったかよぉ、由花子ッ! どういうつもりだッ!」

 

億泰の問いに由花子の返答はない。

興奮冷めやらぬ由花子は、再び髪の毛を逆立てる。

 

「待てッ!」

 

由花子の動きを止めたのは、億泰の後方に現れたリーゼントの男だった。

東方仗助だ。

仗助は、なるべく由花子を興奮させぬよう、落ち着いた口調で語りかけた。

 

「お前がそこまでプッツンしてるってことはよぉ由花子、原因は『康一』だな?」

 

由花子の髪の毛からフッと力が抜ける。

仗助は、楓の腕をもちあげて立たせると、由花子に向かって言った。

 

「だとしたら、たぶん楓は関係ねぇぜ。こいつも康一と連絡がとれなくて心配してんだ。由花子よぉ、一体、康一に何があった?」

 

由花子は、康一の名前が出ると急にしおらしくなり、その場に座り込んだ。

その頬をひとすじの涙がつたう。

そして、やっとのことで絞り出したような、か細い声で言った。

 

「どこにもいないの…… 康一くんが…」

 

「由花子さん…?」

 

楓が由花子の顔を覗き込むと、涙が地面にこぼれ芝生の中へと染み込んだ。

由花子は、肩を震わせながら叫んだ。

 

「お願いッ!康一くんを探して!!」

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「どうぞ…」

 

楓は制服のポケットからハンカチを取り出し、中庭に座り込んだ由花子に差し出した。

 

「ありがとう」

 

楓から受け取ったタオル地のハンカチで、由花子は涙をぬぐった。

その表情からは怒りが消え、悲しみだけが浮かんでいた。

 

「ちっとは落ち着いたかよぉ、由花子」

 

仗助の言葉に、由花子はコクリと頷く。

 

「ならよぉ、話してもらうぜ。康一に何があったのか」

 

由花子は、胸を大きく膨らませて深呼吸をすると、涙まじりの声で話し始めた。

 

「昨日、康一くんとわたしはデートしてたの。受験勉強ばっかりじゃ息が詰まっちゃうし、康一くんがかわいそう。たまには息抜きをしましょうってことで、ショッピングをして、『カフェ・ドゥ・マゴ』でお茶をして…… 幸せな時間だったわ、当然よね。お互いが好き合っている恋人同士なんですもの」

 

康一とのひとときを思い出して、由花子はだんだんと自分の世界に入り込んでいく。

その様子を見て、億泰が「おいおい」と茶々を入れようとするが、仗助がそれを遮った。

 

「いい雰囲気だったわ。最高だった。そう、自然とキスをしたっておかしくないくらいに。わたしは康一くんの目をじっと見つめて、そして目を閉じた。『心』と『心』が通じ合ってる感覚があったわ。あなたたちには到底わかりっこないでしょうけど…」

 

億泰が小声で「康一のヤロー」と涙目で呟く。

しかし、由花子の幸せそうな表情は、そこで一変した。

 

「でも、唇が触れ合おうとした瞬間、康一くんのね…携帯電話が鳴ったの。いいえ、怒らなかったわ。だって、デート中に電話がかかってきたくらいで、ダメになるわたしたちじゃないでしょう? 『なんでマナーモードにしといてくれなかったの康一くん』それくらいは思ったけど……」

 

言葉とは裏腹に、由花子の声には怒りがこもっていた。

その感情に応じるように、髪の毛がフワリと逆立つ。

 

「康一くんが電話に出たあと、『忘れ物をしたから先に行ってて』ってわたしに言ったの。わたしも一緒に行くわって言ったけど、康一くんは『すぐ戻る』って言って…それで……康一くんはそのまま帰ってこなかった……」

 

「そりゃあ本当のところは、どーせお前が電話のことでプッツンして、それに嫌気がさして帰っちまったってところじゃねーのか?」

 

由花子の長い語りに、億泰が我慢しきれず横槍をいれる。

その無神経な言葉に、由花子が億泰をキッと睨みつけると、さすがの億泰も怯んで小さくなってしまった。

 

「黙ってろ、億泰」

 

「それで、どうなったの? 由花子さん」

 

億泰はすっかり落ち込んでしまったが、由花子は話を続けた。

 

「わたし探したわ、この町を一晩中。すぐ見つかると思ったの… でも、見つからなかった。どこにもいないの。康一くんの家にも行ってみたわ。彼、昨日は帰ってないって……」

 

由花子の目が、再び潤みを帯びる。

たしかに、由花子は今、制服ではなく私服を身に付けていた。

家にも帰らなかったのだろう。

ふくらはぎはパンパンに腫れ上がり、愛しい人とのデートに合わせて一番良いものを選んだであろう靴は、泥にまみれてしまっていた。

体をどれだけ酷使したのかが一目でわかるほど、由花子の体はボロボロだった。

一晩中、康一を探したという彼女の言葉に偽りはないだろう。

 

「それで、走り回って冷静になったら、電話のことを思い出したの。いなくなる前にしてた電話が、何か関係あるんじゃないかって…… その電話で康一くん、あなたの名前を出してたわ、だから…」

 

由花子が、楓を見つめる。

 

「だから、僕を…」

 

「ええ、ごめんなさい」

 

由花子は気丈な女だ。

いつもなら、たとえ自分が間違ったとしても、そうやすやすと謝ったりするような女じゃない。

そんな、由花子が謝罪の言葉を口にするということは、康一の失踪が、彼女を、肉体的にも精神的にも、大きく弱らせていることをあらわしていた。

 

「……心当たりはねぇのかよ、楓」

 

仗助は、大きく膝を広げてしゃがむ、いわゆるヤンキー座りをしながら、見上げる形で楓に尋ねた。

 

「いや、昨日はずっと家にいたし、康一くんから連絡は無かったよ。由花子さんとデートだって聞いてたから、僕からも連絡はしてないし……」

 

「そうか… 相変わらず康一からの連絡はねーし、この由花子が探したってのに見つからねーってことは…… こいつはマジでやべーかもな」

 

仗助と億泰の眼差しが、鋭く真剣なものに変わる。

 

「おい仗助!まさか康一のヤツ……」

 

「ああ、なにかとんでもねぇことに巻き込まれてるのかもしれねぇ」

 

『とんでもないこと』 その言葉を聞いて、楓の頭には当然のごとく、一つの可能性が浮かび上がった。

先ほどの教室では、打ち消した可能性。

口にすると不吉な予感がする、しかし、楓は聞かずにはいられなかった。

 

「もしかして、敵スタンド使いに襲われた…?」

 

仗助は立ち上がり、ポケットに突っこんでいた手をとりだした。

 

「かもな…… だとしたらモタモタしてらんねーな。 楓、億泰、手分けして康一を探すぜ」

 

「うんッ!」

 

「おうよッ!」

 

三人はその場から走り出した。

広瀬康一を探し出すために。

 

ふと楓が立ち止まり、由花子の方へと踵を返す。

 

「由花子さん……康一くんはきっと無事だよ。彼はとても強い人だから。君は少し休んだ方がいい。康一くんが帰ってきたときに、心配するだろうから」

 

それだけ言い残すと、楓はまた走り出した。

あの山岸由花子が、康一の行方がわからないこの状況で『安心』するなんてことがあり得るのかどうかは定かではない。

しかし、今にも再び康一を探しにいかんとしていた由花子は、楓のその言葉を聞いて中庭の大きな木に寄りかかり、ゆっくりと目を閉じた。

ゆっくりと眠りに落ちた由花子の肩には、発光したテントウムシが止まっていた。

そのテントウムシは由花子が眠りにつくのを確認すると、走っていく楓を追って飛び去った。

 

 

 

そして……

中庭の木の影で、一部始終を見ていた鞍骨倫吾が一人、その目に『漆黒の炎』を燃やしていた。


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