レストラン「トラサルディー」の誓いの日から数日、杜王町はいつも通りの平和な日々が流れていた。
僕がこの町を守ると意気込んだところで、都合よく悪いスタンド使いが現れるなんてことはない。
もちろん、それが一番いいに決まっている。
でも心の何処かで「何か起こればいいのに」と考えている僕がいた。
きっと、早く何かしらの手柄をあげて『彼ら』と本当の意味での『仲間』になりたいと考えていたのだろう。
実績をあげれば彼らと対等な関係になれる、そんな愚かな考えが僕の小さな頭を支配していた。
高校3年生だというのに、授業の内容は全く頭に入ってこない。
チョークが黒板を叩く音が、ただただ眠気を誘うだけだった。
僕の斜め前の席では、康一くんが一生懸命ノートをとっている。
そしてその後方に視線を移すと、大きなリーゼントがコクリコクリと揺れていた。
机に肘をつき、足を組んで堂々と眠る仗助くんには、いつもながら感心させられる。
周りの視線など一切気にしていない。
それにしても、仗助くんのたくましい腕をもってしてもワックスやら何やらで固められた大きな頭は、支えるのが大変そうである。
僕はいつだったか、仗助くんに「いっそ、うつ伏せになって眠った方が楽なんじゃない?」と尋ねことがあった。
すると彼からは「それじゃあ髪型がくずれちまうだろ?」という答えが返ってきた。
仗助くんはその髪型に、特別な思い入れをもっているのだ。
僕が彼に対してもっていた『恐ろしいジョジョ』というイメージの誤解が解け、仗助くんたちとうちとけてきた頃。
康一くんから、たとえ親しい間柄になったとしても、仗助くんと付き合うときには一つだけ『気をつけなければいけないこと』があると聞いた。
「東方仗助の取扱説明書」があったら『WARNING』の項に書かれている、絶対に守らなくてはならない注意事項。
それは、彼の『髪型をけなしてはいけない』というものだ。
彼の『リーゼント』は馬鹿にしてはいけないのだ。
それには、こんな理由があるらしい……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
1987年の冬。
その日、杜王町は記録的な大雪に襲われていた。
開発途中で、まだ人通りのほとんどない農道に、一台の乗用車が止まっていた。
車の助手席には、幼い東方仗助が息も絶え絶えにうずくまっていた。
おそらく、東方仗助がこれほど弱りきったのは後にも先にもないだろう。
東方仗助の母は、突然高熱を出した息子を心配し、病院へ運ぼうと大雪の中、車を走らせた。
息子への愛から生まれたその行動は間違いではなかったが、結果はそうとは言えなかった。
深い雪にタイヤはとられ、息子を乗せた車は前にも後ろにも進むことができなくなってしまったのだ。
どれだけアクセルを踏み込んでも、タイヤが虚しく空回るばかりだった。
そんな状況を救ったのは、学ランを着て、頭をリーゼントに固めた『少年』だった。
少年は、今しがた喧嘩でもしてきたのかというようにボロボロで、顔に青痣を作り、唇は切れ、血を流していた。
母はとっさに警戒したが、『少年』がとったのは意外な行動だった。
「その子……病気なんだろう?車押してやるよ」と言うと、着ていた学ランを脱ぎ、空回る後輪の下にそっと敷いたのだ。
そして車の後ろに回り車を押す『少年』に合わせて、母が祈りを込めてアクセルを踏むと、車は動き出した。
当時4歳の東方仗助は、盲ろうとする意識の中でその光景を見つめていた。
その後、無事病院にたどり着いた仗助は、それから50日間意識を失うことになるが、その深層意識の中では、自分の勲章であろう学ランを、なんのためらいもなくタイヤの下に敷いた『少年』の行動が巡っていたに違いない。
そうして『少年』は、ごく自然に、当たり前に、東方仗助の『あこがれ』となり『生き方の手本』となった。
リーゼントをバカにされるのは、『彼』をけなされるのと同じこと。
東方仗助の『生き方』をけなされるのと同じこと。
東方仗助のリーゼントには、彼の生き様がこめられているのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
放課後、下足置き場で康一くんと合流する。
普段はバス通学だが、康一くんと帰るときは一緒に歩くことにしている。
康一くんは、学校の自転車置き場においてある、大事に手入れされたマウンテンバイクに鍵がかかっていることを確認すると、僕と並んで歩き始めた。
「仗助くん、まだその恩人に会えてないんだよね?」
僕は退屈な授業中に浮かんだ疑問を、康一くんになげかけてみた。
「仗助くんのお母さんがお礼を言いたくて探したみたいだけど、結局見つからなかったらしいよ」
「仗助くん自身は探したりしてないのかな?もしかしたら、僕にも手伝えるかもしれない」
「僕も聞いたことがあるよ『今でも会いたい?』って。仗助くんは『少しこわい』って話してくれた。会いたい気持ちもある反面、憧れの人を知ることがおそろしくもあるってね」
あの東方仗助にもおそろしいと思うことがあったなんて……
何にでも勇敢に立ち向かう男。
それが僕の東方仗助のイメージだった。
信じられないという顔をしていると、康一くんはこう付け加えた。
「でも、こうも言っていたよ。『正体を知るチャンスがあれば、絶対に逃さない』ってね」
そう言った康一くんはどこか誇らしげだった。
……そのときだった。
ドンッ!
僕らの間を割って、一つの黒い影が走り抜けて行く。
遅れて、後ろから女性の悲鳴が聞こえた。
「キャーッ!『袋男』よッ!男の子の鞄が盗られたわ、誰か捕まえてぇッ!」
康一くんと視線を合わせる。
「今の、もしかして…」
「行こう!楓くんッ!」
僕らはその場に、担いでいた鞄を投げ捨て走り出した。
黒い影を追う僕の心臓は、緊張から、バスケットボールをドリブルしているように激しく脈打っていたけど、同時に僕は……不謹慎にも「チャンスだ」とも考えていた。