片平楓の決心
『仲間』
この言葉の重さを、僕ははじめて知った気がする。
彼らは…僕の新しい友達は戦っていたのだ。
とてつもない邪悪から、この町を守るために……誰に知られることもなく。
『スタンド能力』
普通の人には、見ることさえできない特別な力。
その力を用いた邪悪な行為は、この国の法律や警察なんかでは裁くことができない。
『スタンド使い』は『スタンド使い』が裁くしかない。
彼らは『力を持つ者』として、その責任を果たしていたのだ。
僕は……能力に目覚めてから今まで、一体何をしていたんだ……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
僕の父は優しい男だったが、決して賢い男ではなかった。
そして母は、美しい女だったが、いい母親とは言えなかったようだ。
父は若い母と恋に落ち、そのまま流れるように結婚した。
二人の間に、真の愛情があったかどうかは定かではない。
若くて美しい母は、結婚してからも毎晩のように夜の街へと繰り出し、父はそれを笑顔で送り出していたという。
全く、お人好しにもほどがある。
そうして僕が生まれた。
今思えば、僕が本当に父さんの子なのかどうかも疑わしい。
母は僕が生まれて間もない頃、父に
「エジプトへ行くわ」
と言い残して出て行った。
一応、友達と旅行に行くという名目だったらしい。
幼い僕をほったらかしにして……。
それから、母がこの町に戻ることはなかった。
父は絶望した。
何か事故に巻き込まれたのではと捜索願を出したが、行き先が海外ということもあって母は結局見つからなかった。
もう一度言うが、母は決していい母親ではなかった。
僕は父からこの話を聞くたびに、母は自分の意思で戻らなかったのではないかと考える。
もちろん父には口が裂けても言えないが。
母を失った父は悲しみにくれ、何日も食事をとらず、日に日に衰弱していった。
心も体も弱りきった父は、とうとう幼い僕と共に心中することを心に決めた。
だが決心したその晩、赤子の僕は突然大声で泣き出したかと思うと、40℃を超える高熱を出して寝込んでしまった。
父は、どうせ死ぬなら安らかに、この子の熱がひいてからと、僕の看病をした……
父は僕の看病をしているうちに、また、生きたいと思えるようになったらしい。
「お前を抱きかかえて…お前に触れていると、不思議と『自信』が湧いてきたんだ。生きる『勇気』が湧いてきたんだよ」
と、父はこの話の締めくくりに必ず言う。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
きっとこの頃に僕の『スタンド能力』は、目覚めの兆候があったのだろう。
でも思い返せば、僕が他人のために能力を使ったのは、これが最初で最後だったのかもしれない。
『他人に精神エネルギーを与える能力』
自分自身には使えない能力であるにも関わらず…だ。
誰かのために使っても、誰にも気づかれない。誰からも感謝されない。
そんなことばかり考えて、僕は知らず知らずに自分の能力を自分で遠ざけていたのだろう。
【ギヴ・イット・アウェイ】
そんな無責任な名前をつけて、『力を持つ者』が果たさなければいけない責任から逃げていたのだろう。
でも、僕は知ってしまった。
同じ能力をもった『仲間』がいることを。
誰にも気づかれなくても、感謝されなくても、この町を守り続けてきた『仲間』がいることを。
そして、この能力を恐ろしい目的のために使おうとする人間がいることを。
この町の人間でないにも関わらず、町を救ってくれた人がいたという。
年老いてなお、大切な人を守ろうとした人がいたという。
そして、この町には、自ら信念をもってこの町を守っている人たちがいる。
太陽のように輝く、『黄金の精神』をもって戦う人たちが……。
今の僕には一体何ができるだろう。
僕は……
僕は……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
杜王町のはずれ。
商店街から離れた場所に、この町で亡くなった人たちが眠る霊園がある。
そしてその霊園のそばには、その場所に似つかわしくない、ある料理店が建っている。
クラシックな外装の建物には外国語で書かれた看板がかかっており、煙突からはもくもくと白い煙が上がっていた。
レストラン「トラサルディー」
本格的なイタリア料理が食べられる店らしいけど、店内に入るのは初めてだった。
オシャレな店っていうのは僕には少し敷居が高い。
ドアを開けると「チャリーン」という涼やかなベルの音が迎え入れてくれた。
店内は広くはないが狭いとも感じない。テーブルは二つしかなく、そこには康一くん、そして未だに怖い顔が見慣れない三白眼の青年と、不良っぽいのにやたらと透き通った目をしたリーゼントの青年が座っていた。
「遅れてごめんね康一くん。それに億泰くんに仗助くん、久しぶりだね」
久しぶりに会う友人たちが、それぞれに僕のあいさつに応える。今日はこの3人が僕をこの店に招待してくれたのだ。
「いや、こちらこそ急に呼び出してごめんよ。最近は由花子さんが離してくれなくて…ゆっくり話す時間がなかったからさ。それに最近、楓くんの元気がないみたいだったし……」
康一くんが申し訳なさそうに頭をかく。
『由花子さん』と言うのは康一くんのガールフレンドの山岸由花子さんのことだ。
ぶどうヶ丘高校の中でもかなりの美人の部類に入る女の子で、康一くんから二人が付き合っているという話を聞いたときは驚いた。
でも実は性格の方がかなり過激らしい。
今年のクラス替えで康一くんと同じクラスになれなかった彼女が、学年主任の先生を半殺しにしかけたのを必死で止めたという話を聞いたときはちょっと信じられなかった。(それでも前よりはずいぶんマシになったらしいけど…)
僕は康一くんに彼女がいると知ってからは、高校生活最後の一年間は彼女と楽しく過ごして欲しいと思い、少し距離を置いていた。
だけど、そんな中でも僕のことを気にかけてくれていたことを正直うれしく思った。
なにより、康一くんらしいと思った。
「楓よぉ、元気がないときはうまいもんを食うのが一番だぜぇ! へっへっへ!」
億泰くんは、料理を食べるのが待ちきれないといった感じだ。
「何を悩んでるのかは知らねぇがよぉ楓、ここの料理は間違いねぇぜ。まぁ座れよ」
仗助くんは隣にある椅子をドンと引いて、僕に座るよう促した。
「ありがとうみんな…僕のために」
店のシェフは背の高い外国の方で、「いらっしゃいマセ」と礼儀正しく挨拶をすると、僕の手をとってじーっと見つめた。
それから、占い師のように「これハ…」とか「フ~ム」とかつぶやくと、ニコッと微笑んで店の奥へと戻っていった。
康一くんたちは顔見知りらしく、この不思議な行為への対応も慣れたものって感じだ。
イタリア料理店ではこれがマナーなのか……今後のために覚えておこう。
料理が運ばれてくるまでに、出された水を飲む。
その水はただのミネラルウォーターのはずなのに、すごく美味しかった。
だが僕は水を飲んだとき、ある異変に気がついた。
「あれ?」
僕の席のテーブルクロスにシミができている。
水をこぼしたような、そんなシミだ。
雨漏りでもしているのかと思った僕は天井を見上げた。
おかしなところはない。
もう一度テーブルに目をやると、シミは大きく広がっていた。
テーブルのシミがだんだんと広がっていく
それにつれて、なんだか視界までぼやけてきた。
「何だこれ? ん?あれぇ」
何気なく目をこすると、僕の顔がぐっしょり濡れていた。
そこでようやく、僕はテーブルにシミを作っているものの正体が僕の『涙』であることに気付いた。
「あれ? あれ? 涙が…止まらないぃぃぃ!」
とめどなく溢れ出る涙。
周りを見ると、億泰くんと仗助くんも僕と同じ症状だった。
涙を流しすぎて、目がショボショボとしぼんできてしまっている。
「どうなってるの?康一くん!」
康一くんだけはいたって普通で、何事もないようにグラスの水を飲む。
「大丈夫だよ、そろそろ止まるはずだから。昨日は夜更かししたみたいだね」
数秒後、康一くんの言うとおり涙はピタリと止まった。
そして、眼球を取り出してまるごと炭酸水で洗ったような爽快感と、スッキリとした気分だけが残った。
「くぅーッ!このために昨日徹夜した甲斐があったぜぇ~」
「俺も母ちゃんが寝た後、夜通しゲームしたもんねッ!」
億泰くんと仗助くんは、まるでこうなることがわかっていたかのような口ぶりだ。
「どういうこと?」
僕は康一くんに尋ねた。
「この店のシェフのトニオさんもね『スタンド使い』なんだ。彼の料理を食べると体の不調が治るんだよ。もちろん、トニオさんの料理の腕が一流だってのもあるんだろうけどね! 今の水は寝不足の人に効く水らしいよ」
それから運ばれてくる、料理はどれもこれも今まで味わったことがないくらい美味しかった。
僕が料理を食べているんじゃない、料理が僕のために食べられてくれていると思えるくらい僕の口に合う料理たち。
そんな、料理からは、間違いなく作った人の愛情を感じた。
億泰くんが、料理を口に入れるたびに「ンまあーいっ!」と叫んでは、ベテランのグルメリポーターのように味を解説するのを見て僕らは笑った。
でも……笑いながらも僕は全く別のことを考えていた。
この店のシェフ、トニオさんも自分の『能力』を人のために使っている。
料理を食べたお客様に喜んでもらうことを最大の幸せだと感じている。
近くの霊園を訪れて悲しみにくれたこの町の住民が、この店に立ち寄り、彼の料理を食べて癒されることもきっと少なくないだろう。
そう言った意味では、彼もまたこの町を『守っている』のかもしれない。
それなのに僕は……
「おや? ワタシの料理、お口に合いませんデシタカ?」
先ほどまで厨房で鼻歌を歌っていたシェフが、いつの間にか隣にきて心配そうに声をかけてくる。
「いえ、とっても美味しいです……」
「アナタ、体調よりも『心』が弱っているように見えマシタ。ですカラ、気分がリフレッシュするようなハーブを使った料理をたくさんお出ししたのデスガ…」
「料理は美味しいんです、とっても…ただ……」
トニオさんが厨房へデザートを作るために戻ったあと、僕は皿に残った料理を口の中に放り込むと、みんなに向かって僕がここ数日間で心に決めたこと、僕の決心を話す覚悟を決めた。
「みんなに教えてもらいたいことがある。みんながこれまで出会った『スタンド使い』について……君たちのこれまでの戦いについて聞かせて欲しいんだッ! みんなの戦いの『歴史』を……僕は知らなきゃならないッ!」
急に立ち上がった僕をみて、三人は言葉を失った。
康一くんが、その場を取り繕おうとする。
「楓くん、僕がこの間言ったことなら全然気にしなくてもいいんだ。僕もつい言っちゃったっていうか……君の気持ちもよくわかるんだよ」
僕は、左腕のスタンドを発動させた。
「違うんだ康一くん。僕は自分にこんな特別な力がありながら、今まで何もしてこなかった。何も……。でも、君たちと出会って、この『力』を使ってこの町を守る君たちと出会って、僕はそれが『恥ずべき行為』だってことに気づいたんだ。『できることがあるのにやらない』ってのは、『恥ずべき行為』なんだってことにね」
3人はなにも言わずに僕の話を聞いてくれた。
その頭上を、静かにテントウムシが飛んでいた。
「僕のこんなちっぽけな『力』が何の役に立つのか分からない。でも、何もしないのはもう嫌なんだッ! 僕も君たちのように、誰かのために、この町のために『力』を使いたいんだよッ!……そうじゃなきゃ君たちのことをとても『仲間』だなんて言えないッ!」
僕の目からは、知らないうちに涙が流れていた。
さっきのミネラルウォーターを飲んだときとは違う、熱い涙が……
しばらくの沈黙を破って、口を開いたのはリーゼントの青年だった。
仗助くんは僕の目をしっかりと見つめると、一言、こう言った。
「グレートだぜ……楓!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
僕らが店をあとにする頃、あたりはすっかり夜になっていた。