「まったく……ひとつも『罪悪感』を感じない冷徹な野郎かと思ったが、その様子を見るとそうでもなかったようだな」
小林玉美は、這いつくばる俺に向かって言った。
態度は豹変し、先ほどまでの謙虚さは微塵も感じられない。
捕まえた虫の羽をむしる時のような「お前の命は俺が握っているんだぜ」という余裕がうかがえた。
俺は息の詰まるような圧迫感と、鉛を飲みこんだような身体の重さに襲われていた。
胸のちょうど心臓のあるあたりからは、巨大な『錠前』が突き出ていた。
突き刺されたとか、埋め込まれたのではない。
その『錠前』は俺の身体の一部として、心臓…いや俺の『心』から何かを吸って生えてきているようだった。
「この『錠前』は……一体⁉」
小林玉美が少し驚いたように眉をあげる。
「ほう…この『錠前』が見えるってことは鞍骨倫吾、お前も『スタンド使い』か?」
『スタンド使い』…?
今この男は『スタンド使い』と言ったか?
一体何のことだ?
「だが、お前がどんな『スタンド能力』だろうと、その『錠前』がくっついてるかぎり俺に攻撃を加えることはできねぇぜッ! 俺への攻撃は『錠前』に、つまりお前自身に跳ね返っていくってことだからよぉ!」
小林玉美は自分の「勝利」を確信し、勝ち誇っている。
『スタンド能力』というのは……この『能力』は、俺の【ワン・ホット・ミニット】と同じ『悪霊』の力か?
だとしたら、俺やこの小林玉美のような『悪霊憑き』を『スタンド使い』と呼ぶのだろう。
俺から生えているこの『錠前』は、ヤツの言う『スタンド能力』。
俺は今、目の前の男から『スタンド能力』による攻撃を受けている。
だが、それならなぜ小林玉美はすぐに俺に攻撃してこなかった?
何か『キッカケ』が必要だったのか?
落ち着け、考えろ。
俺は、小林玉美が来てからのこと、ヤツの言動を『順番』に思い返した。
姉はものごとには『順番』があると言った。
幸せになる『順番』があるのだと。
『順番』が俺を幸せにしてくれる。
『順番』を守ることが俺に力を与えてくれる。
……そうか
「『罪悪感』…か?罪の意識、その心の重さがこの『錠前』の重さというわけか……」
ドアに手を挟んでわざとらしく痛がったり、赤の他人である俺の借金を背負って恩を着せようとしてみたり。
思えばヤツの言動は、俺の心にある感情を芽生えさせようとしていたように考えられる。
罪の意識、『罪悪感』。
そして俺はまんまとヤツの罠にはまったというわけだ。
俺がヤツの万年筆を壊してしまったこと。
妹からの贈り物。
俺が姉にプレゼントしたあの時計のように、気持ちを込めて贈られたであろう贈り物。
それが壊れるのを見て、俺は『罪悪感』を感じてしまった。
頭では自分のせいじゃないと思っていても、心が『罪の意識』を感じてしまった。
そのことが、ヤツの攻撃のキッカケに違いない。
「ほう…頭の回転は早いようだなッ! だが無駄だぜ、もう逃れられない! 俺の【錠前】からはよぉッ! 金は払ってもらう。どんなことをしてでもなッ!」
「逃れられない…だと?それはどうかな。お前の能力は『覚えた』。【ワン・ホット・ミニット】」
俺は無様に這いつくばりながらも、『悪霊』の…いや、『スタンド』の名を叫んで能力を発動させた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「その、万年筆もね。実は死んだ妹からもらったんです。本当に可愛らしい妹で…」
「ふぅん…そうかいッ!」
俺は手に持っていた万年筆を、小林玉美の右目に思いきり突き刺した。
「うぎゃぁぁぁぁっ」
ドブを吐き出す排水口のような叫び声がアパートに響く。
「可愛いモンは目にいれても痛くないってよく言うが。ありゃ嘘だったみたいだなぁ。 それとも、妹の存在自体が『嘘』なのか? 小林玉美。」
床に転がる小林玉美の腹を足で踏み抑えながら、俺は静かに言った。
一瞬の出来事だったが、「さっき」までとは立ち位置も、力関係も全く逆になっていた。
「うがぁっ!てめえ俺にこんなことして…」
「『罪悪感』は無いのかって? 悪いが全く無いね。だからお前の【錠前】とかいうスタンド能力も俺には通用しない!」
「な!? なんでそれを? まさかお前も『スタンド使い』か? 一体どんな…」
「そんなことはどうでもいい! それより小林玉美、あんたにひとつ確認しておかなければいけないことがある」
腹を踏む足に力を込める。
「あんた…さっき『やっぱり』って言ったよなぁ? 俺の姉が帰ってないことに対して『やっぱり』って。何か心当たりがあるんじゃないのか? 俺の姉の行方によぉッ!」
「ヒヒヒ…」
小林玉美が不気味に笑う。
そして、踏みつけている俺の脚を払って言った。
「俺はお前の姉の行方なんか知らない。だが、お前の姉がいなくなったのは2年前だろう? まだ帰ってないし、連絡もないのなら『やっぱり』あの『殺人鬼』に殺されてたかって、そう思っただけよ! あのとんでもねぇ殺人鬼『吉良吉影』になあ!」
『吉良吉影』
それが俺の探し続けてきた『殺人鬼』の名前なのか。
俺の姉を殺した男の名前なのか。
小林玉美の表情からは、そう確信しているという自信が窺える。
おそらく『当たり』だ。
俺は生まれて初めて叔父に感謝した。それはとても感謝と呼べるような感情ではなかったが、叔父の借金が俺が最も欲していた『情報』を連れてきたのだ。
「吐け、その『吉良吉影』について知っていること、全部だッ!」
声が自然と荒くなる。
感情が高ぶっていた。
「『復讐』しようってのか?鞍骨倫吾。そりゃあ 無駄だぜ! そいつはもう『この世にいない』んだからよお!!」
時が止まったような気がした。
『復讐』の手がかりを手にした瞬間、それは俺の手から滑り落ちていった。
永遠に届くことのない暗闇へと。
俺の生きる目的は、俺の知らぬ間にすでにこの世から消えてなくなっていた。
『絶望』が俺を包んだ。
「誰が…? 誰が『吉良吉影』を殺したッ!?」
唇を震わせる感情が、怒りなのか悲しみなのかわからぬまま、俺は小林玉美に尋ねた。
「知らないのか? ヒヒヒ…この町には、この町を『守っている』ヤツらがいるのさ」
「守っているヤツらだと?」
俺は腕にした小さな時計を優しく撫でた。
「……どうやら、あんたには聞かなくてはならないことが山ほどあるようだ。はじめよう、繰り返される『1分間』の質問……いや拷問をなッ!」
◇◆◇◆◇◆◇◆
杜王町の殺人鬼『吉良吉影』。
俺の姉を殺した男。
いや、俺の姉だけではない、この町の住民を次々と殺した男。
男は獲物を狩る獣のように殺人を犯していったのだろう。
小林玉美からは引き出せるだけの情報を引き出した。
ただし、小林玉美も直接吉良吉影と対峙したことはなく、あとで人から聞いた話だという。
当然だろう。
話を聞いてそう思った。
直接対峙していたなら、小林玉美はもうこの世にはいないはずだ。
吉良吉影は、俺にそう思わせるような恐ろしい男だった。
男のスタンド能力は『触れたモノを爆弾に変える能力』。
殺された多くの人間は文字通りこの世から『消された』に違いない。
証拠を残さぬよう跡形もなく。
俺の姉もおそらくは……
男の真に恐ろしいところは、『スタンド能力』ではない。
それは、この町に完全に『溶け込んでいた』ことだ。
男は、きっと何喰わぬ顔で『普通』な日常を送っていたに違いない。
俺と姉が手にすることのなかった『普通』な日常。
争いを避け、トラブルを避け、決して目立つことなく。
ただ『心の平穏』だけを願って、静かに…静かに…。
殺気を振りまく獣などではない。
むしろ『植物』のような安らかな心で生き、殺人を犯していたのだろう。
だが、見つかった。
この町を守ろうとする人間に。
そして、倒された。
そっと腕につけた時計の『こげ跡』をなぞる。
姉が生きているという微かな希望は無くなった。
この手でヤツを始末することももうできない。
俺の『復讐』はこれで終わってしまったのだろうか?
いや、そうじゃない。
◇◆◇◆◇◆◇◆
知っているだろうか?
百獣の王ライオンの赤ん坊は、目を開くのにさえ数日、歩き出すに至っては数週間を要するという。
何故か。
それは、たとえ敵がいようとも自分を守ってくれる存在がいるからだ。
自分で自分を守らなくても、守ってくれる存在がいる。
もちろん、赤ん坊自身は自分が守られているだなんてこれっぽっちも思っていないのだろうが。
そのことが自らを守ろうという意識を減退させ、成長のスピードを遅くしているとは考えられないだろうか?
一方、草食動物。
例えばシマウマや羊なんかは、産まれて5分もたたないうちに自分の足で立ち上がり、歩き始める。
それは、天敵である肉食獣から逃げなくてはならないからだ。
自らが『狩られる側』であることを本能的に理解しており、 自分の身は自分で守らなくてはならないという強い精神のあらわれだ。
この町の住民は『草食動物』であるべきだった。
自らの意思で、自分自身や、自分の周りの大切な人を守ろうとする『草食動物』であるべきだった。
だが、この町を『守る者』が、人知れずこの町を『守り続ける者』の存在が、この町の住民の成長を止めてしまった。
永遠に眠り続ける『眠れるライオン』の精神に変えてしまったのだ。
自分の周りの異常な事態にも気付かない、あるいは気付いていながら見て見ぬふりをする。
それが、どれだけ危険なことかも知らずに。
いずれは自分の首を絞めることになるのだと考えもせずに。
それが、異常な殺人鬼『吉良吉影』をこの町に溶け込ませた原因なのではないか。
この町こそが、『吉良吉影』を生んだのではないか。
殺人鬼『吉良吉影』は俺の手で始末することはできなかった。
しかし、『この町を目覚めさせる』という俺の『復讐』はまだ終わっていない。
状況は変わったが、『順番』は変わらない。
『東方仗助』
『虹村億泰』
『岸辺露伴』
『空条承太郎』
小林玉美から聞き出したこの町を『守る者』たちの名前。
こいつらも、俺と同じく『スタンド使い』だ。
『守る者』がいなくなれば、この町は『目覚める』はずだ。
目覚めざるをえなくなるはずだ。
情報を集めなければ……
俺の真の『復讐』はここから始まる。
TO BE CONTINUED…