『力』を手にしてから、俺は『復讐』の計画を立てることに没頭した。
『計画』は『順番』を守るために、最も重要なことだ。
そのための時間は、惜しまない。
それに、俺には『時間』だけはたくさんあった。
なにより、自分の『力』の使い方を正しく知っておく必要もあった。
『時間を戻す』という能力。
それは、ビデオテープを逆再生するように時が巻き戻るのを認識するのではなく、時を戻した分の記憶が上書きされるのに近い感覚だった。
俺は、そばにあったナイフをぐっと手のひらに押し付ける。
ナイフを押し当てられた部分からは血が滲み、その血は手のひらの深い皺をたどってポタポタと流れ落ちた。
【ワン・ホット・ミニット】
能力を発動させると、次の瞬間、ナイフの切り傷はきれいに消え失せ、手のひらには『痛み』や『熱さ』といった感覚だけが残った。
俺は、当初この力を、この先どんなことが起きるか知ることができる程度の能力だと思っていた。
だが、思いもよらない副産物もあった。
目の前から、派手なカップルが歩いてくる。
二人だけの世界に入り込み、周りを見下しながら歩いてくるそいつらは、道を譲らない俺にぶつかって道路に転がった。
「おい待て」
男が俺を呼び止める。
「お前、視力検査ってやったことあるか?黒い輪っかのどこが欠けてるかを答えるアレだ。てめえに視力があるんなら俺にはぶつからなかったはずだよなあ?女の前で恥をかかせやがって」
そう言って、いきなり俺の頬に拳を食らわせてきた。
俺はキッと男を睨みつけた。
「なんだ?女みたいな面しやがって。次にこの町でてめえの顔を見たら、その顔面を視力検査表みてえに一部欠損させてやるからな」
捨て台詞を吐いて、再び女の肩を抱いて男は去っていく。
やり返しても良かったが、そうはしなかった。
ただ黙って、俺は【ワン・ホット・ミニット】の能力を発動させた。
時は戻る。
カップルとすれ違う前に、俺は足を止め、道端に寄って、通り過ぎるカップルを見送った。
カップルは相変わらず、二人だけの世界に入り込んでいる。
そこへ、乗用車が突っ込んできてカップルは跳ね飛ばされ、俺の目線の先、二人仲良く道に転がった。
「俺があんたにぶつかっても、ぶつからなくても、あんたが『道に転がる』運命は変わらなかったようだな。まあ、『過程』はより悲惨なものになったみたいだが」
そうつぶやいて、俺は静かに歩き出した。
そう、『時を戻す力』は、戻した時の間の俺の行動次第で、『運命』に間接的に干渉することができる力でもあった。
『運命』はそう簡単には変えられない。
『運命』とは、過程や、方法などどうでもいい残酷な世界。
「結果」だけが優先される。
だが、『運命』を知るものだけは、『運命』を乗り越えることができる。
俺は自身の能力の本質をこう理解した。
そして、高校生となった今、この能力を使って『計画』を実行に移し、俺は叔父を殺害した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
誤解を恐れずに言えば、途方にくれてしまっていた。
俺は『順番』通り、次は姉を殺した『殺人鬼』を始末するつもりでいた。
しかし、計画を練り続けた数年間においても、今現在も、手がかりはおろか、『殺人鬼』がいるという痕跡すらつかめていない。
この町に『殺人鬼』がいるなんてことは、姉を失った俺の悲しみが生み出した幻想なのではないかと思えるほどだった。
『殺人鬼』は、一体どんなヤツなのだろうか。
俺は、私怨で叔父を殺した。
そのことで、精神的に重い十字架を背負うなんてことは、もちろんなかったが、別に『スカッ』とした気分にもならなかった。
赤の他人を平気で殺せる『殺人鬼』の精神構造など、知る術もない。
しかし、これまで捕まっていないのだから、頭脳明晰で、用心深いやつだということは想像できる。
これだけ多くの犠牲者を出してその痕跡すら残さないのだから、人間性は別にしても、『殺人鬼』としては類稀なる『能力』をもっているのだろう…
『能力』か……
仮説を立ててみた。
「『殺人鬼』も俺と同じ『悪霊』に取り憑かれた人間なのではないか?」
俺に能力を与えた男のセリフから察するに、『力』をもつ人間は一人じゃない。
また、男はたしかこう言った。
「俺の目的に役立つ『力』であることを願うよ」
目覚める『力』にも個人差があるのではないか?
ならば、全く証拠を残さずに、人をさらう、あるいは殺すことができる『能力』があっても不思議じゃない。
問題なのは、たとえこの仮説が正しかろうが『殺人鬼』を見つける手がかりにはならないことだ。
俺は自分以外の『能力者』に出会ったことがなかったし、おそらく、『能力者』と『一般人』は、見た目からは見分けることができない。
探そうにも探せない。
例えば、そうだな…
「『能力者』は、タバコの煙を吸うと鼻筋に血管が浮かび上がる」
みたいな見分け方があれば、探しようもあるが、そんなことがあるわけがない。
俺には圧倒的に『能力者』についての『情報』が足りなかった。
……
しかし、その『情報』は意外なところからやってきた。
その男は、実にタイミングよく、まるで『引かれ合う』ようにやってきた。
俺に必要な『情報』と、俺を深い絶望に陥れる『情報』をもって…
◇◆◇◆◇◆◇◆
ゴンッゴンッ
狭いアパートにくぐもったノック音が響く。
(また、警察か…?)
叔父の『自殺』があってから、何度か警察が訪ねてきていた。
もちろん、俺が疑われることはなかった。
どちらかといえば同情されていただろう。
居留守を使ってもよかったが、 変なことで疑われてはたまらない。
俺は、のぞき穴のない扉を警戒しながら開いた。
そこには、どう見ても警察には見えない、派手なシャツを着た若い男が立っていた。
男は、わざとらしい低姿勢で自己紹介をした。
「こんばんわ~杜王ニコニコファイナンスの『小林玉美』と申しますぅ。鞍骨様のお宅でしょうかぁ?」
ろくなやつじゃない、一目見ればそれは分かった。
「ああ、鞍骨さん!いらっしゃってよかった!大事なお話がありますので、少し中にいれていただけないでしょうか?」
『小林玉美』と名乗る男は、女のようなその名前に似合わぬ外見をしていた。
アイロンをかけられたように潰れた鼻に、塩をかけられたナメクジのように反り返った眉。
時代遅れの髪型が、デカい頭をさらに巨大にしている。
イカつい男は明らかに年下の俺に対して、不気味なほど謙虚な態度だった。
だが、それがこの男を部屋にいれる理由にはならない。
「たしかにウチは鞍骨ですけど、おたくのような知り合いはいませんね。帰ってもらえます?」
そう言ってドアを閉めようとしたが、ドアの間に滑り込んできた男の手がそれを遮った。
「いってぇぇぇ~」
指を挟まれた男は、大声をあげて大袈裟に痛がる。
「ちょっとお話を聞いてもらいたかっただけなのに、この仕打ちは酷いですよぉ~」
男は涙目で訴えかけてくる。
男の声や、態度がいちいちカンに触った。
「ああ、すまなかったな。でも、あんたが悪いんだぜ。急に手を入れてくるから」
怒り混じりに吐き捨てる。
俺がそう言ったとき、一瞬だけ男の目が俺を観察するような視線に変わった。
何かを期待しているような視線だった。
「鞍骨さん、あなたひどい人ですねぇ。口ではあやまってるけど、心ではちっとも『悪い』なんて思ってないでしょう?『罪悪感』なんてこれっぽっちも感じてませんねぇ?」
男の言う通りだったが、別に言い返しもしなかった。
男はしらけた風な顔をした。
「はぁ~挟まれた手のことは別にいいんですけどね、あっしもこのまま帰るわけにはいきません。話を聞いてもらえるまでここを一歩も動きませんからねぇ」
優しげな口調とは裏腹に、男の目は本気だった。
おそらくは話を聞かない限り、俺につきまとう気だろう。
それは、俺の『復讐』に支障をきたす。
『順番』が守れなくなるのは困る。
「チィッ!話を聞くだけですよッ!」
「ありがとうございます」
部屋に戻る俺の背後で、小林玉美が怪しく笑ったような気がした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「実は、お話というのはあなたの叔父様についてなんですがねぇ」
家具のほとんどない部屋の床に座り、小林玉美は脇に抱えたカバンから書類を取り出した。
「ウチに借金をしていたんですよ。これだけの額なんですが。」
書類には、俺が見たことも無いような額が書かれていた。
「こいつは、酷いですね…でも、これが俺に何の関係があるんです?」
大体の察しはついた。
そして、小林玉美は想像通りのセリフを口にした。
「そこなんですがねぇ、実はその借金の保証人の名前が『鞍骨恵』となっているんですよぉ。聞いた話じゃ、お姉さん『行方不明』らしいじゃないですか? どこに行ったかご存知ないですか?」
あの叔父め!
どこまでも腐った男だ。
借金を作った挙句、姉の名前を勝手に使うとは。
俺は怒りに震えた。
「俺たちとその男は関係ないッ! それに姉は当時、未成年だッ! もし、居場所がわかっていても払う義務はないね!」
ヒヒヒ、ウチには未成年なんて言い訳通用しないんですけどね。そんな表情を浮かべながら小林玉美は続けた。
「つまり、お姉さんがどこへ行かれたかはご存知ない…と?」
「知っていたとしても言うわけがないッ!」
「まだ、お帰りにもなっていない…?」
「あんたに話す必要はないッ!」
「そうですか……やっぱり」
俺は、怒りに任せてまくし立てた。
姉のことまで持ちだされて、怒りが収まらなかった。
借金取りなんて連中はタチが悪い。
俺は、男を部屋にいれたことを後悔した。
部屋に入れようがいれまいが、このあとも金を払わない限り、ネチネチとつきまとわれるのだろう。
しかし、俺の予想は裏切られる。
小林玉美は膝に手を置きおいおいと泣きだした。
「分かる!分かりますよお、その気持ち!あっしにも、実は病気で死に別れた妹がおりましてねぇ。鞍骨さんの気持ち、痛いほどわかりやす!!」
そう言って、真っ赤なシャツの袖で涙を拭う。
「よーしわかりやしたッ! あっしが何とかいたしましょう。今回はこっちで肩代わりしますよ。なーにあっしも男ですッ! 鞍骨さんが『申し訳ない』とか、『悪いなぁ』なんて思う必要はありませんからね」
そう言って、こちらの顔色をチラチラと伺ってくる。
まったく男気あふれる話だが、俺には全く興味がなかった。
そもそも、俺が金を払う理由なんてどこにもない。
俺が心を揺らさない様子を見て、小林玉美は一瞬ひねくれた眉をさらに釣り上がらせた。
だが、すぐにわざとらしい笑顔に戻るとこう言った。
「それじゃあ、鞍骨さん! この書類にサインだけいただけますか?」
小林玉美は、高級そうな万年筆を手渡してくる。
「『罠』…じゃないでしょうね?」
俺は、穴があくほど書類を見渡した。
よくある手だ。
安心させておいて、実は全く違った内容のことが読めないような細かい文字で書かれていたり、書類の裏に書かれていたり。
「とんでもないッ!あっしも昔はチンピラみたいな真似してたんですがね、『あるお方』に出会ってからすっかり改心しちまったんですよ!」
この借金取りを、完全に信用したわけではなかったが、書類に怪しい点はない。俺はためしにサインしてみることにした。
小林玉美から、万年筆を受け取る。
「その万年筆もね。実は死んだ妹からもらったんです。本当に可愛らしい妹で…」
小林玉美がそう呟くのを聞きながら、俺は書類にサインをしようとした。
しかし、一文字目を書き始めるかというときに、手に持っていた万年筆がポロっと壊れた。
「なッ?」
ほとんど力を入れていない。
俺のせいで壊れたんじゃない。
そう思いながらも、落ちていく万年筆を見つめる視界の中に、腕にした『小さな時計』がうつり、『妹からもらった』という言葉もあいまって、それらがダブって見えた。
そしてその瞬間、俺の身体を立っていられないほどの『重圧』が襲った。
床に這いつくばる俺を見下ろしながら、小林玉美が呟く。
「ようやく感じたな、『罪悪感』」