いよいよになるが彼女達の話を始めることにする。
今さら始めるなど、もうそんなことはどうでもいいことくらいにごちゃごちゃと物語は進んでしまったけれど、それくらいにようやく始まるんだと、俺はこの一ヶ月のことがなかなかに記憶に残ってしまっていた。
入学して一ヶ月。何気無く過ごした真っ平らに近い日常だと思っても、いくらか記憶に残る些細な出来事もあり、実はそれなりの高校生活を送っていたのかもしれなかった。
しかしこれから始まる、これから彼女達が、彼女達と始める物語は何をどうしようが意識せずとも絶対に忘れることの出来ない日々になることは確かだった。
一分一秒ずつ、平凡な日常は離れて行き、胸に刻まれていくことになる。
…………。
「ねえ……?」
西木野真姫は思い出したみたいに顔を上げると、隣に座って本を読んでいる俺に少しだけ顔を近づけて小声で話しかけてきた。
「何?」と俺は彼女の整った横顔を少し見た。
とても整った輪郭でいつ見ても優等生たる表情で落ち着いていて、それなのに目付きは酷く挑発的で。そのズレの様な物が掴み所が無いと言うか、やはり棘のある花の様だった。
俺は目を合わせていることが出来ずに彼女の手に広げられている小説に視線を移すことにした。
「貴方、この間の休み時間物凄く慌てていたみたいだったけど、何かあったの?」
喋り方も同学年とは思えない程に落ち着いていて、しかししっかりとした芯が通っていて、西木野真姫と話す時はつられて俺も砕けた言葉を避けるようになっていた。
「慌ていた?」と俺は訊き返した。
「そう。休み時間ね。確か……三時限目、英語の授業の後だったかしら」
そこまで言われて俺は思わず先日に凛との馬鹿げたやりとりを思い出して「あっ!」と声をあげてしまった。
そしてすぐさまにここは図書室であることを思い出し、申し訳なさそうに周囲を見渡した。
それから彼女にもう一度視線を移す。
「ご、ごめん……」
「え? そんなに、大変なことだったの……?」
「い、いや全然……。な、なんでもないよ」
「なんでもないって……、あの時の貴方、そんな風にはとても見えなかったけど……?」と隣で脚を組みながら魅力的に感じてしまう座り方で西木野真姫は疑うような僅かにジトりとした視線を向けてきた。
俺は堪らず「えっと……」と声をつまらせてしまう。
ここで答えなければ、少しずつ縮まった俺と彼女との距離が離れて壁が出来てしまうだろうか、と思った。
しかし、言うわけにはいかない。
なぜなら、俺のベッドの下に隠してあった本について何をどう説明しようが、幼馴染ならまだしも目の前にいるクラスメイトの女子生徒は、間違いなく下卑た言葉を嫌う筈で軽蔑されてしまうことは明白だったからだ。
言えるわけがない。
確かに、俺にとってみれば非常に興味深い本ではあるけれど、彼女が俺に本を薦めてくれた様に、俺がベッドの下にある本を優等生すぎる程の彼女に向かって薦めることなどどうしたって出来るわけがなかった。
もし薦めたら「貴方って最低ね。二度と話しかけないで」とあの釣り上げられた鋭い眼光で罵られてゴミ以下の扱いになってしまうだろうことは疑いようがなかった。
そんな想像から比べると、先日のあの後の凛の対応はある程度理解のある物なんじゃないかと思えた。
あの日。
凛は俺の部屋にやってきて
「掃除するにゃ!」と言い出し俺のベッドの下にある物を次々に引っ張り出して紐にまとめて持っていってしまった。
俺は抵抗するも「ナオくんはまだ15歳の男の子なんだよ! あと3年早いよね!」と言い「こんなもの! こんなもの!」と本を片付けながらずっとそう怒っていた。
「なにこの胸! 絶対おかしいニャ! こんなのどこがいいニャ!」とも時折叫んでいた。
珍しく凛の迫力に押されてしまい、俺はただ黙って嵐が過ぎるのを待つしかなかった。
っていうかこれ以上、幼馴染である凛とそういうやりとりをしたくなかったので、俺は凛の言うことにひとしきり頷いてやっていた。
その後ゴミに捨ててきた凛は俺に向かって「もうこんな変なことしちゃダメだからね」と言った。
変なことってなんだろうか、と思ったが俺は「わかった」と言った。
「うん! じゃあいつもみたいにゲームするにゃ!」
それで凛はいつもの凛に戻り、なんだか俺だけがすごく損をした感じだったが、このやりとりは角が立つことなくそこで終わりを告げた。
……と言うわけで、凛ならいいが西木野真姫には絶対に知られてはならなかった。
嘘ではないが、隣の椅子に座ってこちらを見て答えを待つ西木野真姫をはぐらかさなければいけなかった。
「……あいつ、人をからかったり驚かしたりすることが、まぁ遊びだけど好きで、俺はただそれから走って逃げてきただけだよ」と俺は言った。
「あいつって、星空さん?」
「あ、うん」と答える。
「……わかったわ。ただそういうことだったのね」と西木野真姫は納得したようだった。
それから彼女は読書に戻り、俺ももう少しで読み終えるところまできた第二部の続きを読むことにした。
読み終えたら、この物語について少し彼女と話をしてみたい、そう考えていた。
「失礼しまーす!」
そんな時だった。図書室内に場違い的な明るい声が響き渡った。
俺も、西木野真姫も反射的にそちらに振り向くと、そこには明らかに図書室慣れしてなさそうな女子が一人辺りを動き回っていた。
その後ろに、それを止めるかのように宥めている二人の女子が見てとれた。
三人組で、周囲を見渡して誰かを探しているようだった。
俺がしばしその光景を眺めていると、隣に座っている西木野真姫が「あっ」と言う声を漏らしたのに俺は気が付いた。
「知り合い?」と訊くも、彼女が答えるより先に、向こうの三人組がこちらに気付いて「あの娘!」と言うのが早く、俺は理解した。
西木野真姫の前にやってきた三人組は皆、制服のリボンからして二年生だった。
「あなたにお話があるの」と真ん中に立つ女の子は西木野真姫に向かってそう言った。
その子は入ってきた時から分かるように、とても明るそうな子だった。
「私は別に……」と西木野真姫が言いかけたところで、三人組の一人が「少しだけでいいの。あなた以外にお願いする人がいなくて……、ほんのちょっとだけお話しを聞いてもらえないかな?」と言った。
もう一人も「ここでは他の方々に迷惑になってしまいますから……」と小さな声で周囲に気を配る感じでそう言った。
とても、綺麗な髪の長い子だった。
現れた三人ともさすがは一年先輩だからか、綺麗な女子という感じがした。
西木野真姫は一度俺を見た様だったが何も言わず立ち上がり、三人組に向かって「話を聞くだけなら……」と言うと彼女達と図書室の出口へと歩いていった。
その際、もう一人の長髪でサイドポニーをした子に顔を近づけられ「あっ、ごめんなさいっ、彼女さん少しお借りしますね」と言われてしまい、俺は慌てて「そ、そんなんじゃないです……」と思わずそう答えていた。
するとその子は「あれ? 違うんですか? えへへ。ごめんなさい」とほんわりとした笑顔を見せると、振り返り長い髪をなびかせて達去っていった。
俺は、しばらく出入り口の扉を眺め、(……三人組。まさかな)と思っていた。
ありがとうございました。
ようやく彼女達を登場させることが出来ました。
ことりちゃん。さっそくでやばいです。ではまた。