ある週末の午後。
一度だけ来たことのある、落ち着いた雰囲気の喫茶店。
数日前に突然呼び出された俺は、慣れないフカフカの椅子に座りながらその呼び出した張本人を待っていた。
あいにく読書のための本は持ち合わせていなかったので、教科書を開いて勤勉な学生でも演出してみようか。
……喫茶店みたいな場所で勉強するのはむしろ苦手なのは秘密だ。
そんな他愛もないことを考えながら教科書を眺めていることおよそ10分。
カランカランと鳴るドアチャイムが、来客を知らせる。
「すみません、遅れました……」
珍しく遅刻して来たのは、ストレートの長い黒髪が印象的な海未。
こうして待ち合わせをするのは何回もあったが、遅れて来たのは初めてかもしれない。
そして――
「久しぶりね、先輩」
明るめでゆるふわな巻き髪の女の子、真姫だった。
海未と対照的に、いつも通りの堂々とした佇まいだ。
普段だったら人のちょっとした遅刻は気にしないのだが、真姫の余裕っぷりを見たら少しだけツッコみたくなってしまった。
「真姫、遅刻だぞ」
「れ、練習が長引いちゃったんだから、しょうがないでしょ!」
どうやら、真姫の言った通りらしい。
土曜日である今日は、午前中に朝から練習があったみたいだ。アイドルと聞くと可愛らしく華やかなイメージだが、その裏では運動部さながらの練習が行われているのだろう。
「……その割にちゃんと着替える時間はあったんだね」
「「うっ……」」
何気なく口に出した言葉に、真姫だけでなく海未も、顔がほんの少し引きつる。
……だって、2人とも部活動帰りの服装とは思えないオシャレな格好をしていらしてるんですもの。
俺なんか学校帰りで直行してきたから制服のままなのに。
「……悠人は珍しく制服なんですね、あはは」
「あ、話逸らした」
流石に誤魔化すの下手すぎじゃないですか、海未さん。
ついつい追撃してしまうと、今度は心なしか顔が赤くなってきた。
「じょ、女子には色々あるんですっ」
「そうよ、色々あるんだから……」
あれ?いつの間にかこっちが責められてるぞ……?
◇◇◇
真姫の作曲の手伝いをさせてもらってから数週間が経った現在。
こうしてこの3人で集まるのは、実はまだ2回目らしい。海未と真姫、それぞれとはちょいちょい連絡をとったり、会ったりしているから、不思議とそんな感じがしないな。
そんな海未と真姫から聞いたところによると、最近スクールアイドル界にビッグなニュースがあったらしい。
第2回ラブライブ!の開催。
今年の夏に第1回大会が開催され、A-RISEの優勝をもって大盛況の内に幕が閉じられたスクールアイドルの大会、ラブライブ!。
早くも、その第2回大会の開催が決定したようだ。
そして第2回大会では、そのシステムが一新されたらしい。前回大会に出場できたグループは、ウェブサイトでの事前の人気投票で決められた上位20組のみ。しかし今回は、地区ごとにライブによる予選が数回行われた上で、その上位1組が決勝大会に出場できるという仕組みに変わったようだ。それにより、前回よりも多くのグループに出場できるチャンスが与えられる。
……なんだか知ったように言っているが、全部海未と真姫の受け売りだ。
「それで、μ'sの予選はいつあるんだ?」
「来週末です」
「……ずいぶん急なんだね」
思ったよりかなり近かった。運営側もだいぶ思い切ったことをするなぁ。
2人もそれは感じていたのだろうか、苦笑いしている。
「それで、予選の曲は? やっぱり盛り上がるNo brand girlsあたりかな?」
「それがですね、今までに未発表の曲という縛りがあるみたいで……」
「出場希望のグループが多いから、そういうことにしたらしいわ」
なるほど、オリジナルのしかも未発表の曲という制限をつけることで最初からある程度ふるいにかけようということか。この制限が、μ’sにとって吉と出れば良いのだが。
「なので、予選の曲をMermaid festa vol.1にするという案も出たのですが、季節色が強いということで今回は見送られました」
「そうだよな、もう真夏ではないもんなぁ」
ライブによる投票があるということは、できるだけ多くの人の心に訴えかける必要がある。その曲が数ヶ月前の真夏の感じでは、的外れ感が否めない。
「ってことは、また新曲作ったのか」
「えぇ、しかも合宿でね」
1曲作るくらい朝飯前だ、と言わんばかりの真姫。
いつもの髪クルクルがそれを物語っている。
「夏休みも終わってるというのにμ’sの行動力はすごいな」
「……9人で出られるラブライブ!は、次が最後ですので」
さっきまでよりも低めのトーンで、海未がこぼす。
確かに、3年生のメンバーが高校生として出場できるのは、次の大会がラストチャンスだ。
俺は海未と真姫、海未の幼なじみ2人しか見ていないが、メンバー同士の絆がとても強い印象がある。そして絆が強ければ強いほど、別れの辛さも大きいだろう。
「なんで悠人先輩が悲しそうな顔してるのよ」
「えっ?」
「確かに、次の大会で絵里達は卒業するわ。……でも、だからって今から落ち込んでたら満足な結果も残せないじゃない」
本当は寂しいはずの真姫の顔には、強い決意が現れているように見えた。
泊まり込みで作曲した時に見た寂し気な表情は、今はどこにもなかった。
「強いんだな、真姫は」
「そんなこと……ない」
「いいえ、真姫は強いですよ」
そのまま海未は続ける。
「この間の合宿で、ことりと私は、スランプになってしまったんです。 衣装作りや作詞に対して、予選のプレッシャーを感じすぎたんでしょうね」
「もう、その話はいいじゃない……」
「でも真姫は、そんな素振りは少しもなくて、いつも通り順調だったんです」
何故か恥ずかしがっている真姫をよそに、海未はさらに続ける。
「そんな真姫がスランプの私たちに言ってくれたんです。『難しいこと考えないで、楽しみなさいよ』、と」
「もう、海未……!」
「そのおかげで、新曲の歌詞と衣裳が完成したと言ってもおかしくないくらいです」
ほう。
ついこの間、スランプで悩んでいた真姫も、確かに強くなったみたいだ。
海未達にかけた言葉、どこかで聞いたことある……というか言ったことがあるのは気のせいかな?
「悠人、急に笑顔になってどうしたのですか?」
「いや、何でもないよ。……なぁ、真姫?」
「な、何で私に聞くのよ!…………ばか」
ちょっと意地悪だっただろうか? 遅刻の分だと思って許してほしい。
◇◇◇
「「レコーディング?」」
「そう、歌のレコーディング」
来週末にラブライブ!の地区予選を控えたμ’s。
その予選自体の準備はほぼ出来ているみたいだが、それよりも長いスパンで見た時に何かできることはないか、と2人に尋ねられた。とは言えアイドルのダンスやパフォーマンスには明るくない俺は、楽曲的な部分で提案をしてみるのだった。
スクールアイドルのサイトに上がっているμ’sの楽曲や映像を見る限り、その音源は一発録りだ。
平たく言えば、歌の最初から最後までを一気に、9人で録っているということだ。
「真姫なら分かるよね?」
「まぁ、人並みくらいには」
真姫は、レコーディングを提案した理由を察してくれているようだ。
一方の海未の頭上にはハテナマークがたくさん浮かんでいるので、軽く説明してみる。
「ちゃんとしたレコーディングのメリットは、一人ずつ、曲を部分部分で録音できるところなんだ」
「部分部分、ですか?」
「そう、例えばAメロだけ録り直すとか、気に入らない部分だけをもう一度録るとか」
「なるほど、そうすれば歌の質も良くなりますね!」
だんだん分かってきた、という様子の海未。律儀にメモ帳にペンを走らせているところが海未らしい。
「実はそれだけじゃなくて、コーラスを別に録って重ねることもできたりするんだ」
「コーラス……?」
「いわゆる、ハモリのパートのことよ」
真姫の補足が入ると、納得がいったようだ。
こうしたレコーディングは手間がかかる分、一発録りと比べて音質も歌のクオリティも格段に上がる。以前ざっと聴き漁った感じからすると、前回大会優勝のA-RISEなどの強豪グループの音源のボーカルは、しっかりとレコーディングされていた記憶がある。
「つまり、ちゃんとボーカルをレコーディングした音源をサイトに上げて、人気を上げるってことかしら?」
「そうそう、いくら予選がライブ投票とは言え、事前の評判も必要だと思って」
「ふむふむ」
俺の思いつきの提案を、真姫が要約してくれた。
海未は先ほどから変わらず、黙々とメモ帳に文字を連ねている。
「でも、レコーディングって難しいんでしょう? 専門のエンジニアがいるくらいだし……」
「そうなのですか? 真姫」
確かに、真姫の言うとおりだ。
レコーディングを説明するのは簡単でも、実際に音声をいじるには様々な知識と技術が要求される。
エンジニアに頼むこともできるが、その場合はそれなりの金額が必要だ。
……ここでもう一つ、提案してみる。
「その件なんだけど、良ければ俺にやらせてくれないかな?」
「悠人先輩が?!」
「前に、レコーディングの現場を手伝わせてもらったことがあったから、知識が無いわけではないんだ」
「悠人、いいのですか?」
「大丈夫。……と言っても、これはμ’sのメンバー全員のOKが出ればの話だけど」
忘れてはいけないのは、俺はあくまで部外者ということ。
レコーディングをするかどうかも、俺を使うかどうかも、すべてはμ’sのメンバーの意見が尊重されるべきだ。
作曲を手伝った時も、自分がしたのはあくまできっかけ作りだ。
メロディなどの具体的な部分は、メンバーである真姫が作るべきだと感じていたから。
「そうね、この話はいったん部活に持ち帰りましょう」
「ふふ、きっとみんなやりがると思いますよ」
「もしやることになったら、よろしくね」
μ’sメンバーの返答次第では、近いうちにレコーディングをすることになりそうだ。
……そのためには、色々と勉強しなければ。
「それじゃ、まずは最初の地区予選、頑張って」
「はい、せっかく今後の活動も決まりそうですしね」
「狭き門だけど、不思議と負ける気がしないわ」
「会場に行って応援してもいい?」
「ゔぇえ、それ本気で言ってる?!」
冗談半分で言ってみたら、食い気味に真姫の反応が返ってきた。思わずこっちが驚くレベルだ。
「なんだよ、そんなに嫌がらなくても……」
「べ、別に嫌とは言ってないでしょ……!」
「真姫、悠人が可哀想ですよ」
「だから、違うって言ってるじゃない!」
俺の意図を知ってか知らずか、海未の援護射撃が真姫に炸裂。
……この子、海未に負けず劣らずからかいがいがあるよなぁ。
「ってことは、見に来て欲しいのか」
「もう!今度はなんでそうなるのよ~!」
半ば涙目の真姫と、それを微笑ましそうに見ている海未。
なんとなく、この2人の関係のイメージが少しだけ変わった気がする。
今回で時間軸がTVアニメのどの辺にあるのか、お分かりいただけたかと思います。
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