ヒロインとは、決してヒーローに救われるだけの、弱者ではない。
「――はっ!!」
一人の少女の鋭い覇気により、宙に浮いていたその瓦礫群は四方八方へと吹き飛ばされた。
バッ!!! と、まるで卵から産まれるように、瓦礫群のドームの中から七人の人間達が姿を現す。
彼ら彼女らは、建物の倒壊現象を五体満足で切り抜けていた。
その立役者は、
「ふぅ~、さすがにちょっと死亡力を覚悟したわぁ。ありがとうねぇ、縦ロールちゃん」
「――いえ。それよりも女王、お怪我はありませんか?」
縦ロールは崇拝する主からの誉め言葉を恭しく受けた。
食蜂は従者の言葉に大丈夫だと返すと、すぐに
「あなた達は大丈夫?」
「――ええ、ミサカ達は四人とも無事です、とミサカは返答します」
「あ、あの、私も無事でス」
「そう。それにしても、一体何が起きてるのぉ?」
「…………」
カイツの言葉を一言で流すと、彼に顔すら向けずに食蜂は辺りを見渡す。
真新しかった研究所は、すでに廃墟となっていた。
周囲はすっかり暗く、その黒い闇の中をぱらぱらと雪が舞っている。
皮肉にも、こんな悲劇が起きた聖夜は、幻想的なホワイトクリスマスとなっていた。
辺り一面はすべてが瓦礫と成り果てていて、無事な場所など見当たらない。まるでミサイルでも撃ち込まれたのかという有様だ。
そんな中、
(…………?)
そのことに気付いた縦ロールは、食蜂にそのことを伝えようと主の方に顔を向けた。
食蜂は、夜空を見上げて硬直していた。
縦ロールもそれに倣い、目線を空に上げる。
「――――なッ!?」
縦ロールも、その驚声を放った後、言葉を発することが出来なくなった。
巨大な漆黒の柱が、天を貫いていた。
すっかり暗くなった夜の闇に紛れていて発見が遅れたが、一度気づくとそれはあまりにも異様だった。
いや、闇の中だからこそ、闇の黒さに呑まれないほどの漆黒のその柱は、言いようのない不気味さを放っていた。
縦ロールは、ゆっくりと黒い柱の根元に視線を移す。
そこに、一匹の白い悪魔が立っていた。
その黒い柱は――否、その黒い翼は、白い悪魔の背中から生え――噴出しているようだった。
「グッッッギャァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」
咆哮の如く叫び散らすその様は、まさしく悪魔。
暗い冬の夜空の下、美しい白雪が舞う中、黒い破壊の翼を携える――――白い悪魔。
縦ロールは理解する。縦ロールは直感で理解させられた。
疑いようがない。他に解答はない。それ以外在り得ない。
あれこそが、あの存在が、あの悪魔が――――学園都市最強の、
この学園都市で、最も怪物な存在。
奴こそが、
「――――――ッッッッ!!!!!!」
恐怖。恐怖しかない。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
縦ロールは己の身体を抱きしめて、ひたすら震える身体を押さえつけた。
歯がガチガチと音を鳴らす。悲鳴を上げることだけは必死に堪えた。
思わず後ずさりしようとして瓦礫に足をとられ、尻から無様に倒れ込む。
だが、それを恥ずかしいとは思わなかった。それよりもただただ怖いと思った。
なんだ? なんだ、あれは?
人は、否、生物は――――あそこまで化け物になれるのか?
あれ程の怪物になれるのか? なってしまうのか?
あれが超能力を極めた頂点だというのなら、自分が、自分達が、この学園都市の学生達が“常識”として使っている超能力とは、一体なんなんだ?
私達は――この街の学生達は、一体どんな
「――――上条さんは?」
恐ろしく平坦な口調で、食蜂はポツリと呟いた。
その言葉に、縦ロールはハッとする。さすがのカイツも顔を真っ青にしていて、今の今までそのことに思い至らなかったようだ。
そうだ。あの白い黒翼の悪魔が、
――その
縦ロールの脳裏に最悪の――だが最も有り得るケースの想像が過ぎる。おそらくは、食蜂の脳裏にも。
そこに、一人の
「あの方は、生きています。とミサカはお二人に告げます」
その言葉に、食蜂と縦ロールは彼女に向かって振り向く。
「本当ですか!?」
「………」
驚愕を露わにする縦ロール。食蜂は力強い眼差しで00005号を見据えていた。
その瞳を受けて、00005号は、さらにその言葉を続ける。
「……あの方は――」
×××
「――――はッ!?」
上条が気付くと、最初に目に入ったのは圧倒的に黒い夜空だった。
点々と目に入る白い光が自分の頬に舞い落ち、冷たい感触を感じた後、それが雪だと分かった。
そんなことを妙に冷静に思考していると、自分の身体に覆いかぶさっている少女に気付く。
そして、上条の意識はそこでようやく本格的に覚醒し、その少女の顔を覗き込む。
「………っ!?……お前……どうして?」
呆然と問いかけた上条の顔を、額からべっとりと血を流した少女――00001号が、頬を緩めながら、安心したように見つめた。
「……よかった。とミサカは安堵します」
「何言ってんだ!! お前――――どうして!?」
「……ミサカにも、よく分かりません。……気が付いたら、勝手に身体が動いていたんです。とミサカは正直に申告します」
あの時、上条の心は確かに再び折れかけ、降り注ぐ瓦礫を感じても、回避行動を起こせなかった。
そんな上条を救ったのは、本来救われる側のはずの
満足に動くことも出来ないほどに痛めつけられたはずのその身体を、這って動くのがやっとだったはずのその身体を、今まで受動的に受けた命令だけに忠実だった少女が、上条の危機を救う為に、初めて自分から動かしたのだ。
初めて、自分の意思で、行動を起こしたのだ。
上条を、救う為に。
生きることすら放棄しようとした、ヒーローを救う為に。
上条は気付く。
自分達の周りは夥しい数の瓦礫が散在していて、自分と00001号がいるこの小さな場所のみが、ぽっかりとご都合主義のように無事だった。
まるで、奇跡のように。
不幸を呼び寄せる右手を持つはずの自分が、享受できるはずがないほどの優しい奇跡だった。
ならば、この奇跡は、間違いなく少女の功績で。
自分は、間違いなく、この救われる側の
ポタッ と、上条の頬に何かが垂れる。
それは、冷たい雪でも、しょっぱい涙でもなく――――温かい血だった。
自分に覆いかぶさり、人形のように無表情だったはずの顔を優しげな微笑みに変えて見下ろす、この少女から流れる、この少女に流れている、温かい血だった。
その温かさは、間違いなく少女が、無機質な人形ではなく、生きた人間であることを示していて。
上条は、ふと何かが壊れるのを感じた。
自分はどこかで、思い込んでいなかったか?
あの『しあわせな世界』を作るとか言っておきながら、この世界で死ぬことになろうともとかカッコつけておきながら、
どっかで、心の片隅とかで、思い込んでいなかったか?
これは、少し変わっているけれど、なかなか終わらないけれど。
それでもやっぱり、これは、この世界は、魔神オティヌスが作り出した世界で。
いつかどこかのタイミングで、ガラスが割れるみたいな音と共に綺麗さっぱり消え去って、あの見渡す限りに真っ黒で真っ暗な空間に変わって――否、“戻って”、どこからともなくオティヌスが現われて、答え合わせみたいな問答が始まるんじゃないかって。
あの世界で、幾つも幾つも見せられた世界の、見せつけられた絶望の、一つに過ぎないんじゃないかって。
言うならば、たとえ失敗しても、なんなら死んでしまうようなことがあっても。
気が付いたらあの何もない真っ暗な世界に戻って――コンティニューできるんじゃないかって。
微塵も思っていなかったと言えば、やはり嘘になるのだろう。
自分はどこかで、この世界の
この世界に生きる人達の、かけがえのなさを、上条当麻というヒーローが、一番、誰よりも、認めていなかったのかもしれない。
この世界で生きる人達を、ガラスが割れるように世界が壊れる度にリセットされ、別の世界に送られる度に復活する、キャラクターのように、NPCのように、上条当麻は思っていたのかもしれない。
あの魔神が創った幾つもの世界の、その中の一つに過ぎないと、高を括っていたのかもしれない。
シミュレーテッドリアリティ。
世界が作り物で、自分が、そして自分以外の人間が、その中の登場人物に過ぎないと思い込む“病”。
誰よりも漫画のような事件に巻き込まれ、いつも騒動の中心にいる。中心になってしまう。
そして魔神オティヌスによって、実際に世界が何度も作り変わるということを、その目で見せつけられてしまった。そんなことが可能なのだと、有り得てしまうのだと、見せつけられてしまった。
そんな上条当麻という人間は、ヒーローで、主人公だからこそ、そんな病を患ってしまったのだろう。
だが、それは、その世界で懸命に、たった一つの命を燃やして、たった一度の生涯を送る
必ず救うとか、絶対に助けるとか、どれだけカッコよく、ヒーローのようなセリフをぶつけたとしても。
この世界をどこか見下している、偽物だと思っているヒーローに、救える存在などいるわけがない。
――結局、初対面の男にそんな風に口説かれても、残念なくらいに響かないって訳よ
――……アンタは、超中途半端なんですよ
――お前は私よりも――誰よりも狂ってるよ
――俺の前から、今すぐ消えてくれ
そんな
関わった人達を、片っ端から不幸にするだけだ。
きっと誰よりもこの世界の存在を認めていなかったのは、上条当麻だったのだ。
自分の理想の世界を、文字通り命を懸けて守りたかったあの世界を奪った、この世界が、憎くて、憎くて、堪らなかった。
だから作りたかった。だから帰りたかった。あの黄金の世界に。この世界ではない、あの『しあわせな世界』に。
だけど、上条のそんな幻想は、今、ぶち殺された。
傲慢なヒーローの右手ではなく、一人の少女の温かい血によって。
かけがえのない命を感じさせる温かさによって。
少女は笑う。これまでの無表情からは考えられない程に穏やかに。
あれほど荒れ狂っていた胸の中の感情が、今は嘘のように静かで、尚且つ満たされていることを、00001号は感じていた。
00001号は、そっと、上条の頬に優しく手を当て、語りかける。
「ミサカは、あなたを助けることが出来ましたか?」
お得意の言葉尻の口癖は言わせなかった。
上条はがばっと上半身を起こし、力の限り00001号を抱き締めていた。
00002号が食蜂にされたのとは大違いの、荒々しい独りよがりな抱擁。
けれど00001号は、00002号に負けないほどに満たされた笑みを浮かべていた。
温かい。それに、息が苦しいほどに締め付けられているのに、苦しさではなく、別の感情が湧き起こってくる。
まるで、求められているようで、必要とされているようで。00001号は、これもまた一つの抱擁の形なのだと受け止めた。
上条当麻は、情けない顔を見られることを恥じるように、少女の肩口に顔を埋めながら、言った。
「ありがとう」
誰かを救い続けてきた
「――助けてくれて、ありがとう」
その言葉は、00001号の心に優しく染み渡っていった。
思わず、上条の背中に、己の両腕も回す。そして、優しく、優しく抱き締めた。学んだばかりの、抱擁という知識を活用して。
これが、幸福というものなのかもしれないと、00001号は思った。
人それぞれ違うという、幸福の形。
ならば、自分が今感じている、この感情が。正体不明の、この湧き起こる温かさが。
そうであって欲しいと、これまで自身の生すら願わなかった少女は、心から願った。
「――なら、次は俺の番だな」
そして、ゆっくりと00001号から離れ、上条当麻は立ち上がる。
右拳を再び握りしめ、少女に背を向けながら、自分に言い聞かせるように宣言する。
「俺は、
上条と00001号の目線の先には、背から黒い翼を噴射して――――もだえ苦しむ最強の姿。
「グギャァアァァァアァァァァアアアアアァァァァアアアアアアァァアアアア!!!!!!!!」
おそらくは、その新たな力を制御できていないのだろう。
がむしゃらに黒翼を振り回し、自分の周りを破壊で埋め尽くしていく。
そうして怪物は、ポツリと、孤独になっていく。
「――認めるか。一人になんて、絶対させない。俺が、絶対に――」
上条当麻は、ゆっくりと息を吸い込む。
そして、ギンと眼光を鋭くし――――今、再び、
「――その幻想を、ぶち殺す!!!」
上条当麻は、駆ける。
泣いている
白い少年を呑み込もうとしている、真っ黒な『
ヒーローのように。
今度こそ、ヒーローに、なる為に。
×××
その後ろ姿を、00001号は見送っていた。
そして、ギュッと、胸の前で手を握り締める。
今度は、なんだかざわざわとした感情が胸の中に溢れてきた。
でも、00001号は、上条の背中から目を逸らさない。逸らしてはいけないと思っていた。
その時、00001号の、意識が飛んだ。
まるで、何かに乗っ取られたかのように。
何かが、乗り移ったかのように。
ヒーローの隣に立ち、誰もを救うヒーローを救う、そんな強い女性。
それもまた、ヒロインだ。