上条当麻が風紀委員でヒーローな青春物語   作:副会長

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 科学者と科学者。

 女と女の、静かな戦い。


芳川桔梗〈あまいおんな〉

 

 プシュと炭酸の缶を開けたような気の抜けた音と共に、シェルターのように頑丈に閉ざされていた筈の扉は開かれた。

 

 部屋の中央にそびえ立つのは、大きな試験官型の培養器。

 

 その傍らに立っていた、一人の白衣の研究者は、正規の手順を踏んで足を踏み入れてきた二人の侵入者に目を向けた。

 

「……あら、まさかあなたがここに辿り着けるとは思わなかったわ。――いえ、ここに来るとは思わなかった、という方が正しいかしら? 布束砥信さん」

「……Indeed。私の方は、まさかあなたがという気持ちと……それでも、ああやっぱりという感じね。……芳川桔梗さん」

 

 布束は、目の前にいる見知った女性を、その特徴的なギョロ目で真っ直ぐ見据えた。

 

 芳川桔梗。

 

 布束と違って二十代後半の妙齢だが、一切の化粧気がなく、格好も洗いまわされたジーパンにTシャツ、そしてそれと対比するように新品のような白衣という出で立ちの女性。

 

 彼女は布束と違って正真正銘絶対能力進化(レベル6シフト)の研究者だ。だが、彼女の専門は遺伝子研究で、それを買われてこの実験にスカウトされたこともあって、妹達(シスターズ)の製造過程にも芳川は携わっていた。その関係で、二人は親交とは言わないまでも、面識はあった。

 

 そんな彼女――芳川桔梗だからこそ、こうして妹達(シスターズ)である最終信号(ラストオーダー)の傍にいても決して不思議ではない。むしろ適任といえよう。

 

 だが――

 

「……それにしても、あなた一人ぼっちなのかしら?」

「……言い方に棘があるわね。まぁ、友達は多い方ではないけど。あなたと同じでね」

「…………」

「ふふ、ごめんなさい。子供相手に大人気なかったわね。……ええ、一人よ。ただでさえ少ないスタッフは、みんなデータ移送と、そしてついに今晩に始まる第一次実験をこの目で見ようと出払っちゃってね。まったく、研究者っていう人種はみんな子供よね」

「……それで、一人ぼっちでお留守番ってわけ?……いえ、“二人”、だったわね」

「…………」

 

 今度は芳川が口を閉ざした。布束の目は、芳川の隣の培養器に向いている。

 

 太いパイプのような培養器の中には、何本ものコードにつながれた、十歳前後の裸の少女。

 彼女は目を閉じて培養液の中を漂っていて、まるで生まれる前の母親の羊水の中で眠る胎児のように穏やかだった。

 

 通常の妹達(シスターズ)は、お姉様(オリジナル)の御坂美琴と同様に十四歳の肉体まで成長させられるはずだが、目の前のこの少女は明らかに幼かった。

 

 まだ製造を始めてから十四日経っておらず成長途中なのか――それとも、あえて、このままにしているのか。

 

「…………」

 

 布束は何も言わず、その魚のように感情を伺えない双眸を芳川に向けた。

 

 だが、芳川は、その目から彼女が言いたいことを読み取ったかのように苦笑し、こう言った。

 

「……どうして最終信号(ラストオーダー)を製造していることを教えてくれなかったの、って顔ね?」

「…………」

「まぁ、理由はいくつかあるわ。この子は実験に使用する個体ではなかったから学習装置(テスタメント)による教育は必要なかったとか、この子は完全に絶対能力進化(こっち)の管轄だったとか。――まぁ、一番の理由は、今この状況から分かるわよね」

 

 芳川は優しく、年上の大人が年下の子供を諭すように言った。

 

「あなたが、妹達(シスターズ)に対して、危険な程に“同情”してたからよ」

「…………」

「いつしか彼女達を見るあなたの目は、造り物の実験動物を見る目ではなく、一人の人間として見る目に変わっていた。……それを危ぶんだ上の人達は、今回の『始まりの五体(ファーストライン)』の性能に問題がなかったら、その時点であなたをこの実験から切り離すつもりだったのよ。そんなあなたに、最終信号(ラストオーダー)に関しての情報など、降りるはずがなかった」

 

 そういってニコリと笑う。布束はそれに対して何も言わなかった。

 

 そんな様子の布束に、芳川は優しい笑みのまま続ける。

 

「……でも、まさかこんなに早く動くとは思わなかったわ。……確かに妹達(シスターズ)を全員救うには今このタイミングしかないけれど、それでもあなたは何の勝算もなく動くような子じゃないと思っていたわ」

「…………」

「……それとも、何か勝算を見つけたのかしら?」

 

 そして芳川は、優しい笑みのまま――布束に銃を向けた。

 

「…………」

「……さすがに最終信号(ラストオーダー)を任されたんだもの。テニスラケットすら持ったことない私だけど、拳銃くらいは持つわ」

 

 芳川の手に握られているのは、学園都市の暗部が持っているような最先端技術の兵器ではなく、外の世界でも売っていそうな、弾も二発程度しか撃てないような護身用の小さな拳銃。

 

 だからこそ、芳川のような、これまで一度も銃など持ったことのない人間でも扱えるような、殺傷用の兵器。

 

「……私は甘いから、急所を狙うような度胸なんてないけれど、それでもあなたのような能力者でもなければ戦闘職でもない研究者に当てるくらいのことは出来るわ」

「…………」

「……ごめんなさいね。あなた達には何の恨みもないけれど、それでもこれが――私の仕事なのよ」

 

 大人としての、仕事なのよ。――そう、芳川は呟いて、カチリ、と、撃鉄を上げる。

 

 その銃口を向けられている布束は、瞑目し、しばらく黙っていたが、ここで吐き出すように言葉を発した。

 

 

「…………Certainly。その通りね、あなたは、“甘いわ”」

 

 

 布束の言葉に、ゆっくりと引き金に向かっていた芳川の指が止まる。

 

「……そもそも、本当に実験のつつがない進行を考えているのなら、私にこんなに長々と背景を語ったり、わざわざゆっくりと見せびらかすように銃口を向けたりしない。ここに私が――実験を妨害する可能性のある不穏分子が姿を現した時点で、問答無用で射殺するべきでしょうに」

「…………」

「それが出来なかったのは、あなたが“甘い”から――」

 

 

「――もしかしたら、妹達(あのこたち)を救えるのではという可能性を、この期に及んで捨てきれないからよ」

 

 

 ぴくっと、銃身が震える。

 

 芳川の顔には、すでに年上の優しい微笑みなどはなく、表情は険しく固まっていた。

 

「……あなたは、前からそうだったわ。妹達(シスターズ)に可愛らしい下着をプレゼントしたり、五つ子のような五人のそれぞれの特徴を見つけようとしたり、まるで赤子のように何も知らない彼女達の疑問に一生懸命付き合ってあげたり。……妹達(あのこたち)を人間のように見てたというのなら、私よりもよっぽど顕著だったわ」

「…………」

「……それでも、私と違って、こうして今でも実験に、それも最終信号(ラストオーダー)なんて心臓部を任されているのは、あなたが優秀であるということ以上に――甘いから」

「…………」

「それが、優しさではなく甘さ(・・・・・・・・・)だから。どれだけ情を移そうと、最後には大人として仕事を選ぶと、上は確信しているからよ」

「……そうね。私は甘い。優しいのではなく甘い」

 

 芳川は、自嘲するように呟きながらも、それでも銃口を下ろさずに言った。

 

「……私は、最後には逃げる人間だもの。……中途半端に同情して、中途半端に手を差し伸べて――それでも、最後には手を放して、背を向ける。何かを背負える強さがない。……だから私は、こうして妹達(あのこたち)が殺されると分かっていながらも、こんなところに隠れている。ただ、逃げ込んでいる」

「……なら、どうしてあなたは動かないの? もうあなたは、手の届くところにいるのに?」

 

 布束は、芳川の背後の最終信号(ラストオーダー)に目を向ける。

 

 

 だが、芳川は自嘲するように、微笑んだ。

 

 

「……それが、大人になるってことなのよ」

 

「…………」

 

 

 それに対して、布束は何も言わなかった。

 

 

 何も、言えなかった。

 

 

 逆に、芳川は布束に問いかける。

 

 

「……どうしてあなたは、そんなに強くなれたの?」

 

 

 布束は、ただ一言、簡潔に告げた。

 

 

 

「ある日、ヒーローに会ったのよ。――たった一言で、私の世界を変えてくれた、そんな風紀委員(ヒーロー)に」

 

 

 

 ピッと、電子音が響く。

 

 その一瞬で、芳川桔梗は、自身の身体のコントロール権を失った。

 

 否、奪われた。布束の横にいた、これまでなぜか“意識から外していた”研究者の女性に。

 

 

 布束は、ガクリと肩を落とし、気絶したかのように俯く元同僚に対してこう思った。

 

 

 もしも、あの日、あの少年に出会わなかったら、自分も彼女のようになっていたのだろうか。

 

 

 叶うならば、いつか彼女の元にも、そんなヒーローが現れば……

 

 

 そして、自嘲する。

 

 

 こんなことを考えてしまう自分は、彼女に負けず劣らず甘いのだと。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「――……あったわぁ。この人の記憶の中に、今夜行われる第一次実験場所が。……どうやらそこに五人とも送られているようねぇ」

「……面倒をかけたわね。わざわざ彼女と話をさせてくれて」

「……まぁ、あなたにはお世話になったしねぇ。貸しにしておくわぁ」

 

 本来なら、この部屋に入って部外者がいた場合(この場合は『食蜂』達が部外者なのか?)、すぐさま『食蜂』が『心理掌握(メンタルアウト)』で無力化する手筈だった。

 

 だが、相手の姿――芳川桔梗を確認した時、前を歩いていた布束が後ろ手に『食蜂』を制したのだ。

 

「私達はすぐにこの場所に向かうわぁ。そして、このくだらない実験を止める」

「……最終信号(ラストオーダー)は使わないの?」

「彼女はあくまで安全装置よぉ。妹達(シスターズ)を操れるといっても、まだ彼女達は五人しかいない。それじゃあ、クーデターにもならないわぁ。それに――」

 

「――この実験は第一位『一方通行(アクセラレータ)』を止めない限り、根本的には止まらない」

 

 その『食蜂』の言葉に、布束はただ重苦しい黙答を返した。

 

「…………」

「もちろん、最終信号(ラストオーダー)はこちらの切り札になるわぁ。彼女がこちら側にいれば、奴等はこれ以上妹達(シスターズ)を製造できなくなる」

「……それなら、彼女はここから出さなくてはね」

「いいえ、それは出来ないわぁ」

「なぜ?」

「……彼女、培養器の中でしか生きていられないように細工力を高められてるみたいなのぉ」

 

 最終信号(ラストオーダー)の危険性は、当然彼らも認知していた。

 それ故に、それに対しての安全装置を――安全装置に対する安全装置を用意していたのだろう。

 

 布束は再び培養器の中で眠る少女を見つめる。

 

 少女だ。十四歳の肉体年齢だった、自分が面倒をみてきた妹達(かのじょたち)よりも、さらに幼い無垢なる少女。

 

 この小さな身体も、おそらくは最終信号(しょうじょ)を、より扱いやすく、より無力にするための、安全装置なのだろうか。

 

 これほど非人道的な実験に手を染めているくせに、自分達の身を守ることに対しては、何重にも予防線を引いている。

 

 思わず吐き捨てかけたが、自分も紛うことなきそんな連中の一員なのだと気づいて、それが自嘲に変わる。

 そんな思いを払拭せんと、布束は『食蜂』へと振り向き、言った。

 

「私がここに残るわ」

「そう、ならお願い」

 

 そんな布束の言葉を、頭の中を覗くまでもないとばかりに、間髪入れずに食蜂は予知して返した。

 

 布束は珍しく苦笑する。そんなに自分は分かりやすい表情をしていたのだろうか。無表情にはそれなりに自信があるのだが。いや、この目の前の女性を操っているのは、この街最強の精神能力者――この街で最も人の精神を、心理を知り尽くしている少女だ。その能力を使わずとも、こちらのちょっとした仕草から、それなりの思考予知くらいやってのけるだろう。

 

 布束は、その表情を今度こそ普段通りの無表情に変える。

 

 だが、『食蜂』には、これまで見た彼女のどんな表情よりも、色濃く彼女の思いが表れているように思えた。

 

「お願い、実験を止めて頂戴。……私に、こんなことを言う資格も、こんなことを頼む資格もないことは分かっている。……私はどうなってもいい。それでも、彼女達のことは救って欲しい。――身勝手な研究者の、身勝手な理由で作り出された……それでも誰よりも純粋で、無垢で――そして、誰よりも人間な、妹達(かのじょたち)を」

 

 最終信号(ラストオーダー)という切り札は手に入れた。

 

 だが、それでも、今日の第一次実験を止めなければ、確実に一体の妹達(シスターズ)は殺される。

 

 そして、実験そのものに致命的なダメージを与えなければ、奴等は決してこの実験を止めないだろう。

 

 絶対能力(レベル6)という幻想を、決して手放しはしないだろう。

 

 それこそ、次に狙われるのはこの培養器の中で眠る最終信号(ラストオーダー)だ。奪還か――それが出来ないと判断されれば処分か。

 

 そして、新たな安全装置(ラストオーダー)を作り出し、再び妹達(シスターズ)の量産を再開し、何事もなかったかのように実験を続行する。

 

 誰かが、幻想をぶち殺さなくてはならないのだ。

 

 そして、それが出来るのは、食蜂操祈が知る限り、たった一人しかいない――

 

 彼女は、『食蜂』は、布束の目を真っ直ぐ見据え、答える。

 

 

「――ええ。私“達”に任せなさい」

 

 

 そして『食蜂』は、布束砥信に背を向けて、出口に向かって歩き出す。

 

 その後ろ姿は見慣れた同僚のものにも関わらず、布束が思わず女王のような気品を感じてしまう所作だった。

 

「――ここは任せるわぁ。すぐにこっちの手の者を寄越すから。上の移送作業とかち合うわけにはいかないから、それが終わってからになるだろうけれど、それまで息を潜めて潜伏力を高めておきなさい。絶対に見つかってはダメよぉ。一応、上にいる研究者と、そこの人の支配は、この建物を出るまでは継続しておくから、今のうちに彼女は縛っちゃいなさい」

「……ええ。この往生際の悪い大人も、実験を止めてくれれば、きっとこちらに協力してくれる」

 

 そうすれば、きっとこの子も、この狭い培養器の中から出て、自分の足で駆け回ることが出来るのようになるだろう。

 

 そんな、布束のある種楽観的な展望が伝わったのか、『食蜂』は口元を緩める。それが微笑ましいと思ったが故なのか、それとも呆れられたのか、人の感情の機微には目の前の彼女と違って明るくない布束には分からなかった。

 

「――それじゃあ、ありがとう。彼女をよろしく」

 

 そういって『食蜂』は、食蜂操祈は、この部屋を出て、最後の戦場へと向かった。

 

 そんな彼女の背中を見届けた後、布束は内から堅牢な扉を閉めて、言われた通り使用されていないコードを見繕って芳川の手を後ろ手に回して縛る。

 

 

 そして布束は、自分が変わったあの日、とある風紀委員(ヒーロー)と出会った日の事を思い出していた。

 

 





 次回は、おそらく布束さんの回想シーン。

 むぎのんとのバトルはもう少しだけお待ちを……。

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