過去編、スタート。
超電磁砲の新刊まだかなぁ。
五年前。
とあるどこかの研究所。
食蜂操祈――八才。
×××
「やぁ、久しぶり! 僕のことを覚えてる!? 小学校の頃、同じクラスだったよね!?」
嬉しそうに話す白衣の若い男。
彼は、目の前のロボコップのようなマスクを装着した“壮年の”白衣の男性に嬉しそうに話しかける。
壮年の男は口元を愉悦に歪ませ、言葉を返した。
「いや、残念ながら覚えていないな」
「え? 本当に!? なんだよぉ、あんなによく遊んだじゃないかぁ」
そう言って若い男は、徐に懐からタバコを取り出す。
「おや? 君は確か、タバコを吸わないんじゃなかったかな?」
「はぁ、何言ってんだよ、吸うわけないだろう。俺が昔からタバコの煙すら嫌悪していたの知ってるだろう」
「だって、吸おうとしているじゃないか」
「“いいんだよ”。だって、これは“タバコ”なんだから」
そう言って、壮年の男が予め机の上に置いてあったライターを手に取り、火をつける。
そこで壮年の男は、傍らに控えていた少女に言った。
「食蜂くん。もういいよ。解いてあげてくれ」
少女は若い男に向かってリモコンを向けて、ピッとボタンを押した。
「――え?」
その瞬間、若い男は、動きを停止させ――
「っっ!! ご、ゴホッ、ゴホッ お、おえぇぇ」
途端に咳き込み、咽あがり、唾を口内に大量に溢れさせ、近くの研究員が持ってきたバケツに向かって吐き出した。
少女はそんな男を気持ち悪いとばかりに一瞥した後、退屈そうに顔を背けた。
「大丈夫かね?」
壮年の男は、若い男からタバコをさっと奪い、近くに待機させていた自動清掃ロボに向かって放り投げた。
副流煙も完璧に清浄する空気清浄機能を併せ持つそのロボが去ったのと同時に、ようやく嗚咽が収まった若い男が壮年の男に向き直った。
「……え、えっと、今のが――」
「そう、彼女の能力だ」
男達の、そしてこの部屋に待機していた他の数名の科学者達の目が、一人の少女に集中する。
だが、当の少女は彼らに一切の関心を示さない。変わらずつまらなそうに虚空を見上げていた。
「私を君の幼馴染の誰かと置き換え、そのタバコは“大丈夫な”タバコだと都合よく誤認させたんだ」
――何の根拠もなく、そうであると思い込まされたんだ。
それを言われて、男はゾっとした。
一切、違和感を持てなかった。それが当たり前だと疑いもしなかった。
自身の記憶を、自身の心理を、完全に掌握されていた。
自分という存在が、目の前の少女に、完全に支配されていた。
記憶、感情、嗜好、そして思考。
これらを全て自由自在に弄ばれ、書き換えられたら、それはもう、自分という存在が殺されるということと、同義ではないか。
自分の体を、別人に乗っ取られるのと、同義ではないか。
自分という存在が、ただの
これが、『
将来、能力者達の最高峰――“
科学者たちの嬉しそうな高笑いが響く中。
その若い男だけは、つまらなげに佇む少女を、畏怖の篭った目で見つめ続けていた。
×××
「順調に能力は成長しているようね」
実験が終了し、期待以上の成果を出せたことの喜びが、いや悦びが滲み出ている声で、先程の壮年の科学者と同様にロボコップのようなヘルメットを装着している若い女性科学者が、横を歩く食蜂に話しかける。
この装置は別におふざけで身に付けているわけではない。
精神系能力者である食蜂に、自分達の思考を読まれないようにするための処置だ。
故に、先程の若い男に対する実験のような時以外は、この研究所の全て科学者達は、食蜂の前に姿を現す時には欠かさずこのヘルメットを身に付けている。
食蜂の方もそんなことは百も承知だったが、別にそんな処置にムキになる程、彼らに興味もないので放置している。
食蜂は、彼女の問いかけともいえないような呟きに、ぶっきらぼうに答える。
「……そう。よかったわね」
自身の能力のことにも関わらず、まるで他人ごとのように答える食蜂。
彼女は食蜂と同性で一番年が近いということで(それはつまり一番若いということだ。それでも当然二十歳を超えている)食蜂の世話係のようなものを任されており、この研究所の科学者達の中で最も食蜂と接する機会が多いのだが、この二人の間にフランクな言葉遣い以外は親しみを表す要素は皆無だった。
その事に心痛を覚えるような心は、この二人のどちらにもないのだけれど。
「……それでぇ? 今日はもう帰っていいのぉ?」
「そうね。最後に“アレ”を見ていきましょう。大分、完成に近づいたの」
そう言って、彼女を例の場所へ案内する女科学者。
食蜂はそれを聞いて、ただでさえ低いテンションを更に落とした。
×××
若い女科学者が食蜂を連れてきたのは、とてつもなく巨大な二本の試験管の中に浮かぶ右脳と左脳を見上げることが出来る絶好のスポットだった。
「ほら、ここまで大きくなったのよ。『
まるで、頑張ったご褒美はもうすぐよ、と言わんばかりに、食蜂の大脳皮質を切り取って培養し肥大化させた巨大脳を見せつける女科学者。
狂っている。改めて、食蜂はそう思った。
だが、本当に狂っているのは、そんな悍ましいものを目の前にこうして突きつけられても、少し気分が悪くなる程度の影響しか受けない自分なのかもしれない。
こんな
だが、それでも、面倒くさい程度の拒否感しか持たず、流されるままに言いなりに実験に協力している自分も、彼女に、彼女等に負けず劣らす、壊れているのかもしれない。
嬉しそうにぺちゃくちゃと食蜂を――内心では食蜂という作品を育てている自分達を、だろうが――褒め讃える女科学者の言葉を聞き流し、自身の脳のクローンを、彼女は光のない星色の瞳で見上げながら、思う。
(……ああ。本当に、くだらない)
×××
食蜂はあの後、手術衣のような真っ黒の服からお嬢様小学校の制服にドレスチェンジし、一人で街を散策していた。
寮まで送ると言われたが、まだそんなに暗い時間ではなかったので、それを固辞したのだ。
一人になりたかった。
だが、それでも心が晴れなかった食蜂は、自分でもよく分からない葛藤に駆られ、道行く人達に片っ端に能力を使い、その人達の心を読んだ。
心を読むくらいの単純な作業なら、今の未熟な自分でも、リモコンのボタン操作一つで瞬時に出来る。
(あ~、だりぃ。なんで、こんなことやらされるんだよ、面倒くさい)
(……また能力が上がらなかった。幼馴染のアイツはどんどん上に行ってるのに……どうして……)
(また、アイツしつこく付きまとってくる。キモ。鏡見てから出直してこいよ、クソが)
(どいつもこいつも低レベルの屑共ばっかりだな。うっとうしい。みんなまとめて滅びねぇかなぁ)
(……あぁ。くだらない。本当にくだらない)
道行く人達の、暗く、醜く、気持ち悪い心の声に、食蜂のテンションはどんどん下降していく。
悩みや葛藤を抱える人間には、大きく二つのパターンがある、と食蜂は考えている。
一つは、自分と同じ葛藤を抱える人間を見つけ、悩んでいるのは自分だけじゃない。ダメなのは私だけじゃないと安心し、自己を慰める人間。
もう一つは、自分が抱える悩みなどに悩まされない、もしくは悩んだ末に克服した人間を見つけ、自分もいつかはああなれるかもと、希望を抱く人間。
どちらかと言えば、食蜂は前者の人間だ。
食蜂は現在の自身を取り巻く環境をくだらないと認識しているが、だからと言って自分と違う環境を生きる人間が尊く素晴らしいと思っているかと言えば、そうではない。
はっきり言って、素晴らしい人生などない。と、八才にして、すでに彼女はそう悟っている。
人間という者は、感情がある。心がある。
それだけで、人間という者は、汚く、醜く、くだらない。
自分を、含めて。
すでに精神系の能力者として凄まじい速度で成長している彼女は、この街の誰よりも人の心というものに密接に触れる彼女は、すでに人間というものにそう見切りをつけていた。見限っていた。
そんな彼女が、食蜂操祈が、いったい何を期待して、道行く人達の心を読んだのかは、本人ですら分からなかった。最強の精神系能力者となる逸材である彼女も、幼い自身の心は持て余してしまっていた。
通行人の心を読めば読むほど、自身の心に処理しきれない何かが積み重なっていくのを感じて、少女はリモコンを下ろした。
はぁ……と大きなため息を吐き、とぼとぼと俯きながら歩く。
“
そして、ある日を境に、それは急速にレベルを増した。
実験と研究の対象にされる頻度、密度が決定的に増え、最近だと学校よりも研究所にいる時間の方が長いくらいだ。
彼等は、どいつもこいつも濁った眼で、食蜂を見つめる。
例外なく、大きく汚い欲望と野望を抱えていた。誰一人として救いようがないほど狂っていた。
賢しい彼女が、この街の本当の姿を知るまで、そう時間はかからなかった。
(……親船さんくらいかしらね。唯一善人力を認めてもいい人は)
テクテクと歩く。宛てもなく歩く。
ここは学園都市。学生が総人口の八割を占める街。つまり、その中のそれなりの割合が小学生であり、彼女くらいの子供が一人で歩いていても、別に不自然な光景ではない。
だが当然の常識として、俯きながら歩いていては、行き交う人にぶつかったりもする。ごくありふれた日常のワンシーンだ。
「いたっ」
「ん?」
ぶつかった相手は食蜂よりも年上(まぁ、彼女は八才だから、いくら学生の街とはいえど大概の人が年上なんだが)で、声からして男子のようで、彼女だけが倒れ込む形となってしまう。
だが、その声もまだ声変わりの始まりくらいの少年の声だったので、彼もおそらくは小学生なのだろう。
少年は、倒れ込んだ食蜂に、まだ筋肉が付きすぎていない細い腕を伸ばす。
「悪い。ちょっと急いでたんだ。怪我はないか?」
食蜂は機嫌が悪かったのと相まってじとぉと少年を睨みつけるが、少年はたははと額に汗を滲ませ気まずそうにするものの、手を引っ込めようとしないので、しぶしぶその手を取った。
「本当に悪かった。何か埋め合わせでも――」
「大丈夫よぉ、別に。それじゃあ」
新手のナンパだったら面倒だ。そう思い食蜂は立ち去ろうとするが――
「あ、おい。これお前のか?」
先程の少年がさらに食蜂に声をかける。
うっとうしい。まさか本当にナンパだろうか。だとしたら相当な変態だ。私は八才なのだけど。
出来れば関わりあいになりたくなかったが、すでに食蜂のストレスは限界で、上手くやり過ごすことなど出来そうになかった。
「一体、なに――」
食蜂は苦々しい表情を隠そうともせずに、荒々しい言葉と共に振り向いた。
彼が持っていたのは、食蜂の生命線であるリモコンだった。
サッと血の気が一気に引く。
食蜂は少年にズンズンと詰め寄り、バッとリモコンを引っ手繰った。
少年は、その食蜂の剣幕に目を見開いたけれど、すぐにへらっと笑った。
「やっぱりお前のだったのか。大事なものなのか? もう落とすなよ」
食蜂は、少年の笑顔を訝しげに眺める。
何なんだ、この男は。見た目は自分より二つくらい年上の、おそらくは小学五年生か、六年生。本来ならそこまで警戒することもないのだが、この街ではそんな常識は当てにならない。
小学三年生である八才の自分が、あんな暗部に関わっているくらいなのだから。用心するに越したことはない。
もしかしたら、今の研究所と対抗するどこかの組織が送り込んできた刺客なのかもしれない。自分と接点を持ち易くするために、こんな子供を派遣したのかも。
この辺りは、子供ならではの数段飛ばしの話の飛躍というものだけれど、今の彼女の精神状態は不安定といってもいいほどグラグラだった。そして、そんな飛躍が決して的外れではないことが多々あるのも、学園都市である。
バッと、彼女はリモコンを少年に向ける。
少年は頭に?マークを浮かべたような表情をしたが、食蜂は構わず、能力を発動した。
「悪いけど、覗かせてもらうわよぉ」
ピッと、リモコンのボタンを押す。
「?」
少年が何か違和感を覚えたのか、“その右手で頭を押さえる”。
その瞬間、リンクが断ち切れたかのように、少年の思考が一切読めなくなった。
「!!?」
(……え? 何? 失敗? この私が!?)
「……えぇと、大丈夫?」
突然わなわなと震えだした食蜂に、少年は気遣わしげに声を掛ける。
「やっぱ、どっか怪我したのか? 何なら知り合いの先生がいる病院がこの近くだから紹k――」
ピッと、再度能力を発動する。
「――ん? なんだ、なんかのノイズか?」
うっとうしい蚊をあしらうように、少年は右手で頭を掻き毟る。
再び途切れる能力。一瞬繋がるもののすぐに切れてしまう回線に、食蜂は混乱した。
(……なんで? どうして? こんなこと今までなかったのに!?)
食蜂は、今度はまた別の通行人に能力を行使する。
(あ~。課題だるっ。学園都市なんて能力が全てなんだから、能力開発の授業だけやってくれればいいのによぉ)
思考が読める。能力は正常に作動する。
ならば、おかしいのは自分ではなく、この男なのか?
食蜂は、目の前の少年に対する警戒心を強めた。断片的に覗けた思考から、この男が自分を狙った刺客ではないことは分かったが、だからと言ってこんなイレギュラーな男を相手に無警戒でいられる程、食蜂は性善説を信じているわけではなかった。
「? ??」
食蜂の目まぐるしく変わる表情に、少年は完全に置いてけぼりだったが、ここでようやく食蜂の方から少年に声を掛けた。
「……あなた。名前は?」
食蜂は、警戒してますと言わんばかりの訝しげな表情と身を守るような体勢で問いかける。この辺は八才の少女の子供らしい部分が現れた形だ。
だが、少年は苦笑しながら、その辺りには触れてあげずに、安直に答えた。
「上条当麻だ。よろしくな」
こうして、食蜂操祈は、上条当麻と出会った。
次回はロリ蜂さんとショタ条さんの微笑ましいイチャイチ――いえ、なんでもないです。