誰かいる。
婚后光子は何者かの気配を感じていた。
ここは「学び舎の園」。
男人禁制の閉ざされた空間。
幾つかのお嬢様学校が存在し、言い換えれば世間知らずのVIP様方が生活する学園都市でもトップクラスの重要地である。
セキュリティも万全でそうそう不審者の侵入を許すような場所ではないし、万が一そんなことになっていたら今頃大騒ぎのはずだ。
しかし、今、自分の周りは静かで穏やかだ。
静かすぎて、誰もいない。
そう。尾行者どころか通行人すらいない。
だが、にもかかわらず婚后は、しばらく前から嫌な気配を感じ続けていた。
「どなた!」
振り向きざまに叫ぶ。
「このわたくしを、常盤台中学の婚后光子と知っての狼藉ですの?」
扇を広げ、口元を隠し、己を鼓舞するように、自らの通う有名学校の名を優雅に口にする。
しかし、それは逆効果だった。
婚后はゆっくりと後ずさる。
すると、何かにぶつかった。
急いで振り返る。
誰もいない。何もない。
そこで、激痛と共に意識がフェードアウトした。
薄れゆく意識の中で、自分が振り返った時の背後-すなわち先程まで見ていた
その様を満足げに眺めながら、一人の少女がニヤリと悪意ある口の歪ませ方をした。
×××
「うわぁ~~~~!」
まるでサンタクロースにサインをもらった子供のように、初春飾利は目を輝かせていた。
「学び舎の園」。
前述のように男人禁制。例え女性でも特別な許可がなくては立ち入れないお嬢様の箱庭に、ついに庶民――初春飾利と、そのお供――佐天涙子は入場を許可された。
常盤台中学を見てみたいという、二人の――主に初春の――前々からの願いを白井が叶え、やっと立ち入りの許可をもらえたのだ。
そして足を踏み入れて早々、学び舎の園の圧倒的な異世界感に二人は思わず息を呑んだ。
まるで、中性のヨーロッパのような豪奢で壮観な街並み。
横断歩道や信号までおしゃれなオリジナルデザインで、今にも上品なクラシックなどが聞こえてきそうな雰囲気だ。
佐天はこの空間が放つ“空気”に感心し、初春はさっきから「はぁ~」「あぁ~」とトリップ状態だ。目がキラッキラしている。
すると初春がなにやら違和感を感じ、佐天に問いかける。
「あの、佐天さん。なんだか私たち注目されてませんか?」
先程から道行く人達がみなチラチラと二人を見ている。
しかし、それは軽蔑や侮蔑といった嫌なものではなく――。
「ああ、たぶんそれはこれじゃない?」
そう言いながら、佐天は自らの制服をつまむ。
「この町じゃあ、余所の制服を着てる人は珍しいんだよ。きっと」
佐天の言葉を聞き、初春は納得した。
確かに、学び舎の園は閉鎖的な空間なので、男性だけでなく、“外”から来た同い年の女の子も珍しいのだろう。
「あ! もうこんな時間だよ! 早く御坂さんたちと合流しよう!」
「あ、待ってください佐天さん!」
御坂達との待ち合わせ時間が近づいていることに気づいた佐天が走りだそうとする。
……自らの足元の水たまりに気づかずに。
×××
初春飾利は不機嫌だった。
その理由は――。
「汚れた制服はクリーニングに出しておいたから、帰りに寄ってね」
「すいません。代わりの服まで貸してもらったのにそんなことまで……」
「面倒でしたら自宅まで送りますわよ。それより代わりの服といってもそんなものしかご用意できませんでしたが……」
「十分です! ありがとうございます!」
そう。
佐天は今、常盤台中学の制服を着ていた。
初春は思った。
ずるい。
常盤台中学の制服なんて、お嬢様への憧れがハンパない初春にとってのどから手が出るほど着てみたい代物だ。
色々と粘ってみたが(佐天に自分との制服交換を申請したり、水たまりへのダイブを試みたり)全て却下され(理由は身体のサイズetc)、初春はいまだにへそを曲げていた。
そんな一行を、少なくとも常盤台中学の制服ではない一人の少女が見ていた。
初春飾利はご機嫌だった。
目の前のショーケースに所狭しと並べられた、見たことも聞いたこともないけど一目で絶品と分かるケーキ。ケーキ! ケーキ! ケーキ!
初春は今にも涎をダラダラ垂らしそうで、女の子として色々と限界だった。
そんな初春に白井と御坂は「?」顔で、佐天は苦笑だったが、初春の眼差しは現場に残された痕跡を探す名探偵のように真剣だった。
「そんなに悩むようなことですの?」
「ま、まぁ、あたしはチーズケーキって決めてましたから」
「早くしないと~日が暮れちゃうわよ~」
「ちょ、ちょっと待ってください」
そこで、初春の端末が鳴り、名探偵の思考は中断された。
発信元は「風紀委員177支部」。
初春飾利は膨れっ面だった。
せっかくの土曜。せっかくの非番。
せっかくの……念願の「学び舎の園」! お嬢様の箱庭の体験日!
あとちょっとで、あのお嬢様ケーキ(命名:初春飾利)を堪能できたのに、いきなり呼び出されてご機嫌なわけなかった。
「あとちょっとでお嬢様ケーキが食べられたのに……」
「お嬢様ケーキ……まぁ、せっかくの非番の日なのですから勘弁してもらいたい気持ちはわかりますわね」
ぶつぶつ文句を言いながら入ってきた二人の頭を、丸めた雑誌でパコンパコンと女性が叩く。
「イタっ」
「あうっ」
「二人とも。到着早々ぼやかないの」
「……すみません。固法先輩」
固法美偉。
この風紀委員177支部の実質的なリーダーである。
最年長の17歳であり、上条よりも先輩だ。
「よっ。2人とも非番の日までご苦労さんだな」
「上条さん♪」
「あら、上条先輩もいらっしゃいましたの」
白井が上条に目を向けると、その奥にさらに見慣れた二人が見えた。
「あら。白井さん、こんにちは。初春さんも♪」
「お久しぶりです。白井様。初春様」
「こ、こんにちは」
「…こんにちはですの。食蜂さん。縦ロールさん」
食峰操祈。そして、その側近の縦ロール。
この二人が風紀委員177支部にいるのは珍しいことではない。
もちろんこの二人は風紀委員ではないが、食蜂は上条の“推薦人”なのだ。
風紀委員は学園都市の治安維持を目的とした“能力者”の学生による組織。
能力のレベルは問われないが、能力を駆使する学生の揉め事を解決する分、やはり高レベルの能力者が所望される。
固法は強能力者で、白井は大能力者。初春は低能力者だが、それを補って余りある“バックアップ”能力がある。
上条のように無能力者で“前線”で働くことなど、通常はありえない。
ただでさえ上条の“右手”はそれこそ超能力者レベルの機密で、風紀委員の中でもこの177支部のメンバーを含めて一部しか知られていないのだ。
そんな上条がある程度自由に動き回れるのは“超能力者――食蜂操祈の推薦”という後ろ盾が大きい。
いわば、食蜂は上条のスポンサーなのだ。
そういうわけで、食蜂とその付き人である縦ロールは結構好き勝手にこの177支部に出入りしている。
本来はそのような事情があろうともあまりいい事ではないのだが、この三人が独自に動いて挙げた成果も多いので、固法も目を瞑っている。
そんな事情を白井は知っているので(面白くはないのだが)、今回もきっとそうだと思って――。
「で、お二人がいらっしゃるということは、また
「いいや。今回は俺たちが勝手に追ってる事件とは関係ない。むしろ、お前の方に関わる事件だぜ、白井」
上条にそう返され、白井は「へ?」と間抜けな声を出してしまった。
「どういうことですの?」
今度は固法にそう問いかけると、固法は事件の概要を説明した。
「昨日の放課後から夜にかけて、常盤台の生徒ばかり6人、連続して襲われる事件が発生したの」
固法はパソコンに被害者のデータを出しながらそう言い、次にこう付け加えた。
「それも、全て“「学び舎の園」の中”で」
×××
「佐天さん!」
御坂から連絡を受けた初春は白井を連れて、常盤台中学の風紀委員室へと急いだ。
学び舎の園の中なので上条は入れないし、固法は連絡係として本部に待機した。食峰と縦ロールは上条の側に当然のように留まった。
「御坂さん! 佐天さんは!?」
「体の方はしばらく休めば問題ないみたい。でも――」
一連の事件の被害者達の痛ましい現実を知っている初春と白井は揃って顔を俯かせた。
「――それで。何で佐天さんが襲われたの?」
御坂は鋭い目線で二人を見据える。
友人が襲われた現実を目の前にして引き下がれるほど、御坂は大人ではない。
二人は諦めて事情を説明した。
「そう……常盤台狩り……佐天さんは常盤台の制服を着てたから狙われたのか」
事件のあらましを理解し、御坂はそう呟いた。
「犯人の目星はついてるの?」
「まだですの……少々厄介な能力者のようでして」
「厄介?」
「それが――」
「目に見えないんです」
×××
『本当ですの! わたくし何も見ていませんわ!!』
『で、でも、監視カメラにはこう……』
『そ・れ・で・も! 見ていないものは見ていないんです!!』
『は、はい~~~』
常盤台中学の婚后光子は、
それは監視カメラの映像を見ても全く揺るがない。
映像には
「……被害者には見えない犯人ねぇ」
「最初は光学操作系の犯人を疑ったのですが……」
「姿を完全に消せる能力者は学園都市に47人いますが……その全員にアリバイがあって」
「まぁ、監視カメラに映ってるんだから、光学操作系ってのはちょっと違うんじゃない?」
初春が出したデータをもとに、それぞれが意見を出し合う。
今、初春がアクセスしているのは「
学園都市に住む全ての学生の情報が保管されている総合データベースだ。
風紀委員である初春にはそれなりのアクセス権限が与えられており、そこから情報を引き出している。
御坂達のような超能力者や上条のようなイレギュラーな存在の情報も一応保管されているが、それらの重要度が高い情報はトップクラスの権限がなければ閲覧できないようになっている。
そもそも、本当の機密情報まで馬鹿正直に記載されているのか怪しいものだが。
とにかく御坂の推察通り光学操作系の線は薄い。
そうなると、見えないというよりは――そう考え、御坂はある可能性に辿りつく。
「あ! そうだ初春さん。ちょっと調べて欲しいことが――」
×××
「あ、ありましたよ、御坂さん!」
初春が御坂に頼まれた情報を発見した。
「能力名は『ダミーチェック』。対象物を見ているという“認識そのものを阻害する”能力です。」
そう。実際には見えている。
しかし、見えていることに“気づかなければ”見えていないのと同じだ。
「該当者は1名――関所中学二年 重福省帆」
「そいつですわ!!」
白井が勢いよく断定する。
しかし、初春はいまいち納得しかねるようだ。
「で、でもこの人――“
学園都市の超能力というものは
それ以下の能力はちょっと不思議な力が使えるだけで、とても日常で役に立たないといった代物だ。
レベル2のダミーチェックでは、自己の存在を相手に100%認識させないことなど不可能だ。
そのはずだ。普通なら。
が、しかし
決め手となったのは――目が覚めてとある国民的ギネス級漫画の主人公のような黒いカモメっぽい眉毛にさせられていた哀れな少女――佐天涙子の証言だった。
今回の被害者は皆大きな怪我をしたわけではないが、その眉毛に甚大な被害をもたらし、中学生女子のピュアなハートに深々と傷を残したのだ。
佐天は復讐に燃えた。笑いを堪える友人達に気づかない振りをしながら。
佐天は気を失う前に鏡に映っていた重福を見ていたのだ。
重福は監視カメラに映っていたことから、他者本人の直接の認識しか阻害できないようだった。
その後、上条と固法の働きから、直接の管轄ではない学び舎の園での活動の許可をもらい、初春がその持前のコンピューターテクニックで決して最先端とは言えない使い古された風紀委員室の端末から“学び舎の園全て”の監視カメラをハッキング。
四人の知恵を絞り、捜索エリアを狭めていった結果、本格的に捜査開始後わずか30分足らずで、重福省帆を発見した。
すぐさま姿を消し逃げられたが、それでも監視カメラには映っている。
初春が佐天と白井をナビゲートし、確実に追いつめていく。
当の初春はこれを鼻歌を歌いながら、軽々とこなしていた。
これが、風紀委員の裏エースと呼ばれる初春飾利の実力である。
重福が逃げて、逃げて、逃げて、逃げた先には――。
「鬼ごっこは……終わりよ」
彼女が大嫌いな常盤台のエースがいた。
後ろを見ると白井と両さ……佐天が退路を塞いでいる。
重福は敵意を力いっぱい込めて目の前の御坂を睨みつける。
「なんで……どうして「ダミーチェック」が効かないのっ」
「さってね♪」
その余裕たっぷりの態度が気に食わなかったのか、重福はスタンガンの電源を入れて御坂に突っ込む。
「これだから……常盤台の
御坂の腹部にスタンガンが突き刺さる。
当然、電源はONだ。
勝利を確信し、重福は悪意を持って嗤う。
しかし――。
「……え?」
御坂はにこやかに笑う。
「残念♪ 私こういうの効かないんだよねぇ♪」
その瞬間、重福の敗北が決定した。
「ひゃん!?」
御坂の電流をくらい、重福は倒れ込む。
これまで重福がスタンガンで昏倒させた被害者たちのように。
「手加減はしたからね♪」
×××
その後、重福は警備員に連行された。
このような騒動を起こした原因は、眉毛を理由に彼氏にフラれ、その彼氏が常盤台の生徒と付き合いだしたことによる、常盤台と眉毛に対する復讐だった。おい。
色々な意味で聞くも涙語るも涙の悲劇だったが、佐天がその子の心の闇を暖かい言葉で払い、一人の少女が救われた。フラグを建てたとも言う。みんな笑顔のハッピーエンドとなったのでよしとしよう。
こうして重福と佐天が文通からスタートする約束を最後に、常盤台を震撼させた眉毛トラブルは幕を閉じた。
「どうすればいいのよ~~~~~~~~」
一週間は消えない面白眉毛と。
「今回の犯人……間違いなく“あれ”を使用していましたようねぇ
「ええ。……書庫ではレベル2となっていたのに、間違いなくそれ以上の能力でした。」
「実在したのか。……“
ある一つの、不穏な謎を残して。
いつも通りのトラブルの中に、大事件の影は潜んでいる。