歩く教会を破壊せずにどうにかインデックスをはd――いえ、なんでもないです。
「えぇと……上条さん?」
佐天は戸惑っていた。
さっき初春からもうすぐ着くというメールは届いたが、それが届いてからまだ五分も経っていないのに、どうして上条がここにいるのか――という疑問もあったが、一番の疑問は上条の瞳だった。
まるで、長年生き別れていた家族に再会したかのような、そんな優しい瞳。
その儚い微笑の裏に、ものすごい量の感情が渦巻いていて、それを必死に押し殺しているかのような、今にも泣き出してしまいそうな笑顔。
それもそうだろう。上条にとっては、体感的に数万年ぶりの再会なのだ。
だが、彼はインデックスに初めましてといった。自己紹介もしていた。
つまり、上条とインデックスは初対面ということ。
それも正しい。“この”インデックスと上条は初対面なのだ。上条が勝手に懐かしがっているに過ぎない。
それも、上条は理解している。
そのような再会は、この世界に来てから幾度となくあった。だから、上条は必死に感情を押し殺す。
しかし、そんな葛藤は佐天には分からない。不思議に思うしかない。
なので、上条を呼びかける声も恐る恐るといった感じになってしまった。
上条もそれに気づいたのだろう。
不自然なほどの明るい声で佐天に答えた。
「おう、佐天!……よかった、元気そうだな。もう体は大丈夫なのか?」
「……え、ええ、もうすっかり。検査の結果が出て問題なかったら、そのまま退院できるそうです」
「えぇ!? るいこ、どっか悪いの!?」
佐天の言葉にインデックスが驚愕といったリアクションをとる。
それに上条が呆れたように返す。
「おいおい、インデックス。ここは病院だぞ、察しろよ。佐天も入院着だろうが」
「だって、おいしい料理たくさん出てくるから、てっきりレストランかなんかだと思ったんだよ」
「…………佐天。お前、コイツにメシ食べさせたのか」
「…………はい」
「…………そうか。…………頑張ったな」
「…………はい」
なにかを共有した、遠い目の上条と佐天。
それをインデックスは「?」といった感じで首を傾げている。
冷静に考えれば、初対面のはずの上条がインデックスの食欲を知っているはずがないのだが、もう色々あり過ぎて混乱マックスの佐天はそこには気づかなかった。
「……それでるいこ? 体は大丈夫なの?」
「あ、うん。大丈夫だよ。……心配してくれてありがとうね、インデックスちゃん」
インデックスの優しさに、胸が痛くなる佐天。
上条はそんな二人を見つめ、口を開く。
「なぁ、佐天。インデックスのこと、頼んでいいか?」
「え、どういうことですか?」
「そうだよとうま! 私は追われてるの! ここにいたら大勢の人を――――」
「分かってる。だから、お前を追ってくる“魔術師”とは、俺が話をつけるさ」
上条はそう言い放ち、インデックスは分かりやすく目を見開いた。
「…………君、魔術師を知ってるの?」
「ああ、知り合いがいる。そもそも、そいつから連絡を受けて、俺は一足早くここに駆けつけたんだ」
上条は、
禁書目録が、この街の人間と接触した、と。
上条は、基本的にこの街から出ることが出来ない。
それは
前の世界でそれが可能だったのは、禁書目録の守護者という名目と、アレイスターの命を受けた土御門という橋渡し役がいたからこそ。
だから上条は、インデックスがこの街に来るまで、救いに駆けつけることが出来なかった。
それでも努力はした。
自分に出来る限りの魔術サイドの人間とのパイプを獲得し、インデックスの情報を手に入れ、首輪を付けられるのを未然に防ぐことは出来ないかを画策した。
防ぐことは出来ないまでも、せめてあの二人に真実を教えることは出来ないかどうかも。
結果的に、それは出来なかった。
禁書目録は、イギリス清教のトップクラスの切り札。
それほどの計画を、学園都市の中から一学生が人づてに妨害できるほど、甘くなかったのだ。
だからこそ、上条はただ待つことしか出来なかった。
首輪が完成して、インデックスの逃亡生活が始まったと知ってから、上条はただ待った。
下手に介入して、この街に辿りつかなくなってしまったら、もう上条に打つ手はない。
誰も幸せにならない、悲しみのバッドエンドを繰り返す無限ループを、上条当麻は終わらせることが出来ない。
だからこそ、あの白い修道服の少女が学園都市に侵入した時点ですぐに連絡するように、上条はアイツに頼んでいた。
だが、
しかし、まだだ。
見た所、インデックスは無傷。歩く教会も壊れていない。
まだ、手遅れじゃないはずだ。
ここからが、上条当麻の出番だ。
「俺は、お前がどういう存在で、どういう理由で追われてて、どういう奴らに追われているのかを、ちゃんと知ってる」
上条は、言い放つ。
言いたくて仕方がなかった言葉を、救いたくてしょうがなかった少女に向けて。
「その上で、助けるって言ってんだ。だからお前はここで、新しい友達とガールズトークでもしてろ」
上条は優しく微笑む。慈愛に満ちた瞳で、初対面の白い少女に向かって。
そんな笑顔に、インデックスは顔を歪ませるばかりで、何も言えない。
インデックスには、味方はいなかった。
いるのは、ただ自分の頭の中の103,000冊の魔導書を狙う、見知らぬ敵のみ。
味方はいない。覚えていない。
だから逃げた。逃げて逃げて逃げて、こんな科学の街に迷い込むまで逃げ続けていた。
皮肉にも、そんな街で、彼女は味方と友達に出会った。
「…………で、でも! 危ないよ! 殺されちゃうかもしれないんだよ!」
「知ってる。その上で、助けるって言ってんだ」
「…………私は、魔導書図書館で、103,000冊の魔導書を記憶してる、魔神クラスに危険な存在なんだよ」
「それがどうした。それで怖がるとでも? あいにくそこまでデリケートじゃねぇぞ」
上条は、本物の魔神を知っている。
それに、上条は前の世界では誰よりもインデックスと共にいた。そして、上条はインデックスを危険だと感じたことはなかった。
彼女はいつだって、上条の帰りを待っていてくれる、誰よりも身近な家族だった。
そんな彼女を、怖がるはずがない。気味悪がるはずがない。
「ほ……ほんとうに……たすけて…………くれるの?」
それは、誰よりも強くて、誰よりも優しい少女が流した、一筋の涙。
上条当麻が、命がけで戦うには、十分過ぎる。
「あたりまえだ」
上条は、佐天に目で意思を伝える。
彼女には、何が何だか分からないだろう。
魔導書だの、103,000冊だの、魔神だの、意味が分からないだろう。
彼女に分かるのは、また上条が誰かの為に戦いに出るということだけ。
なら、自分に出来ることは――――
佐天は、涙を流すインデックスを、後ろから抱き締める。
「いってらっしゃい。インデックスちゃんは、私に任せてください。こんな可愛い子、何度も泣かせちゃダメですよ」
上条は、そんな佐天に力強く頷く。
そして、踵を返し、歩き出す。
「よし。行くか」
上条は颯爽と、二人の少女の元を後にし、新たな戦場に向かった。
×××
残されたインデックスと佐天はしばしそのままだったが、やがて涙声のインデックスが、佐天に問いかける。
「ねぇ……るいこ」
「…………なぁに?」
「とうまって…………なにもの?」
「…………ヒーローだよ。困っている人がいたら、どこからともなく駆けつけて、助けてくれる。……………そんな、ヒーロー」
佐天の言葉はどこか誇らしげで、どこか寂しげだった。
×××
ここは、学園都市随一(つまり世界随一)の名医――
上条は、その病院の入口前の広場にいた。
入院患者さん達が束の間の解放感を味わうためのスペースだと思われるが、今は誰もいない。
繰り返すが、ここは世界的な名医である
彼の腕は世間一般に広まってはいないが、どんな重傷患者でも見捨てないということと、格安の治療費(前回の上条があのペースで入退院を繰り返し、“家計を圧迫する程度”で済んでいたことからも窺える)から評判は抜群で、この夕方でも人が0などありえない。
それは、つまり―――
(人払いか。定番だな)
すでに上条にとってはお馴染みとなった術式。それが展開されている。
上条は、インデックスと佐天がいる病院を背に――
――こちらに向かって歩いてくる“赤髪長髪の神父”を迎え撃つ。
「おい。ここはもう病院の敷地内だ。こんな健康第一の空間で、バカみたいにプカプカやってるお前は何者だ」
上条は、挑発的に尋ねる。
分かりきっていることを。
「うん? ただの魔術師だけど?」
漆黒の修道服に、右目の下にはバーコード。
咥えている煙草の煙と甘ったるい香水の匂いが混ざり合った香りが、風下の上条の元にも届く。
ステイル=マグヌス。
上条は、これまた初対面の彼が魔術師だということも、彼の本名も知っていた。
出会う前から、知っていた。
×××
その男――ステイル=マグヌスは目の前の少年に細めた目を向けた。
上条の推測通り、ここら一帯には人払いの結界を展開してある。
そんな中、自分の行く手を遮るように立つ少年。
制服を着ていることから、この街の人間――つまりは科学サイドの人間。魔術とは縁のない人間のはずだ。
そんな人間がどうしてここにいる? いることができる?
ステイルは警戒心を抱きながら、一応少年に向かって言う。
「そこをどいてくれないか? 君に用はないんだ」
「そうか。……目当てはインデックスか?」
その瞬間、ステイルの雰囲気が変わる。
語調も荒く、敵意を剥き出しにする。
「あの子を知っているのか?」
「やはりか。……なに、“お前達と同じ理由だよ”」
ステイルの目がカッ!と見開く。
歯を喰いしばり、咥えていた煙草を吐き出す。
「Fortis931!!」
即座に臨戦態勢に入る。
お前達と同じ理由。
ステイルはこの言葉を“禁書目録を利用するために確保しに来た”と受け取った。
つまり、こいつはインデックスの――――あの子の敵だ。
ステイルにとって、こいつを殺すにはそれだけで十分だった。
それだけが理由だった。
魔法名を――殺し名を叫び、炎剣を出現させる。
「炎よ――――」
そして、上条に向かって振り下ろす。
一瞬の迷いなく。一分の躊躇なく。
「―――――――巨人に苦痛の贈り物を!!!」
圧倒的な殺意を持って。
上条は、そんなステイルを冷たい眼差しで見据え、瞬きすらせず、一歩も動かず。
右手を横に一振り。
その一挙動で、ステイルの渾身の一撃は、破砕音と共に消失した。
目の前の現実が、理解できないステイル。
「――――――な」
手加減はしなかった。当然だ。あの子を害する悪意に、手心を加えるようなステイル=マグヌスではない。
だが、今まで幾度の敵を燃やし尽くしたステイルの炎剣は、目の前の少年の裏拳一つで吹き飛ばされた。
ありえない。
そんなステイルの混乱をよそに、上条は後ろに払った腕の動きを無駄にせず、体を開き、弓のように力を蓄えていた。
うろたえるステイルの硬直しきった体に向かって、上条の右拳は、矢のようにまっすぐにステイルの顔面に――――
×××
上条は、目の前の男が気に喰わなかった。
上条は知っている。
目の前の男――――ステイル=マグヌスという男が、どういう男であるのか。
上条は別に、ステイルと友達というわけではない。
会ったのも、数度。
そのどれもが厄介な事件の渦中で、平和な日常の中で会話を交わした覚えはない。
口を開けば、ぶつけられるのはほとんど嫌味と皮肉。
お世辞にも仲が良いとは言えなかった。
だけど、知っている。上条当麻は知っている。
ステイル=マグヌスにとって、世界で一番大事なものは、インデックスであるということを。
上条はステイルと会う数少ない機会で、毎回言われた。
姑が嫁に小言を言うように。
あの子は無事か。
あの子を悲しませていないか。
あの子を傷つけたら、僕はお前を許さない。
初対面時の記憶がない上条にすら、嫌というほど伝わった。
インデックスという少女が、ステイルにとってどういう存在なのか。
だからこそ、信じられなかった。
今、ステイルが、インデックスの記憶を奪うべく、こうして参上したことが。
知識では知っていた。なんとなく、聞いてはいた。
記憶はないが、知識という形では。
インデックスの記憶を毎年消すことで、“とりあえず”苦しみから解放する。
そういうことを、ステイルと彼女が行っていたことを。
それは、インデックスも、ステイルも、彼女も。
誰も幸せにしない、バッドエンドの無限ループであるということを。
上条の前に立つこの男は、役者の仮面を被っている。
インデックスを狙う魔術結社の刺客という役割を演じている。
誰よりも大切なインデックスに敵意を向けられ、恨まれ、憎まれることを覚悟し、それを氷のように感情を消した心で受け入れる。
それを繰り返すこと。
それを耐える為に、身に付けた仮面を貼り付けている。
それが、上条当麻は気に喰わない。
心の底から、気に喰わない。
「なに。“お前達と同じ理由だよ”」
そうだ。
俺は、お前たちと同じ。
“インデックスを助けたい”という理由で、ここにいる。
上条は、心の中でそう言った。
案の定、ステイルは激昂する。
すぐさま臨戦態勢に入り、上条を敵として認識し、排除しようとする。
その様を、上条は氷のような眼差しで見据える。
ステイルは、上条を“インデックスを魔導書図書館として利用しようとする敵”と誤解している。
上条もそう捉えかねない言葉を敢えて選んだ。
だが、上条はこう言った。お前たちと同じ理由だと。
それは、つまり。
自分達も、インデックスの敵であるという自覚があるってことじゃないか?
上条は歯を喰いしばる。
心底、気に入らない。
上条は見た。見せられた。
オティヌスが創り出した、誰もが『しあわせな世界』。
“上条当麻がいなくても”、上条が何もしなくても成立した、みんなが笑顔な世界。
そこには、上条当麻ではなく、“ステイルと彼女がインデックスを救い”、みんな幸せそうに笑っている光景があった。
確かに、あの世界の奇跡全てが存在する世界。そんなものは、
だが、あの世界に詰まった“奇跡一つ一つを各々実現させること”は、決して“不可能ではない”。
とんでもなく難しくても、途方もなく遠くとも、起こせる奇跡なのだ。
起こせたはずの奇跡なのだ。
インデックスを救うヒーローの役割を、ぽっと出の上条に掻っ攫われることなく、自分達のその手で、ハッピーエンドを掴みとる。
そんな“正しい物語”が、あったはずなのだ。それこそが、あるべき100点満点だったはずなのだ。
そんな答えに、辿り着けたはずなのに。
ステイルの炎剣が、上条に迫る。
だが、上条はうっとうしげに右手で振り払う。
渾身の一撃を、一瞬で無効化され、目を見開き硬直するステイルを、上条は睨みつける。
だが、コイツは放棄した。
誰よりも、何よりも大切なインデックスを助けることを放棄した。諦めた。
“とりあえず”に、逃げやがった。
上条は、歯を喰いしばり、右拳をギチッという音が聞こえる程に渾身の力で握りこむ。
コイツは――
本当に――
「気に喰わねぇ!!!!!!」
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――――上条当麻の右拳が、ステイル=マグヌスの顔面を貫いた。
ステイルの2m近い長身がこちらもm単位の飛距離で吹き飛ぶ。
ダンッ! とステイルの体が地面に着地し、ズザァァッッ! と削らんばかりに引きずられる。
ステイルは起き上がらない。完全に気を失っている。
上条当麻vsステイル=マグヌスは、わずか一撃で勝敗が決した。
……ええ、ステイルファンの皆さん、とりあえず手に持った石つぶてを置いてください。
彼の出番は、見所は後にちゃんと用意していますから。本当ですよ?だからごめん殴らないで。