Fate/reverse alternative 作:アンドリュースプーン
都市の名前に『冬』という文字が使われているからという訳ではないが、冬木市の冬は寒い。
息も凍るような冷たい風が戦場を吹き抜ける。この寒さでは血の臭いすらも凍りついてしまいそうであった。
ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。時計塔において羨望と嫉妬とを一身に受けた天才を仕留めた切嗣には、強敵を倒したもの特有の誇らしさや達成感などは皆無であった。勝利の美酒を味わうこともない。
それもそうだろう。
厳密にいえば切嗣は勝利などしていないのだ。切嗣にとっての勝利とは恒久的世界平和。誰も争わない世界だ。それの達成こそが唯一の衛宮切嗣がもつ勝利条件であり、だからこそ切嗣は生涯においてただの一度の勝ち戦を体験したことがなかった。
ライターで煙草に火をつける。冬の城では決して纏っていなかった煙の臭いが切嗣を満たした。
「ご無事ですかマスター?」
セイバーも首尾よくランサーを仕留めたのだろう。剣を消して切嗣の隣へとやってきた。
「問題ない。ご苦労だった」
適当に答えを返す。
切嗣自身はロード・エルメロイとの戦いに掛かりきりだった為、セイバーとランサーの一戦の一部始終を観戦していたわけではない。しかし噂に聞く聖剣エクスカリバーの破壊力は想像以上だった。
所有者の魔力を光に変換、集束・加速させることで放たれる『究極の斬撃』。神霊レベルの魔術行使すら可能とする最強の聖剣。正に彼の騎士王こそが振るうに相応しい剣といえるだろう。
事前に『
『
強すぎる威力が災いして使用する場所を選び、衛宮切嗣の魔力供給では連発することが難しい。しかし些細な問題だ。
あれだけの破壊力の一撃である。連発する必要性にかられることは殆どないといっていいだろうし、聖杯戦争はもう終盤も終盤。
バーサーカー、キャスター、ランサー、ライダーが脱落し残るはセイバーを除けばアサシンとアーチャーのみ。最終局面にもなれば出し惜しみをする必要はなくなる。どれだけ派手にやろうと聖杯を手に入れさえすれば衛宮切嗣の勝利が確定するのだから。
寧ろ懸念事項はセイバーではなく遠坂時臣の手に渡った『聖杯』のことだ。
(後悔先に立たずだな。聖杯があるんならまだしも、過去をやり直すことはできない。それなら建設的に考える方が遥かに良い)
気を取り直すと切嗣は拳銃を取り出す。
手始めに一応済ませておかなければならないことがある。それは敗残兵の処理だ。処置ではなく処理。今後の戦略にほんの僅かでも不安を感じさせるものがいるのであれば消して置く必要がある。
切嗣は無表情にケイネスの亡骸の隣で蹲り震えているソラウに銃口を向けた。
「ひっ……た、助け」
ソラウが懇願してくる。だがそんな命乞いが切嗣の心を動かすはずもない。こんな命乞いなど数えきれないほどに見て来たし、されてきたのだから。そしてその度に命乞いする者を殺してきた。ならばソラウだけを見逃す理由はなかった。
自分の想像を遥かに超えた事態に足がすくんでいるのだろう。ソラウは逃げたくても逃げられない様子だった。
「わ……私は、マスターじゃない! ケイネスについてきたけど、マスターじゃないのよ! ほら令呪だってない!」
これ見よがしに令呪の宿らぬ手を見せつけてくる。
普段の気丈さはどこへいったのか。常人ならその様に哀れさを感じたかもしれない。無論、切嗣がそんな感傷を抱くことはなかったが、隣にいる剣士には少しは通じたようだ。
「マスター、どうやら彼女は本当にマスターではないようです。見逃したところで特に問題はないと思いますが?」
ソラウの顔に希望の色が宿る。だがそれを、
「駄目だ」
あっさりと打ち砕いた。
「ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリはマスターじゃない。だがロード・エルメロイの婚約者だ。万が一以下の可能性だが僕達の障害になる可能性は"ゼロ"じゃない。弾丸一発でゼロ以上をゼロにできるならやっておいて損はないだろう」
「分かりました。マスターがそういう考えならば」
セイバーはあっさりと引き下がった。セイバーもソラウを哀れと思う心はあるだろうが、わざわざ自分のマスターとの間に不協和音を奏でてまで助けたい命ではない。
ここにソラウの命運はつきた。つきたかに見えた。
「恨むなら、恨むといい」
切嗣がそう吐き出すのと銃口から弾丸が飛び出るのは同時だった。
正確無比なる射撃。鉛玉は真っ直ぐにソラウの眉間へと飛び、
「失せろ下衆。こいつはテメエなんぞが触れていい女じゃねえ」
雷光の如く間に入った青い影によって弾丸は叩き落とされた。
その男の面貌を見ると流石の切嗣も驚きに眉を歪めた。
「……ランサー。生きて、いたのか? あのエクスカリバーを受けておいて」
酷い有様だ。光の御子と称えられた面貌は鮮血を浴びており、その胴体は四分の一が抉られたように失われている。
肉体のある人間ならは確実に致命傷。霊体であるサーヴァントだからどうにか立って歩けているだけだ。
手には真紅の槍。だがそれは決してゲイボルクではない。彼の魔槍はエクスカリバーの光により跡形もなく消滅してしまっている。それはランサーがルーン魔術の力で、周囲の地面の土を材料にして生み出した即席の槍だ。恐らくは黄金の聖剣と接触するだけで形が崩れるような脆い得物。されどその槍はゲイボルクと比して尚、劣らぬもののように切嗣に見えた。或いはランサーの瞳に宿る鬼気がそう見せているのかもしれない。
「はっ。あの程度で死ぬようなら俺は英雄なんてなってねえ。――――と言いてえところだが、俺でもセイバー、テメエの聖剣ばかりはどうしようもねえさ。俺がこうして生き恥を晒してんのは俺の功じゃねえよ。マスターの……ケイネスの遺志だ」
ケイネスの遺志。直ぐに切嗣はある可能性に思い至りケイネスの腕を見た。
そこからある筈のものが失われている。ケイネス・エルメロイがランサーのマスターであることを示す令呪、それが失われていた。
恐らく自らの礼装を打ち砕かれ、魔術回路を破壊された死ぬまでの刹那、ケイネスは願ったのだ。どうかソラウだけは助かって欲しいと。
ケイネスの最期の遺志が令呪の発動という形をとりランサーに力を与えた。セイバーのエクスカリバーを真っ向から受け、あろうことか生還するという『奇跡』を掴み取ったのだ。
ランサーが元々『生き延びる』ことに特化した英霊であった事実。ゲイボルクによる若干のエクスカリバーの威力減衰。そしてケイネスの遺志。どれか一つが欠けてもこの奇跡は起こりはしなかった。揃っていたとしても起こるはずのない現実だった。それを起こしたのである。ケイネスが生まれながらにもった才能ではなく、後に生じた意志が魔術ではどうしようもないことをやってのけたのだ。
意志の力。そんな曖昧なものを切嗣は微塵も信仰していない。だがもしそんなものがあるのだとすれば今それを目の当たりにしたのだろう。
「……ケイネスは、死んだ。そのことに恨み言をぐだぐだと言うつもりはない。あいつも俺も己が命を賭して聖杯戦争に挑んだ。なら死んだっていっても文句は言えねえ」
「ならどうしてソラウを庇う? 令呪の縛りか?」
切嗣が言う。ランサーは鼻で笑うと。
「これだから魔術師風情は気に入らねえ。令呪なんぞで本当に英霊を縛れるとでも思ってんのか? 俺は俺の信条に肩入れしてるだけだし、俺はあいつのことが気に入ってたから俺の意志でこうしてんだよ。文句あっか」
ランサーは満身創痍だ。体はもう消えかかっている。サーヴァントにとっての心臓たる霊格を破壊されたランサーにはもう如何な回復手段であろうと救うことはできないだろう。
それこそ『全て遠き理想郷』を使っても無理だ。ランサーがこうして今なお現世に留まっているのはケイネスの『遺志』とランサーの『意志』があったからこそだ。
ランサーは決死の覚悟を秘めた視線で切嗣とセイバーを睨む。
「貴様等が我が朋友、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトの屍を踏み越えその伴侶を害そうというのならば、貴様等も決死の覚悟を秘めて挑んで来いッ! その先は
四枝の浅瀬。その陣を布いた戦士には敗走は許されず。その陣を見た戦士に、退却は許されない。
赤枝の騎士に伝わる、一騎討ちの大禁戒だ。
もしも切嗣かセイバーかが一歩でもケイネスの亡骸を超えれば、ランサーは迷わずその陣を布くだろう。そして己が全てを賭してセイバーと切嗣の喉元に噛みかかってくる。
「…………」
切嗣は背を向けてランサーとソラウから離れていく。
セイバーがランサーを警戒しながら後に続いた。
「宜しいのですか?」
「ランサーは満身創痍だ。だが追い詰められた奴ほどなにをしでかすか分かったもんじゃない。といってもお前が手負いのランサーにやられるなんて万に一つの可能性だ。殺そうと思えば殺せるだろう。だが万に一つならソラウ・ヌァザレ・ソフィアリが僕達の障害となる可能性よりは高い」
本当にそれだけだった。切嗣にとって優先すべきは効率である。
手負いのランサーと戦うよりも、ここは退いておく方が効率がほんのわずかに良いと判断した。だから退く。簡単なロジックだ。
セイバーは敬意を払う様にランサーを一度だけ見ると、その姿を己が心に刻み付けその場を去った。
「……退いたか」
去っていく二人の主従を見送ると、ランサーは地面に膝を突く。
無理して立っていたがランサーにはもはや戦う力などはなかった。もって一分未満といったところだろう。
霊体とはいえ自分の体である。ランサーには誰よりも自分の命運がどの程度なのかを把握していた。
「ランサー! 早く傷を癒さないと……」
慌ててランサーに駆け寄ろうとしたソラウを一喝して留める。
「来るんじゃねえ。さっさと逃げろ……不甲斐ねえが、もう俺もそろそろ死ぬからな。流石の俺も死んでから蘇るのは無理だ」
「で、でも貴方は……私を、助けて……」
「勘違いするんじゃねえよ。俺がお前を助けたんじゃない。ケイネスがお前を助けた。そこは間違いちゃいけねえ」
ソラウを助けたのはケイネス。そこだけはランサーも譲るわけにはいかない。
セイバーのエクスカリバーは最強の聖剣というに相応強い代物だった。だからこそ相対したランサーは死んだはずだったのだ。だがその死者を動かしているのはケイネスの遺志である。それならばランサーの功はケイネスへと向けられるものであろう。
「ケイネスが、私を守った……ケイネスが?」
「信じられねえ顔すんなよ。ははっ! あの野郎、四六時中お前のことばっか考えてやがったからな。寒い台詞だが、あいつのお前への愛は本物だった。だから行け。行って生きろ。ケイネスが最後の最期に望んだのは――――自分の命じゃなく、お前の命だったんだからよ」
ランサーの体が粒子となり消えていく。残り三十妙といったところだろう。
ソラウは亡骸となったケイネスとランサーを交互に見ると、ケイネスの愛したいつものソラウらしい表情で偉そうに――――涙を溜めて口を開く。
「良い働きでした……ランサー。我が夫、ケイネスにかわり礼を言います。ありがとう、貴方がケイネスのサーヴァントで良かった。そして……さようなら、ケイネス。ごめんなさい。……ありがとう」
限界だったのだろう。最後に気丈さを取り戻したソラウはケイネスとランサーへの別れを言い切ると、弾かれたように走り出した。
友の愛した女性を見送るとランサーも目を閉じる。
「終わりこそ後味の悪いもんだったが……いい、戦いだった。俺からも礼を言うぜ。亡骸を火葬してやりてえが、魔術刻印ってのがあるんだよな」
ランサーは数千年の時の果てで出会った友人に笑みを見せる。
霊体だからだろうか。ケイネスが隣にいる気がした。
「ああ。お前は愛した女を守り通したんだ。単純なことだが、それすら出来ねえ英雄がどれだけいると思う? お前はよくやったんだ。誇っていいぜ。……赤枝の騎士のお墨付きだ」
惜しみない賞賛と友愛、ほんの少しの謝罪を込めてランサーは謳う。
そうして生涯において無敗を貫き、己が信念を貫き通した騎士は晴れ晴れとした顔でこの世から消えた。
ランサーとセイバーとの戦場から逃げ出したソラウは冬木市の市街を走っていた。
目的地は唯一つ冬木教会である。教会は中立地帯であり、サーヴァントを失ったマスターはそこへ逃げ込めば保護を受けられるようになっているのだ。
なにせ衛宮切嗣とセイバーは今もどこかで自分の命を狙っているのかもしれない。この冬木市で他に安全な場所などないと考えた方が良かった。
「はぁ……はぁ……」
どこまで来ただろうか。路地の一角で足を止める。
ソラウは箱入りの令嬢であり激しい運動とは無縁の生活を送ってきた。こうして懸命に走るのは生まれて始めての経験といえる。当然直ぐに息が切れ始めた。
それでも動くのを止めない。自分の命への執着もあるが、ケイネスの死を無意味なものとしたくないという思いが背中を押していた。
(馬鹿ね……私は)
自らの人生を振り返り自嘲する。
生まれたその時点から親によってレールが敷かれていて、その与えられた役割を演じるだけの人生。胸を焦がす情熱など一度としてなかった。だがソラウはあの一瞬に感じたのだ。胸を焼く情熱を。自分の命を守り通した婚約者であるケイネスに対して。
だからこその自嘲だった。あれだけ望んでいた情熱を遂に見出したと言うのに、それを自覚したその時にはその相手はいなくなっているのだから。これを嗤わずに何と言えばいいのだろうか。
故に、死ぬわけにはいかない。もし自分に情熱を教えてくれた人に報いる方法があるとすれば、それは生き延びることによってのみなのだから。
しかし参った。ソラウには土地勘がない。一体どうすれば冬木教会へ辿り着けるのか……最短の道はどこなのか。それが分からなくなってしまった。
「あっ」
ぐらりと視界が暗転する。石に躓いたのだ。
ソラウの体は走った勢いのままに地面に叩きつけ――――られなかった。
「と、大丈夫ですか? そんなに急いで危ないですよ」
一人の青年が倒れそうになったソラウを支えたのだ。
年の頃は二十代あたりだろうか。柔和な笑みを浮かべたお人好しに見える男だった。
名も知らぬ男は悪意を感じさせない表情でソラウを伺っている。
こんな時間に出歩いているのだ。恐らくは冬木市の住民だろう。なら教会への道を知っているかもしれない。
そう思いソラウはその男に問いを投げる。
「……あ、あなた。教会へは……どう行くか、知っていて?」
「えーと、外人さんだよね見た目からして。にしては日本語上手いけど。そういえば前に米軍基地の近くに行った時にやたら日本語の上手い人いたっけ。教会ってえーと丘の上にあるあの?」
「そ、そうその教会よ。良かったら教えてくれないかしら」
「オーケイ、オーケイ。それじゃ御一人様、ごあんな~い!」
ドンっ、と頭に重い衝撃が奔った。
「え、あ――――」
頭に激しい痛みを覚えてソラウは地面に膝を突く。
心臓がドクドクッと脈動する。頭に触れた手を見ると赤くなっていた。一体なにが起きたのか。
「あららぁ。勘が鈍っちゃったかなぁ。今のは血とか出さないで気絶させるつもりだったんだけど。一度魔女さんにぶっ刺されてたせいかなぁ」
男は――――雨生龍之介は倒れたソラウを見て溜息を吐く。
誰が知ろう。この龍之介こそキャスターの最初のマスターである男。冬木市を賑わせた快楽殺人者だった。
キャスターの宝具によって刺され契約を無効化された龍之介だが、世界にとって不幸なことに彼は死んではいなかったのだ。
起き上った龍之介は自分の流す血を悦び魅入り、そして生贄用の子供を殺し証拠を隠滅すると病院へと厄介になったのである。
そして快楽殺人者が夜中に女性を殴りつけたとなれば、これからやることは一つだけ。即ち人殺し。
「い、いや……こないで」
「知ってる? この辺りってさ、この時間は人っ子一人として来ないんだよねぇ。教会に行きたかったんだっけ。大丈夫大丈夫、安心していいよ。教会より素敵な天国に行けるからさ。きっとクールなところだよ天国はさ」
「あが、ああああああ――――痛い痛い痛いっ! もうやめて! 痛いのは嫌なの!! ケイネス! ランサー! 助けて助けて! お願いもう嫌なのよ! 助けてぇええええええええええええ!!」
包丁が深々とソラウの腹に突き刺さる。内臓から血が溢れだし血反吐を吐き出した。それでも痛みは消えてくれない。
地獄の激痛に苦しみ悶えるソラウは愛おしそうに観察していた龍之介は次に足を切り腕を斬り指を切り落とし、ソラウが出血多量でショック死する直前にその顔にナイフを突き刺した。
「天国へ一人ご案内~。リスクは高いし証拠消すの面倒だけど野外でヤるのも別の味があるよね。屋内では味わえないスリリングなクールが味わえるっていうかさ。って聞いてないよね、死んでるんだから」
龍之介は残念そうにソラウだったものを見下ろす。
顔に突き刺したのは失敗だったかもしれない。折角の美人だ。顔が無事なら生首を使って生け花風味にアートの作成ができたというものを。
龍之介は自分の浅慮を呪った。
「まっ、いいか。それじゃリハビリに付き合って貰うよお嬢さん。なぁに勿体ないことしないって。その命は俺が限界ぎりぎりまで使わせて貰うから」
唯一つ言えることがあれば、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリの亡骸はイギリスの土に戻ることはなかったということである。
そして聖杯戦争十一日目の夜が終わった。
【雨生龍之介 生存】
【ケイネス・エルメロイ・アーチボルト 死亡】
【ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリ 死亡】
【ランサー 脱落】
【残りサーヴァント 3騎】
かーなーしーみのー。